クリスマス絵本ではないけれど、そこにあるのはクリスマススピリッツではないか、と
(勝手に)思った絵本ー『いつかはきっと』※と『もりのてがみ』※ーのことを書きました。
今日これから紹介する本は、題名からはクリスマスの絵本だということはわからない
けれど、正真正銘、ほんもののクリスマス絵本です。

『ちいさな曲芸師 バーナビー』
バーバラ・クーニー 再話 絵
末盛千枝子 訳
この話は、元々古くからフランスにあったものを、絵本作家のバーバラ・クーニーさんが、
自ら絵をつけて絵本に仕上げたものです。(絵も色使いもとても素敵です)
クリスマスにラジオから流れていたストーリーに魅せられて、自分に息子が生まれたら
「バーナビー」と名づけることを決め(実際にそうなったそうです)、絵本にふさわしい形を
求めて、パリの図書館にある古書をみたり、フランス各地を旅して歩いたと知れば、
クーニーファンなら誰でも、そこまで惚れこんだ話っていったい???と興味をひかれることでしょう。
ずっと昔、もう何百年も前のことですが、旅から旅へと曲芸をして歩くバーナビー
という名の少年がいました。今からお話するのは、私がきいたこのバーナビーの
お話です。
少年にはお父さんもお母さんもいませんでした。自分の家というものも
ありませんでした。彼は、あっちこっち、遠く近く、いろいろなところを旅しました。
バーナビーのお父さんも曲芸師で、彼は10歳の春に父と死に別れるまで、父とともに
芸をしながら旅をしていました。跳んだりはねたり、ボールを空中にバランスよく投げたり
することは誰よりも上手でしたが、他のことは何も知りません。本を読むことも知りませんでした。
そんなバーナービーの暮らしと心持ちは、冬になり、修道士に声を掛けられたことで
変わっていきます。
修道院に居ると、着るものにも、食べるものにも不自由はないのに、自分がなぜか悲しく、
みじめなことにバーナビーは気が着きます。それは、修道士みなが自分に与えられた
仕事をして働いたり、祈ったりしている姿に触れたからでもありました。
クリスマスが近づくにつれ、修道士たちは今までよりももっと忙しく働くようになり、
バーナビーはますます悲しくなりました。イヴに向けて、誰もが一年かけて作った小さな
贈り物をするのに‥歌だったり、写本だったり、木彫りの柵だったり‥自分にできることなど
なにもないと、彼は嘆きます。自分の「能力」や「範囲」を知ってしまったのでしょうね。
自分にできること、できないこと。
自分のしたいこと、したくないこと。
これだけの中から選ぶのなら簡単ですが。
自分がしたくても、できないこと。
本当はしたくないけど、やろうと思えばできること‥。
一番いいのは、自分がしたいことを、できること。
お話のクライマックス、クリスマスイヴの日がやってきます。
バーナビーは、聖母子像の前で泣いた日に、啓示を受けてから実践してきたことを
やってみせます。自分の力を出し切って、精一杯。それはマリア様のためであり、
自分自身のためでもあったと思います。
誠意をつくすこと。自分に与えられた力を知ってそれを発揮すること。
バーナビーが私に教えてくれたのは、これらのことです。
(勝手に)思った絵本ー『いつかはきっと』※と『もりのてがみ』※ーのことを書きました。
今日これから紹介する本は、題名からはクリスマスの絵本だということはわからない
けれど、正真正銘、ほんもののクリスマス絵本です。
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『ちいさな曲芸師 バーナビー』
バーバラ・クーニー 再話 絵
末盛千枝子 訳
この話は、元々古くからフランスにあったものを、絵本作家のバーバラ・クーニーさんが、
自ら絵をつけて絵本に仕上げたものです。(絵も色使いもとても素敵です)
クリスマスにラジオから流れていたストーリーに魅せられて、自分に息子が生まれたら
「バーナビー」と名づけることを決め(実際にそうなったそうです)、絵本にふさわしい形を
求めて、パリの図書館にある古書をみたり、フランス各地を旅して歩いたと知れば、
クーニーファンなら誰でも、そこまで惚れこんだ話っていったい???と興味をひかれることでしょう。
ずっと昔、もう何百年も前のことですが、旅から旅へと曲芸をして歩くバーナビー
という名の少年がいました。今からお話するのは、私がきいたこのバーナビーの
お話です。
少年にはお父さんもお母さんもいませんでした。自分の家というものも
ありませんでした。彼は、あっちこっち、遠く近く、いろいろなところを旅しました。
バーナビーのお父さんも曲芸師で、彼は10歳の春に父と死に別れるまで、父とともに
芸をしながら旅をしていました。跳んだりはねたり、ボールを空中にバランスよく投げたり
することは誰よりも上手でしたが、他のことは何も知りません。本を読むことも知りませんでした。
そんなバーナービーの暮らしと心持ちは、冬になり、修道士に声を掛けられたことで
変わっていきます。
修道院に居ると、着るものにも、食べるものにも不自由はないのに、自分がなぜか悲しく、
みじめなことにバーナビーは気が着きます。それは、修道士みなが自分に与えられた
仕事をして働いたり、祈ったりしている姿に触れたからでもありました。
クリスマスが近づくにつれ、修道士たちは今までよりももっと忙しく働くようになり、
バーナビーはますます悲しくなりました。イヴに向けて、誰もが一年かけて作った小さな
贈り物をするのに‥歌だったり、写本だったり、木彫りの柵だったり‥自分にできることなど
なにもないと、彼は嘆きます。自分の「能力」や「範囲」を知ってしまったのでしょうね。
自分にできること、できないこと。
自分のしたいこと、したくないこと。
これだけの中から選ぶのなら簡単ですが。
自分がしたくても、できないこと。
本当はしたくないけど、やろうと思えばできること‥。
一番いいのは、自分がしたいことを、できること。
お話のクライマックス、クリスマスイヴの日がやってきます。
バーナビーは、聖母子像の前で泣いた日に、啓示を受けてから実践してきたことを
やってみせます。自分の力を出し切って、精一杯。それはマリア様のためであり、
自分自身のためでもあったと思います。
誠意をつくすこと。自分に与えられた力を知ってそれを発揮すること。
バーナビーが私に教えてくれたのは、これらのことです。