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絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

海と島とふたつの家族

2009-01-22 18:16:05 | 好きな絵本
先日のセミナーで知り、とても気になったのはこの絵本でした。

海と島のマイリ
 スーザン・クーパー文 ウォリック・ハットン絵
 ふるた ちえ訳


日本の、天女の羽衣伝説と似たような話ですが‥。

大きく違っているのは、天女が最初から、人間の格好をしていて、
若者に取られてしまったのが、衣(ころも)すなわち衣服であるのに、
この話は、海に住むアザラシが、自らの毛皮を脱いで、人間の娘に
なっていたとき、その毛皮を奪われてしまったというところです。

動物に姿を変えられてしまったり、人間+動物の格好をしたものなど、
世界中には色々なお話がありますが、アザラシがその毛皮を脱ぐ、という
ダイナミックさに、私はかなり興味を持ちました。

それについては、裏表紙には、ちゃんと説明がありました。


原題は、THE SELKIE GIRL

セルキー(Selkie)はケルト人の伝説に出てくるあざらしを指す言葉で、
この種類のあざらしは、あざらしの毛皮をまとった妖精だと考えられてきました。
セルキーは、人間の姿になったときは、とても美しく、男のセルキーは
人間の女と恋をし、女のセルキーは人間の男に求められて、妻になったと
いい伝えられています。(後略)




12月のおはなし会で聴いた「白鳥の王女」のときもそうだったのですが。
自分がかつて居た世界からのお迎えがきたときに、帰るか帰らないのかの
選択がすごく気になっているのです。

白鳥の王女は、家族の呼びかけには応えなかったのに、元の恋人から
声をかけられたら、すぐにでも白鳥に戻ってついていく勢いでした。
(一瞬早く、人間の夫におさえられて、飛び立てなかったんですが)

このアザラシの娘は、毛皮を捕られてしまったので、島の男(ドナラン)に
ついていくしかありません。
いくらドナランに愛され優しくされても、もう二度と歌を歌うこともなくなった娘‥
開いた窓から海の音に耳を澄ませるシーンがせつないです。

それでも、5人の子供に恵まれ、子どもたちは立派に成長していきます。
母となった「アザラシの娘」は、元の世界に戻れることができるなら、
5人の子供を置いて、帰っていってしまうのでしょうか‥
母にとっては偽りの世界‥でも子供への愛は、偽りではないと信じたいし、
何も知らずに大きくなった子供たちが不憫にも思えます。

しかし、この物語の後半は、別れは待っているものの、それは行き場のない悲しみではなく、
のびやかで、なにか大きなものに包まれている感じがしました。


セミナーのときに、末盛さんは、様々な理由で別れ別れに、暮らさざる
おえなくなった家族もたくさんいるのだから、
こういうラストがあっていいんじゃないか、ひとつの家族の形ではないか、と思って
本にした、というようなことを(たしか)おっしゃっていたと思います。
(訳者のふるたさんも、あとがきでそれに触れられています。)

同じところで、ひっつきあっているのが「家族」ってわけじゃないし、
離れていても、たとえ二度と会うことが叶わなかったとしても、家族は
家族に変わりはないし、
家族同様に大切な人も、いつまでも、大切な人であることに変わりはありません。


邦題の「海と島のマイリ」‥マイリというのは、ドナランがつけた名前ですが、
読み終わってから、題名に戻ると、なるほどなあと思います。

海だけでも、島だけでもなくって、アザラシの娘は、その両方に存在しているのですもの。



コメント (6)
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