ダウデルおばあちゃんの、「シカゴより~」の3冊目を読みました。
『シカゴよりとんでもない町』
『シカゴよりこわい町』、『シカゴより好きな町』 の2冊はいっぺんに読んでしまったため、
私にとっては、おばあちゃん再び、という感じです。
この作品で、おばあちゃんは90歳!近くになっているのに、体の不調や
老いの気配は感じられず、相変わらず豪快で、相変わらず「自分」の正義にのっとった
行いをたっぷりと見せて(読ませて)くれます。
前2作と違っているのは、語り手がおばあちゃんの孫ではなくなったということ。
1958年の夏に、ひとり暮らしを続けているおばあちゃんの隣の家に、牧師一家が越してきます。
その一家には、女子、男子、女子という順番で3人で子どもが居て、その真ん中の
ボビーが今回の語り手なのです。
なるべく関わらないようにしようと思っていたのに、不運な出来事から
おばあちゃんを知ることになってしまったボビー。
彼が観る「隣のすごいおばあちゃん」の姿を、私たち読者も一緒に楽しむことに
なるわけですが、「外」からの分、おばあちゃんの「老い」も感じにくく、それが
よかったような、そうでもないかも、の所で揺らいでいます。
よかったのは、90歳近いとはいえあんなに元気なんだから、このシリーズは
まだまだ続いていくよね、もっともっと続きが読みたいという活劇物に期待するような気持ち。
そうでもないかも、は、前2作で孫のジョーイたちに見せたような、内側の
おばあちゃんの顔が見たいからーです。
あーそれにしても、今回も、終わり方はとてもよかったです。
サプライズゲストも登場して、そうでもないかもと、私が上に書いたようなことも
杞憂で終わるかもしれないなあと思わせてくれましたし。
表紙に載っている緑の車‥ピクルスって、うまいネーミングですよね・笑。
読み終わった後に、この絵を見ると、この場面のおかしさがこみあげてくるんですよー。
『シカゴよりとんでもない町』
『シカゴよりこわい町』、『シカゴより好きな町』 の2冊はいっぺんに読んでしまったため、
私にとっては、おばあちゃん再び、という感じです。
この作品で、おばあちゃんは90歳!近くになっているのに、体の不調や
老いの気配は感じられず、相変わらず豪快で、相変わらず「自分」の正義にのっとった
行いをたっぷりと見せて(読ませて)くれます。
前2作と違っているのは、語り手がおばあちゃんの孫ではなくなったということ。
1958年の夏に、ひとり暮らしを続けているおばあちゃんの隣の家に、牧師一家が越してきます。
その一家には、女子、男子、女子という順番で3人で子どもが居て、その真ん中の
ボビーが今回の語り手なのです。
なるべく関わらないようにしようと思っていたのに、不運な出来事から
おばあちゃんを知ることになってしまったボビー。
彼が観る「隣のすごいおばあちゃん」の姿を、私たち読者も一緒に楽しむことに
なるわけですが、「外」からの分、おばあちゃんの「老い」も感じにくく、それが
よかったような、そうでもないかも、の所で揺らいでいます。
よかったのは、90歳近いとはいえあんなに元気なんだから、このシリーズは
まだまだ続いていくよね、もっともっと続きが読みたいという活劇物に期待するような気持ち。
そうでもないかも、は、前2作で孫のジョーイたちに見せたような、内側の
おばあちゃんの顔が見たいからーです。
あーそれにしても、今回も、終わり方はとてもよかったです。
サプライズゲストも登場して、そうでもないかもと、私が上に書いたようなことも
杞憂で終わるかもしれないなあと思わせてくれましたし。
表紙に載っている緑の車‥ピクルスって、うまいネーミングですよね・笑。
読み終わった後に、この絵を見ると、この場面のおかしさがこみあげてくるんですよー。