昨夜からの春の嵐にも負けず、黄色、紫に続き、白色のクロッカスも咲き始めました。
クロッカスの花の形は、ろうそくの炎のようにも、だいじなものをそっと包むときの、両手のようにも見えると思いながら眺めていたら、同じく大好きな木蓮の花を思い出しました。木蓮の花の形も「包み込むような」形をしていますから。
毎年、(桜が咲く前の)この時期の楽しみは、木蓮の凛と立った蕾が、ゆっくりとほどけてゆくように咲き揃うのを見ることです。花が開く前の姿も、もちろん開いた時も、茶色く朽ちていくところさえ、木蓮の花に惹かれます。
昔通った高校の、校門近くに植えられた木蓮を、卒業するまでの日々、毎朝眺めていた思い出も同時に甦り、なつかしい人たちのことを心の中で想う時期でもあります。
卒業してもまた会えるよね、と思いながら、そのままになってしまった人のなんと多いこと。若い頃は、あんまり感じなかったけれど、いつか会えるよねの「いつか」も、また会おうねの「また」も、半永久的に、あるいは永久に訪れないかもしれないという、重い事実に脅かされます。
川上弘美さんの『センセイの鞄』という小説の中で、主人公のツキコが、「この夜のどこかにセンセイがいる」と思う場面がありますが、それだって、センセイが生きていることを知った上での言葉だと思うのです。なつかしい誰か、別れたきりの誰か、その誰かが、もしかしたらこの夜どころか、この世界にもう存在していないかもしれない、ということを知ることができないのが、別れるということなんですね。
この先2度と会えないかもしれない人とは、最後に会ったあの時の、最後に交わしたあの言葉で、永遠の別れということになるなんて、「あの時」の自分と、相手は気づくはずもなく。でも、もう一度会う日はやってこないかもしれない、のです。
大人になったあの人にも、気まずい感じのままだったあの人にも、きっぱり別れた(?)あの人にも、できれば会ってみたいなあと思います。
同窓会とか、そんなんじゃなくっていいから、ドラえもんのポケットから出てくる道具みたいなやつで、なつかしい人たちの「今の顔」をちょこっと覗けたら、と思うのですが。
でも、顔を見たら、今度はほんとに会って、言葉を交わしてみたくなっちゃうかもしれません。木蓮見ながら、想いを巡らせているぐらいが、きっとちょうどいいのでしょうね。
クロッカスの花の形は、ろうそくの炎のようにも、だいじなものをそっと包むときの、両手のようにも見えると思いながら眺めていたら、同じく大好きな木蓮の花を思い出しました。木蓮の花の形も「包み込むような」形をしていますから。
毎年、(桜が咲く前の)この時期の楽しみは、木蓮の凛と立った蕾が、ゆっくりとほどけてゆくように咲き揃うのを見ることです。花が開く前の姿も、もちろん開いた時も、茶色く朽ちていくところさえ、木蓮の花に惹かれます。
昔通った高校の、校門近くに植えられた木蓮を、卒業するまでの日々、毎朝眺めていた思い出も同時に甦り、なつかしい人たちのことを心の中で想う時期でもあります。
卒業してもまた会えるよね、と思いながら、そのままになってしまった人のなんと多いこと。若い頃は、あんまり感じなかったけれど、いつか会えるよねの「いつか」も、また会おうねの「また」も、半永久的に、あるいは永久に訪れないかもしれないという、重い事実に脅かされます。
川上弘美さんの『センセイの鞄』という小説の中で、主人公のツキコが、「この夜のどこかにセンセイがいる」と思う場面がありますが、それだって、センセイが生きていることを知った上での言葉だと思うのです。なつかしい誰か、別れたきりの誰か、その誰かが、もしかしたらこの夜どころか、この世界にもう存在していないかもしれない、ということを知ることができないのが、別れるということなんですね。
この先2度と会えないかもしれない人とは、最後に会ったあの時の、最後に交わしたあの言葉で、永遠の別れということになるなんて、「あの時」の自分と、相手は気づくはずもなく。でも、もう一度会う日はやってこないかもしれない、のです。
大人になったあの人にも、気まずい感じのままだったあの人にも、きっぱり別れた(?)あの人にも、できれば会ってみたいなあと思います。
同窓会とか、そんなんじゃなくっていいから、ドラえもんのポケットから出てくる道具みたいなやつで、なつかしい人たちの「今の顔」をちょこっと覗けたら、と思うのですが。
でも、顔を見たら、今度はほんとに会って、言葉を交わしてみたくなっちゃうかもしれません。木蓮見ながら、想いを巡らせているぐらいが、きっとちょうどいいのでしょうね。
昨日、真直ぐに空に向いた木蓮のつぼみを見上げながら
rucaさんも木蓮の花が好きかしら?・・・と、ふっと考えていたのですよ。
これまでにも、思いがけない共通点がありましたからね!
そして今日のエントリー、ちょっとドッキリしました。
昨日、今年、初めてのもくれんに出会ったところです。。
私もとても好きな花のひとつです。
包む。
rucaさんの心の綾を思います。
セツナイ思い。
ちょっと心に痛くもあるけれど、喪いたくない感情、ですね。。
>rucaさんも木蓮の花が~
ということは、まつかぜさんも、木蓮の花が好きって
ことですよね?ブルーフラワーといい、アネモネといい
「おんなじテイスト」ですね~。
3月の今時分は、みんな桜がいつ咲くか、ということに
心を奪われがちですが、3月の澄んだ空に、ぽっと
上を向いて咲く木蓮の花の美しさは格別ですよね。
うちの庭にも、はなみずきでなく、木蓮を植えれば
よかったなあと思っています。
木蓮といって、すぐに思い浮かぶのは、白色のですが、
NYでは、紅色のばかりが咲いていました。それも
見上げなければ視界に入らないような高い木ばかり。
白を見ると、高校の校門横のを思い、たまに紅をみると
NYの春を思い出します。桜も桃もチューリップも木蓮も
みんないっぺんに咲いていました。きれいでした。
川上さんが賞をとるような方だとは知らずに、活字を離れた後に活字に戻る時になんとなく手に取るのか川上さんの本だった頃がありました。
こんなお話好きじゃなかったのに・・・と思いつつ好きになった本なのです。
rucaさんが書いていらっしゃることが、なんだかとても納得できたのです。(笑)
会わなくなった?会えなくなった?アノヒトコノヒトの、今をちょっと覗いてみたい・・・。
私はもう20年近く前にあえなくなった彼女がいて(私、女ですよ)ずっとそんなことを思い続けて、だんだんその思いが細くなっても切れることはなくって・・・
そんなちょっと切ない気持ちを懐かしく思い出しました。
会えていた頃はそんなこと予想もしなかったのに。でも今は、そう思っているくらいがちょうどいいのかな?
ついでに・・・。
この県はK市がずいぶん多いことに気付きましたよ。
懐かしい記事を思い出させてくれて、
どうもありがとうございます。タイトル見たとき、
どんなこと書いたっけ?とちょっと戸惑って
しまいましたが、すぐに思い出せました。
3月はね~ なんとなく、人恋しいといいますか、
思い出に浸ってみたくなる月ですよね。
今年はそんなことあまり思う暇もなく、過ぎていって
しまいましたが‥。
川上弘美さんの小説。気がつけばほとんどすべて
読んでしまっていました。流れるように、すべるように
言葉が次々にほどけていくような文体が結構好き
なんだなあ、と自分で思っています。
そうそう。
埼玉県のK市。しぼれきれないぞと
私も思ってました(笑)
が、いがまんじゅう、シベリアでわかりました。