桜が咲き始め、白い木蓮は満開の時期をすこし過ぎました。でも、毎年楽しみにしている、紅色の花を見せてくれるクリーニング屋さんのお庭の木蓮は、つぼみが徐々に膨らんでいるところです。木蓮は、白色より、紅色のほうが後から咲きますよね。その「時間差」がまた、嬉しいです。
このところ、詩の持つ力の大きさを感じています。今まで(大人になってからだって、十分過ぎる時間がたっているというのに)私はいったい何を見てきたのでしょう、とあきれるほど・・・。
前述の詩集 幼い子の詩集パタポン〈2〉 のまえがきを読んでいたら、こんなに私を魅了する詩の力=詩の秘密が、わかったような気がしました。ひとりで知っているのは、なんだかもったいないと思ったので、引用します。
このところ、詩の持つ力の大きさを感じています。今まで(大人になってからだって、十分過ぎる時間がたっているというのに)私はいったい何を見てきたのでしょう、とあきれるほど・・・。
前述の詩集 幼い子の詩集パタポン〈2〉 のまえがきを読んでいたら、こんなに私を魅了する詩の力=詩の秘密が、わかったような気がしました。ひとりで知っているのは、なんだかもったいないと思ったので、引用します。
すぐれた詩には、この世界の秘密に気づいた詩人(あるいは訳者)の深い洞察と知恵があります。私たち読者は、詩文の言葉に導かれて、自分の人生が生きるに値する価値のあるものだと知ります。そうした詩を遺してくれた詩人たちに私は心から感謝しつつ、このパタポン〈2〉を編みました。
パタポンの編者、田中和雄さんの言葉です。
やっぱり【詩人】の人たちは、「この世界の」成り立ちの「秘密に」「気づいた人たち」だったのです。
深い洞察から紡ぎ出された言葉の数々を、声に出して、あるいは胸の中でひっそりと、唱えることで、心の深いところに降りていくことができるのは、そんなわけだったのか、と思いました。
そして、【詩人】の言葉は、どこも経由しないで、直接、いきなり、心の中の一番柔らかい部分を刺激してきます。だからすぐに涙が出てしまうのです、きっと。
ひとつの詩を、何度も何度も読み返す行為も、それによって、「自分の人生が」「生きるに値する価値」をもっていることを、確認するためなのかもしれません。
生きるに値する人生・・自分の人生を、いつでもそう思える自信が欲しいし、自分の娘にもそういう自信を与えたいなあと思います。
好きな詩にめぐり合ったら教えてください。「いきなりやられた」詩があったら、また紹介します。
そして素晴らしい記事をご紹介頂きありがとうございます。
”詩の力”について、私もこの頃つくづく思ってます。
永らく「詩」から遠ざかったいたのですが、このところ、
なぜか詩の本をよく手に取るようになっています。
以前読んで、何も感じなかった詩をあらためて読んでみたら、
「やられた~」みたいなこともあり、自分でも不思議
なんです。
そして、やはり1度心にとまった詩は、繰り返し繰り返し
読んでしまいます。
なるほど納得、詩の秘密を教えて頂き勉強になりました。
「生きるに値する価値」私もそうありたいです。
またrucaさんの詩のご紹介を楽しみにしています^^
私もTBさせて頂きますね。
先日のまどさんの詩や、谷川さんの詩、
詩の秘密!をあらためて読み返してみました。
心のやわらかい部分を刺激するって・・・
本当にそうですね~。深く納得、共感です。
久しぶりにぱたぽんを読んでいたら、
上の娘が「ちょっと貸して」と持っていき、
「私はこれが好きだよー」と言うのが、
茨木のり子さんの「女の子のマーチ」でした。
あまりにらしくて、笑ってしまいましたよ。
私が大事にしている詩集は、高田敏子さんの
「月曜日の詩集」です。
古本屋さんで出会ったぼろぼろのものですが、
母の優しいまなざしと、日々の小さな喜びに
あふれている詩集なのですよ~。
みすゞさんのものもそうだし、
谷川さんもそうですが
心のやわらかいところダイレクトに来る、というところに納得でした。
そして、やはり人間は自分の弱いところが
一番敏感になっているのでしょうね。
そこを突かれるから、“やられて”しまう…^^
詩を読みたくなるのは、決まって春。なぜだかはわからないのですが。
>永らく「詩」から遠ざかったいたのですが
私もそんな感じでした。多感な時期はよく読んで
いたのですが(笑)。
でも、不思議なもので、一度気になりだすと、
新聞なんかにも、よく載っているのだなあと
目につくようになるし、手にしたことがなかった
雑誌にも、何気に詩が載っていたりと・・
もしかして呼び合っているのかなあ!?
などと、自分に都合よく思ったたりしています。
はらぺーにょさんの、ご紹介記事もまた楽しみに
しています。
「女の子のマーチ」。いい詩ですよね、私も好きです。
お嬢さん、きっと元気いっぱいに、毎日を楽しく
送っているのでしょうね。
たのもしい感じが伝わってきます。
うちの娘は、自分から詩の本を手にとることは
まだありませんが、夜眠る前に「読んで」と言って
くれるのが、嬉しいです。
高田敏子さんの詩。今度読んでみようと思います。
追伸 フラニーさんのページ、ブックマークに入れさせて頂きました。不都合な際は、教えて下さい。
春になると詩を読みたくなる、その新歌さんの
気持ちの「ひみつ」を今度聞かせてくださいね。
3月、4月の、別れと新たな出会いの季節が、
心を刺激してくるのかなあと、想像しますが・・。
※新歌さんが紹介してくれた絵本の原画展。
春休み中にぜひ行ってこようと思います。
ありがとうございます~。
ひっそりやっていたブログが、こうして
絵本好きの方と知り合うきっかけになるなんて
とてもうれしいです♪
私も時間をとって、ブックマーク欄をなんとか
したいと思っていますので、またその時は、
よろしくお願いします!
フラニーさんのブログと「繋がれて」ほんとに
嬉しく思っています。
素敵な想いをたくさん持った方たちが、ここにも訪れて
下さいますよ。その方たちと、また「繋がって」いって
くださいね。
フラニーさんの「フラニー」は、『フラニーとゾーイ』から来ているのかなあ、と想像しているのですが。素敵なHNですよね。私もそういうのにすればよかったと思いました(笑)。
自分の愛しい赤ちゃんへの想いはもちろん、もしかしたら、自分の母親への想いもあるのかも・・・なんて、思いました。
私は、こうやって、愛されてきた。
おならもウンチもしゃっくりも、どれもどれも愛しくて、頬ずりしたくて・・・。自分が娘を愛しく思うように、私も、愛しんで育てられたんだって、感じられたのかもしれません。
まさに、「自分の人生が」「生きるに値する価値」をもっていることを、確認できた一瞬だったかもしれない。なんて、思いました。
やっと雨があがって、陽が射してきました!!
久しぶりの太陽の光、嬉しいです。
「自分の人生が生きるに値する価値を持っている。」
誰もが、誰かに、そう肯定されたがってるのだと
思います。最初にそれを自分にしてくれたのは
自分の母親(父親)に違いないし、自分の子どもに
それをしてあげるのは、親となった自分自身なん
ですよね、きっと。
それにしても、赤ちゃんって、どこの誰の赤ちゃん
でも、無条件に愛すべき存在ですよね。
その場に赤ちゃんが居るだけで、空気がふんわり
暖かくなる気がするし、自分が優しい人になれた
ような気にさせてくれます。