朝から梅田でレッスン。
コンサート「モーツアルトをあなたに」で、びっくりしたコンチェルトの冒頭数小節の「pp」
「フルートが壊れたのかと思いました。でも、ppでものびやかに吹いておられたので、壊れたのではないとは思いましたが、あんなモーツアルトは聞いたことがないです。どうしてppですか?」
と聴いたら、
「それはね、理由があるのよ。フフフ…。」うれしそうに笑ってなかなか応えてくれません。
それでも、聴いてみると
「声楽の人が続いた後でしょ。大音量の後に、いくらフルートががんばって大きな音で吹いてもねぇ。」
ははぁ、なるほど。確かに、ppで始まった数小節の後、客席の人たちが、聞き耳を立てて、ぐっと身を乗り出した気がしました。
美しかった1楽章のカデンツァについて聴いてみると、他の楽章のカデンツァは書き直したりしたけれど、1楽章だけは全く書き直さなかったそうです。
「書いているうちにショパンが降りて来てねぇ。」ああ、なるほど。
カデンツァ付き、サイン入りの楽譜は、抽選で会場の方にあげてしまって、もう、無いそうです。録音もなし。残念です。
先生は「ぼくは、一つの曲は一度っきりしか演奏しないんだよ。やり直しとか無し。だから、やりきる。昔の人と同じで、心の中に録音するのよ。」
完璧に近かった演奏の意味がわかるような気がしました。
「本物っていうのは、半分らしいよ。音が狂っているよって言っても、わからない人にはわからない。わかっている人の方が少なかったら、こちらの方があちら側からいわせれば狂っている。全ての人が良いと言うものはまた、本物ではない。暴君がいて、恐怖でみんなが良いといっていることもあるのよ。本物は、みんなが良いというものではなくて、半分の人が良いといい、後半分の人には、あんなものといわれるものなんだよ。そういうのを目指してるんだよ。」
迫力ある演奏。アピールしてくる演奏。そういうものとは違う、精緻な、でも暖かく明るい美しさ。モーツアルトが目指した音楽とは、こういうものだったかもしれない。
同じ曲を演奏しても、人によって千差万別。同じものは二つとない。それぞれのモーツアルトがあっていいけれど、今日は先生の目指すモーツアルトが見えたような気がしました。
午後から衣装着て、本番前最後の練習。仕方ない。もう、迷わんとこ。自分の演奏をしなくっちゃ。