秋のような陽射し。夏のような気温。
朝からセミナー移動して、CAPのミーティング。
仲間でいるというのは本当に、難しい。しょっちゅういろんなことで、もめています。
民主化するということは、それぞれが、意見を持っても良く、それぞれを尊重するということです。しかし現実にできることは選択肢はあってもベスト、ベター、優先順位、理念いろいろな規準で絞り、摺り寄せる必要があります。そのプロセスがミーティング。私は、ミーティングそれ自体が民主主義だと思っています。つまりはもめるってこと。
しかし、言いたいことを言い合って、もめても仲間でいつづける。それが民主的にやりたいと思って集まった私達のチャレンジだと思います。
ミーティングが大切だし、そこで決められたことには最大限の敬意が払われなくてはなりません。しかし、現実は動いているし、イレギュラーの予定はそれぞれに入ってきます。
その度に、また話し合い。面倒くさい。しかし、これを省いていくと、CAPの質が下がります。なぜなら、CAPは人権教育。自分も他のみんなも大切な存在。私はあなたを私と同じように大切にします。と子ども達に伝えながら、仲間を大切にしないのでは、CAP自体が嘘になってしまいます。
だから、もめながらも、コミュニケーションをあきらめないで、やってきました。
やりながら、思うのは本当に私達はへたくそだということ。
言葉一つとっても、意味づけや解釈が同じ日本語でもこんなに違うかと思うほど違います。
それでもCAPだから違うことがわかってきたのだと思います。普段だと曖昧なまま、錯覚の中、合意したと思って物事をすすめて、やっていけたりしてしまいます。どちらかの沈黙の上で。
気づいたことは言う責任があるということ。を私達は自分達に科しています。言う以上はその結果に責任があるということも。今日も、苦い薬を飲むような意見を聴いてドッキリしたり。でも、相手の考えていることが私が思っていたことと全く違っていたり、私がこうだろうと思っていったことが、違う影響を与えていたり。そういうことがいろいろわかって、また、相手と自分への理解が深まりました。
音楽も、人生もコミュニケーションがうまくいけば、仕事の半分はうまくいったも同じ。あきらめないで、やり続けよう。