朝から茨木でカルテットの練習。と言っても、4thは食中毒でお休み。大丈夫かなぁ?
しばらくケーラーのグランドカルテットを練習することに決定。
曲の感じをつかむために、ゆっくりと演奏したり、少しづつ止めてフィードバックし合ったりして練習しました。
旋律を誰が演奏しているのか?自分が演奏しているのが、メロディか、対旋律か、伴奏か?を確認しあい、同じ動きをしている別のパートと呼吸を合わせたり。曲の山を探したり、それでもまだ音程には手をつけられなかった。することは山盛り。
作り上げる音楽のことを考えると、わくわくしてきます。またまた夢中になってしまいました。
茨木を1時で後にして、枚方に帰ってお昼ごはんを5分で詰め込んで。すぐ児童会へ。
雨の後、寒くなりました。それでも運動場で遊んでいるときはよかったですが、5時過ぎて部屋に入ってから、何人かの子どもがおもちゃの電話を取り合って大騒ぎ。暴力を奮ったり、ルール違反をしたり反抗的な行為をする子どもにあこがれる子ども達がいて、油断をすると、徒党を組んで一人をターゲットにしたりします。1対3になって、電話を引っ張り合って、殴ったり、蹴ったり。
「話し合ってください。穏やかに話し合うまで、電話は誰にも渡しません。」電話を取り上げると、「先生は、Aの味方するんやろ。」と大声で3人の方のボスがいいました。
「先生、電話頂戴よ!」一人の方も大声で言います。
「先生はどちらの味方もしません。おもちゃは、みんなが楽しく仲良く遊ぶためにあるんです。争いの原因になるんだったら、片付けます。話し合って、みんなで楽しく遊べるようになったら返します。」
「何でやねん!」「返せよ!」と口々に言い立てましたが、取り合わないでいると、話し合いはおきませんでしたが、電話のことは忘れたように、それぞれに住み分けて遊びだしました。
なかなか、話し合いは難しい子ども達です。
帰って夕食を作ってすぐに、夜はCAPの練習。暴力の予防のためのワークショップ。いじめの予防のためのロールプレイに力が入りました。
今夕食食べたところ。ホント、忙しかったけれど、充実した一日でした。
次男の中学に参観。一日フリー参観なので、いつ行ってもいいのです。3時間目の木工と、4時間目の国語。
枚方市内の小中学校ではじめての校舎立替で、ただいま工事中。ホームページで見てみると、昭和35年に建てて以来、50年間改修のみ。「『1メートル以内に校舎に近づかないように』と生徒達に言っています」と先生が言っておられたのは6年前長男が入学した頃。
校舎の壁がはがれて、危なかった。建替えになって、よかった。よかった。
よかったけれど、夏休み明けから息子達はずっとプレハブ生活です。これから建替えまで3年。今の在校生の彼らは新校舎に入らずに卒業です。それで、見ておきたかった。
「プレハブの方があったかいで。」と聞いていましたが、本当、密封性が高く、エアコンで充分暖かいし、明るい。トイレや、水道もトイレもプレハブ棟の中、教室のすぐ隣についていて私達の頃のプレハブとはずいぶんイメージが違います。これなら安心。
参観は卒業製作の木工の授業。自分でデザインした棚を作っています。それぞれに取り組んでいたのが、「時間やから、もう片付けや。」の先生の一言で、同じ班の遅れていた子の棚に、息子とMくん二人で釘をどんどん立てて、3人で3本かなづちを持って、がんがん叩いて、製作終了。一人はほうきを持って床を掃き、もう一人はノコギリを返してと言う具合で、あっという間に時間に間に合わせてしまいました。
すばらしいチームワークにびっくりしてしまいました。末っ子でかわいい、かわいいと、わがまま放題に育てた息子に、こんな一面があるなんて。
なかなかいいかも。と親ばかになってしまった中学最後の参観でした。
今日は、懐かしい電話がありました。務めていた頃、隣の事務所にいたHさん。
「Hです。」
「…。」
「建築事務所にいたHです。」
「ああ!Hさん。」
十数年会っていませんが、声は以前のまま。私より少し年上で、テナントビルで、同じフロアーにいて、給湯室で世間話をしたり、ランチに行ったりかわいがってもらいました。
「私、最近フルートをはじめたの。そしたら、あなたのこと思い出して。」
「まだ、全然ふけないんだけど。発表会に出なさいって先生がおっしゃるの。一人で楽しめるし、良いなあと思って、人前で吹こうなんて思ってなかったし、ちょっと発表会は負担なんだけど。勉強になるって先生はおっしゃるし。」
こんな風に思い出して電話をくれるなんて、とてもうれしいです。
しばらく話した後、「コンサートがあったら教えてね。」とお互いに言い合って電話をきりました。
フルート。楽しんでくれるといいなあ。
私はフルートのおかげで、いろいろな人と出会ったり、自分と言う人間が何者であるのか?どういう人間でいたいのか?と言うことを、本当にゆっくりでしたが、考えずにはいられなかった。
娘や、会社員、妻や、親であった私は、なかなか集中して練習など出来なかったし、中途半端な時間をたくさん過ごしたけれど、何とか細くても続けてきたことで、いろいろ発見もし、成長もした…と思います。
今となればその悪戦苦闘の過程自体が、得がたい貴重な経験だったのだと思います。何も無ければ、私のような怠け者は、目の前の生活に追われ、無為に過ごしていたにちがいないのです。
音楽をやっていたい、たとえそれが明日には消えてしまうものであっても。瞬間のハーモニーや、アンサンブルの極上の時間を手に入れたときの何にも変えがたい喜び。
Hさんも味わえますように。
沖縄で夫が買ってきたタロイモを料理しました。
「何で、タロイモ?」
「ウサイン・ボルトが、『僕はタロイモを食べて育った。』っていってたから。」
「お料理できるの?」
「知らない。ネットで調べたらあるから、料理して。」
「誰が?」
「君。」
「買ってきたんだから、パパが自分で料理したら。」と次男。
「そりゃそうだ。」と言ったものの、昨日は夫の当番で、お料理済み。来週の土曜まで当番はありません。結局、私が料理してしまった。新しい素材があると、好奇心がうずいてしまいます。
ネットで調べるとありました。それもたくさん。
簡単でおいしそうなものを選びました。タロイモジャーマンポテト。
ピーラーで皮をむくと、小芋のようにヌルヌルしています。小芋を剥くと必ず手が痒くなりますが、これは大丈夫。短冊に切って水にさらして、水から茹でます。本当に小芋みたい。ヌルヌルのお湯が盛り上がってあふれそうになりました。柔らかくなったら、あげて、ベーコンと、たまねぎと一緒に炒めて、しょうゆ、砂糖、味醂で味付けをして、胡椒を振って、最後にお酢をまわしかけます。(これって本当にジャーマンポテトのレシピ?!でも、そうかいてありました。)
これだけでも充分おいしいですが、今日、レッスンのときにohshiさんから、頂いた季節の定期便。自家製ローズマリーをパラパラとかけて、出すと。よりおいしい。
里芋は、中までヌルヌルネチャネチャですが、タロイモは、もっと固くてさくっとしています。味も癖がなくて、サクッとした食感は山芋のようでもありますが、そこまで、粘りはない。ポテトほどモゴモゴしなくて、ジャーマンポテトはタロイモで作るのが、一押しです。
初めて手にした食材をおいしく調理できた自分の腕にうっとり。たまにはいいでしょ(レシピのおかげでしょ。)
お料理はネットの使い方の、最良のものの一つだと思います。
もう一つは、音楽。プロコフィエフのソナタ、ゴールウェイの演奏をyoutubeで見つけました。画像つきで、本当にうまいです。特に2楽章は聴いていて楽しくなってくるし、ピアノとのコンビネーション抜群。ゴールウェイも乗っていますが、ピアノが、あおるあおる。ロシア人?いかつい男たちの、楽しい時間。
生演奏とは違いますが、こういう演奏を画像で見られるのは本当にありがたいです。
工藤重典さんのCDを持っていますが、また違っておもしろいです。こういう演奏を聴けて、どんなに勉強になるかわかりません。いい時代です。
「バケツの氷がたいへんなことになってるよ!」と、次男が庭で呼ぶので、出てみると、これ。
張った氷をとって裏返しにしたら、氷が結晶化していました。
わかるかなぁ?氷の裏側に5㎝ほどの、長さの氷の結晶がニョキニョキと立っています。
こんなのを見たのは初めて、思わず撮影会をしてしまいました。
今日は、小さな鏡餅を割って鏡開きをして、おぜんざいも食べました。我が家は行事をする方ではないですが、甘党の次男に「ぜんざいは?鏡開きは?小豆かってこようか?」と朝からせっつかれました。
久しぶりのおぜんざい。おいしかった。
体のワークをしてから吹くと、いい音がでますが、実際演奏する状況では何十分もワークをしてから演奏するわけにはいかないです。そこで今日はまずワークをして演奏します。腕が楽で、肺が広がった感じがします。この様子を観察して、効果が切れかけてときに、四股踏みの形をしてみます。これは以前に試しましたが、身体は楽になりますが、音はあまり効果がありません。腕が疲れてくると音が悪くなるので、両手を膝に置いて、骨をまわす動作を四股に加えてみました。これはいいみたい。
指の関節をゆるく触りながら、指を曲げるのも、指が楽に動くようになります。
体と音の関係をもっと追求したいです。
昨日の夜送ってきた画像は、沖縄特産、サンピン茶とブルーシールアイス。
「寒い、寒い。」と連発。泡盛とハブ酒のミニボトル。黒糖、シークァーサー生食用。お土産を手に帰ってきた夫は少しハイになっています。といっても普段しゃべらないので、ハイになって人並み。
「暗いなぁと思ったら、日蝕だった。6割くらい欠けたらしいよ。」
「西表ヤマネコも見たよ。」「えっ。」「剥製だけど。」「…。」
カルテットや、アンサンブルが増えると、バラバラのコピー楽譜が増えて、管理能力のあまり無い私は、パート譜が揃わなかったり、スコアが無かったり。だいたい、はじめっから2ndだけもらったりすると、ますますわからなくなってきます。
今日は、100円均一に行って、整理グッズをさがしました。楽譜は穴を開けることはしないので、クリアーファイルに入れて、それぞれにインデックスをつけてありますが、どんどん差し込んで太って、それに、立ててあると、何の楽譜かわかりません。
A4フォルダーインバックと言うのを発見。インデックス付きのクリアーファイルが5つくっついていて、やっぱり透明のバックに入れられる。
30穴ファイル用のPP製カラー見出し。これをクリアーファイルに突っ込んだら、たてても見られるインデックスになるんじゃないかしら?後、バラバラなパート譜は、30穴ファイルに入れてまとめたらどうかな?
いろんなグッズの山の前で考えている内に、前に整理しようと買った30穴クリアーフォルダーがどこかにあるはずだった。あれはどこにいったのかな?買う前に、あれを確かめなくちゃ。とことん整理が苦手な私です。さあ、楽譜がきれいに整理される日はくるのか?乞うご期待。また報告します。
山形から、群馬に移動した夫からやっぱり雪の便り。米沢まで豪雪。群馬県前橋は降っていなかったそう。午後は東京で仕事して、今頃は沖縄。ほんと、良く働きます。感謝です。
私は午前は自宅練習、午後児童会へ、運動場には、真新しい滑り台、黄緑色もまぶしい登り棒の骨。真っ赤なシーソーの台。工事のおじさんに聞いたら、来週中には完成するらしいです。
目の前にある掘った穴や、ガスボンベ、鋼材に、興味津々な子ども達。安全のために触らないようにと注意しますが、またすぐ、張ってある綱を乗り越えて、覗き込んだり、穴に入ろうとしたり。子ども達ばかりでなく職員も、待ち遠しがっています。
今日は、子ども達に付き合ってサッカーをしました。言葉が遅くて気持ちが伝えられなくて、なかなか仲間とうまく遊べないブラジルからきた1年生のAくん。1対1でゴール前に立って、私がキーパーをして、Aくんがキック。私が止めたら1点。Aくんが入れたらAくんに1点。二人で遊んでいたら、2年生のBくん。この子はおとなしすぎて、荒い子どもと遊べません。誘ってもなかなか入りませんでしたが「先生一人だと、怖いから、一緒に守って。」というと、私の横に並んで立ってくれました。入ってみると、結構おもしろかったらしく、歓声をあげたり、大声で笑ったりしてあそんでいます。
しばらく遊んでいると、2年生と3年生のBくんCくん兄弟がやってきました。「入れて。」「いいよ。」Aくんが大きな声で言いました。いつもは入れてもらおうとして、入れてもらえなくてすねてばかりいるAくん。自分が入れてあげる立場になって、とてもうれしそう。
4年のDくんまでやってきて、「俺がキーパーしてやるから、お前ら順番に蹴れ。」と、キーパーを買って出てくれました。もじもじしている間に、他の子に譲って蹴れないBくんにも「おい、Bにも蹴らせろ。」と、なかなかりっぱなリーダーシップも発揮。こうなったら、もう私はおよびではありません。「後20分、4時になったらおやつだから、それまで思いっきり遊んでてね。先生はおやつの準備してくるね。」と退散。
それぞれにいろいろな理由で、うまく繋がれない子ども達。繋がれなくなる理由もちょっとしたことだけど、繋がれるようになるのもちょっとしたきっかけだけ。そんなことを感じたひと時でした。
帰ってプロコフィエフを練習していると、朝、ちょっと寝違えたと思った左の首が痛くなってきました。サッカーで暴れたからかな?息子に2分ほど背骨、肩甲骨を触ってもらったら、ちょっとましになりました。今日は早く寝よう。
山形に出張している夫が画像を送ってきました。寒そう。
こちらでも今朝は、庭のバケツが凍っていました。
エルネスト・ケーラー(1849年12月4日-1907年5月17日)は、イタリアのモデナ生まれ。
宮廷管弦楽団のフルート奏者だった父ジョゼフに指導を受け、フルート奏者に、ピアノ奏者の兄フェルディナンドと演奏をし、イタリア各地で評判を博しました。その後ウィーンのカール劇場管弦楽団、ペテルブルグ帝国歌劇場管弦楽団の首席奏者などを勤めました。
ケーラーの生まれた年の前年には1848年、革命が起きウィーン体制が崩壊。シュトラウスも、ショパンもすでに亡くなっていて、ウィーンは大作曲家時代。ワーグナーや、メンデルスゾーン、ブラームス。ドボルザークも。ケーラーは今世紀初頭まで生きて多作でしたが、新しい作風にはなじまず、古典的ロマン派の空気の中にずっと、とどまり続けていたことがわかります。グランドカルテットは92番目の作品。このスタイルも完成し、洗練されています。
今日は、山口県に嫁いだAさんが、レッスンに来てくれました。山口でも、フルートを習っていて実家に帰るたびに連絡をくれます。今回は10日ぐらいこちらにいると言うので、コンサートにも来てくれました。本当にありがたく、うれしいことです。
山口の先生がちゃんと教えてくださっているらしく、音も良くなっていて、様子を聞くと、レッスンも楽しそうです。
パッヘルベルの「カノン」をレッスン。カルテットをするそうです。4拍子、2分音符で動くシンプルな8小節のメロディを展開していきます。
「高音が出にくくて、息が続かないんです。」とAさんは言ってから演奏してくれました。
聴いてみると、なるほど。高音が来る前になると、唇を締め身体を固めて演奏して音が伸びません。
それだけでなく、中音域から跳躍して、低音を出すような場面でも同じように固めてしまっているので、低音がくぐもったような音になってしまっています。
演奏しながら、後頭部、背骨、丹田を軽く触ると、音が変りました。
フルートを置いて、壁に肩甲骨をつけて肋骨、胸骨、鎖骨をさわる動きをした後、演奏すると、
「なんで?!」
「息がたっぷりある!」
と、びっくりされました。
全く音が途切れないし、音も伸びます。
これは、Aさんだけのことではないですが、身体を柔らかく、まっすぐにすれば、音がよくなることは、フルートをちょっとでも勉強した人なら誰で知っています。でも、いつも緊張して吹いている人が、どうやってリラックスを知ることができるでしょう?
自分にとって緊張していることが常態化している人は、緊張していることにも気づいていないかもしれません。
肩こりに人は、気づきますが、それを引き起こしている、自分の体のゆがみや、緊張、動かし方に問題があることには、ほとんど気づいていません。そういう人には肩こりは偶然悪くなって、偶然よくなるのです。
そんな人でも子どもの頃は誰でも、身体は柔らかいです。だから、脳はちゃんとリラックスを知っていて、思い出させてあげさえすれば、ちゃんと気持ちのいい動きをしだします。
って、心と体のワークのD講師の受け売りですが。
気持ちの良いことを知れば、人はそちらの方を選ぶようになりますが、知らなければ永遠にそのまま。
「すぐに戻ってしまいました。」
とAさんは言っていましたが、自分で演奏する時にもワークをやってから始めるようにすれば、段々意識化して、元に戻らないようになってきます。
Aさんが、「山口でも身体も含めてフルートのレッスンを続けます。」と言って帰っていきました。
きっと続けてくれると信じています。
午後から偶然仕事が空いたSさんとアンサンブル。プロコフィエフをあわせました。やっぱりあわすの難しい。特に2楽章。どうなることやら。精進あるのみ。
朝は子育てサロンでした。
寒い朝にも関らず、12人の親子が集まりました。
「右手をグー、左手をパーにして、もちつきぺったんこ。かえしてぺッタンコ。」
1歳、2歳の子どもは、歌を歌うと、全身で応えてくれます。私達が手だけと顔だけなのに、お尻がもぞもぞして、飛び上がって手を叩きます。
今日は、牛乳パックを使ってコマを作ってあそびました。普通のコマはまわすのが難しいけれど、牛乳パックのコマは、パックのそこを中心に、8つに切り開いて糊でくっつけるだけで、おもしろいぐらい回ります。
午後からは茨木のKYさんの家でアンサンブル。今日は、Iさんは仕事なので、KMさんと私の3人でケーラーの「グランドカルテット」、ローバーの「コルシカの眺め」、ガブリエルスキーの「カルテット」を試してみます。
ガブリエルスキーは1stが動きがありますが、他のパートが単純な同じ動きで、あまり変化がありません。ケーラーの1楽章はどのパートも動きがあっておもしろいですが、それだけにそれぞれの技量が要求されます。時間を計ってみると8分近い。どうかなぁ?練習しておくことになりました。宿題を持って帰宅。
今日から、プロコフィエフの「ソナタ」の練習です。hi Dを基礎練習に組み入れて2ヶ月。1楽章のhi Dが、鳴るようになっていました。プロクフィエフの独特なリズム感は、同じようにジャズを取り入れていてもイベールとは全く違った様相をしています。2月28日の、ドルチェ楽器ミュージックアカデミィのコンサートで1,2楽章のみ演奏します。…時間が無い。あせって、練習だぁ。