MAKIKYUのページ

MAKIKYUの公共交通を主体とした気紛れなページ。
初めてアクセスされた方はまず「このページについて」をご覧下さい。

先月の女川町~平地は壊滅的な被害状況

2011-08-12 | 日本国内その他

先月MAKIKYUが女川へ足を運んだ際には、女川駅周辺の状況などを視察したものでしたが、MAKIKYUが足を運んだ被災地域の中では、被災状況は何処よりも凄まじく、東日本大震災による津波の凄惨さを身をもって痛感させられたものでした。
(東日本大震災の被災地域では、他に南三陸町や岩手県陸前高田市・大槌町なども市街地が壊滅状態になっている事が報じられ、これらも相当なものかと思いますが…)

MAKIKYUが女川へ向かう際には、石巻駅前からバスで女川町内へ入ったのですが、石巻市から市境を跨いで女川町に入り、石巻線で女川の一つ手前にある駅でもある浦宿周辺を通った際には、女川町の中心部とは山一つ隔てており、震災から既に4ヶ月以上を経ている事もあってか、見た限りではさほどの影響はない様にも感じられたものでした。

しかし浦宿駅前や女川高校を過ぎ、山を越えて女川町中心部の市街地を見渡せる箇所に差し掛かると、僅かな距離で風景は一変し、余りの凄まじさに唖然とするばかりでした。

太平洋に面したリアス式海岸の湾奥に位置し、平地のすぐそばに山が迫るという女川町中心部の立地も影響したとはいえ、女川へ向かう途中の東松島市内や石巻市内などで見かけた被災地域の惨状と比べても、比べ物にならない程酷いと感じたものです。
(東松島市内や石巻市中心部も被災状況は相当で、1995年に発生した阪神大震災後の神戸市内より酷いのですが…)

震災発生直後とは異なり、道路はバスをはじめとする車両の通行に支障が無い様に片付けられ、損壊・流失した家屋などの瓦礫撤去も随分進んでいる事で、余所者が公共交通機関を用いて訪れる事も容易な状況にはなっているものの、標高の低い平地はほぼ壊滅状態と言っても過言ではない有様です。


コンクリートの建物こそ大方躯体を残しているものの、建物の3~4階以上の高さまで津波が突き抜けた痕跡が見受けられ、高台にある町立病院の1回まで津波の水が押し寄せたそうですので、津波の勢いは想像を絶するものです。


津波には比較的強いとされるコンクリート製の建物の中でも、交番と見られる建物など幾つかは横倒しになり、未だに撤去も進んでいない程でしたが、これに加えて地盤沈下の影響で今でも浸水したままの箇所も見受けられるなど、この土地での再起・復興自体が果たして可能なのかと感じてしまう程でした。


こんな状況ですので、JR女川駅なども当然ながら全壊・流失しており、震災後に報じられたニュースでは何百メートルも流された気動車(重たい車両として知られる古参のキハ40系列ですので、こんな車両が平然と流されるのは尋常ではありません)の映像なども報じられた程ですが、現在軌道や車両の撤去は進んでおり、女川駅周辺では使えなくなった軌道や枕木が1箇所にまとめられていたものでした。


石巻線の軌道は数百メートル進んだトンネルの入口まで撤去されており、女川駅では損壊したホームと、震災直後に使用開始予定だったエレベーターの骨組みだけが無残に残り、鉄道施設だけを見ると廃線の様な雰囲気ですが、駅周囲も完全に廃墟と化しており、ただの休廃線跡とはまた異なった異様な雰囲気を感じたものでした。

この女川駅前も今では徒歩で訪れる事は勿論、車両通行も可能な状況となっており、JR石巻線代行バスやミヤコーバスの路線バスも通りますが、当然ながら旅客需要などはまずない事から駅前は通過するのみで、ここから徒歩10分程度の高台にある総合運動公園を起終点としています。


総合運動公園のある高台には、第2小学校なども位置しており、女川町役場も津波で全壊・流失した事もあって、プレハブの仮庁舎がこの高台に建設されるなど、この一帯が現在の女川町中心部ともいえる状況ですが、それでも津波で壊滅した平地ほどではないにしろ、人の気配は少ないと感じたものでした。

またMAKIKYUは震災発生前にも、石巻線の末端区間乗車目的で女川を一度訪れた事があります。

 
この時は時間の関係もあり、来た列車ですぐに引き返した事もあって、街中へ繰り出す事は無かったのですが、在りし日の女川駅に停車中の石巻線列車(バックに映っている建物の躯体と、ホーム土台だけは今でも残存しています)と、一足早く現役を引退し、駅前に開設された温泉施設の休憩所として第2の活躍に入り、当分は安泰かと思われたタラコ色のキハ40形車両(女川駅停車中の車両と共に津波で流失しており、駅前の温泉施設自体も甚大な被害が発生し、閉鎖が発表されています)の写真も取り上げ、この記事の結びにしたいと思います。