P・アコス、P・レンシュニック著/須加葉子訳「現代史を支配する病人たち」(新潮社、1978年)を読んだ。これも断捨離する前のお別れの読書。
1950年生まれのぼくにとって、物心がついて最初に知った国際政治上の人物の名前は、マクミラン(イギリス)、アデナウアー(西ドイツ)、ドゴール(フランス)、フルシチョフ(ソ連)、アイゼンハワー(アメリカ)、毛沢東(中国)、ネール(インド)、ナセル(アラブ連邦)などなどだった。これらの人物が同時代の舞台に立った政治家だったのかどうかは自信がないが、ぼくの国際政治に関する記憶のデフォルトはこのような人物の名前とともにある。
小学生の頃に、「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、ナセルはアラブの大統領!」などという笑いがはやったこともあった。「山からころころコロンブス、それを取ろうとトルーマン」などというのもあったが、トルーマンが大統領だった時代の記憶はない。ネタ元は当時ぼくのご贔屓だった柳亭痴楽の「話し方教室」だったかもしれない。
本書は1976年にフランスで出版されたものだが、著者の一人はジャーナリスト、もう一人は内科医師で、第2次大戦期から1970年代までの大物政治家たち27人の言動を病理学的というか病跡学的に分析したものである。
登場人物は、ルーズベルトから始まって、アイゼンハワー、ケネディ、ニクソンらアメリカ大統領、ヒトラー、ムッソリーニ(サラザール、フランコも)らナチスト・ファシスト、彼らと対峙させられたチェンバレン、ダラディエ、チャーチルらヨーロッパの政治家、さらにアデナウアー、ド・ゴール、ポンピドーとつづき、東側のレーニン、スターリン、フルシチョフ、(間にイーデン・ナセルを挟んで)周恩来、毛沢東で結ばれる。
懐かしい名前が続き、その表舞台での活動とその背後に潜んでいた病気の影響を暴いてゆくのだが、一番多かったのは高齢化、老衰による判断力や行動力の低下であって、高血圧だったとか軽い脳梗塞を起こしていたとう場合もあるが、必ずしも「病気」というほどではないものあるし、あえて「病気」というよりは本人の気質とか性格(のゆがみ)のような事例も少なくない。
その一方で、やはり本人の病気が国際政治に大きな影響を及ぼしたと言わざるを得ない例も少なからず見受けられた。
本書の冒頭の話題であるヤルタ会談当時のルーズベルトはアルヴァレス病を病んでおり、腹心のホプキンスは胃がんを患っており、ともに会談後相次いで亡くなっている。会談当時すでにスターリンを相手に、後に紛争地帯となる東ヨーロッパの帰属をめぐって外交交渉を展開する体力、気力は二人にはなかった。ルーズベルトの血圧が300/170だったこともあったという驚くべき記録も紹介されている(25頁)。
若くて精悍な美青年というイメージで登場したケネディが、実は学生時代のフットボールの試合中に負った椎間板骨折による痛みに生涯悩まされつづけていたというエピソード、さらにアジソン病という腎疾患を患っており、常にコーチゾン(ステロイド剤?)を服用しなければならなかったという事実も知らなかった(55頁~)。著者によれば、ニクソンは強迫神経症で、ウォーターゲイト事件の特別検察官ハーヴァード大学コックス教授の追及によってニクソンは溶解した(74頁)。
ヒトラーの書き出しは、1976年の驚くべき世論調査の数字の紹介から始まる。
1976年当時アメリカの18~21歳の青年の92%は第1次大戦の認識を欠き、82%は1929年の経済恐慌に関心がなく、62%が真珠湾攻撃を、56%が朝鮮戦争を知らず、40%がケネディ暗殺を知らないというのだ(77頁)。ヒトラー主義の恐怖はもう人の心に浸透しないと著者は書いている(78頁)。そんなアメリカ社会であってみれば、マスクが極右政党を支持しハイル・ヒットラーのポーズをとったことに驚く我々はアメリカへの認識が欠如していたのかもしれない。
そのヒトラーはヒステリー症で、潜在的同性愛を示す受動的、マゾヒスト的性格であり、近眼であることを隠すために一切眼鏡をかけず、特製の大きな文字のタイプライターを使っていた(80頁~)、さらに停留睾丸で、パーキンソン病の症状も現れていたという(92頁~)。ただし彼はイギリス、フランス政府が週末に休暇を取ることを知っていて、必ず土曜日に奇襲攻撃をかけたという。そのヒトラーと戦うフランス軍元帥のガムランは誇大妄想と矛盾が張り合う神経梅毒の患者であった(90頁~)。
チャーチルの晩年は、まさに引き際を誤った老政治家の哀れな末路を象徴している。80歳にもなれば高齢化に伴う様々な不都合が生じるのは当然で、高血圧や高コレステロールの影響による「病気」の指摘よりも、高齢化による政治外交遂行能力の減退を考えるべきだろう。毛沢東の最晩年の記述などまさにその好例である。他方、周恩来のがん発症ように、外交遂行能力も十分な時期に政治生命とともに彼の生命を奪った病気は惜しんでも余りある。
アデナウアー、ド・ゴール、フルシチョフ、ブレジネフその他の面々の「病気」エピソードは省略するが、忘れかけていた1970年代に至る国際政治の様々な事件や会議と、その舞台に登場した政治家たちのあれこれを思い出させる懐かしい読書になった。
本書は、公開された各政治家の自伝・伝記や医学雑誌の記事、報道等に依拠して記述されているが、著者は「結論」において、政治家の病気についてはヒポクラテスの誓い(医師は患者の病気を暴いてはならない)は適用されるべきではない、肉体的、精神的病人が最高権力を握るのを防止する点で民主的諸制度は極めて不十分であり、元首の心身の状況を調査することは全市民の正当防衛の権利であると主張する。
今日から見ると病気や病人に関して適切を欠く記述も見受けられるが、著者の問題意識と指摘は現代でも重要なテーマである。
巻末に訳者のあとがきがあり、翻訳をする者にとって有用な指摘が書いてある。
訳者によれば、原文に正確という美名のもとに逐語的な正確さばかりを狙ったのでは日本語として読みにくい文章になってしまう。そこで訳者は、(1)原文の一語一語をその文脈の中で正確に把握する、正確な把握には一文全体、一段落全体、一章全体に及ぶ、言葉はフランス語自体、文章はフランス文自体として理解され、ニュアンス・リズム・感覚もフランス文化圏内でとらえる。(2)(1)で理解された文章からできるだけ忠実な日本文を想定する。(3)(2)の日本文を修正し、意味とニュアンスが最も原文に近くなるように一語一語を選択し直し、素直な日本文になるように再構成する、という。さらに、欧文に頻出する主格代名詞や所有形容詞は意味が通る限り省略する、逆に欧文の代名詞は固有名詞で言いかえて説明しないと意味が分からなくなる(ことが多いので固有名詞で言いかえる)などである。
さすがに本書の訳文は意味の取れない箇所もなく、大変に読みやすい訳文であった。
なお、裏表紙に1982年2月10日付朝日新聞の「政治家と病気」という記事が挟んであった。戦後日本の歴代首相の病歴を扱っているが、最大の謎は石橋湛山の病気(風邪!?)による首相辞任、その後の回復だろう。ぼくには毒を盛られたとしか思えない。石橋が病気、退陣していなければその後の日米関係は今とは違った形になっていただろうと思う。
病気になっても辞めない政治家も迷惑だが、あまりに潔い(潔よすぎる)石橋も残念である。
2025年2月1日 記