昨夜(3月2日午後11時5分~)のNHKラジオ深夜便11時台のミッドナイト・トークは、徳田章アナと映画評論家(誰か?)が、昨年(2024年)亡くなった映画関係者を回顧しながら、ゆかりの映画のサウンドトラック盤をかけていた。
トークの喋りがよく聞き取れなかったけれど(語尾があいまい)、取り上げた映画はいずれも団塊世代のぼくにとって懐かしく、往年の民放ラジオのリクエスト番組「ユア・ヒットパレード」を思わせる構成だった。
最初はアラン・ドロン。1935年生まれ、昨年88歳で亡くなった。
彼は家庭的に恵まれず、中学卒業で仕事に就き、インドシナ戦争に従軍して帰国した後は職業を転々とし、付き合っていた女優から「あなたは美貌だし身体もいいから、裸でカンヌの町を歩いていたら、きっと映画監督から声がかかるわよ」とアドバイスを受け、その通り実践したら、ちょうど「武器よさらば」の撮影でカンヌに滞在していた監督の目にとまって、映画界入りすることになったという。
「武器よさらば」にはゲーリー・クーパー主演のもの(フランク・ボーゼージ監督、制作年不詳)と、ロック・ハドソン主演のもの(チャールズ・ビダー監督、1957年)があるらしいが、どっちの監督の目にとまったのか(前者はキネマ旬報の「アメリカ映画作品全集」に載っていないが、AmazonでDVDを売っている)。下の写真は新潮文庫版ヘミングウェイ「武器よさらば」の表紙カバー。向井潤吉の描く風景画で、前に書き込んだ「怒りの葡萄」とも繋がりがある。

アラン・ドロンの(それ以前にも何本か出演作があるらしいが)出世作となった「太陽がいっぱい」(ルネ・クレマン監督、ニーノ・ロータ音楽)は1960年の公開だから、アラン・ドロンを見い出したのはどちらの「武器よさらば」の監督でもおかしくないが、ヘミングウェイはゲーリー・クーパーをイメージして「誰がために鐘は鳴る」を書いたというから、前者の方が原作にはふさわしいか。ただ後者の主役ロック・ハドソンも嫌いではないし、ヴィットリオ・デ・シーカが俳優として出演しているというから後者も興味がある。
昨夜の番組では、当時アラン・ドロンは美形男性の代名詞のように言われ、「xx界のアラン・ドロン」といわれる男があちこちに登場したと紹介してその中に「落語界のアラン・ドロン」まで挙げていたが、落語界のアラン・ドロンは三遊亭小遊三のギャグではないか。
ぼくはアラン・ドロンは好きな俳優ではなかったので、関連グッズもない。ただ、学生時代に、アラン・ドロンの “C' est l'elegance de l'homme moderne,D'urbain!” (スペルは怪しいが、「セ レレガンス ドゥ ロム モデルン、ダーバン」と聞こえた)というナレーションで宣伝していた「ダーバン」(オンワード樫山のブランドの一つ)の紺色の長めの冬コートを着ていたことがあった。
「太陽がいっぱい」のレコードくらいあるのではないかと探したけれど見つからない。わずかに「スクリーン・ムード・トップ4(第1集)」というのの中に「禁じられた遊び」や「鉄道員」と一緒に「太陽がいっぱい」が入っていた(日本グラムフォン、450円、発行年記載なし)。残念ながらサントラ盤ではなく、「フィルム・シンフォニック・オーケストラ」演奏だが、ジャケットにアラン・ドロンの横顔があるので(冒頭の写真)。
次は、「男と女」の関係者の誰かがやはり昨年亡くなったと言っていた。聞き漏らしたが、「らじるらじる」の聴き逃しサービスで調べると主演のアヌーク・エーメが2024年に亡くなっていた。
「男と女」を見た記憶はないが、フランシス・レイの主題歌(曲)は何度聞いたことか。昨夜も流れていた。

その次は「ある愛の詩」(アーサー・ヒラー監督、フランシス・レイ音楽、1970年)。フランシス・レイつながりで、「男と女」の次に来たらしいが、「ある愛の詩」のだれが昨年亡くなったのかは分からなかった。フランシス・レイはアヌーク・エイメと同じ歳で誕生日は1日違いだが、彼は今も健在だと言っていた(ような気がする)。主演のライアン・オニールが亡くなったのは一昨年の年末のことだが、団塊の世代としては、ひとつの時代が終わったと感じたと言っていた。
「ある愛の詩」は映画のパンフも原作の翻訳本も持っていたはずだが見つからないので、原作の表紙をアップしておく。Erich Seagal,“Love Story”(Signet novel,発行年記載なし。95¢。1ドル以下とは「安い!」)。家内の持ち物だったが、驚くなかれ贈呈したのはぼくだった! まったく記憶にない。映画のライアン・オニールはハーヴァード大学のアイスホッケー選手だったが、背番号はぼくと同じ 7番だった。
「思い出の夏」もフランシス・レイ作曲だと言っていたので、ついでに「思い出の夏」の原作も並べておいた(Herman Raucher,“Summer of 42”,Dell Book,1971)。
その次が「ロミオとジュリエット」のオリビア・ハッセイ。 1968年に日比谷映画に女の子を誘って見に行った。彼女は確かぼくと同じ年で、昨年74歳で亡くなったはずである(1歳年下の73歳だった)。昨夜のDJ徳田アナはオリビア・ハッセイと同じ歳、語り手の評論家も同世代と言っていた。
昨夜のラジオ深夜便では、「ロミオとジュリエット」のサントラ盤が流れたが、そのサントラ盤には彼女とレナード・ホワイティングが囁きあうセリフが入っていて、「ユア・ヒットパレード」を思い起こさせた。
その後何曲か流れたが忘れてしまった。眠っていたのかもしれない。
最後は、なぜか西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」だったが、そんな映画があったのだろうか。ここでラジオを切って寝ることにした。
※ 今朝になって「らじるらじる」で確認したら、その間に「屋根の上のバイオリン弾き」が挟まっていて、そのつながりで、日本の舞台で主役を演じた西田の曲が流れたらしい。ラジオ深夜便はけっこう聞いているようで実は眠っている時間帯もあるようだ。
ぼくとしては、昨年亡くなった映画人ではジーン・ハックマンも挙げておきたい。亡くなったことを知らなかったが、週末のテレビで三谷幸喜が紹介していた。アル・パシーノと共演した「スケアクロウ」が好かった。
ーーこんなことを書いていたら、みのもんたの訃報が報じられた。
ぼくにとってみのもんたは文化放送「セイ・ヤング」のみのもんたが懐かしい。どこかの番組で本名「御法川法男」(みのりかわ のりお)と紹介していたが、「セイ・ヤング」時代は本名だったかも。TBSの野沢那智、ニッポン放送の今仁哲夫などとともに、みのの軽妙なしゃべりが好きだった。テレビに進出した後も画面で見かけることはあったが、彼のテレビ番組はほとんど見なかった。昨年だったかNHKラジオの「ラジオ放送開始100周年」に出ていたが、かつての元気はなく寂しげな語り口が気になった。
2025年3月3日 記