昨晩、妹の長男K君の結婚式に参加しました。若者に人気の、お台場のレストランが会場で、参加者は新郎新婦の若い友達が中心ということでしたので、どういう会になるのか、とても楽しみにしていました。
マンションを出る頃は、ひどい暑さでしたので、行くだけで汗びっしょりになってしまうだろうと思い、キャスター付きの旅行バックに式服と下着を詰め込み、向こうで着替えることにしました。大船駅から新橋へ、そして、ゆりかもめでお台場駅に着きました。驚きました、平日の午後だというのに、すごい人出です。それも、若い人ばかりです。お台場の人気のすごさを改めて知りました。
レストラン内に式場があり、そこで人前結婚式というスタイルで、おごそかに、とり行われました。新郎新婦が、誓いの言葉を参加者の前で述べ、承認してもらうというかたちです。30年も前の、私らの時代は、神式が中心で、教会と仏式がこれに続き、人前はごく限られていました。今はこれが中心なのでしょうか、2年ほど前に参加した結婚式もやはり人前式でした。
披露宴が始まりました。若い人中心ということで、いろいろのスピーチや、歌あり踊りあり、の少し騒々しい会を想像していました。しかし、スピーチは、新郎と新婦の関係者、それぞれ1名だけで、とくに「芸能」関係もなく、全体として静かな雰囲気でした。お二人のじょうずなスピーチで、K君が人一倍仕事熱心で、また周りの人に慕われていること、そして新婦のNさんが、とても向上心があり、おもいやりも深いことがよく分かりました。Nさんとは、今回初対面でしたが、とてもチャーミングで、気だてのよさそうな娘(こ)で、嬉しくなりました。彼女のお母さんも、とても感じのいい人で、30年後のNさんをみるようでした。
おいしいイタリアン料理をいただきながら宴は進みます。上等なイタリアワイン、そして何故だか、私の好きな新潟の名酒「上善如水」まで用意されていました。Nさんとお母さんをちらちら見ながら(笑)、久しぶりに会う妹のご主人側の親戚の方々と談笑しながら、お酒が進みました。
クライマックスのときがきます。ここは、いつの時代も変わりません。Nさんが、お父さん、お母さんにお礼の言葉をかけるときは、涙なみだでした。一方、K君は照れくさそうに、お礼を言いながら、今度は僕がお世話する番だと結んでいました。母親である、私の妹が泣いていました。いろいろ苦労してきた妹のことを知っている、私も思わず、もらい泣きです。窓の外は、すっかり暗くなっていましたが、その分、レインボーブリッジがあざやかに光り輝き、若いふたりを祝福しているようでした。
感心したことがありました。80才を越えた、K君の祖母2人が出席していましたが、宴の中で、ふたりに対しての、思いやりのある対応をしたことです。あいさつの中でやさしい、いたわりの言葉をかけただけではなく、新郎が一時退場するときのエスコート役をやってもらったり、気遣いのある演出がいくつもみられました。私の前の席に二人は座っていましたが、慣れない洋食で(とくに私の母は、和食党です)、食はあまり進みませんでしたが、いつになく明るい表情がとても印象的でした。
いい結婚式だったね、と皆と話しながら帰ろうとするときに、妹が、3本の上善如水をそっと、バッグに忍ばせてくれました。ワインのだめな人もいるだろうからと、特別に注文していたのが、残ったようです。
今晩、秋刀魚の塩焼きをさかなに、このお酒をいただきました。昨日の、様々なシーンを思い浮かべながらのお酒は、いつになくおいしいものでした。
マンションを出る頃は、ひどい暑さでしたので、行くだけで汗びっしょりになってしまうだろうと思い、キャスター付きの旅行バックに式服と下着を詰め込み、向こうで着替えることにしました。大船駅から新橋へ、そして、ゆりかもめでお台場駅に着きました。驚きました、平日の午後だというのに、すごい人出です。それも、若い人ばかりです。お台場の人気のすごさを改めて知りました。
レストラン内に式場があり、そこで人前結婚式というスタイルで、おごそかに、とり行われました。新郎新婦が、誓いの言葉を参加者の前で述べ、承認してもらうというかたちです。30年も前の、私らの時代は、神式が中心で、教会と仏式がこれに続き、人前はごく限られていました。今はこれが中心なのでしょうか、2年ほど前に参加した結婚式もやはり人前式でした。
披露宴が始まりました。若い人中心ということで、いろいろのスピーチや、歌あり踊りあり、の少し騒々しい会を想像していました。しかし、スピーチは、新郎と新婦の関係者、それぞれ1名だけで、とくに「芸能」関係もなく、全体として静かな雰囲気でした。お二人のじょうずなスピーチで、K君が人一倍仕事熱心で、また周りの人に慕われていること、そして新婦のNさんが、とても向上心があり、おもいやりも深いことがよく分かりました。Nさんとは、今回初対面でしたが、とてもチャーミングで、気だてのよさそうな娘(こ)で、嬉しくなりました。彼女のお母さんも、とても感じのいい人で、30年後のNさんをみるようでした。
おいしいイタリアン料理をいただきながら宴は進みます。上等なイタリアワイン、そして何故だか、私の好きな新潟の名酒「上善如水」まで用意されていました。Nさんとお母さんをちらちら見ながら(笑)、久しぶりに会う妹のご主人側の親戚の方々と談笑しながら、お酒が進みました。
クライマックスのときがきます。ここは、いつの時代も変わりません。Nさんが、お父さん、お母さんにお礼の言葉をかけるときは、涙なみだでした。一方、K君は照れくさそうに、お礼を言いながら、今度は僕がお世話する番だと結んでいました。母親である、私の妹が泣いていました。いろいろ苦労してきた妹のことを知っている、私も思わず、もらい泣きです。窓の外は、すっかり暗くなっていましたが、その分、レインボーブリッジがあざやかに光り輝き、若いふたりを祝福しているようでした。
感心したことがありました。80才を越えた、K君の祖母2人が出席していましたが、宴の中で、ふたりに対しての、思いやりのある対応をしたことです。あいさつの中でやさしい、いたわりの言葉をかけただけではなく、新郎が一時退場するときのエスコート役をやってもらったり、気遣いのある演出がいくつもみられました。私の前の席に二人は座っていましたが、慣れない洋食で(とくに私の母は、和食党です)、食はあまり進みませんでしたが、いつになく明るい表情がとても印象的でした。
いい結婚式だったね、と皆と話しながら帰ろうとするときに、妹が、3本の上善如水をそっと、バッグに忍ばせてくれました。ワインのだめな人もいるだろうからと、特別に注文していたのが、残ったようです。
今晩、秋刀魚の塩焼きをさかなに、このお酒をいただきました。昨日の、様々なシーンを思い浮かべながらのお酒は、いつになくおいしいものでした。