歩いて5分くらいの所にある、鎌倉芸術館で上映された「博士の愛した数式」を妻とふたりでみにいきました。先月、円覚寺の夏季講座に参加したときに、管長さんがこの映画をみて、感動したというお話を聞いていたからです。小川洋子さん原作で、本屋さんが投票で決める、本屋大賞をもらっていることは知っていましたが、まだ本は読んでおらず、予備知識なしで行きました。
「雨あがる」の小泉堯史さんが、監督です。俳優さんも、「雨あがる」の寺尾聰さん(今回、博士役)、そして、私の好きな深津絵里さん(家政婦さん)、まじめ役がぴったりの吉岡秀隆さん(家政婦さんの子供で、成人して数学教師になったときの役です、子供時代はかわいい子役がじょうずに演じていました)、浅丘ルリ子さん(義弟の博士と邸宅の別棟に同居している、以前義弟と道ならぬ関係にあったという役)と芸達者な布陣です。数学教師(吉岡)の中学校での授業風景から始まり、彼の回想という形で物語が進んでいきます。難しい数学のことがよく出てきますが、生徒に黒板に書いて、教えるというかたちで、観客にもわかりやすいように説明してくれます。これは、原作にはないようです。
交通事故により、80分しか記憶が残らないようになってしまった博士の元に、新しい家政婦、深津絵里がやって来ます。最初の言葉は、君の靴のサイズは、です。24センチです、と答えると、潔い数字だ、4の階乗だ、と、言います。電話番号はと聞きます。576の1455と答えます。すばらしいじゃないか、1億までの間に存在する素数の個数と同じだ、と感心します。記憶がなくなりますから、毎朝同じことを聞きます。深津も、はい、24cmです、きよい数字です、4の階乗ですと、明るく答えます、この笑顔がとてもいいです。やがて彼女の息子(子役)も訪ねて来るようになり、博士から、あだなを、頭の形からルート(√)とつけられます。そのあとの言葉がいいです。「おお、なかなかこれは賢い心がつまっていそうだ」そして、「これ(√)をつかえば、無限の数字にも、目に見えない数字にもちゃんとした身分を与えることができる」と付け加えます。別のところで、「子供は大人より難しいことで悩んでいるんだ」とのせりふも聞かれます。子供は大事に細やかな神経で、そしてほめて育てなければならない、という姿勢です。子供もすっかり、なつき、博士から数学のこと、そして、もっと大事なことも学ぶようになります。
博士は深津に尋ねます、君の誕生日はいつ。2月20日です。220か、チャーミングな数字だといって、自分の学生時代の学長賞記念の腕時計をみせます。284号の数字が見られます。黒板にふたつの数字を左右、上下離して書きます、君、約数は知っているねと、220は、1,2,4ーーーと、240は1,2,4,71,142,と、書いていきます。そしてやさしく言います、約数を足してごらん、深津は一生懸命計算します、答えが出ました。我々もあっと、驚きました。220は、240で、240は220なのです。正解だ、みてごらん、見事な数字のつらなりを、こういうのを友愛数という、めったにない組み合わせだ、あのデカルトだって、1組しかみつけられなかった、神の計らいを受けた絆で結ばれあった数字なのだ、博士は言います。深津はジーンときます。3人の絆は一層深まっていきます。
博士は数字の中で素数をとても愛していました。素数とは、1と自分以外では割り切れない数字です。誰にもじゃまされない、頑固もので、オンリーワンの数字です。また、直線を紙に引き、しかし、これは真実の直線ではない、どこまでも永遠に続くのが直線だ、だから、本物の直線はだれも描けない、心の中でしか描けない、永遠の真実は、目にはみえないところにあるものだ、と語ります。また、虚数のiは、imajinationの略だ、隠れている、心の中の数字だ、それでも絶大な働きをする、謙虚な数字だろう、と語ります。さらに、自分自身のことを省みて、今の、この瞬間の時間を大切に生きることが何より重要だと、語ります。毎日のようにくり返されるこれらの話の中で、深津も息子も、大事ななにかをつかんでいきます。
博士は野球好きでタイガースファンです。記憶が、途中からなくなっていますが、それ以前の選手の背番号はみな暗唱しています。彼は江夏の大ファンでした。その背番号28が滅多にない完全数(約数の合計が28になる)であり、村山のは、素数の中でことさら美しい数字、11だという、野球好きな私もあっと驚きます。
さて、博士の愛した数式を最後に紹介しましょう。18世紀最大の数学者オイラーの公式です。e のπi乗+1= 0 です。この数式内の、eとは、ー1の平方根のことで、永遠に数字が並ぶ無理数で、円周率πもよく知られているように永遠の数字です、iは虚数です。数学教師の吉岡が、わかりやすく説明します。地の果てまで循環する数と決して顔を見せない虚数が簡潔な軌跡を描いて着地する、一人の天才が1つだけ足し算をした途端、なんの前触れもなく、大きく変貌する、すべてが0に抱き留められる。ーーーー 本当になんと美しい、奇跡的な数式だろうと、素人の私にもわかります。そして、なんて、深い意味をもっているのだろう、これは、もうほとんど、東洋哲学、宗教の世界です。
日本最高レベルの宗教家が何度もみたといいます。共感するものがあったからです。私もとてもいい、心温まる映画だと思いました。深津さんの演技も良かったですし、寺尾聰さん、吉岡さんも役にぴったりでした。
映画が終わったあと、受付で売られていた、原作の文庫本を買いました。今日の感想文を書くときに大変役にたちました。映画の中のせりふは、ほとんど、本のと、同じだったからです。ただ、映画のエピローグに、とてもいい言葉(詩だったでしょうか)が写しだされてたので、その詳細を確認したくて、本の中を探しましたが、見つかりませんでした。脚本でつけ加えられたようです。そのうち、どこかで、その言葉に巡り会いましたら、今度は、メモをしておこうかと思っています。
「雨あがる」の小泉堯史さんが、監督です。俳優さんも、「雨あがる」の寺尾聰さん(今回、博士役)、そして、私の好きな深津絵里さん(家政婦さん)、まじめ役がぴったりの吉岡秀隆さん(家政婦さんの子供で、成人して数学教師になったときの役です、子供時代はかわいい子役がじょうずに演じていました)、浅丘ルリ子さん(義弟の博士と邸宅の別棟に同居している、以前義弟と道ならぬ関係にあったという役)と芸達者な布陣です。数学教師(吉岡)の中学校での授業風景から始まり、彼の回想という形で物語が進んでいきます。難しい数学のことがよく出てきますが、生徒に黒板に書いて、教えるというかたちで、観客にもわかりやすいように説明してくれます。これは、原作にはないようです。
交通事故により、80分しか記憶が残らないようになってしまった博士の元に、新しい家政婦、深津絵里がやって来ます。最初の言葉は、君の靴のサイズは、です。24センチです、と答えると、潔い数字だ、4の階乗だ、と、言います。電話番号はと聞きます。576の1455と答えます。すばらしいじゃないか、1億までの間に存在する素数の個数と同じだ、と感心します。記憶がなくなりますから、毎朝同じことを聞きます。深津も、はい、24cmです、きよい数字です、4の階乗ですと、明るく答えます、この笑顔がとてもいいです。やがて彼女の息子(子役)も訪ねて来るようになり、博士から、あだなを、頭の形からルート(√)とつけられます。そのあとの言葉がいいです。「おお、なかなかこれは賢い心がつまっていそうだ」そして、「これ(√)をつかえば、無限の数字にも、目に見えない数字にもちゃんとした身分を与えることができる」と付け加えます。別のところで、「子供は大人より難しいことで悩んでいるんだ」とのせりふも聞かれます。子供は大事に細やかな神経で、そしてほめて育てなければならない、という姿勢です。子供もすっかり、なつき、博士から数学のこと、そして、もっと大事なことも学ぶようになります。
博士は深津に尋ねます、君の誕生日はいつ。2月20日です。220か、チャーミングな数字だといって、自分の学生時代の学長賞記念の腕時計をみせます。284号の数字が見られます。黒板にふたつの数字を左右、上下離して書きます、君、約数は知っているねと、220は、1,2,4ーーーと、240は1,2,4,71,142,と、書いていきます。そしてやさしく言います、約数を足してごらん、深津は一生懸命計算します、答えが出ました。我々もあっと、驚きました。220は、240で、240は220なのです。正解だ、みてごらん、見事な数字のつらなりを、こういうのを友愛数という、めったにない組み合わせだ、あのデカルトだって、1組しかみつけられなかった、神の計らいを受けた絆で結ばれあった数字なのだ、博士は言います。深津はジーンときます。3人の絆は一層深まっていきます。
博士は数字の中で素数をとても愛していました。素数とは、1と自分以外では割り切れない数字です。誰にもじゃまされない、頑固もので、オンリーワンの数字です。また、直線を紙に引き、しかし、これは真実の直線ではない、どこまでも永遠に続くのが直線だ、だから、本物の直線はだれも描けない、心の中でしか描けない、永遠の真実は、目にはみえないところにあるものだ、と語ります。また、虚数のiは、imajinationの略だ、隠れている、心の中の数字だ、それでも絶大な働きをする、謙虚な数字だろう、と語ります。さらに、自分自身のことを省みて、今の、この瞬間の時間を大切に生きることが何より重要だと、語ります。毎日のようにくり返されるこれらの話の中で、深津も息子も、大事ななにかをつかんでいきます。
博士は野球好きでタイガースファンです。記憶が、途中からなくなっていますが、それ以前の選手の背番号はみな暗唱しています。彼は江夏の大ファンでした。その背番号28が滅多にない完全数(約数の合計が28になる)であり、村山のは、素数の中でことさら美しい数字、11だという、野球好きな私もあっと驚きます。
さて、博士の愛した数式を最後に紹介しましょう。18世紀最大の数学者オイラーの公式です。e のπi乗+1= 0 です。この数式内の、eとは、ー1の平方根のことで、永遠に数字が並ぶ無理数で、円周率πもよく知られているように永遠の数字です、iは虚数です。数学教師の吉岡が、わかりやすく説明します。地の果てまで循環する数と決して顔を見せない虚数が簡潔な軌跡を描いて着地する、一人の天才が1つだけ足し算をした途端、なんの前触れもなく、大きく変貌する、すべてが0に抱き留められる。ーーーー 本当になんと美しい、奇跡的な数式だろうと、素人の私にもわかります。そして、なんて、深い意味をもっているのだろう、これは、もうほとんど、東洋哲学、宗教の世界です。
日本最高レベルの宗教家が何度もみたといいます。共感するものがあったからです。私もとてもいい、心温まる映画だと思いました。深津さんの演技も良かったですし、寺尾聰さん、吉岡さんも役にぴったりでした。
映画が終わったあと、受付で売られていた、原作の文庫本を買いました。今日の感想文を書くときに大変役にたちました。映画の中のせりふは、ほとんど、本のと、同じだったからです。ただ、映画のエピローグに、とてもいい言葉(詩だったでしょうか)が写しだされてたので、その詳細を確認したくて、本の中を探しましたが、見つかりませんでした。脚本でつけ加えられたようです。そのうち、どこかで、その言葉に巡り会いましたら、今度は、メモをしておこうかと思っています。