気ままに

大船での気ままな生活日誌

”壮大、痛快、涙あり/歴史・時代小説”展

2012-02-11 20:10:08 | Weblog
鎌倉文学館で”壮大、痛快、涙あり/歴史・時代小説”展が開かれている。鎌倉ゆかりの歴史・時代小説家の当館所蔵品展だ。1、2年間だけ、鎌倉に住んだ作家も含まれるから、両手では足らない数になる。ちょっと挙げてみよう。野村胡堂、山本周五郎、舟橋聖一、川口松太郎、海音寺潮五郎などのビッグネームまでそうなのだ。そして、だれでも鎌倉文人として認める大仏次郎、吉屋信子、中山義秀、安西篤子、永井路子。そして、えっ?と思う、直木三十五。鎌倉に居住し、”正伝荒木又右衛門”などの時代小説を書いているのだ。そういえば、先日、紹介した”宮本武蔵”で書き忘れたことがあった。吉川英治が武蔵を書く動機になったのが、吉川も居合わせた、菊池寛と直木三十五との間の武蔵論争だった。直木は武蔵の実力はたいしたことない、逃げるのがじょうずなだけだと主張した。吉川はそれに反発して強い宮本武蔵を書いたのだ。

加えて、早乙女貢と林不忘。この二人が今回の展示のメインになっている。早乙女は平成20年12月になくなったばかりである。そして、林不忘については、最近、遺族から当館に贈られた遺品のお披露目という意味合いもある。

林不忘といえば、丹下左膳。昭和10年、講談社発行の書籍が展示されている。そして挿し絵は、志村立美。二枚ほど、うつくしい女性も入った挿し絵図が飾ってある。原本を開いてみたいと、願ったが、ガラス戸の下。帰りに鎌倉中央図書館で原本探索。しかし、文庫本のみ。がくっ。どこかの図書館で見つけ出そう(汗)。

映画のポスターも。”姓は丹下、名は左膳”。桜井長一郎に物真似された、あの口調を思い出す、大河内伝次郎の左膳。もっと前は阪妻だった。東映の大友柳太郎・左膳もよかったな。そして、丹波哲郎、比較的最近では豊悦も。大河内伝次郎が着た、左膳の衣まである。左膳コーナーは輝いていた。京都の大河内山荘でもみたような気がする。

林不忘は、ほかに牧逸馬、谷譲次のペンネームをもち、林不忘で丹下左膳シリーズ、牧逸馬で犯罪実録小説、谷譲次で米国体験記を著した。鎌倉の自宅で35歳の若さで急死した。短い一生だったが、三人分生きた。

早乙女貢は会津藩士を曾祖父にもつ。吉川英治文学賞を受賞した”會津士魂”が代表作。ペンネームは、早乙女ニ貢グらしい。ぼくの知人にも会津人がいるが、そういえば彼も女性にやさしく、もてていたっけ。







鎌倉文学館の庭園

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歌川国芳展

2012-02-11 10:10:40 | Weblog
閉幕近くになって、ようやく”没後150年/歌川国芳展”に出かけることができた。国芳の回顧展ははじめてミタ。一言で感想を述べろと言われたら、おおっ、すげえ、というところだろうか。武者絵などにみられる細密な描写、戯画などにみられる大胆な発想と描写、”大胆にして繊細”だ。天保の改革によって、役者や遊女は描けなくなれば、なあにオレが変わればいいのさ、と子供絵や人を猫や犬や金魚の顔にして新たな道を開く。才能は一生、すぼむことはなかった。すげえ男だ。

もちろん武者絵、役者絵、美人画も楽しんだけど、”災い転じて福となす”、天保の改革後の作品をもっと楽しんだ。自由気ままにというか(汗)、縦横無尽というか、心のおもむくままに筆が遊んだ戯画がいい。きっと自分で吹き出しながら描いていたのだろう。ちらしの表紙絵になった”みかけハこわいがとんだいい人だ”。よくみると、恐い顔の人が大勢の裸の人に支えられてできている。そして、こう書かれている。”おおぜいの人がよってたかって、とふと、いい人をこしらえた、とかく人のことは人にしてもらはねばいい人にはならぬ”ただ面白いだけでなく、教訓的なのだ(笑)。

そんな類の作品がいっぱい。猫や金魚が人になって現れて、おどけて笑わす。クジラや大きな鯉が出てきて、武蔵や金太郎と戦う。国芳は妖怪を山ほど描いているが、ここではあまり姿をみせていない。妖怪は大勢の人にはみられたくないのだろう。ひとりこっそりみてもらえばいいのだ。無残絵で知られる月岡芳年も国芳のお弟子さんだった。芳年のお弟子さんに水野年方がいて、その弟子が鏑木清方である。清方さん、松園さん、深水さんが揃う、山種美術館、今日が初日。さて、いつ行くか。









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