気ままに

大船での気ままな生活日誌

東慶寺 秋の花盛り イチロー、黒田は地区優勝

2012-10-04 17:51:30 | Weblog
東慶寺の門を入ったら、いい香りが。おお。もう金木犀が咲いている。ぼくには、初香り。


フジバカマも咲き始めていた


その前に、ほととぎす


吾亦紅


その向こうに大毛蓼


桜蓼もよくなってきた


宝蔵前の秋明菊 八重もふくめて四種類も、いよ日本一





紫苑


彼岸花


夕顔も開いていた、夕方に来たからね


十月桜


じんじゃー 残り花


すばらしい東慶寺の秋の花でした。

・・・・・
この前に寄った八幡さまの土塁の彼岸花 見事になりました


神奈川近代美術館で三つも展覧会のごちそう




・・・・・
午前中はヤンキース対レッドソックス観戦 黒田と松坂先発 イチローも二番で。悲喜こもごも。ヤンキース地区優勝。松坂、最終戦打たれる。

さあ、悲願のワールドチャンピオンへ




泣くな松坂 おれがついてる


いい一日だった。




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気谷誠の眼/鯰絵とボードレール

2012-10-04 07:49:59 | Weblog
神奈川県立近代美術館鎌倉で開かれていた表記の展覧会は、もうひと月も前に終わっている。ついブログ記事を書き忘れたというのが、いくつもあるが、これもその一つである。

今日、偶然、気谷誠氏のブログに遭遇し、是非、書いておかなければと思った。彼のブログ記事は、数年前に54歳の若さで他界する直前まで書き続けられた。そして、死後2日目に、たぶん奥様による、永眠のお知らせと生前の口述記事”別れの曲”で終わっているが、気谷氏の知人やフアンの方から多くのコメントも寄せられている。これらの内容に思わず目頭があつくなってしまった。

気谷氏は、筑波大などの図書館司書であったが、フランス19世紀の銅版画家、シャルル・メリオンの研究でも知られ、また美的価値の高い西洋挿絵本の蒐集にも目がなかった。同時に、鯰絵のコレクターとしても注目されていた。これらのコレクションが同館に寄贈されたのを記念して、本展が開催されたのだ。記憶がうすれてきているが、ぼくとしては珍しく図録を購入しているので、それをもとに紹介しようと思う。

第1章 鯰絵
安政2年(1855)10月2日、江戸に大地震が起きた。この直後から。地震の源とされていた大鯰を主題にした浮世絵が多数制作される。鯰を懲らしめる絵が主体だったが、時がたつにつれ街の復興景気でわく商人や職人を揶揄する絵が増えた。しまいには、世間を騒がすような内容まで描かれるようになったので、幕府が騒乱を恐れ、突如、禁止した。この間、わずか二か月余りである。だから、この鯰絵は貴重なコレクションなのである。気谷氏の目のつけどころに感心する。


《鯰を押さえる鹿島大明神》


《鯰を押さえる恵比寿神》 


≪恵比寿天申訳之記≫ 鹿島神の留守を預かる恵比寿天が留守番を務めらず申し訳している


≪しんよし原大なまずゆらひ≫新吉原の遊女たちが大鯰を懲らしめている、 新吉原はそのとき大火にあった。


≪繁盛たから舟≫鯰を宝舟に見立て、地震で儲かった大工や左官が七福神になってその上に乗る。


≪持丸たからの出船≫鯰が持丸(金持ち)の背をたたいて、ためこんだ金銀を吐かせている。その金銀を地震で儲けた職人たちが奪い合っている。


第二章 ボードレールの方へ
ボードレールによって賞賛されたメリヨンは、19世紀半ばの巴里の大改造による変貌する街の様子を描き続けた。気谷は19世紀のフランス絵画への関心も示し、ドラクロワやシャセリオーの作品も蒐集した。

ドラクロワ 《ファウストとメフィストフェレス》1828年 リトグラフ


シャセリオー 《デズデモーナの死》 1844年 エッチング



同美術館では、次の”シャガールとマティス、そしてテリアード”展がはじまっている。
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