鎌倉材木座の光明寺のお十夜がはじまったというので、ふたりで出かけてきた。13日の行事予定をみると、午後1時半から九品寺から光明寺への練り行列があるというので、その時間に合わせた。これまで、数回、お十夜見物に行っているが、この練り行列はみたことがなかった。
十日十夜、念仏を唱えれば、極楽で1000年修行したと同じことになるという”お十夜”は、平安時代に唐から比叡山に伝わり、のちに後花園天皇が京都の真如堂に伝えたものだそうだ。光明寺の三門にかかる”天照山”は、後花園天皇が書いたものとされ、裏には”永享八年(1436年)12月15日賜”とある。
三門は、お十夜のときには公開され、ぼくらも登ってきた。楼上には釈迦如来、文殊、普賢両脇菩薩などが安置されている。そして、絶景かな、前方には材木座海岸が、うしろには、本堂、開山堂、書院など、光明寺境内が一望できる。
さて、鎌倉駅からぶらぶら歩いて、30分。九品寺に到着。ちょうど、練り行列に参加する人々が揃いの衣装をつけて集まり、お念仏の唱和をしていた。山門をくぐると、そこには、赤い衣装をつけた子供たちが、お化粧してもらっていた。稚児行列に出る子たちだった。本堂内部では、関東一円から集まったお坊さんたちが、お経をあげている。
そして時間通り、練り行列が光明寺に向かった。ぼくらは後をついて行った。行列は光明寺の総門をくぐり、三門を抜け、本堂に入る。しばらくしてから、お経があげられはじめた。ぼくらは本堂横の縁台に座り、声明を聞きながら、石庭を眺めていた。
夕方には大変な人出になるが、昼はゆっくりと見学することできた。帰りは、材木座海岸から由比ヶ浜まで出る、海岸コースを歩いた。サーファーの姿が目立っていた。
九品寺からお練り 日中法要のお導師(傘の方)、僧侶、詠唱講、お稚児さんらが行進する。
光明寺へ
三門
三門脇での、双盤念仏。歴史がある。
山門楼上
楼上から材木座方面
本堂の阿弥陀如来さまの御手とつながっている白布の網、”善の綱”がみえる。
三尊五祖の石庭
材木座海岸
十日十夜、念仏を唱えれば、極楽で1000年修行したと同じことになるという”お十夜”は、平安時代に唐から比叡山に伝わり、のちに後花園天皇が京都の真如堂に伝えたものだそうだ。光明寺の三門にかかる”天照山”は、後花園天皇が書いたものとされ、裏には”永享八年(1436年)12月15日賜”とある。
三門は、お十夜のときには公開され、ぼくらも登ってきた。楼上には釈迦如来、文殊、普賢両脇菩薩などが安置されている。そして、絶景かな、前方には材木座海岸が、うしろには、本堂、開山堂、書院など、光明寺境内が一望できる。
さて、鎌倉駅からぶらぶら歩いて、30分。九品寺に到着。ちょうど、練り行列に参加する人々が揃いの衣装をつけて集まり、お念仏の唱和をしていた。山門をくぐると、そこには、赤い衣装をつけた子供たちが、お化粧してもらっていた。稚児行列に出る子たちだった。本堂内部では、関東一円から集まったお坊さんたちが、お経をあげている。
そして時間通り、練り行列が光明寺に向かった。ぼくらは後をついて行った。行列は光明寺の総門をくぐり、三門を抜け、本堂に入る。しばらくしてから、お経があげられはじめた。ぼくらは本堂横の縁台に座り、声明を聞きながら、石庭を眺めていた。
夕方には大変な人出になるが、昼はゆっくりと見学することできた。帰りは、材木座海岸から由比ヶ浜まで出る、海岸コースを歩いた。サーファーの姿が目立っていた。
九品寺からお練り 日中法要のお導師(傘の方)、僧侶、詠唱講、お稚児さんらが行進する。
光明寺へ
三門
三門脇での、双盤念仏。歴史がある。
山門楼上
楼上から材木座方面
本堂の阿弥陀如来さまの御手とつながっている白布の網、”善の綱”がみえる。
三尊五祖の石庭
材木座海岸