和辻哲郎といえば、奈良のお寺の印象を綴った”古寺巡礼”。ぼくも学生時代に読み、今も本棚にある。なんと、この本は大正8年(1919)、30歳のときに書かれている。ぼくだけの印象かもしれないが、もっとじいさんが書いていたのかと、当時は思っていた(笑)。
さて、その8年後、和辻は2年間のドイツ留学をしたが、その間、4か月余り、イタリア各地の聖堂などの建築物や博物館、美術館を観て回り、”イタリア古寺巡礼”を著わしている。どこをどう回って、どういう印象をもったのか、そんなお話を先日、聞くことが出来た。
”和辻哲郎の世界観”というテーマの大学公開講座で、初回は、和辻の孫弟子にあたるという竹内整一先生の”和辻哲郎の倫理学について”、今回が、イタリア美術史がご専門の伊藤淳先生の”和辻哲郎とイタリア巡礼の旅”だったわけ。
和辻が訪ねた場所がスクリーンに映し出され、そこで、彼がどういう印象をもったかが話されるという形で講義は進んでいく。興味深いことが多かった。なにしろ、和辻が訪ねた場所は、北イタリアのジェノヴァから始まって、ローマ、ナポリ、ボンベイを経て、そこからシチリア島に渡り、そこから、ローマに戻る。一休みして、そこから北へ向かい、アッシジ、フィレンツェ、シエナ、ピサ、ボローニャ、そしてヴェネツィアと、イタリア観光地、総なめなのだ。なんと、おいしい留学ナノだ(爆)。
では、各論に入りましょう。ローマ博物館のニオベ像にはいたく感動されたようだ。”この作は他の裸体像に観られないような非常に新鮮な印象を与えるのである。私は裸体彫刻を見てこれほど美しいと思ったことは一度もない”と愛する奥さんに手紙を書いている。因みに、”イタリア古寺巡礼”は、奥さんへの、連日の手紙がまとめられたものだそうだ。

ナポリ考古学博物館の”シヌエッサのビーナス”にも最大級の賛辞だ。”その美しさは巴里のミロのビーナスの比ではない。今まで発見されたビーナスの裸像のうち、これほどのものはない。内が完全に外に現れ、外は完全に内を示している”ぼくも両方みているが、人気者に弱いので、ミロに軍配(汗)。


ウフィツィ美術館のボッティチェリの”春”については手厳しい。この絵を全体として鑑賞しうる程の距離からながめると、色彩の暗いせいもあってそいう線などは、ほとんど見えず、線全体に対する効果もほとんどないのである。草花も扱いによっては人体以上の仕事ができるのに、何故そうしなっかたか、ルネッサンスの人には自然の美というものは添え物以上の意味をもたなかった、とも述べている。

トーハクにも来た、レオナルドの”受胎告知”もばっさり。背景の風景がレオナルドとしては少し、まずすぎる。そこにはイタリアの樹木が行儀よく標本のように並べられているだけ。

さすが、和辻哲郎、といった感じ。
さて、先日、鎌倉の川喜多長政・かしこ夫妻邸(現川喜多映画記念館)の庭に移築されている、旧和辻邸(江戸後期の民家を東京で居宅としていた)が一般公開されましたので見学してきました。

書斎 ここで、イタリア古寺巡礼も書かれたのでしょう。

お墓は東慶寺にあります。

和辻哲郎は、鎌倉にも縁があるのです。
さて、その8年後、和辻は2年間のドイツ留学をしたが、その間、4か月余り、イタリア各地の聖堂などの建築物や博物館、美術館を観て回り、”イタリア古寺巡礼”を著わしている。どこをどう回って、どういう印象をもったのか、そんなお話を先日、聞くことが出来た。
”和辻哲郎の世界観”というテーマの大学公開講座で、初回は、和辻の孫弟子にあたるという竹内整一先生の”和辻哲郎の倫理学について”、今回が、イタリア美術史がご専門の伊藤淳先生の”和辻哲郎とイタリア巡礼の旅”だったわけ。
和辻が訪ねた場所がスクリーンに映し出され、そこで、彼がどういう印象をもったかが話されるという形で講義は進んでいく。興味深いことが多かった。なにしろ、和辻が訪ねた場所は、北イタリアのジェノヴァから始まって、ローマ、ナポリ、ボンベイを経て、そこからシチリア島に渡り、そこから、ローマに戻る。一休みして、そこから北へ向かい、アッシジ、フィレンツェ、シエナ、ピサ、ボローニャ、そしてヴェネツィアと、イタリア観光地、総なめなのだ。なんと、おいしい留学ナノだ(爆)。
では、各論に入りましょう。ローマ博物館のニオベ像にはいたく感動されたようだ。”この作は他の裸体像に観られないような非常に新鮮な印象を与えるのである。私は裸体彫刻を見てこれほど美しいと思ったことは一度もない”と愛する奥さんに手紙を書いている。因みに、”イタリア古寺巡礼”は、奥さんへの、連日の手紙がまとめられたものだそうだ。

ナポリ考古学博物館の”シヌエッサのビーナス”にも最大級の賛辞だ。”その美しさは巴里のミロのビーナスの比ではない。今まで発見されたビーナスの裸像のうち、これほどのものはない。内が完全に外に現れ、外は完全に内を示している”ぼくも両方みているが、人気者に弱いので、ミロに軍配(汗)。


ウフィツィ美術館のボッティチェリの”春”については手厳しい。この絵を全体として鑑賞しうる程の距離からながめると、色彩の暗いせいもあってそいう線などは、ほとんど見えず、線全体に対する効果もほとんどないのである。草花も扱いによっては人体以上の仕事ができるのに、何故そうしなっかたか、ルネッサンスの人には自然の美というものは添え物以上の意味をもたなかった、とも述べている。

トーハクにも来た、レオナルドの”受胎告知”もばっさり。背景の風景がレオナルドとしては少し、まずすぎる。そこにはイタリアの樹木が行儀よく標本のように並べられているだけ。


さすが、和辻哲郎、といった感じ。
さて、先日、鎌倉の川喜多長政・かしこ夫妻邸(現川喜多映画記念館)の庭に移築されている、旧和辻邸(江戸後期の民家を東京で居宅としていた)が一般公開されましたので見学してきました。

書斎 ここで、イタリア古寺巡礼も書かれたのでしょう。

お墓は東慶寺にあります。

和辻哲郎は、鎌倉にも縁があるのです。