気ままに

大船での気ままな生活日誌

紫ふたつ 紅ひとつ 円覚寺

2016-09-05 23:05:03 | Weblog

こんばんわ。

蒸し暑い一日でしたね。こんな日は涼しい図書館が一番。心の散歩を中心に、体の散歩は帰り道だけ。円覚寺に寄ってきました。

紫ふたつ

紅ひとつ

芙蓉も

茶の花も、二、三

川端康成の”千羽鶴”の茶室

真民さんの詩

では、おやすみなさい。

いい夢を。

 

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伊藤晴雨の幽霊画展&山岡鉄舟と江戸無血開城展

2016-09-05 08:29:50 | Weblog

おはようございます。まだ残暑のあるうちに幽霊噺を(笑)。

えど博では、すでに大妖怪展が終了して、ひっそりしていたが、常設展では、まだ、”伊藤晴雨の幽霊画展”がひっそりと開催されていた。そして、その横では、山岡鉄舟展も開かれていた。一見、関係なさそうな展覧会だが、実は霊界でつながっている(笑)。

山岡鉄舟は、明治維新の際、国事に殉じた人々の菩提を弔うため、谷中に、富山国泰寺の禅師を迎えて全生庵を開山した。そのお寺に鉄舟の墓もある。1歳違いで、禅の弟子でもある三遊亭円朝(1839-1900)のお墓もそこにある。円朝は怪談噺を得意としているが、幽霊画のコレクションでも知られている。それらは、現在、全生庵に所蔵されている。一方、五代目柳家小さん(1915-2002)は、伊藤晴雨の幽霊画を所蔵していたが、それも現在、全生庵に寄贈されている。ということで、谷中の全生庵を仲立ちとして、両展覧会はつながっているのである。

ぼくも2013年の夏、全生庵に幽霊画コレクションを見に行っているが、50幅ほど並んでいる中に、伊藤晴雨のものがあったかどうか覚えがない。どうも、去年(2015年)くらいから並び始めたのかもしれない。というのは、スタジオジブリの鈴木敏夫が本展で特設コーナーを担当していて、以下のような文章を書かれている。

偶然の出会いだった。去年の夏の出来事。幽霊画を楽しむべく全生庵を訪ねた。それはぼくにとって、ここ数年の夏の恒例行事だった。半分、見終わった時のことだ。見慣れない幽霊画が並んでいた。最初に目に入って来たのが、牡丹灯籠だった。お露とお米のふたりが中空に浮かんでいる。志の輔師匠の牡丹灯籠を聞いたばかりだったことも手伝って、その噺と画が重なった。お露が本当に美しい。髪のほつれ毛が、手の品が。・・・番町皿屋敷のお菊の亡霊も、この上なく美しかった。見惚れていると、作者の名前が目に入った。伊藤晴雨。混乱が起きた。ぼくにとって、晴雨は責め絵や縛り絵の達人だった。晴雨が、こんなかよわい美しい画を描くはずがない・・・・これらは小さん師匠のコレクションと聞いたが、ぼくは小さん師匠の最後の高座に立ち会っている。紀伊国屋ホールだった、何も語らず、座り続けていた。その直後に亡くなった。・・・小さん師匠が晴雨に引き合わせてくれた。そう信じている。(ほぼ原文のまま)

まくらが長くなってしまった。そろそろ本題に入ろうと思うが、時間も押しているので簡略に。牡丹燈籠、番町皿屋敷など幽霊画は撮影禁止で紹介できないが、一部、複製画がこのように、”幽霊が美しい/スタジオジブリ鈴木敏夫の眼”コーナーで展示されていて、写真もOK。

右側が幽霊画、左側に前述の鈴木コーナー。

番町皿屋敷のお菊さんを表に。

その隣りで”山岡鉄舟と江戸無血開城展”

”江戸無血開城”というと、勝海舟と西郷隆盛ということになっているが、実質的交渉は、鉄舟と西郷が駿府で行っている。西郷が、”金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない”と鉄舟を褒めたたえた。維新後、井上馨が勲章を与えようとしたが、”お前さんが勲一等で、何でおれが勲三等なんだ、そんなもんはいらねえよ、維新のしめくくりは、西郷と俺の二人でやった。俺から見れば、お前さんなんかふんどしかつぎじゃねえか”と啖呵を切ったとのこと。

勝海舟も苦笑。

では、みなさん、今日も一日、お菊さんのようにふらふらゆらりゆらり、お元気に!

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