恒例の(笑)、我が家の今月のカレンダーをお届けします。本来なら、カレンダーをめくった日、すなわち元旦に発表するはずなのですが、当方のお正月行事(遊び)がつづき、松の内を過ぎてからになってしまいました。お許し下されまし。
山種美術館カレンダー(リビングルーム) 当館所蔵の大観の”霊峰不二”。
鎌倉市観光協会カレンダー(ぼくの部屋) 腰越漁港の舟祝い(1月4日)
横浜山手西洋館カレンダー(トイレ) イタリヤ山のプラフ18番館
カレンダーシリーズ、次回は3月1日の予定です。
恒例の(笑)、我が家の今月のカレンダーをお届けします。本来なら、カレンダーをめくった日、すなわち元旦に発表するはずなのですが、当方のお正月行事(遊び)がつづき、松の内を過ぎてからになってしまいました。お許し下されまし。
山種美術館カレンダー(リビングルーム) 当館所蔵の大観の”霊峰不二”。
鎌倉市観光協会カレンダー(ぼくの部屋) 腰越漁港の舟祝い(1月4日)
横浜山手西洋館カレンダー(トイレ) イタリヤ山のプラフ18番館
カレンダーシリーズ、次回は3月1日の予定です。
正月二日に東博に初もうでしたときに、いつものように黒田清輝記念館にも初参りした。記念館がリニューアルオープンしたのが2015年の正月だから、今年で三年目を迎える。お正月にはいつもは閉じている特別室が開かれる。この部屋には、誰でも知っている黒田清輝の名作が4点並んでいるのだ。内、3点が重要文化財という豪華版。お正月の”名品おせち”をどうぞご覧ください。
黒田清輝記念館(国の登録有形文化財)黒田清輝が大正13(1924)年に没する際、遺産の一部を美術の奨励事業に役立てるよう遺言した。これをうけて昭和3(1928)年に竣工したのがこの記念館。
特別室に入ると目の前に、”智・感・情”(1899年)の大作。これを見たいがためにここに来たようなもの(汗)。第2回白馬会展に本題で出品した三部作。のち、三画面とも加筆され明治33年パリ万博に”裸婦習作”として出展され、銀賞を受ける。
右から順に、智・感・情。当時は、風紀上、問題ありと批判された。黒田は反発し、美術教育の場で裸体画を描くことを薦めた。
この絵の向こうに、”読書”と”舞妓”。
”読書”(1891年) これだけが、どういうわけか重文ではない。パリで描かれた作品で、モデルの女性はマリア・ビョーという人。白洲正子の実家(樺山家)の食堂にこの”読書”が飾られていた。正子の祖父と黒田は、共に鹿児島の同郷で、親類でもあった。黒田の遺言も樺山が受け、この記念館を建てた。
”舞妓”(1983) パリから帰国1年後に描かれたもの。舞妓のうしろに鴨川。
”湖畔”(1897年) 黒田夫人がモデル。”理想化”して描いているのではなく、写真を見ると、ほんとに美人(笑)。
豪華なラインナップにうっとり。近代洋画家の父と云われるだけのことはある。正攻法で王道を行く、相撲界でいえば、双葉山みたいな存在。決して、白鵬ではない(笑)。
では、清輝さんに敬意を表して、向かいの展示室へ。
マンドリンを持てる女(1891)
”祈祷”(1889)
”昔語り”下絵(舞妓)(1896)。”昔語り”が完成したのは1898年。黒田清輝の最大の作品だったが、先の大戦で焼失。今は下絵だけが残る。
”昔語り”下絵(仲居)(1896)
最後に”床紅葉”ならぬ”床美人”を。
それでは、みなさん、今日も一日、床でも磨いて、お元気で!