おはようございます。
出光美術館で”仙厓のすべて”展が開催されている。当館は仙厓の書画のコレクションで有名で、一年置きくらいに大々的な仙厓展を開いている。ぼくも、仙厓さんのユーモラスで自由奔放の作品が好きで、ほぼ毎回、出向き、この日誌にも綴っている。
今回は、珍しく(笑)、図録も買ってしまったので、このブログにも代表作をなるべく多く載せておこうと思う。図録や本は見つからなくなることが多いが、ブログはgoo blogがつぶれないかぎり、残るしね(笑)。一度に無理なので、シリーズで数回にわけて時々、投稿しようと思う。
はじめに、知らない人のために、仙厓さんはどんな方だったのか、簡単に略歴を説明しておこう。
仙厓さん(1750~1837)は、美濃国(岐阜)の農家に生まれ、地元の清泰寺や武蔵国(横浜)の東輝庵(宝林寺)で修行する。寛政元年(1789年)、40歳で筑前国(博多)の日本最古の禅寺、聖福寺の住持となる。62歳で住持職を弟子の湛元(たんげん)に譲り、虚白院に隠居する。しかし、湛元が罪を受けて遠島されたため、87歳の時、住持に返り咲く。翌年の天保8年(1837)、88歳にして没する。虚白院に隠棲して、ユーモア溢れる書画を通じて、禅の普及に努めた。書画を求める人が多く、一時絶筆を宣言したほどだった。
本展は以下のような章立てになっているので順次、紹介したい。
第1章 仙厓略伝 画賛でつづる一生
第2章「厓画無法]仙厓画、ビフォー・アンド・アフター
第3章 仙厓の禅の教え 悟りへのイントロダクション
第4章 仙厓の人生訓 充実した生活のためのハウツー
第5章「絶筆宣言」 仙厓の終活
第6章 バラエティーあふれる画賛の世界 仙厓に描けぬものは無し
第1章 仙厓略伝 /画賛でつづる一生
東輝庵画賛 文政6年(1823) 74歳になった仙厓が友人の求めに応じ、武蔵・東輝庵での厳しい修行の補備を懐かしんで描いた図。月船の元で19歳から32歳まで修行、師の月船が亡くなったあと、奥州に旅立つ。その後、天明8年(1788)、博多の聖福寺に下る。
馬祖・臨済画賛 双幅 中国唐時代の禅僧、馬祖と臨済を描いた双幅。”一喝三日”とは馬祖の一喝があまりにすさまじく、三日間、耳が麻痺したという伝え。”打爺拳子”とは、黄檗に参禅した際、和尚から三度も痛打された臨済が高安大愚のもとで悟りを開いたあと、黄檗に再度して逆に痛拳を与えたというエピソードを描いた。
千光祖師(栄西)画賛 頭形に特徴のある栄西像。鎌倉や京都ではなく、西国の博多に我が国最初の禅宗寺院聖福寺を開いた。宗で千光法師の号を賜り、帰国後は後鳥羽天皇から”葉上”の号を賜った。千光 葉上 両朝賜号 合呼吾門初祖
雪中虚白院画賛 隠棲先の虚白院の雪景色。大雪のため朝食もとれずにいるが、このすばらしい雪景色は天女のもたらした贈り物のようにいとおしい、と賛。
書画巻(草稿)(部分)仙厓さんが筑前・築後の名所を訪ね歩いた際に、携帯した手控え帳。風景やその様子を詠んだ詩や歌が描き込まれている。
銅象鈕仙厓印(仙厓遺愛)仙厓の落款にそえられる朱印。
竹図・書彫扇形矢立(仙厓遺)旅に携行した矢立。表面には仙厓が得意とした竹図が添えられている。
第1章では、まだ仙厓さんらしいユーモアのある書画は出て来ませんが、次回以降をお楽しみに。
2016年2月に仙厓さんが住持職を務めた博多の聖福寺を訪ねた。
境内
禅問答のような。
その2年前の2014年7月、博多山笠にも行った。あの頃はまだ60代終盤、元気だったなぁ(笑)。もう一度、行かねば。
それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!
程好く纏められる方。
感情の趣くままの方。
清らかさを求める方。
素朴さに拘る方。
其々に描く人に依って、観る者への印象も異なりますね。
文章も然りです。
毎日新聞の万柳に、喜怒哀楽を。
>ブログはgoo blogがつぶれないかぎり、残るしね(笑)
私もよく想っています。
>ユーモア溢れる書画を通じて、禅の普及に努めた。
いいですね~。「87歳の時、住持に返り咲く」というのも素敵です。
>32歳まで修行、師の月船が亡くなったあと、奥州に旅立つ。その後、博多の聖福寺に下る。
これまた、ダイナミックな生き方ですね。
>耳が麻痺したという伝え
>和尚から三度も痛打され・・・もとで悟りを開いたあと
座禅の真似事はやりましたが、私は禅の修行は半日で逃げ出しそうそうです(笑)
>後鳥羽天皇から”葉上”の号を賜った。
これまた、超人的に思えます。
>大雪のため朝食もとれずにいるが、このすばらしい雪景色は天女のもたらした贈り物のよう・・・
逆説でもなさそうですが、解脱とはそのようなことを言うのでしょうか?
>携帯した手控え帳。風景やその様子を詠んだ詩や歌が描き込まれている。
いやはや、読んでおりませんが(汗)司馬遼太郎の『街道をゆく』をイメージしました。
>仙厓さんが住持職を務めた博多の聖福寺を訪ねた
祖母からこの寺の名をよく聞いた気がします。博多に帰ったら是非お参りしてきます。
>禅問答のような。
興味津々です。
>あの頃はまだ60代終盤、元気だったなぁ(笑)
凄いです。これ早朝の「追い山」ですか?
私は「追い山」には前の晩から一度だけ行きました。
江戸っ子の父は「京都の葵さまの真似だ」なんて言ってました。祖父が京都にいたからか・・・?
いやー、まだ導入ですね。
有難うございました。
同感です。レオナルドもいいし、フェルメールもいいし、北斎も清方も、それぞれいいです。
>携帯した手控え帳。風景やその様子を詠んだ詩や歌が描き込まれている。/いやはや、読んでおりませんが(汗)司馬遼太郎の『街道をゆく』をイメージしました。
そうですね。九州版、”街道をゆく”ですね。ただ、絵も自作というのが司馬遼太郎とは違うところでしょうか。
仙厓さん聖福寺から博多山笠に想いがいってしまいました。早朝からの追い山、素晴らしかったです。岸和田のだんじり祭りと共に思い出に残る祭でした。博多の街も好きなので、また是非と思っています。
ありがとうございました。
美術館の隣です。
その前はパレスビルで↓。
仙厓和尚のカレンダーは毎年かっています。
私も見てきました。
そうでしたか。いいところにお勤めで。お堀端でいい眺めですね。その日はパレスホテル経由で東御苑まで歩きました。
仙厓和尚のカレンダーがあるとは知りませんでした。仙厓さんは大好きなので、次回は是非、買いましょう(笑)。
ありがとうございました。