前日、白金台の東大医科学研究所(旧伝染病研究所)のレトロな建造物をみて、そういえば東大の本郷キャンパス内の建物も似てるな、と思ったので、今日、探検に行ってきた(汗)。
正門から入ったが、次々、目に入る古い建物は、たしかに白金台のとよく似ている。外壁は淡褐色のスクラッチ・タイルだし、ゴシック風で、玄関ポーチには連続アーチがついているところまで一緒だ。論より証拠、ほらね。
これらをみると、本郷の建物は旧伝研と同時期に、それも統一したデザインで建てられたことは一目瞭然だ。帰ってきて、ネットでみつけた、藤井恵介氏の”東京大学本郷キャンパスの歴史と建築”という論文がそれを裏付けてくれた。関東大震災後のキャンパス復興案として、昭和11年頃に提案された内田祥三工学部教授の設計案が実現したものだそうだ。白金台キャンパスも、それに付け加える形で出来たのだろう。
でも、安田講堂は建物の感じがちょっと違う。煉瓦が赤っぽいし、外観がきれいにみえる。きれいなのは、68年の東大紛争あとの修復の結果だろう。この建物の設計も内田祥三だそうだが、これは震災前から建造中だったものらしい。震災後、再開して完成したもので、前述のほかの建物とは”出自”が違う。今日はここで、”長寿時代の死生学”というシンポジュームが行われていた。参加しようかと思ったが、ぼくの死生学は”寿命”だから、何も心配することはない(汗)。
三四郎池で少し、ゆっくりした。三四郎池はまるで深山の沼のようにひっそりとしていた。
さて、と三四郎は立ち上がり、本日のメインテーマ、大学博物館巡り第2弾、東京大学総合研究博物館に向かった。その博物館は、戦前、前田侯爵の旧懐徳館があった傍らにある。(戦災で壊滅した)旧館の基礎になっていた煉瓦の遺構が、懐徳門の前に保存・展示されている。
博物館にも様々な生物の”遺構”が。常設展示は”キュラトリアル・グラフィティ/学術標本の表現”のテーマ。何十万という所蔵品の中からの選りすぐりが順次、展示されているとのこと。今回も、おおっ、の逸品がずらりずらりのずらりんこん(ぼくの造語です)。
E. S. モースらによる大森貝塚出土の代表的な土器標本とか、モースの弟子の佐々木忠次郎らによる日本人初の、茨城県の陸平貝塚の128点の土器、石器、骨器とか、古人骨頭骨「名品」展示とか。さらに、初めての縄文人の全身骨(堀之内貝塚、1904年出土)、顔面が復元された初めての縄文人頭骨(三ツ澤貝塚、1906年出土)など、めったなことでは拝めない人骨も。そうそう、坪井正五郎が選定した土偶、14点、どれもとてもも可愛かった。
そして、特別展示は”東大古生物学/130年の軌跡”。130年ということは、東大創立以来の教室ということ。その後、36年間、古生物を研究するところはここしかなかったらしい。地質学的古生物と生物学的古生物の流れがあるが、東大では後者の研究に年々比重が高まっているとのこと。とくに軟体動物系が得意のようだ。
数々の研究成果が実物標本と写真で展示されている。ここだけは写真撮影OK。
展示室
たとえば1950年代の成果
古本でいえば、稀観本(笑)。貴重な標本が三つ。まず、お雇い教授のナウマン(象ではありません、人間です)が発見したトーヨーゾウの歯。歴史的標本とのこと。
ヘリコプリオン(古代サメ)の螺旋状に巻いた歯。国内では、2個体しか産出記録がないそうだ。
螺旋状に巻き下がる異常巻のアンモナイト。左巻きだろうか(笑)。
貝や
骨や
ああ。面白かった。大学の博物館巡り、第3弾はどこにしようか(汗)。