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【cinema】maru's BEST MOVIE 2020

2020-12-31 18:06:51 | cinema

【cinema】maru's BEST MOVIE 2020

 

 

今年はコロナ禍で映画館にほとんど行けなかった。Netflixなどには加入していないので、新作をほとんど見れていない💦 毎年頑張ってベスト記事書いてきたけど、自分がマメじゃないこともあり、年々反応がなくなってきた😅

 

そんなわけで、今年から辞めようと思ったのだけど、いつも感想記事投稿しているcocoが「Twitterユーザーが選ぶ2020年映画ランキング」を募集していたので、これを貼り付けて記事にしておく。

 

今年は新作18本しか見れていないので選出は5位まで。順位は適当💦 まぁでもこんな感じかな🤔

 

記事書いたものはリンク貼っておく😌

 

 

1位:『TENET / テネット』(記事はコチラ

 

2位:『パラサイト 半地下の家族』(記事はコチラ

 

3位:『ミッドサマー』

 

4位:『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』

 

 

5位:『ジョジョ・ラビット』(記事はコチラ

 

年々、感想も書けなくなってきてて、新作18本しか見てない今年ですら書けてないのが3本💦 とりあえず、今年はこんな感じで。来年もこの形で続けるのか、すっぱり辞めるのかはその時次第で😅

 

【参考:過去のmaru's BEST】

maru's BEST MOVIE 2019

maru's BEST MOVIE 2018

maru's BEST MOVIE 2017

maru's BEST MOVIE 2016

maru's BEST MOVIE 2015

maru's BEST MOVIE 2014

maru's BEST MOVIE 2013

maru's BEST MOVIE 2012

maru's BEST MOVIE 2011

maru's BEST MOVIE 2010

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【cinema】『82年生まれ、キム・ジヨン』(オンライン試写)

2020-12-01 01:35:28 | cinema

2020.09.21『82年生まれ、キム・ジヨン』鑑賞@オンライン試写

 

cocoオンライン試写に当選✨ いつもありがとうございます! 原作未読だけど、気になっているテーマだったので楽しみに視聴

 

ネタバレありです! 結末にも触れています!

 

「結婚を機に退職し、専業主婦として家事や子育てに忙しい日々を送るキム・ジヨン。妻として、母として、そして嫁としての立場に悩みながらも頑張っていたが、ジヨンの心にはある異変が起きていた。」という感じかな🤔 原作は未読なので、どの程度忠実なのかは不明。なんとなく原作ではもう少し少女時代とか、キム・ジヨンの半生を描いている感じなのかなと思う。全く描かれないわけじゃないけど、映画としては主婦である現在にフォーカスしており、どうやら結末は原作とは違うらしい? とはいえ現代女性が抱える問題の提起にはなっていると思う。ジヨンと同じ境遇にいる、もしくはかつてそうだった人には、とても共感できるのではないかな。

 

毎度のWikipediaは、原作小説がメイン。映画はについては。小説を基にした同名タイトルの映画が、2019年10月23日韓国で公開された。本作の製作会社である春風映画社の創設者キム・ドヨンの長編映画監督デビュー作。主演はチョン・ユミコン・ユ。韓国で観客動員数367万人を記録した日本では2020年10月9日に公開されたオーストラリア香港台湾フィリピンシンガポールマレーシアベトナムラオスタイなど37の国と地域に先行販売された。という概要と、キャスト紹介があるのみ。

 

いろいろあって、見てから2ヶ月以上経ってしまった💦 細かい部分は覚えていないし、日常を描いているのでシーンごとに書いていくのではなく、割愛したり適当にまとめて書いていこうかと思う。なので順番が入り繰ることがあるかと思われる。毎度、どうでもいいかと思うけれど断り書きとして書いておく😌

 

キム・ジヨンという名前はタイトルにもある1982年生まれに多い名前なのだそう。要するにどこにでもいる普通の女性を描いているということ。まぁ、何をもって普通というのかという気はするし、普通の人の人生にだっていろいろあるとは思うけど、作者の意図としては描きたい問題を一番多く抱え込んでいるであろう世代の女性ということなのかなと思う。

 

キム・ジヨン(チョン・ユミ)は両親と姉、弟の5人家族の家庭で育った。母のミスク(キム・ミギョン)は、兄弟の中で誰より勉強ができ教師になりたいという夢があったが、男兄弟のために進学を諦め家族のために働き、結婚後はジヨンを含めた3人の子どもを育てながら食堂を経営している。ジヨンの母親と考えると60代くらい? その母の時点でこの状況であるということだよね。

 

後に、ミスクがジヨンのことで自分の夫ヨンス(イ・オル)に号泣しながら怒りを爆発させるシーンがある。おそらく全世界的に程度の差こそあれ、男尊女卑はあると思うけれど、韓国は超学歴社会で家長制度で長男に対する待遇が違うと聞いたことがある。このシーンでは如実にそれが現れている。

 

冒頭、夫の実家と思われるキッチンで所在なさげなジヨン。どうやら親戚の集まりのようで、後に夫の姉家族も加わる。義母は良く言えばチャキチャキしていて、悪く言えばガサツな人。初めこそジヨンも手をだすタイミングをためらうくらい仕切っていたのに、姉家族が来た頃には、団欒に加わってしまい、気づけばキッチンで働いているのはジヨンのみ。そんなジヨンを夫のデヒョン(コン・ユ)が気遣い、何かと手伝ったりフォローしたりしようとするけど、これがことごとく空回りしてジヨンの印象を悪くしてしまう😖

 

この辺り、なんか分かるなと思いながら見ている。自分は嫁になったことはないけど、親戚などの集まりに行くと、ある年齢になると女の子というだけで手伝わされたり、お酌させられたり。一方、弟含めて男の従兄弟たちは何もしなくてもホメられてた。男性だけでなく、女性の中にも台所仕事は女性がするものという決めつけがある。そして母親世代は自分のやり方を乱さないで欲しいと思う一方で、嫁が何も手伝わないことには不満を感じる傾向にあるように思う。

 

その辺りの嫁姑の微妙な感じを察知しつつも、上手く立ち回れないデヒョンが絡むことで事を悪化させてしまう。とはいえ、一体どうすればいいのか?🤔 個人的にはダンナさんは小姑である姉と連携して上手く立ち回るのがいいのかなと思うのだけど、どうかな?🤨 まぁ、義姉にも気を使うか~💦 

 

一人で台所仕事をしていたジヨンに異変が起きる。突然、母親のミスクが憑依したように話し出す。「何故、娘ばかり働かせるのですか? 何故、私の所に来させてくれないのですか?」 義家族が呆然とする中、デヒョンが慌ててその場をとりつくろい、娘と3人で帰宅してしまう。どうやら、ジヨンがこの状態になったのは初めてではないらしい😲

 

原作未読なのでこの症状はビックリした! 多重人格ってこと? でも、実母という実在する人物になっちゃうことはあるのかな? この症状はこの後も度々出て来るのだけど、その都度違う人物になっていた。自分で対処できないことや、自分では言えない思いがある場合に、その人物に無意識下で代弁してもらっているということなのかな? 

 

後に母方の祖母になって、母を兄弟の犠牲にしたことを詫び、母を号泣させるのだけど、この辺りジヨンの中で、母から聞いた記憶や、そのことに関して自分が抱いた思いが無意識下で出てしまっているということ? 疑問ばかりで申し訳ないけど、これは医学的にもある症状なのかしら?🤔 原作はジヨンの物語と共に、カルテや統計資料などが示される二重構造?らしいので、そういう症状はあるのでしょうかね? そして、それを昔の人は霊が乗り移ったとか、狐憑きとか言ってたのかしらね?

 

原作はジヨンが心療内科にかかり、その治療過程でジヨンの人生を振り返って行く形らしい。どうやら担当医は男性で、原因は過去に受けた女性差別にあることは診断できるのに、最後に衝撃的な発言をして読者をドンヨリさせるらしいのだけど、映画では担当医は女性で、基本ジヨンは治療を受けない。映画の早い段階で、デヒョンが病院を訪ねて相談するけど、本人が治療に来なければ何もできないと言われてしまう。まぁ、それはそうだよね。

 

さて、前述したとおりジヨンは5人家族で育った。母は3人をなるべく平等に育てようとしたようだけど、父親は違う。父は父なりにジヨンを愛しているらしいけれど、自然としみついた男尊女卑に気づいていない様子。多分、指摘されても悪いとも思わない感じ。突き詰めるとDVということになるのだろうけど、この父親は特別酷い人物ではなく、おそらく自分では"普通"という感覚。だから厄介。

 

さらに国全体が家長制度で長男を重視する風習があるため、意識的にそして無意識に弟を優先している。例えば、ジヨンが事あるごとに蒸し返すらしい父親の海外旅行のお土産の話は、自分と姉はノートで弟だけ万年筆を買って来たというもの。父親としては差別しているつもりはないのだろうけど、された方は辛い。笑い話の部分もあるとは思うけれど、ジヨンが何度も繰り返し言ってしまうのは、その時点で自分も同じように愛されているという実感が得られなかったから。子どもだから直ぐ忘れてしまうだろうと軽く考えがちだけど、子どもだからこそ敏感だし、傷はなかなか根深く残るものなんだよね。

 

この父親とジヨンのエピソードがもう1つ入る。塾帰りのジヨンがバスの中で痴漢に遭う。異変に気付いた女性がジヨンを助け、父親が迎えに来るまで付き添ってくれる。遅くなる時には迎えに来てくれているようなので、父親としては娘を心配しているわけで、それ故の発言だとは思うけれど、ジヨンに隙があるからだと言ってしまう。女の子なのだから気をつけろという意図なのだろうし、自衛は絶対に必要なのだと思うけれど、痴漢をした人間が一番悪いのだし、ジヨンが感じた恐怖や嫌な気持ちにもう少し寄り添って欲しかったと思う。

 

男の人の中には女性を性的に見ることを良いことのように思っている人もいるようだけれど、大部分の女性にとってそれは不快で怖いものなのだということを分かって欲しい。もちろん女性にも性欲はあるけど、それとこれとは違う。人にもよるけど、思春期の女の子にとって、自分が性的に見られたことは、自分が汚いものに感じてしまうのではないかな。少なくとも自分はそうだった。

 

女性は性的関係を持てば妊娠のリスクがある。だから本能的にストップがかかるようにできていると聞いたことがある。それが不快感であり、恐怖感なのだと思う。ジヨンがまさにそういう状態でいる時に、お前が悪いのだと受け取れるような言葉を掛けるのは、傷口に塩を塗るようなもの。

 

2つのエピソードは、父親の言葉だけ見ると、父親側とジヨン側では重さが全く違う。そして、それらの言動にはやっぱり無意識下の女性差別がある。悪気はないからこそ傷つくし、いつまでも残る。

 

ジヨンの夫デヒョンは、今でこそ彼女を気遣って家事や育児も参加しているけど、以前はそうではなかったらしい。家に帰れば脱いだものはそのまま。座ったまま何もしない。ジヨンは専業主婦だから、家事負担が多いのは分かるけど、自分の脱いだものくらいは自分で片づけて欲しい。主婦は女中さんではないのでね😥 まして子育てしているのだから。

 

全ての男の人がそうとは言わないし、脱いだ服を片づけないからDVだとも思わない。女性の中にもお世話をすることが好きな人もいると思う。でも、大方の女性は程度の差はあれど、いい気持ちはしていないと思う。人によっては見下されていると感じるかもしれない。

 

DV男性の多くは妻を躾けなければと考えているらしいけれど、あなたの妻はすでに両親から躾を受けた大人の女性なので、あなたに躾けられる必要はないし、その躾と称しているものは、たいてい自分の都合のよい妻になって欲しいということだよね? 逆に自分の脱いだ服を片づけられない人の方こそ躾が必要なのでは? 妻はお母さんではないし、母親であっても成人男性にしてあげる必要はないと思う。もちろんお互いが合意ならば問題はないですけども😌

 

かなり熱弁してしまったけど、夫も子供もいない自分でもジヨンの辛さが分かってしまうところに、夫婦関係の長年の歪みがあると思うし、これは洋の東西を問わずあって、その根本はやはり男尊女卑にあると思う。

 

現代女性が直面している女性差別問題のもう一つ大きなものとしては、やっぱり仕事なのかなと思う。ずいぶん変わってきていると思うけれど、女性の管理職はまだまだ少ないし、医学部入試の問題など女性というだけで不利になるケースはまだまだ多い。確かに力仕事では男性にはかなわないけど、全てにおいて男性の方が優れているというわけではないはず。

 

例えば、1970年代以降アメリカでは交響楽団ではカーテン越しに審査するようにしたのだそう。その結果、女性団員の割合が劇的に増えたのだとか(こちらの記事を参照 カーテン1枚で変わった男女差 無意識の偏り気づくには)この審査方法を導入する前は、あのレナード・バーンスタインも自分たちは公平に音で審査していると言っていたそうだけれど、結局は男性の方が優れているはずだという思い込みがあったということだよね😑

 

まぁ、どんなに平等であっても、女性にしか妊娠出産はできないわけで、体調面でのリスクを含め一定期間仕事を休まないわけにはいかず、その辺りのバックアップを受けられなければ、女性が仕事を諦めるか、夫婦間で子供を諦めるかって話になってしまうよね。出生率の低下にはいろいろな要因があると思うので一概には言えないけれど、やっぱり仕事か子供かとなった時に、仕事を選ぶもしくは選ばざるを無い状況になることが、一因となっている部分はあると思う。

 

その辺りのことは頭のいい人たちがいくら考えてもいい案が出ないのだから、普通のオバちゃんに解決策が見つけられるわけもないのだけど😅 でも、国は子供を産んで欲しいと言いながら、仕事もして欲しいと言うけど、両立するには様々なバックアップが必要なのに、その整理も整備もないまま、子どもを産め、仕事をしろじゃ女性の負担が増えるだけだよね? 

 

ちょっと熱くなってまた話が反れちゃった💦 ジヨンは結婚前に広告代理店で働いていたようで、特別優秀でも特別ダメでもない普通の社員だった。女性の上司は社内で唯一の女性管理職。この方仕事もできて頭が良くて冷静。男性上司のイヤミもスルリとかわすスマートさなのだけど、やっぱり女性ということで、男性社員たちから煙たがられている印象。

 

ジヨンはその状況でも自分たちを引っ張ってくれるこの上司に憧れており、任された仕事を頑張って評価される。でも、結局ジヨンは結婚のため仕事を辞めたんだよね。その際のことは描かれてなかったように思うし、少なくとも映画ではジヨンが仕事にやりがいを感じ始めているっぽい描写はあるものの、苦渋の選択でやめたという描写はなかったと思う。

 

ただ、このジヨンの社会人時代を描いているということは、彼女には別の人生もあったけれど、その道を選ばなかったもしくは選べなかったということを描きたいのかなと思った。そして、この上司はジヨンに大きな変化をもたらす。

 

元同僚とランチをした際に、この元上司が退職し、新しい会社を立ち上げたことを聞く。ジヨンは元上司に会いに行き、是非入社して欲しいと言われる。デヒョンに相談すると喜んでくれるけれど、では娘はどうするのかという話になり、ジヨンは話し合う前に既に諦めてしまっている。ジヨンには自分が我慢すれば丸く収まるという対処法?が染みついてしまっているし、諦めることが普通になっている。これって、自分という人格を封じ込めてしまっているわけで、これが続くと精神を病むよねきっと。

 

これに対しデヒョンは自分が育休を取るというけれど、これを聞きつけた義母からジヨンは激しく非難されてしまう。たしか、ジヨンはこのことがきっかけで娘を連れて家に帰ったと思う。電車内で娘ちゃんが💩をしてしまったりと、これまた道中いろいろある💦 で、実家で父親に怒られたんだったかな? きっかけは忘れたけれど、とにかく実家で母親の母親、つまり祖母の人格になってしまう。祖母にとっての娘である母を家族の犠牲にして夢を奪って悪かったと詫びる。この言葉と娘の姿に母は号泣する。

 

この時、母の怒りは夫である父親に向けられる。どうして息子ばかりかわいがるのか? どうして娘のことを考えてあげないのか? それは母自身の心の叫び。資金がなく姉弟(もしくは兄妹)のうち1人しか大学に通えないのであれば、どんなに女性の方が優秀であっても、我慢するのは女性だし、どんなに仕事ができても会社内では様々な格差があるし、夫婦どちらかが会社を辞めなければならないならば、やっぱり女性が会社を辞めることになる場合が多い。

 

専業主婦であっても育児は妻だけのものというわけでもないのに、妻にかかる負担が大きい。まして、共働きなのに家事も育児も女性がするものという考えの男性がまだまだ多い。ならば仕事を辞めればいいと言う男性も多いけど、女性にも仕事で活躍したい、やりがいを得たいという夢や思いがあることも分かって欲しい。

 

TwitterのTLに流れて来たあるツイートが興味深かった。フォローしている方ではないので、どなたなのかも不明だし、正確な言葉も覚えていない。主旨としては、同僚の男性たちが女性が結婚後も仕事を続けることに対して、あまり良く思っていない発言をしていたので、ではあなたたちは仕事を辞められるのかと問うと、それは無理だと答えた。なので、もしかしたらあなたたちの奥さんは仕事を諦めたのかもしれないと話すと、何か感じるところがあったようだというもの。

 

この男性たちの思考の根底にあるのが「男が働き妻はそれを支える者」という昔からの固定観念。もちろん、その関係をよろこんで受け入れている女性もいると思うので、全否定するつもりはないけれど、自分が気になるのは男性側のみ無条件で支えてもらえると思っていること。奥さんはあなたのお母さんではなく、夫婦なのだから立場は対等なはずで、妻の支えを求めるならば、夫も妻を支えるべき。そして、それは働いてお給料を得ることだけではないはず。その視点がいつまでも平行線なのかなと思う。

 

話を映画に戻す! この騒動の後、弟は姉の家を訪ねるのにジヨンの好物を買って行きたいと考える。でも、何が好きなのか分からないので父親に電話で聞く。すると父親はあんぱんが好きだと断言する。でも、実はジヨンはあんぱんが苦手だったというオチ。これはコミカル要素なのかもしれないけれど、父親も弟もジヨンの好物を知らないし、それまで知ろうともしなかったと言えるのかもしれない。まぁ、父親はキーワードは合っていたし、弟も姉を気遣おうという気持ちが芽生えたわけで、それは少し希望が持てるのかなと思う。事実、弟はあの万年筆をジヨンにくれたのだった。

 

一方、ジヨンは夫のデヒョンから時々自分の人格が変わっているという事実を聞かされる。にわかには信じられないジヨンに、デヒョンは動画を見せる。ここに至りジヨンは自分の中に溜まっていた思いが、とても大きく重いものであったこと、それをため込んでいたことが、自分をいかに蝕んでいたかを知る。このシーンは泣いてしまった😭 デヒョンも辛かったと思う。

 

ジヨンは心療内科に行き、治療を始めることになる。帰りにカフェに立ち寄ると、女性1人を含む男女3人のサラリーマンがジヨンをママ虫と揶揄する。夫が働いたお金で優雅にお茶しているという状況が、夫に寄生しているということらしい? 例えそうであっても人の事は放っておけよと思っていると、ジヨンが反撃! 何故あなたはそんなに私をバカにするのか? 

 

別に仕事をしているから偉いわけじゃないし、例え偉かったとしても見ず知らずの人をバカにしていいことにはならない。その人にどんな事情があるかも知らないで、勝手に決めつけるべきではない。このシーンのお店がファストフード系で、決して贅沢しているわけじゃないのも狙いなんだと思う。そして、理不尽なことには女性も声を上げることが出来るのだということを表しているんだと思う。

 

映画はデヒョンが娘の面倒を見ていて、ジヨンがパソコンで小説?を書いているシーンで終わる。全て丸く収まった的な終わりに少し物足りなさを感じるものの、見ている側が何かを感じたならば、このラストをお手本にするのではなく、ここから先の未来を自分たちで作らなきゃならないということなんだと思う。

 

役者たちは皆良かった。自らも男性優位社会の犠牲になり、娘たちを憂いながらも、思うようにしてあげられずに悩む母のキム・ミギョンがとても良かった。特に祖母の人格になってしまったジヨンに涙するところ。娘を思う気持ちと共に、娘を通した母の言葉に心振るわす感じが素晴らしかった

 

夫デヒョンのコン・ユも良かった。このダンナさんいい人なんだよね。でも、実はジヨンを絶望させた過去がある。一番身近にいながら彼女の思いに気づけず、ついには心の病を抱えさせてしまう。それに気づいてからは彼も苦しかっただろうし、デヒョンなりに頑張っているのだけど、ほとんどが空回り💦 でも、それがこの問題の根深さを表している。夫が悪役になってしまうのは違うと思うし、理想の夫になってしまうのも違うのだと思う。彼の存在が社会全体の差別とも思われていない差別を明らかにし、それをデヒョンが気づくことで根深さを表していいるのだと思うので、そういう意味で良い人イメージのコン・ユのキャスティングは絶妙だと思う。

 

そして、ジヨンのチョン・ユミが素晴らしい。全ての女性の代表というわけではないけど、意図されているのは平均的な女性。全く自己主張しないわけでも、主張し過ぎるわけでもない。でも、社会の男性 > 女性という空気や、積み重ねられた女性だから、姉だから、妻だから、母だからという押しつけに自信を失い、声を奪われていく感じ。諦めが日常になっていて、もはや自分でも諦めていることに気づかず、明るく振る舞いながらも、ビックリするほど空虚な感じが絶妙で、人格が変わってしまう演技もやり過ぎず、病んでしまっている人になっていない。イヤ、病んでいるのだけど、病んでいる人の話ではなくて、何故病んでしまったのかを見せる作品なので。その辺り素晴らしかったと思う

 

ちょっと調べてみたところによると、1982年頃というのは女の子だと分かると堕胎されることが多かったそうで、原作ではジヨンの母も堕胎しているのだそう。それは行き過ぎ。1982年ってそんなに大昔じゃないのに。これはちょっと絶句した。

 

男性には男性のプレッシャーや生き辛さがあると思う。でも、やっぱり女性は産む性というだけで理不尽な目に遭うことが多いと思う。知識が不足していて、子どもができない嫁は離縁されていた昔ならばまだしも、現代でも子供ができない、産まないことでいろいろ言われるのは圧倒的に女性の方が多いと思う。男性側に原因がある場合もあるのに、そこに思い至らないのは昔からの刷り込みがあるからなのかなと思う。ましてや性別の産み分けまで女性のせいにされたのではたまったものではなく、挙句に働け家事もしろではねぇ😒

 

また熱くなっちゃったけど、ラストに希望がある分原作よりマイルドになったと感じる方が多いようで、まぁその辺りは大人の事情もあるのかなと思いつつ、問題提起にはなっているかなと思う。女性は共感しちゃって苦しいかも? 男性に是非見て欲しい。

 

『82年生まれ、キム・ジヨン』公式サイト

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【cinema】『TENET テネット』

2020-10-26 00:03:56 | cinema

2020.09.18 『TENET テネット』鑑賞@TOHOシネマズ日比谷

 

約3か月ぶりの劇場鑑賞。7月からPCR検査陽性者が増えたため自粛してた。公開作品も少なかったし😅 今回も少し迷ったのだけど、クリストファー・ノーランの最新作なら絶対大画面で見たい!ってことで行ってきた~

 

ネタバレありです! 結末にも触れています!

 

「ウクライナの劇場である作戦に加わった主人公は、ロシアの組織に拘束されてしまい、自決用カプセルをかみ砕く。目覚めるとテストに合格したので新たな任務に就くように言われる。それは第三次世界大戦を阻止せよというものだったが・・・」というあらすじはホントに導入部のみで、全然上手くない💦 なので、魅力が全然伝わらないのだけど、そもそもちゃんと理解できていないので、これが限界 でも、めちゃめちゃおもしろかった! ノーラン節炸裂です!

 

クリストファー・ノーラン監督作品。ファンなので監督作品は『フォロウィング』以外は全て見ている。感想書いてるのは『ダークナイト』(感想はコチラ)、『インセプション』(感想はコチラ)、『ダークナイトライジング』(感想はコチラ)、『インターステラー』(感想はコチラ)、『ダンケルク』(感想はコチラ)。

 

映画について毎度のWikipediaから引用しておく。『TENET テネット』(原題:Tenet)は、2020年公開のクリストファー・ノーラン監督・脚本・製作によるSF映画である。脚本と監督をこなしたクリストファー・ノーランは、TENETの背後の着想を20年間に渡って温めたが、「私はこの脚本の練り直しに6, 7年は掛けている」と発言している。原題「TENET」は、回文であり、前から読んでも後ろから読んでも同じである(邦題「TENET テネット」では、この通りではない)。ノーランは、スパイ映画からの影響を、自らの記憶のみに留めるように意識的に努力した。映画『ウエスタン』(1968年)から脚本の着想を得た。理論物理学者キップ・ソーンは、時間量子力学の主題について相談を受けた

 

SATOR AREPO TENET OPERA ROTAS ラテン語による回文。三行目(三列目)に TENET が表れる。ケネス・ブラナー演じるアンドレイ・セイターの姓が SATOR。キエフ・オペラの OPERA。ゴヤの贋作者の名前が AREPO。オスロ空港の警備会社が ROTAS。

 

さて、今作。ノーラン作品にしてはかなり説明的なセリフがあるけど、なにぶん見ている側の理解が追いつかず💦 今に描かれていることが現段階、もしくは未来に実現可能であるという科学的根拠があるのかも分からない💦 半分も理解できていないし、細かい部分も覚えていない。なので、適当に端折ったり、割愛したり、順番を入れ替えることがあるかと思います。間違っていることは書かないつもりだけど、そもそも間違って解釈しているかもしれません。あくまでそう理解したという感想になります。毎度どうでもいいと思うけど、断り書きとして書いておく😌

 

冒頭、キエフの劇場でのテロシーンから始まる。武装した兵士?たちが銃を手に突入していく。その中に名もなき男(ジョン・デイヴィッド・ワシントン)の姿もあった。実は見ている間は全く気付いてなかったのだけど主人公は名前がない。公式サイトでキャスト情報見てビックリ! 名前呼ばれてなかったの気づかなかった😲 このシーンではアメリカ人って呼ばれており、CIAのエージェントということだった。

 

劇場内に突入するとしばらく銃撃戦が続く。激しいアクションシーンから始まるのは、もはやノーラン作品の定番だけど、今回はまた一段とスゴイ! 満員の観客を催眠ガスで眠らせるのだけど、CGを極力使わないノーラン監督だから、この人たちはエキストラなんでしょうね🤔 公式サイトによると、このシーンはエストニアの首都タリンにあるコンサートホールで、長年放置されていたため荒れていて、撮影にあたり美術スタッフがステージを建て直したり、外壁を直したりとかなりの手直しをしたらしい😲

 

このシーンは結構な長さ続くけど、ここでのポイントはテロは偽装であること、名もなき男のピンチを救った人物がいたこと。かなりの人数の兵士?が導入されているわけだけど、偽装であることを誰がどこまで知っているのか不明。名もなき男の任務は潜入捜査官?と、彼が持ち出した"プルトニュウム241"を手に入れるため。だったよね? というくらい、早くも全く理解が追いつかないけど、めちゃおもしろい!

 

名もなき男は捕えられ、鉄道車庫の線路の上に椅子に縛られて座らされている。"プルトニュウム241"のありかを話すように言われる。名もなき男の前には椅子に縛られたまま横たわる男。後ろ姿のみで顔は分からない。彼はどうやら何かを喋った様子。しかし、肝心な部分は名もなき男から聞き出したいらしい。決定的な場面は見せないけどペンチで歯を抜く拷問を受けているっぽい😱 たしか列車が向かってきて選択を迫られた気がしたけどどうだっけ? とにかく、倒れている男が後ろ手に差し出した自決用カプセルを飲み込んだところで暗転。

 

目覚めると船室にいた。名もなき男はフェイ(マーティン・ドノバン)という人物からテストに合格したので、任務の指令が出るまで待機するように言われる。この時、君はTENET(テネット)という言葉さえ知っていればいい的なことを言われる。"言語"と字幕が出ていたような気も?🤔 TENETについて詳しい説明はなかったし、その後TENETという言葉が出て来ることもなかったと思う。TENETとは前述したとおり、SATOR AREPO TENET OPERA ROTAS ラテン語による回文。その後、名もなき男は海上にある風力発電所の建物内で訓練し時を待つ。この風力発電所はデンマーク沖のバルト海に実際にある施設だそう。

 

訓練を終えた名もなき男は、研究機関のような所を訪ねる。名称とか表示されていたかもしれないけれど覚えていない💦 そこで、バーバラ(クレマンス・ポエジー)という科学者から説明を受ける。あまり理解できていないのだけど、ある日未来から石の壁の一部が送られてきて、その壁は時間が逆行していることが分かったらしい。名もなき男がバーバラに言われた通り銃を撃とうとすると、壁の中から弾が戻って来る。このように、未来から様々な物が送られていきているので、それを研究しているらしい。

 

時間の逆行はエントロピーを減少させると起きるそうで、これが利用されて人類が絶滅するのを防ぐのが名もなき男の任務。と、理解したけど合ってるか? とにかくエントロピーって何?という状態なもので😅

 

名もなき男はムンバイへ向かう。銃の出処だろうと思われる武器商人サンジェイ・シン(デンジル・スミス)に会うため。厳重警備の高層マンションから一歩も外に出ないサンジェイ・シンに会うのは不可能。そこで名もなき男はある人物に連絡を取る。これ何でこの人物に連絡取ることにしたんだっけ?🤔

 

待ち合わせ場所のレストランに現れたニール(ロバート・パティンソン)は、なぜか男の飲み物の好みを知っていた。これは後の伏線。映画、特にサスペンス作品をたくさん見ると、疑って見るクセがつく。なので、ニールは裏切るんじゃないか? 実は黒幕なんじゃないか?と思って見ていた😅 ロバート・パティンソンという人選が絶妙

 

2人は伸縮性のあるワイヤー的な物を使って逆バンジーでサンジェイ・シンの部屋に侵入する。向かいのビルの屋上からバーンと飛び移ってビョンビョンしながらよじ登るの楽しい。ボディーガード?を倒して部屋に侵入した2人を迎えたのはプリヤ(ディンプル・カパディア)というサンジェイ・シンの妻。実は、実際に組織を動かしているのはプリヤの方だった。プリヤは未来から来た武器?はロシア人のアンドレイ・セイター(ケネス・ブラナー)から買ったと言う。

 

このセイターが今回のヴィラン。とはいえ、実はニールが黒幕なんじゃないかと疑ってたけど😅 セイターは前述したTENETの語源である、SATOR AREPO TENET OPERA ROTAS のSATORから命名されているらしい。セイターに会うのは不可能ということで、彼の妻に接触して会わせてもらうと考える。

 

そこで、名もなき男はMI6のマイケル・クロスビー卿(マイケル・ケイン)に会いにロンドンへ行く。スーツが必要だとかニールとふざけた会話をしていた気がするけどどうだったかな?🤔 高級レストランで食事中のクロズビー卿は、紳士的だけれど名もなき男を見下した態度😅 まぁ、名もなき男の態度も高級レストランにふさわしいものではなったけれど。ノーラン作品常連のマイケル・ケイン、前作は声のみだったのでウレシイ😍

 

クロズビー卿によると、セイターはロシアの地図に載っていないスタルスク21という土地の出身だと言う。たしか核実験が行われた土地で、そのため存在を隠されているということだったと思う。なので、セイターは実は存在しない人間ということじゃなかったかな?🤔 そのスタルスク21で最近、何かが爆発した痕跡があるとのことだった。

 

クロズビー卿は名もなき男にゴヤの贋作を渡す。描いたのはアレポという人物で、どうやら絵画鑑定人である妻は、アレポと組んで贋作をオークションに出したが、その絵をセイターが落札し脅される羽目になったらしい。アレポという名前もSATOR AREPO TENET OPERA ROTAS から由来しているらしいけれど、結局この人物は名前のみで登場しなかったと思う。

 

名もなき男はセイターの妻キャット(エリザベス・デビッキ)と話す機会を得る。何かのパーティー会場だったように思うけど、どうだったかな? 入手したゴヤの贋作の効果抜群だったが、キャットの状況はなかなかキビシイものだった。オークションで競り落とした贋作をネタに脅されて離婚もできない状況。

 

そもそも、キャットはベトナム旅行中に離婚を切り出すと、セイターは離婚するなら息子には二度と会わせないと言われていた。その後、息子と観光から戻ると、セイターのクルーズ船から若い女性が海に飛び込む姿を目撃した。夫の愛人だと思うが、彼女には自由があってうらやましかったと語る。実はこれは後の伏線だった。

 

えーと💦 結局、この時にはセイターに会わせてもらう約束はできなかったと思うのだけど、2人の会話がどう終わったのか失念😣 名もなき男は厨房でセイターの部下と思われる男たちとアクションを繰り広げて倒し、悠然と裏口から出てきたところを、車中のキャットが見ていた記憶があるのだけども?🤔

 

結局、後日キャットが息子マックス(ロウリー・シェパード)の学校の門の前で、一目会おうと待ち伏せしているところを捕まえて、セイターが購入した贋作を取り戻すことを条件に、セイターに引き合わせることを約束させることに成功。この学校のシーンが出て来たのは、後の伏線なのかな?

 

贋作を奪うため保管先であるオスロ空港内のセキュリティー会社?へ向かう。名もなき男とニールは客を装ってセキュリティーシステムなどを聞き出す。どうやら、何かしらのアクシデントが起きた場合、保管室内に消火ガス?が噴霧され、従業員はガスが充満する数十秒間に脱出する仕組みになっているとのこと。

 

そこで2人は協力者であるマヒア(ヒメーシュ・パテル)と、金を運ぶ輸送機を強奪し事故に見せかけて倉庫に突っ込ませ、ガス噴霧後の数十秒間で贋作を奪い脱出する計画を実行する。CGなどを極力使わないノーラン監督だけに、このシーンでは本物のボーイング747を突っ込ませたとのこと。ちなみに、オスロ空港となっているけれど、撮影場所はロサンゼルス国際空港のターミナル。

 

事前にどれだけ息を止められるか試したり、実行時にもちょっとしたアクシデントが起きたりとハラハラさせるけど、結局贋作は保管されてなかったんだっけ? ここで重要なのは逆行装置が作動して、時間を逆行してきた武装した男2名と格闘したこと。

 

逆行装置は何ヶ所か設置されているのかな? この後、もう1カ所出て来る。形状としては回転扉のようなもので、装置を挟んでガラス張りの2つの部屋が並行して存在している。ちゃんと理解できていないのだけど、時間を逆行しているだけで、ある日ある時の過去にタイムスリップするということではないらしい?🤔 理解が追いつかない💦

 

武装した人物との格闘で、名もなき男は相手の腕を切りつける。廊下で格闘を続けるも逃げた男を、ニールが追いかける。2人は名もなき男の死角に入る。戻って来たニールはどこか様子がおかしい。これは後の伏線。とにかくこんなに大掛かりな作戦だったわりに贋作は取り戻せず。

 

名もなき男はキャットと再会し、贋作は処分したのでセイターに紹介するように依頼する。キャットは乗り気ではなかったものの、仕方なく名もなき男とボートで停泊中のセイターのクルーズ船に向かう。夕食に招かれた名もなき男は、キャットの浮気相手と疑われ、マフィア特有の殺し方で殺すと脅す。例のモノを口に突っ込むアレね😅 

 

競技用ヨット?に名もなき男とキャットが同乗し、セイターとレース的なことをしたのはいつだっけ? これはなかなか迫力があって楽しそうだった✨ この時、キャットがセイターを殺そうとロープを切ってセイターを海に落とすが、名もなき男がセイターを助ける。これは計画だったのかな? そういう描写はなかったような?

 

命を救ってくれたお礼にと、セイターは名もなき男に身の上話をする。セイターは少年の頃、スタルスク21で核実験の残骸を回収する仕事をしていたが、ある日自分宛ての契約書を見つけた。それ以来、世界各地からアルゴリズムを回収していて、"プルトニュウム241"が最後の一つだと言う。名もなき男は、協力してそれを回収しようと言う。冒頭のテロで回収しようとしていたプルトニュウムだよね? あれってどうなっっていたんだっけ?🤔

 

えーと💦 たしか夜中に大きな荷物が運び込まれて、それを盗み見ていた名もなき男はセイターの部下に見つかってしまったと思うのだけど、これってどうなったんだっけ? 名もなき男がどうやって船降りたか忘れてしまったわ😅

 

ニールと合流した名もなき男は、"プルトニュウム241"の強奪計画を実行する。"プルトニュウム241"は装甲車でどこかに運ばれるようで、名もなき男とニールの指示で一台また一台とトラックが現れて装甲車を取り囲んでいく。これ、それぞれのシーンにスピード感はないんだけど、何が起きてるの?というワクワク感があっておもしろい。そして、これもCGなしで撮影しているのかしらね?

 

名もなき男は装甲車に飛び移り、しばしのアクションシーンの後、"プルトニュウム241"を奪うことに成功。そして、ニールが運転する車に戻って来る。そこに逆行してきた車が並走して来る。後部ドアが開いており、中にはキャットに銃を向けるセイター。セイターは名もなき男に"プルトニュウム241"をよこせと言う。

 

この時、横転していた車が突如元に戻り逆行して来る。セイターのじゃまをしようとしているようだけれど、結局はどうなったんだっけ? とにかく、これは後の伏線!

 

結局、名もなき男は"プルトニュウム241"をセイターに渡す。セイターは車を降りるがキャットは取り残されたままだった。名もなき男はキャットの車に飛び車を止める。このシーンでも、これに続くシーンでも名もなき男はとにかくキャットを救おうとするのだけど、見ている間は何故そこまでするんだろうと思っていた。イヤ、見捨てて欲しいわけじゃないけど😅

 

実はキャットはこの後の大きなカギを握る人物なのだけど、見ている側にはこの時点ではキャットは単なるセイターとのつなぎ役だと思っているので、ちょっと違和感。イヤ、もちろん見捨てていいわけではないのだけど、人類が滅びるかもしれないという状況でする選択ではないような🤔 まぁ、もちろん本物を渡してはいないのだろうと思ってはいたけれど。

 

えーと💦 詳細は忘れてしまったけど、名もなき男とキャットはセイターの部下に捕まってしまう。で、オスロ空港内にあったガラス張りで隔てられた部屋にそれぞれ監禁される。その部屋には逆行装置がある。えーと💦 ここもちょっと理解が追い付いていないのだけど、キャットがいる部屋が逆行で、名もなき男がいる部屋が順行なのかな?

 

で、とにかくセイターはキャットを撃つと脅し"プルトニュウム241"の隠し場所を話すように言う。名もなき男は車の中だと言うけど、セイターはキャットのお腹を撃つ。これ何で撃ったんだっけ? なんだか順行と逆行が入り混じって良く分からない💦 で、とにかく逆行なのか順行なのか、だとしたらどの時点だか分からないけど、とにかくキャットを撃ちます! そして、主人公はニールとアイブス(アーロン・テイラー=ジョンソン)の部隊に助けられる。

 

このアイブスの部隊にはホイーラー(フィオナ・ドゥーリフ)という女性隊員もいたりするのだけど、どういう部隊なのか説明あったっけ? 冒頭の劇場でのテロもこの部隊と突入してたんだよね? うーん💦 

 

で、セイターはキャットを連れて逆行装置に入って行ったのだけど、何故キャットは部屋に残ってたんだっけ? 最初に主人公とは別の部屋にいたキャットとセイターは時間を逆行していて、それで順行のセイターがキャットを連れて逆行して行ったということかな? とにかく、名もなき男たちは、セイターが時間の挟み撃ちをしたと考える。この時間の挟み撃ちの意味がよく分からず😅

 

名もなき男は自分も逆行して、逆行して"プルトニュウム241"を取に戻ったセイターを追うことにする。逆行中は普通に呼吸ができないため、酸素マスクを付ける必要があるらしい。逆行してたセイターってマスクしてたっけ?🤔 気づいてなかった😅 主人公が逆行することになったため、観客は初めて逆行の映像が主体的に見ることが出来る。名もなき男以外は全て逆に動いておもしろい。実際は名もなき男が逆行しているわけなのだけど。

 

車に乗ってセイターを追っていくのだけど、実は先ほどのセイター車と名もなき男車の間に割って入った謎の逆行車は、今逆行している名もなき男だった。おおー😲 先ほどの順行の時には、この逆行車は横転しているところから逆行してきたわけだから、最終的に今逆行している車も横転してしまう。そこにセイターがやって来て、逆行車から流れているガソリンに火をつける。名もなき男は必死に脱出しようとするけれど、逃げられない。炎に包まれた逆行車は凍ってしまう。何故?

 

目が覚めるとニールが逆行で炎に包まれたので低体温症になったと言う。エントロピーが減少するとそういう世界になるの? ニールによるとセイターの語るアルゴリズムというものは、9つに分かれた物質?を1つにすることで、それにより全世界のエントロピーを減少させて逆行することができるが、それをすれば生命が消滅してしまうということらしい。全く理解できないけど、そう言うんだからそうなんでしょう!🙄

 

さて、瀕死のキャットを救わなければならないということで、オスロ空港に向かう。これ、何でキャットを救うために逆行してオスロ空港に行かなきゃならなかったんだっけ? 説明していたと思うけどちゃんと理解できていなかったし、よく覚えていない😅 そして、相変わらず何故そこまでしてキャットを救わなければならないのか理解できない。イヤ、もちろん死んでいいと思っているわけではないのだけど。

 

えーと。オスロ空港でアヒムが起こした飛行機の事故時点に逆行してきたので、当然ながら事故が起きる。で、その爆風で名もなき男は建物内部に吸い込まれてしまう。そこは、贋作奪還作戦時に名もなき男とニールが謎の武装男と遭遇した部屋で、まさに贋作奪還作戦続行中の名もなき男とニールに遭遇する。あの時、名もなき男が対決したのは逆行してきた自分だった。ニールの様子がおかしかったのは、武装男が名もなき男だったから。もうややこしくて自分で書いててもなんのこっちゃ😅 でも、別の視点からあの時のアクションが再現されるのはおもしろかった。

 

で、たしか逆行装置の中にストレッチャーに乗せたキャットと入ってたよね? これは? 逆行してたから順行に戻ったということ? キャットは逆行で撃たれたので、順行に戻って治療する必要があったってこと? あれ?(o゚ェ゚o) とにかく、キャットは治療を受けます😅

 

さて、主人公はプリヤに会いに行く。会いに行くというか何かの式典? 儀式?をしている中、無理やり押しかけて行ったのだけど。そこでプリヤから真相を聞き出す。未来のある科学者がアルゴリズムを作ったけれど、自分の作り出した物の恐ろしさに自殺してしまった。自殺する前にアルゴリズムを9個に分けて過去に隠した。未来人の中にはそれを使いたいと考えている人々がいて、そのうちの誰かがセイターに回収する契約を送ったということらしい。

 

セイターは最後の一つだった"プルトニュウム241"を入手。既に9つを1つにする作業も終わっていると思われる。さらにセイターは自分が死ぬとアルゴリズムが作動するよう設定したと言う。えー💦 っていうか、そういう大事なことはもっと早く言ってよプリヤ(*`д´) と思うけど、それだと謎解きの醍醐味がないからね。

 

えーと、名もなき男とニールとキャットはアイブスの部隊と合流する。何故、船に乗ってたのか忘れちゃったけど、逆行してたので過去のある時点に向かっているということ? どうも、この時間の観念というか、順行と逆行の兼ね合いが分からない💦 とにかく、この船のシーンで重要なのは、キャットのセイターに関する一言。セイターは末期の癌で余命僅か。おそらく全世界を巻き添えにして死ぬつもりなのだ。ォィォィ 迷惑だな😅

 

となると、セイターが自殺する前にアルゴリズムを奪う必要がある。キャットはセイターが自殺するなら最後に家族が揃ったベトナムでないかと考える。キャットが離婚を切り出した日はスタルスク21で爆発が起こった日だった。なので、名もなき男たちは逆行しているらしい。そして、キャットはアヒムとベトナムへ向かう。ここからは名もなき男の部隊と、キャットの2つのシーンが交互に描かれるけど、適当にまとめて書いていく。

 

キャットの役割は名もなき男たちがアルゴリズムを回収するまでセイターが自殺しないように食止めること。この役割があるからキャットは殺せなかったのでしょうし、後に種明かしがあるけどこの任務を遂行している"今"の名もなき男はキャットの役割は知らなかったはずで、テロシーンでは多少の犠牲は仕方ない的な感じだったのに、キャットのみ救おうとするのはちょっとご都合主義的に感じるかな🤔 

 

まぁ、それは置いておいて、とりあえず殺したいほど憎む気持ちを抑えて、キャットはもう一度やり直したいと、あの手この手で頑張る。ベッドシーンはなしです。そういえばノーラン作品てあまりベッドシーンとかないかも?🤔 別にいいけど。

 

一方、名もなき男たちの部隊は、会議室的な所でアイブスから作戦の説明を受ける。どうやら時間の挟み撃ちをするらしい。よく理解できていないのだけど、要するに部隊を2つに分けて赤チームは順行、青チームは逆行してアルゴリズム奪還を狙う。ニールは青チーム、赤チームはホイーラーが隊長を務め、名もなき男とアイブスは別行動をする。

 

ということで、さらに3つの視点が加わり、4つの場面が同時進行することになる。初めこそ順行と逆行が分かりやすく、逆に歩いたりしているのだけど、もう途中から何がなにやら💦 例えば、一般的な突入作戦だと身を潜めていた部隊が、敵の隙をついて「今だ!」の号令で突入したりするけど、その敵の隙が見ている側に全然分からないタイミングで「今だ!」の声がかかり部隊が移動するのだけど、何故今なのか? そして何をしたのか?全く理解できない💦

 

でも、つまらないというわけではなく、めちゃめちゃおもしろい! 戦闘シーンというよりも戦闘ゲームを見ているような感覚で、役者さんたちがゲームのキャラに見える。そこを狙っているのかは分からないし、ゲーム全然詳しくないけど、なんとなく疑似体験している感じになって、バーチャルゲームのようで楽しかった。

 

名もなき男とアイブスはアルゴリズムが埋められていると思われる洞窟へ向かう。洞窟に入ると爆発が起き、退路を断たれてしまう。奥へと進むと、アルゴリズムはカギのかかった鉄格子の中で、その手前には部隊の兵士の遺体があった。彼はオレンジの紐のキーホルダーを付けている。セイターから指示を受けた部下がアルゴリズムを起動しようとしている。すると遺体が起き上がり、部下と格闘しカギを開ける。この人は逆行したっていうこと?🤔 名もなき男は部下を倒し、アルゴリズムに近づく。

 

一方、セイターと向き合っていたキャットにも時間が迫っていた。あの日、船を離れていた自分と息子が戻って来ており、セイターに対する嫌悪感も限界だった。キャットはセイターを撃ち海へ飛び込む。あの日、キャットが見たのは、未来の自分だった。

 

えーと💦 キャットが先にセイターを殺してしまいそうになりハラハラさせるけど、世界が滅亡していないので、名もなき男はキャットより先にアルゴリズムを回収できたのでしょう。とにかく、4つの視点が交互に映し出され、さらに順行、逆行入り乱れ、そして単独行動のニールも加わるから、全くついて行けない💦💦

 

逆行チームだったはずのニールがいつの間にか単独行動で順行していたのだけど、とにかく爆発寸前にニールがロープを垂らし、そのまま車を走らせると、ロープにつかまった名もなき男とアイブスが地上に出て来る。これは何で爆発したんだっけ? 重複するけど世界が滅亡していないから、アルゴリズムが爆発したわけではないらしい。

 

アイブスはアルゴリズムを3等分し、3人でそれぞれどこかに隠し、その後口を割らないように死のうと念押しして去って行く。え 死ぬの😲 

 

と、思っていると、ニールはまだ任務が残っているから行くと名もなき男に告げる。俺たちの友情は始まったばかりだと言う名もなき男に、これが俺たちの友情の終わりだと言うニール。名もなき男と共にどういうこと?と思っていると、背を向けたニールのリュックにはオレンジの紐のキーホルダーが付いていた。あの遺体はニールだった😲

 

去り行くニールに、お前を雇ったのは誰だと聞くと、未来のお前だと答える。なんと! この作戦の黒幕は名もなき男だったのだった!😲 そしてニールは去って行く。えーと、ニールはこれから逆行して、名もなき男とアイブスのためにカギを開けるためにあの場所に戻り、そしてセイターの部下に殺されるということだよね? それを承知で任務に向かうということ? カッコイイ! カッコイイよニール!😭😭😭

 

場面変わってマックスの学校の前で息子を待つキャット。彼女を車の中から銃で狙うプリヤ。すると後部座席から名もなき男が現れる。名もなき男がプリヤの車にどうやって入ったかは不明だけど、ここに居合わせたのは何かあったら居場所を録音するようにキャットに指示したから。これは名もなき男がキャットのメッセージを聞いて逆行してきたということ? でも、酸素マスクしてたっけ? 覚えていない😅

 

プリヤがキャットを殺そうとしたのは、彼女が多くを知り過ぎているからだと思うのだけど、その辺りの事はいいのかな? まぁ、散々な目にあったキャット自ら何か言うことはないだろうし、彼女がマックスとの世界を壊そうとは思わないだろうけれど、誰かが彼女を脅迫して聞き出そうとするかもしれないよね? と、ずーっとキャットを生かしておくのはおかしいと思っている感じになっちゃってるけど、何度も言うけど死んで欲しいわけじゃなくて、なんとなく無理やり感があるというか、しっくりこない感じがあるんだよね。何故そこまで名もなき男がキャットの幸せにこだわるのか🤔 

 

映画はキャットとマックスが去って行く後ろ姿で終わる。このラストにしたのは、名もなき男が守ったものは人々のささやな幸せであるということを象徴しているのだと思うし、これだけ大風呂敷広げた世界観の落としどころとしては、この感じで良かったのかなとは思う。まぁ、ニールとのあの感じで終わりでもいいと思うけれども。

 

そもそもの発端となった未来の科学者が誰なのか? 今回アルゴリズムを回収したことで未来がどうなるのか? 作戦の黒幕だった名もなき男は何故こんな回りくどい作戦を立てたのか? ニールはともかく、アイブスと名もなき男は秘密保持のためい本当に命を絶つのか? となると、作戦自体はどうなるのか? などなど謎だらけ🥴

 

なんだけど! そんなの全く関係ないくらいおもしろくて、見終わった時点でほとんど理解できていなかったけど、なんだかすごいものを見た感があった。そもそも、前述の疑問点も作中で語られていたのに理解できてなかっただけかもしれないし😅

 

キャストは皆良かった。アイブス素敵だなと思ってたら、まさかのアーロン・テイラー=ジョンソン。全く気付いてなくてビックリ💦 プリヤのディンプル・カパディアも敵か味方か分からない感じが良かったし、キャットのエリザベス・デビッキは190cmの長身で、クラシカルな高級スーツを着こなして素敵✨ アクションシーンもこなしヒロインを好演。正直、自分の中ではしっくりこなかったケネス・ブラナーのセイターだったけど、さすがの存在感ではあった。

 

名もなき男のジョン・デイヴィッド・ワシントンは初めて見たけど、とてもカッコよかった。デンゼル・ワシントンの息子と知ってビックリ😲 見事に作品を引っ張ったと思う。しかし、何といってもニールのロバート・パティンソンが良かった! 正直『トワイライト』シリーズ(感想はコチラコチラ)の役が好みでなく、どうも苦手意識があった。でも今作めっちゃいいです 頭が良くてアクションもこなすけど、主人公のサポートに徹するニールを、まさにそのままに出過ぎることなく存在感を示す。自分の運命を知りながら任務に向かう姿が最高にカッコイイ✨ ファンにはなってないけど、とても良い役者だと認識を新たにした。

 

ホイテ・ヴァン・ホイテマの映像が相変わらずカッコイイ✨ 特に逆行時の映像は、下手するとコミカルになってしまうけれど、スタイリッシュな感じにしているのがスゴイ。ずっと不安をあおる感じのルドヴィグ・ゴランソンの音楽も効果的。そして音響もスゴイ! おそらくこの辺りの技術部門はアカデミー賞取るのでは? まぁ、どんな形であれ開催されればの話ですが😅

 

ということで、せっかく公開初日に見に行ったのに書くのが遅くて1ヶ月以上経ってしまった💦 でも、まだ公開中だと思う。今更感満載だけど、とにかく絶対に映画館で見ることをオススメする!

 

『TENET テネット』公式サイト

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【cinema】『ブリング・ミー・ホーム 尋ね人』オンライン試写会

2020-09-22 14:32:37 | cinema

2020.09.11 『ブリング・ミー・ホーム 尋ね人』オンライン試写会

 

cocoでオンライン試写会に当選! いつもありがとうございます😃 この時期ホントにありがたい上、自分のタイミングで鑑賞でき、期間中な繰り返し見れるのもうれしいところ✨

 

 

ネタバレありです! 結末にも触れています!

 

「看護師のジョンヨンの当時7歳だった息子ユンスが6年前行方不明になった。教師だった夫ミョングクと2人で必死に捜索するが消息はつかめない。そんな中、ミョングクが事故で亡くなってしまう。打ちひしがれるジョンスに、ユンスによく似た少年がネブ島にいるという情報が入るが・・・」という話。行方不明の息子を探す話といのは知っていたけど、かなりの闇を見せられるので正直辛い。でも、14年ぶりの映画出演となるイ・ヨンエの演技が素晴らしく引き込まれて見てしまう。どんよりと不穏な空気が感じられる映像も良かった。

 

キム・スンウ監督作品。今作が長編デビュー作となるため、もちろん作品を見るのは初めて。監督1作目でイ・ヨンエ復帰作ってスゴイね😲 しかも脚本もご自身で書かれたのだそう。12年前にいつも通っていた場所に、子供を探しているという横断幕がかけられた、その光景やご両親の手の皺などが浮かび、家に帰ってからも辛く、脚本を書き上げたのだそう。そんなことがあったのね😢 作品のWikipediaはないので、興業成績などは分からない。公式サイトによると韓国映画ナンバーワンヒットとなったとのこと

 

今作、実はあまり説明的なセリフはなく、会話などから主人公の過去や現在の状況を推測する感じ。しかも、後につながるけれど2つ場面が交互に描かれる。大きな出来事も起きるけれど、全体的にジワジワと見せる感じなので、細かく描写しつまらないし、そもそもそんなに覚えていない💦 なので、細かくシーンごとに書くのではなく、適当に端折ったり要約したり、順番を変えたりします。毎度どうでもいいと思うけれど、断り書きとして書いておく😌

 

髪は乱れ、服にも顔にも泥がついている姿で呆然とした表情で歩く中年女性の姿がタイトルバックに映し出される。一体、彼女に何があったのか? この導入部から引き込まれた。

 

本編に入ると直ぐ、運び込まれた救急患者の処置に当たる看護師ジョンヨン(イ・ヨンエ)の姿が映し出される。このシーンは主人公が看護師であるという説明描写。主人公が看護師をしていることは、後のシーンで生かされる。

 

仕事を終えたジョンヨンは、夫のミョングク(パク・ヘジュン)とある家を訪ねる。どうやら6年前に7歳で行方不明になった息子ユンスのことを聞きに来たらしい。藁をもつかむ気持ちなのでしょうが結果は芳しくない。夫婦は自身も行方不明児童だったという行方不明家族捜索の会のスンヒョン(イ・ウォングン)に相談しながら、ユンスを探しているようだけれど、韓国では子供の行方不明は多いのかしら?

 

行方不明というからには探している人がいるわけで、迷子だけでなく誘拐などの可能性もある。身代金目当ての誘拐ではなく、人身売買目的ならば手がかりをつかむのは難しいかもしれない。今作でも少しそういう側面もあるけれど、世界的に問題となっている子供の人身売買目的の誘拐を描いているわけではない。

 

ミョングクは教師だったようだけれど、ユンスを探すためか今は無職らしい。車にユンスの写真と連絡先を貼り情報提供を呼び掛けている。帰宅するとジョンヨンはボンヤリとしていて、夕食の支度が出来ていない。夕食を買って来るというミョングクに、直ぐに作ると言うもののお米がない。買って来ると言い張るジョンヨンをミョングクは優しくなだめる。するとジョンヨンは泣き出してしまう。

 

どうやらジョンヨンは育児疲れだったようで、ユンスがいなくなればいいと思ったことがあると告白する。ミョングクはジョンヨンを責めることはなく優しく抱きしめる。必ずまた3人で暮らそうと言う😢 このシーンは直後の悲劇の振りであるとともに、家事や育児の比重が女性にかかり勝ちであること、そのことが女性に追いつめていることを伝えていて、ユンス捜索とは一見関係ないけれど。重要なシーンだと思ったし、監督の訴えたかったことの一つなのだと思う。

 

ミョングクは仕事も探しており、教師の仕事を得る。その帰り道、ユンスを見たとの情報がメッセージに入る。慌てて現地に急ぐ。しばし情報に沿って車を走らせる描写が続く。しかし、冗談だ本気にしたのかとあざ笑うメッセージに愕然としてしまい、そこにトラックが突っ込んできてミョングクは亡くなってしまう。ビックリ😲

 

この一連のメッセージを送ったのは小学生か中学生。まさか事故死してしまうと思わなかっただろうけれど、藁をもつかむ思いで生きている人にしていい仕打ちじゃない😡 警察に厳重注意されたというシーンが入るけれど、この辺りはSNSなどでのいたずらに警鐘を鳴らしているのかも?

 

一方、ネブ島の釣り場では2人の少年がこき使われていた。大柄の若い男が特にひどく、少年の1人であるミンスを蹴飛ばしたりしている。それをたしなめる中年男性も、少年を庇っているというよりは、面倒に巻き込まれたくないという感じ。ただ、度々ミンスがいじめられることに心を痛めているような描写があったので、この人物により事態が好転するのかと思いきや、まさかの展開にビックリすることになる。

 

ハッキリした説明はないのだけど、この釣り場は家族経営のようで、老夫婦とその娘もしくは息子家族が経営していて、中年男性と大柄の男は従業員。後に実はこの2人は前科者であることが分かる。少年2人は明らかに身寄りのない子たちで、誘拐ではなさそうだけど、不当な扱いを受けていることは間違いない様子。

 

釣り場の主人である老人は島の権力者のようで、警察のホン警長(ユ・ジェミョン)に賄賂を渡して便宜を図ってもらっているらしい。ホン警長は若い警官と組んでおり、この警官は理想に燃えているというほどではないけれど、まだ毒されてはいない様子。たまたま目にしたユンスの尋ね人広告を見て、釣り場で働くミンスによく似ていることに気づく。

 

ホン警長は面倒を起こすなと取り合わない。この時点でホン警長はいい人とは言い切れないけど、若い警官とのやり取りがコミカルでクスっと笑ったりしていた。でも、後にホン警長は本性を表す。一応、若い警官がミンスを調べると、ミンスにはユンスの特徴である耳の後ろの痣や、ヤケドの跡があるなど、とても怪しいながらも結局踏み込めずに終わる。

 

ミンスは粗末な小屋に監禁状態で、夜には大柄な男がやってきて性的虐待を受けている様子。もう一人の少年はそういう描写はないけれど、同じような目にあっていたのかもしれない。とにかく胸糞悪い😠

 

若い警官が深い追いできなかったのは、子どもが生まれたばかりなのだから自重しろとホン警長に言われたこともある。でも、子を持つ父だからこそ、ミンスと彼を探しているであろう両親を放っておけなかったのだと思う。若い警官はチラシに書かれていた連絡先に電話を掛ける。

 

丁度その時、ミョングクの葬儀では大泣きし、これからはジョンヨンの力になると言っていた義弟は、妻にそそのかされて兄の保険金から子供の学費を用立ててもらおうと、ジョンヨンを呼び出していた。ジョンヨンが席を立った後、ジョンヨンのスマホが鳴る。義弟が出ると若い警官からで、ユンスと思われる少年ミンスの情報だった。義弟はこれを利用することにする。これは嫁の入れ知恵だったような? 義弟は乗り気ではなかったけど、それは良心が咎めるというより、バレないかドキドキしている感じもしたけれど😅

 

義弟の計画はミンスの居場所を教える代わりに金を出せというもの。人を雇って身代金の受け渡しさながらのやり取りをする。義弟の計画であることは後から分かるので、ジョンヨンは騙されてしまうのではないかとスリリングなのだけど、結局は大金を失ったものの、情報自体は正しかった。なので義弟夫婦の存在ごといらない気もするけれど、身内さえ信用できないという主人公の不幸を強調したかったのかも? あとはやっぱりサスペンス要素かな?🤔

 

さて、いよいよジョンヨンがネブ島へ乗り込む。見ている側はボートハウスの人々が良い人でないことは分かっているけど、ジョンヨンには分からない。なので、いきなり子供を探していること、よく似た子供がここにいるとの情報があったと正攻法で行ってしまう。ミンスたちを虐待している釣り場の人々は当然ながら否定し、適当にあしらわれてしまう。

 

ジョンヨンは強い女性だけどスーパーヒロインではなく普通のおばさんなので、この人たちを怪しいと感じつつも、特殊能力で犯罪を見抜いたり、複数の曲者相手に丁丁発止を繰り広げられるわけでもない。なので、見ていてとってももどかしい。でも、うつろな表情で何かに突き動かされて必死な姿が、見ている者の胸を打つ。イ・ヨンエの演技がスゴイ

 

たしか、ジョンヨンは一度車で帰ろうとするのだけど、途中で車を止めてまだ釣り場に戻ったよね? 確かまだ明るいうちに髪の毛を結び直して臨戦態勢的な感じのシーンがあったと思うのだけど?🤔 そして、釣り場の人もまた戻って来た的なセリフがあったように思う。2度目はしつこいと追い返されるんだっけ? ミンスじゃない方の少年に会わせて納得させるのは1回目? 2回目? 去り際にジョンヨンが少年をハグしていたと思う。

 

ジョンヨンはその夜、ネブ島のホテルに泊まる。このネブ島の説明があまりなく、釣り場はあまり流行っている感じでもなかったけど、このホテルの部屋はスタイリッシュで意外だった。別にいいけど😅 一人の時間を過ごすジョンヨンは足の小指の爪から血が出ているのに気づく。これ副爪と字幕に書かれていたのだけど、見ている時には副爪の意味が分からず、ウチのプロジェクターの画質の限界かよく見えず、どういう状態なのか分からなかった😣💦

 

というのも実はユンスも副爪で、そしてこれが後に重要なカギとなるから。とはいえ、そのシーンもしかしたら自分の知識のなさと、さらにプロジェクターの画質問題で間違った理解をしているかも?🤔 調べたところ副爪というのは巻き爪の一種で、足の小指の爪の横にもう一つ爪が出来てしまう状態のことを言うらしい。遺伝するものなのか不明だけど、前述したとおりジョンヨンとユンスは副爪ということになっている。

 

ジョンヨンの副爪を見て、ミョングクがユンスもそうだったと話したことを思い出し、張り詰めていたものが切れたように号泣してしまう。そして、ジョンヨンは釣り場に戻る。釣り場に忍び込んだジョンヨンは少年が閉じ込められているのを発見する。ジョンヨンは、やはり釣り場の人々はユンスを隠していると確信する。

 

ちょっと記憶が曖昧な部分があるのだけど、2回目にジョンヨンが訪ねた時、ミンスは監禁されていたけれど、ジョンヨンがキム・ユンスという子供を探していること、それが自分なのではないかということを知ったんだよね? 虐待していた若い男から聞かされたんだっけ? 床にキム・ユンスと彫るシーンがあって、その文字をジョンヨンが発見するのはこの段階だったっけ? 曖昧な記憶😅

 

ここからは怒涛の展開なので、細かなことを忘れてしまったのだけど、重要なのはミンスが脱走したこと。この後のミンスの行動含めて、彼がどこまで考えて行動したのかは不明だけど、自分を探している人がいるというのは、彼に行動する勇気を与えたのでしょう。しかし、それが悲劇を生んでしまう😢

 

ジョンヨン含めて全員でミンスを探そう!となったわけではないけど、いろいろあって結果ミンスが桟橋に向かっていることが分かる。皆で追いかけると彼は桟橋の先まで行ってしまう。海が荒れていて危険な状況。ホン警長や釣り場の人々は悪い人たちだけど、ミンスに死んでほしいと思っているわけじゃない。だから、皆で戻って来るように言うけど、ミンスは動かない。そこで、ジョンヨンが進み出て、自分はミンスの母親であり、ずっとミンスを探していたと言う。ミンスが「お母さん?」と言うと同時に波にさらわれてしまう。なんてこと!

 

ジョンヨンは呆然として車の方へ歩いてく。すると彼女の頭を殴って気絶させた人物が。なんと唯一まともそうに見えた中年男性だった。ショック!😣 気が付くとジョンヨンは柱に拘束されており、傍には中年男性と若い大柄の男。確かここで彼らが元犯罪者だったことが分かったのだと思う。

 

理由は忘れたけど中年男性がいなくなり、大柄の男のみになる。彼はジョンヨンを襲おうとする。ジョンヨンはこれに乗る形で、巧みに拘束を解かせることに成功。もしもの時に忍ばせておいた注射器を男の首に突き立てる。これは勤務する病院から持ち出したもので、薬品の名前も映っていたと思うけれど覚えていない💦 なので一時的に動きを麻痺させるものなのか、命を奪うものなのかは不明。この後の展開から考えるとおそらく後者。

 

ここからは怒涛のアクションシーン。役者たちがどの程度自分で演じているのか不明だけど、ジョンヨンはホン警長に殴られたり蹴られたり投げられたりする。ホン警長は釣り場の娘? 嫁?と男女の関係にあるらしく、ジョンヨンは2人が一緒にいる所に踏み込み2人をやっつける。老夫婦は後に事情聴取されていたと思うので、ジョンヨンにやつっけられてはいないと思うけど、息子? 婿?はどうだったっけ🤔

 

とにかく、ジョンヨンはかなり暴れた。とはいえ、前述したとおりスーパーヒロインではないので、本人もかなり暴力を受けるし、アクションシーンとしてスタイリッシュではない。でも、だからこそ主人公の怒りと悲しみが伝わってきたし、見ている側はこの復讐を正当化してしまう。ホン警長を倒したジョンヨンが外に出ると、そこにいたのは中年男性。この人がラスボスで、確かやっつけたのだけど、どうやったのか忘れてしまった💦 少年のお手柄があったようにも思うのだけど、はて?🤔 

 

通報を受けたのか若い警官が釣り場に来たと思う。とにかく、老夫婦がしょんぼり警官に囲まれている画が浮かぶので、そうだったのでしょう😅 そして、そのシーンで少年がジョンヨンと一緒に行くと言う。

 

場面変わって海岸。この海岸かなり広い砂漠のような画が浮かぶのだけど、実際はどうだったかな?🤔 ミンスの遺体が見つかったらしい。ここが前述のシーンで、ミンスの左足の小指が映る。副爪がどういうものか知らなかったこともあり、自分はミンスの爪は普通の爪のように見えた。なので、ミンスはユンスではなかったのだと解釈した。ただ、副爪だったのだとしたら、この後のシーンの意味が違ってくる。

 

シーン変わって2年後。助手席にはあの少年。2人はどこかへ向かっており、少年は"兄"のことを話題にしている。また場面が変わって芝生の生えた庭のような場所。子どもたちが遊んでいる。そんな中、コチラに背を向けた少年に女性が何か話しかけている。彼の耳の後ろには痣がある。ユンスの特徴? 彼がゆっくりコチラを振り向くシーンで映画は終わる。

 

で、このシーン。前述どおり自分はミンスはユンスではないと思っていたので、この少年こそがユンスなのだと解釈し、希望の持てるラストだと思った。でももし、ミンスがユンスだったのだとしたら、ジョンヨンはユンスの死を受け入れられず、永遠にユンスを探し続けるというラストもあり得る。これどっちなんだろう🤔

 

あくまで個人的な意見だけど、子どもを探しているという横断幕を掲げたご両親の姿を見て、今作の脚本を書き上げた監督が、永遠に子供を探し続ける母親を描くことはない気がする。例えミンスが副爪だったとしても、ラストに振り向いた少年こそユンスだったのではないかな。さすがにDNA鑑定してると思うしね😅

 

そして、不幸な人生を生き命を落としたミンスは、ジョンヨンを母親と思ったまま逝けたということなのかなと。それが本当に幸せなのかは別として、自分が誰からも愛されない、必要とされていないと思ったまま亡くなるのは悲しすぎる😭 

 

役者たちは皆良かった。とにかく主人公と夫以外のほとんどがイヤな人なので、それぞれアクが強く見ていて嫌だけど、それだけ演技が上手いということ。釣り場の従業員の中年男性が唯一の良心と見せかけて、実はラスボスという感じがとても良かったのだけど、公式サイトに紹介がなく役者名が分からなくて残念😢

 

ホン警長のユ・ジェミョンが前半のいい人とは言い切れないけど憎めないコミカルな感じから、後半の最悪な人物っていうのも良かった。優しくて理解のある夫ミョングクのパク・へジュンも、亡くなった後も主人公を支える役どころとして印象を残す。

 

何といっても14年ぶりの映画出演となったイ・ヨンエが素晴らしい  ご自身も女優業を休んでいた間の子育ての経験が、どのように演技に現れるのか気になっていたと公式サイトに紹介されているけれど、スーパーヒロインではない普通の女性が、子どもに会いたいという一心で突き動かされている様子には鬼気迫るものを感じさせた。それは、やはりご自身が母親だからだと思う。この演技はスゴイ!

 

子どもの失踪や児童虐待など社会問題を描き、登場人物も嫌な人が多くて気分が重い。その感じを表すように終始どんよりとした映像。特に釣り場のさびれた感じが陰鬱で、閉塞感があって息が詰まる。前半はサスペンス調で、後半はアクションものになったりと、見ていて辛いのに目が離せなかった。

 

コロナ禍でなかなか劇場鑑賞をオススメしにくい😢 でも、母の愛情を感じる作品が好きな方はオススメ。イ・ヨンエ好きな方必見!

 

『ブリング・ミー・ホーム 尋ね人』公式サイト

 

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【cinema】『エジソンズ・ゲーム』

2020-07-06 00:54:13 | cinema

2020.06.19 『エジソンズ・ゲーム』鑑賞@TOHOシネマズ錦糸町オリナス

 

新型コロナウイルスによる緊急事態宣言を受けて映画館の閉館😢 解除に伴い映画館の規制も緩和されたけれど、なんとなく怖い気持ちもあり様子見してた。でも、19日からシネマイレージウィークということで、会員は1200円で鑑賞可能ということで、背中を押されて見に行ってきた

 

ネタバレありです! 結末にも触れています!

 

「19世紀アメリカ。白熱電球を商用化し有名になったトーマス・エジソンは、電気を普及させようと考えていた。同じ頃、実業家のジョージ・ウェスティングハウスも電気事業に乗り出す。直流を推すエジソンに対し、安価で遠くまで供給できる交流を推奨するウェスティングハウス。全米を巻き込んだ2人の対決が始まる」という感じかな🤔 さすがにエジソンのことは知っているし、相手のウェスティングハウスのことは良く知らなかったけど、二コラ・テスラと直流・交流で対決したというのは知っていた。なので、なかなか興味深く見ることが出来た。ただ、自分が思っていたエジソン像よりも、いい人よりになっていた印象。その辺りのことはWikipediaを読んで納得したので詳細は後ほど😌 どの程度脚色があるのか分からないし、やや詰め込み過ぎな気もするけれど、エンターテインメントとして面白く見た。

 

アルフォンソ・ゴメス=レフォン監督作品。アメリカのテレビシリーズ「glee/グリー」と「アメリカン・ホラー・ストーリー」の監督としての方が有名なのかな? 長く第二班監督をしていたようで、クレジットされている作品はほとんど見てた。監督作品としては3本目のようで、前作の『ぼくとアールと彼女のさよなら』を見てて、なかなか良かった印象。

 

今作について毎度のWikipediaから引用しようと思うのだけど、かなりの分量で性的暴行で逮捕されたハーヴェイ・ワインスタインの介入で作品がボロボロにされた経緯が書かれている。全てを抜粋することはできないので、ザックリと記載しておく😌 

 

エジソンズ・ゲーム』(The Current War)は2017年アメリカ合衆国伝記映画。監督はアルフォンソ・ゴメス=レホン、出演はベネディクト・カンバーバッチマイケル・シャノンなど。1880年代のアメリカで、電力の供給方法を巡って直流送電派のトーマス・エジソン交流送電派のジョージ・ウェスティングハウスが繰り広げていた電流戦争の様子を描いている。なお、日本で公開されるのはディレクターズ・カット版である

 

2012年3月3日、バザレフス・カンパニーがマイケル・ミトニックの脚本の映画化権を購入したとの報道があった。当初、ティムール・ベクマンベトフが監督を務める予定であったが、後に取りやめとなった2014年3月31日にはベン・スティラーに監督のオファーが出ていると報じられた2015年9月24日、ベネディクト・カンバーバッチにエジソン役の、ジェイク・ジレンホールにウェスティングハウス役のオファーが出ているとの報道があった。また、製作側がアルフォンソ・ゴメス=レホンを監督に起用する意向であるとの報道もあった2016年9月29日、出演交渉が不調に終わったジレンホールに代わって、マイケル・シャノンがウェスティングハウス役に起用された。10月4日、ニコラス・ホルトがニコラ・テスラ役に起用されたと報じられた

 

前述どおりここからかなりの分量で、ワインスタインに介入されてた経緯が記載されている。一部抜粋しておく。ポスト・プロダクション作業中にワインスタインから、数々の特にエジソンの人物描写に関する修正要求が出された。一癖も二癖もある人物として描かれていたエジソンが良い人になってしまう。さらに、ワインスタイン・カンパニーの重役たちが編集に参加し、まともに作業が出来なくなってしまう。

 

そんな中、ワインスタインは2017年9月に開催される第42回トロント国際映画祭で本作をプレミア上映を決断。上映に間に合わせるために編集作業を急ピッチで行った結果、ゴメス=レホン監督は1日に2時間しか眠れないという事態に陥り11キロも痩せてしまったのだそう。上映された作品の評価が芳しくなく、再編集を余儀なくされた。ワインスタインは自分の編集が間違っていたと謝罪したものの、さらに口出しをしてきたらしい。

 

その後、ワインスタインが性的暴行で告発されたことを受け、ワインスタイン・カンパニーは本作の権利を売却。2018年10月8日、ランターン・エンターテインメントが全世界配給権を獲得。監督は再編集を要求するも認められなかったが、マネージャーが「監督の同意なしに編集される場合は、製作総指揮のマーティン・スコセッシの同意が必要」という条項を活用することを進言。スコセッシと俳優たちの協力を得て再撮影などを行った。

 

ワインスタイン・カットに対する批評家からの評価は芳しいものではない。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには49件のレビューがあり、批評家支持率は29%、平均点は10点満点で4.73点となっている。ディレクターズ・カットに対する批評家の評価は平凡なものに留まっているが、ワインスタイン・カットより高く評価されている。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには88件のレビューがあり、批評家支持率は60%、平均点は10点満点で6.37点となっている。

 

ワインスタインは重役たちの中にもこんなに固執するのは珍しいというくらい、今作の修正に拘っていたようだけれど何が原因だったのかな? 結果として評価は平凡なものだとしても、ワインスタイン版の評価の方が低いわけだから、やっぱり修正は失敗だったということだよね? ワインスタインがプロデュースした作品はほとんど見ていて、好きな作品が多い。本人の人柄と作品は比例しないんだなと思っていたけど、今作の騒動からするとどうだったんだろう?🤔 

 

さて、本題! 今作、上記のように一度編集でズタズタにされてしまったためか、そもそもそういう感じだったのか分からないのだけど、かなり画面展開が早く、さらに手持ちカメラのような映像が多用されていたりと、結構ついて行くのが大変💦 なので落としているシーンがあるかも? 毎回、どうでもいいと思うけれど断り書きとして書いておく😌

 

雪原でカメラを構えるエジソンの姿から始まる。そこにつながる感じで、雪原を夜汽車が走っている。駅もない場所で電車が止まり、紳士淑女が降りて来る。雪の上に何重にも円を描くように電球が置かれている。そこに現れた男性の掛け声で電球に明かりが灯り、人々から歓声が上がる。この男性がトーマス・アルバ・エジソン(ベネディクト・カンバーバッチ)(Wikipedia)で、このシーンはエジソンが長時間点灯する電球を発明したということを表しているのかな? こういうシーンが多くて、ある程度知識がないと分かりずらい部分があったりする。

 

オープニング部分で実話ベースの創作であるという断り書きがあるので、この草原での発表会も創作なのかな? ちょっと仰々しい気もするけれど、この先展開されるエジソンとジョージ・ウェスティングハウス(マイケル・シャノン)(Wikipedia)との対決もどこかエンタメ的な描き方であるので、そういう意思表示でもあるのかも?

 

長時間点灯する白熱電灯を商業化したエジソンは、次に電気を送り出す事業へと乗り出す。名声は得たものの資金のないエジソンは、J・P・モルガン(マシュー・マクファディン)(Wikipedia)に資金提供を願い出る。モルガンは電気を武器に使いたいという大統領に会わせたりするけれど、人を殺すことには利用しないと仕事を断ったりする。この信念は後に大きな出来事に関連して来て興味深い。

 

小学生の頃、学校の図書室には偉人伝があり、その中にエジソンもあったけれど読んだことはなかった。なので、ザックリと蓄音機や電球を発明した人という理解で、後に映画などで例えば『ヒューゴの不思議は発明』に登場するジョルジュ・メリエスを騙すような形で興行収入などを支払わなかったとか、二コラ・テスラへの仕打ちとかを見るにつけ、エジソンは嫌な人物という印象があった。なので、当初はエジソンと協力したいと考えていたウェスティングハウスが、自宅に招待し駅のホームで待っているのに、列車を通過させるシーンなども、やっぱり嫌な奴なのねとニヤリ😏

 

エジソンは"直流"をウェスティングハウスは"交流"を採用、これを各州に売り込もうと考えていた。理系が全くの苦手なので、今作のテーマでもある直流と交流の違いがよく分からない💦 交流についてはウェスティグハウスが繰り返し、発電所を多く必要とする直流よりも安価で遠くまで電気を送ることが出来るというメリットを語るのだけど、直流については語られなかったような?🤔 エジソン側は交流は感電して人が死ぬ危険があるということを強調するだけで、どうにも見ている側に直流のメリットが分からず、エジソンが直流に拘る理由がウェスティングハウスへの対抗心のみに見えてしまうのは残念。

 

ウェスティングハウスとしては、エジソンが交流を採用してくれれば、彼の電球を使って電気を広めたいと考えていた。なので、食事に招いたという経緯がある。しかし、エジソンはあくまで直流に拘った。そこには、自分の名声をという面もあったとは思うのだけど、前述したとおりエジソンの拘りが伝わりにくく、単純なすれ違いにも感じてしまう。まぁ、単純なすれ違いでもよいのだけれど🤔

 

エジソンの協力が得られないウェスティングハウスは、別の電球を使わざるを得ない。エジソンにしてみれば自分のパクリ商品を使われたわけで怒り心頭! これによりウェスティングハウスとの全面対決に火が付いた部分があるように描かれている。それに対してウェステイングハウスは常に正しい道を行くという風に描かれるのだけど、演じているのがマイケル・シャノンなのでどうにも信用できない😅 

 

南北戦争時代に北軍兵士だったウェスティングハウスが、森の中で南軍兵士と遭遇し銃を突きつけられるシーンが繰り返し出て来る。最終的に言葉巧みに誘導したウェスティングハウスが南軍兵士の裏をかいて射殺するのだけど、これはウェスティングハウスも完全に正義の人ではないという描写なのかな? 後にウェスティングハウスは禁じ手を使ってしまう。

 

それぞれの家族についても触れておく。ウェスティングハウスは現在妻のマルグリート(キャサリン・ウォーターストン)と2人暮らし。といっても、広い屋敷に多くの使用人たちも一緒。2人の間にはジョージ・ウェステイングハウス三世という息子がいたようだけれど登場したかな?🤔 覚えがない。実際はどうだったのかは不明だけれど、マルグリートは聡明な女性でウェステイングハウスに助言したりしている。

 

一方、エジソンは妻メアリー(タペンス・ミドルトン)と3人の子どもたちと暮らしている。大富豪のウェステイングハウスに比べれば、こじんまりとつつましやかな暮らしだけれど、子供たちをかわいがり妻を愛している様子が伝わってくる。しかし、幸せは長くは続かず、メアリーが病気になってしまう。病名を言っていたと思うけれど忘れてしまった💦 目から悪くなる病気で、最終的には脳も侵されると医者が説明していた。病気の妻を残して資金繰りのためモルガンに会いに行かねばならず、モルガンと交渉している時に訃報が入る。実際はどうだったのかは不明だけど、映画ではメアリーを失ってから、エジソンが非情になっていくように描かれている。

 

エジソンとウェステイングハウス両方にとって重要な役割を果たす人物が現れる。オーストリア帝国(現クロアチア)出身の二コラ・テスラ(ニコラス・ホルト)(Wikipedia)がエジソンの会社に入社する。テスラはエジソンに憧れていたようだけれど、電流に関しては交流指示派だった。エジソンはテスラにある提案をして成果報酬として5万ドルを申し出る。テスラはエジソンが交流では人が死ぬ可能性があると新聞社に匂わせて書かせる場面で、彼に対して疑問を持ったりしつつも頑張るけれど、成果を出したのにあれは冗談だったと言われ退社する。この件はWikipediaにも書かれているので事実に沿っていると思われる。

 

テスラについては、その後いくつかのエピソードに分かれて登場するけれど、まとめて書いておく。エジソンの会社を退職後、教員になったりしている描写もあったように思うけれど、胡散臭い2人組に資金提供の代わりに株を売れ的なことを言われ、それがもとで後に特許を奪われることになったりする。このエピソードはワインスタインに苦しめられた経験から監督が着想を得て加えたとのことなので、実際にあったわけではないのかな?

 

テスラは後にウェスティングハウスに声を掛けられ、交流を使った発電機を作ってナイヤガラの滝の発電所に使用し、効率の高い電力輸送を実現させたらしい。この辺りのことは設計図などを使ってテスラ自身が説明したりするのだけど、そもそも理数系が壊滅的にダメなので全然理解出来ず。なので、彼が行ったことはWikipediaを参考に書いている😅 映画を見ただけで理解させられないのはダメなんじゃと思ったりもするけど、自分の知識や理解力がアレ過ぎるので、説明不足なのかどうかも分からない。すみません🙇

 

もう1人重要な人物がサミュエル・インサル(トム・ホランド)で、日本語のWikipediaがなく、英語版Wikipediaを翻訳かけてザックリ読んだところによると、今作で描かれていたようなエジソンの秘書ではなかったような?🤔 よく分からないけど、とにかく今作ではエジソンの秘書的な人物で、演じているのがトム・ホランドということもあり、エジソンに憧れている若者からなくてはならない人物になるという感じで描かれていた。

 

後半にも見せ場があるものの、インサルが一番エジソンに影響を与えたのは、ウェスティングハウスに勝つために交流の危険性を実際に見せるべきだと助言したこと。事実がどうだったのかは不明だけれど、今作では直流は不経済であると唱えるウェスティングハウスに対し、エジソンは交流は危険であると唱えていた。インサルはそれがどう危険なのか実際に見せるべきだと助言。確かにある程度知識がなければ、危険か危険じゃないかの判断は出来ない。

 

そもそもの理屈がサッパリ分からないのだけど、エジソンの主張としては交流は感電する恐れがあるということなのかな? それを説明するために記者を集めて、殺処分が決まっている馬を交流で殺して見せる。感電させるシーン自体は映らないけれど、電流を通す装置を付けられた馬が映る姿は見ていて辛い😢 動物実験のシーンはこの場面のみだけれど、後に各地で猫を殺したというセリフがあり、猫好きとしては悲しい😣

 

エジソンのネガティブキャンペーンが話題になる中、ウェスティングハウスの中心的技術者のフランクリン・ポープ(スタンリー・タウンゼント)が、開発中の事故で亡くなってしまう。これにより窮地に立たされたウェスティングハウスは、一度はJ・P・モルガンに会社を売却しようとするが思い直す。

 

フランクリン・ホープについては英語版Wikipediaを翻訳かけて読んでみたところ、1869年にエジソンと会社を設立したりしていたのね😲 でも、ウェステイングハウスのWikipediaにはホープが協力したという記載があるので、エジソンとは袂を分かったということなのかしらね?🤔 映画ではウェスティングハウスの工場で感電死したように描かれていたけど、実際は自宅の地下の研究室での事故だったらしい。

 

一方、エジソンは電気椅子の開発を依頼される。この人物が誰なのか名乗っていたりしたかな? ちょっと忘れてしまった💦 この人物の主張としては、現在行われている死刑は絞首刑で、死に至るまでに時間がかかり死刑囚を苦しめることになる。エジソンの実験では馬の死は安らかだったので、この技術を電気椅子に生かしたいというのだった。そういえばエジソンが電気椅子の開発に関わっていたと聞いたことがあったような🤔とか思っていると、最初は人を殺す道具は作らないとこれを断る。

 

しかし、資金繰りに困ったエジソンは、自分の名前は出さないこと、作業工程を指示した手紙は必ず燃やすことを条件にこれを受ける。しかし、手紙が燃やされることはなかった。燃やさなかった理由は語られたっけ? 例えば後にエジソンをゆすろうと思って取っておいたのか、単純に完成まで取っておこうと思ったのかは不明。この手紙が重要なカギとなるのだけど、これは創作なのかな?

 

会社を立て直すと誓ったウェスティングハウスは汚い方法を使う。電気椅子の作り方を指南したエジソンの手紙を盗ませたのだった。これがきっかけで、エジソンは裁判の証人として出廷することになる。この裁判が何の裁判だかよく分からなかったのだけど、電気椅子を死刑執行に用いるかどうかの裁判ということなのかな?

 

この裁判には電気椅子による処刑の第一号となったウィリアム・ケムラー(コナー・マクニール)も出廷していたので、彼の死刑執行をどういう方法でするかの裁判? そんな裁判あるのか?🤔 ケムラーのWikipediaによると、電気椅子での処刑が残忍であると抗議があり、ウェステイングハウスが支持するも、エジソンが政府側を支持していたため抗議が認められなかったとあるので、この辺りの事を描いているのかも。

 

手紙の存在が明るみとなり、エジソンが窮地に陥るのかと思ったら、意外にも裁判が進むにつれて人気が出て、傍聴した群衆に囲まれてサイン攻めにあう場面も。その際、ケムラーの背中を机代わりにするシーンもあり印象的だけど、これも創作なのかな?🤔

 

とはいえ、直流交流論争でエジソンが優位になったというわけではない。エジソン vs ウェスティングハウスの争いは、シカゴ万博でどちらが採用されるかで雌雄を決する運びとなる。両者のプレゼンを受けて運営委員会?が決定する。しかし、エジソンは直前にモルガンから解雇されてしまう。

 

万事休すと思われたが、エジソンはずっとそばにいて、自分と同じくらい詳しいインサルにプレゼンを託すことにする。実際のインサルがどうだったのか不明だけど、演じるトム・ホランドゆえの少年っぽさに委員会が驚くセリフがあり、調子よく話していたものの、質問に即座に答えられない場面で終了。一方のウェスティングハウスは自信に満ち、多くを語らず一点のみ(内容は失念💦)を強調。これはウェスティングハウスが一枚上手。

 

結局、シカゴ万博で採用されたのはウェスティングハウスの交流。万博を彩る電燈に満足げな様子を見せるのも束の間、ウェスティングハウスはケムラーの刑場にいた。初めて人間に使われる電気椅子。これは本当に万博開催時期に行われたのかな? 言い方は悪いけれど電気椅子を知らしめるには最大の見せ場であることは間違いない。

 

処刑自体は詳しく見せないけれど、インサル(だったかな?)が新聞を読み上げる形で結果が語られる。詳細は避けるけれど、安らかな死とは程遠い悲惨な状況だったらしい。これにより、エジソンは二重にウェステイングハウスに敗北する形になった。

 

ウェステイングハウスのことは知らなかったし、エジソンを演じているのがベネディクト・カンバーバッチなので、嫌な奴だと知っていても、どうしても肩入れして見てしまっていたけど、これは事実なので仕方がない。

 

シカゴ万博の会場。豪華な室内で中国人?の老女が習字のパフォーマンスをしている。ウェスティングハウスが眺めていると、隣に立つ人物が。エジソンだった。戦いを終えた2人は、勝ち誇ることも言い訳することもないが、ウェスティングハウスが君と組みたかったと言うと、エジソンは電球発明の過程を語る。数分しか灯らなかった電球が、数十分、数時間、数十時間持つようになった時の仲間の喜び。それを簡単に手放すことはできなかったということなのでしょう。エジソン本人の気持ちは不明だけど、映画としてはこれでよいのではないかな。2人は静かに別れる。

 

その後、ウェスティングハウスは二コラ・テスラと組み、テスラはナイヤガラの滝を利用した発電所を造ったこと、しかし天才肌のテスラは借金を抱え、ホテルで孤独に亡くなったことが映像と共に字幕で語られる。ウェスティングハウスについても語られていたけど失念💦 マイケル・シャノンは好演していたし、悪役側的に描かれているとはいえ、良い人なのにこの人物に興味が持てなかったのは何故だろう🤔

 

さて、映画はエジソンがその後、映画の世界へ進んだとクレジットされ、冒頭の雪原で三脚の上のカメラを除くエジソンの姿で終わる。真っ白な映像から始まり、真っ白な映像で終わるのは良かったと思う。そもそも事実を基にしたフィクションだと断っているので、その前後にこの映像が入ったことで、その間のもろもろが夢の中の出来事のように感じられた。

 

キャストは結構豪華。でも、なんとなく生かし切れていない気がしなくもない。インサルのトム・ホランドはエジソンを崇拝する純真さは感じたし、彼の存在がエジソンだけでなく、見ている側も救いにもなっているけど、トム・ホランドがそんなに知的な感じには思えず🤔 ごめん🙇 テスラのニコラス・ホルトは今作を見た理由の一つでもあったので、個人的には満足。天才なのに報われない役はニコラス・ホルトに合っているし、テスラは美男子で有名だったそうなので、そういう意味でもピッタリだと思う。

 

ウェスティングハウス役にマイケル・シャノンというのは面白いキャスティングだったと思う。ウェスティングハウスのことは知らなかったけれど、どうやら良い雇用者であったらしい。でも、ビジネスは良い人というだけではできない部分もある。その辺り悪役を演じることが多いマイケル・シャノンが演じることで、どこか信じきれない感じがして良かった。ホメてます。

 

お目当てのベネディクト・カンバーバッチ。見方によれば嫌な人物のクセがあるけど繊細な天才は「SHERLOCK」はじめ、数多く演じて来た。ワインスタインにより"いい人"に変更されたエジソン像を、どの程度軌道修正出来たのか不明だけど、個人的にはもっとトリッキーで嫌な人物なのかと思っていたので、家庭的な一面なども描かれていて、どこか憎めない人物になっていたのは演出はもちろん、カンバーバッチの切なさにあるのかなと思う。ホメてます。

 

前述したとおり、最初に事実をもとにした創作だと断り書きがあるので、脚色はもちろん創作した部分があるわけで、なので偉人の伝記ものというよりも、エンターテインメントとして楽しむべきなのかなと思う。その上で、知識のある人はここは史実通り、ここは創作部分などという見方もできるのかなと思う。エンターテインメントとしては、全体的にやや映像や内容含めてダークな感じもするけれど、個人的には楽しめた。

 

原題は『The Current War』で、Currentというのは電流という意味。まぁ、配給会社としてはエジソンを前面に押し出したい気持ちは分かるので、邦題は仕方がないかなと思うけれど、そもそもの製作側としては描きたかったのは直流交流の戦いってことなのでしょう。なのでエジソンメインでは描かれてはいなくて、ウェステイングハウスを知らなかった自分は単純に楽しめた。

 

ということで、エジソン個人よりも"電流戦争"に興味のある人の方が楽しめるかも🤔 カンバーバッチ好きな方是非!

 

『エジソンズ・ゲーム』公式サイト

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【cinema】『ルース・エドガー』(オンライン試写)

2020-06-08 23:16:39 | cinema

2020.05.04 『ルース・エドガー』オンライン試写

 

新型コロナウィルスによる緊急事態宣言を受け映画館は閉館。試写会も軒並み中止で当然ながら募集も行っていなかった。そんな中、映画サイトcocoでオンライン試写会の募集が! そして当選✨ 

 

ネタバレありです! 結末にも触れています!

 

「スポーツ万能で頭脳明晰、スピーチも得意な優等生ルース・エドガー。ある日、養母のエイミーは歴史教師のハリエットから呼び出される。ルースが提出した課題のレポートに危険思想が含まれているというのだった。ルースには壮絶な過去があり・・・」という感じの話。予備知識を全く入れずに鑑賞したので、ルースという名前から女性は主人公だと思っていたので、ポスターからオクタビア・スペンサーもしくはナオミ・ワッツが主役だと思っていた。実はルースというのはアフリカ系男子高校生の名前であり、その由来やそう名付けられた経緯も重要な意味があった。人種問題、性差別、社会問題など様々な問題を扱っていて、見ている側にも問いかけて来る社会派作品でありながら、サスペンスでもあり見ていてズッシリ重くなり過ぎず、飽きずに見ることが出来る。とても考えさせられる良い作品だった。

 

ナイジェリアにルーツを持つジュリアス・オナーが監督・製作・脚本を務めた。スパイクリー総指揮のスリラー作品で長編デビューしたそうだけれど、まだ監督作品としては多くないのかな? Netfilxの『クローバーフィールド・パラドックス』が代表作っぽいけど、Neflix入れてないから見れていない😢

 

作品についてWikipediaから引用しておく😌 『ルース・エドガー』(原題:Luce)は2019年アメリカ合衆国で公開されたドラマ映画である。監督はジュリアス・オナー、主演はケルヴィン・ハリソン・Jrが務めた。本作はJ・C・リーの戯曲『Luce』を原作ととしている。

 

2017年11月9日、ナオミ・ワッツ、オクタヴィア・スペンサー、ケルヴィン・ハリソン・Jr、ティム・ロスがジュリアス・オナー監督の新作映画に出演するとの報道があった。12月12日、ブライアン・ブラッドリーがキャスト入りした

 

2019年1月27日、本作はサンダンス映画祭でプレミア上映された。30日、ネオンとトピック・スタジオズが本作の全米配給権を獲得したと報じられた。6月4日、本作のオフィシャル・トレイラーが公開された。2019年8月2日、本作は全米5館で限定公開され、公開初週末に13万2987ドル(1館当たり2万6597ドル)を稼ぎ出し、週末興行収入ランキング初登場20位となった

 

本作は批評家から絶賛されている。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには76件のレビューがあり、批評家支持率は92%、平均点は10点満点で7.95点となっている。また、Metacriticには27件のレビューがあり、加重平均値は73/100となっている。とのこと😌

 

アフリカ系の青年ルース・エドガー(ケルヴィン・ハリソン.Jr)が壇上でスピーチしている。内容自体は真面目なものだけれど、時々笑いも交えて人を引き込むスピーチ。養父母のピーター(ティム・ロス)とエイミー(ナオミ・ワッツ)はうれしさを隠せない。しかしアフリカ系の歴史教師ハリエット・ウィルソン(オクタヴィア・スペンサー)は複雑な表情。

 

アフターパーティーでも養父母に対してルースをホメる発言をするものの、何故か表情は渋めで心からの賛辞とは言えない感じ。冒頭から何かあると思わせる。ハリエットの態度に不信感を覚えるけど、ルースの絵にかいたような優等生ぶりにもあざとさを感じる。そして、おそらくそれは狙い。

 

帰りの車の中で、ルースはハリエットの悪口を言う。具体的なセリフは忘れてしまったけれど、ピーターも同調して中年女性を揶揄するような内容に発展。さすがにエイミーは同意することはないし、どちらかと言えばふざけてエスカレートしていく2人を諫めるような部分はあるけれど、ハッキリと否定する感じでもなく、女性としては見ていて嫌な気持ちになる。おそらくこれも狙い。

 

文章だと分かりにくいけど、ナオミ・ワッツとティム・ロスが演じているのだから養父母は白人。ルースの出自については後にある程度説明があるけど、このシーンで両親であると紹介された時点で、彼らとルースの関係が養子縁組であることが分かる。そして、おそらくこの人種間のことを描きたいのだなと思いながら見ている。

 

順番が入り繰るけど先にまとめて書いておく。ピーターとエイミーは再婚らしい。エイミーに結婚歴があったのか不明だけど、ピーターには前妻がいる。前妻も再婚したらしく出産し、ピーターとエイミーがお祝いパーティーに出席するシーンがある。2人が車に乗るシーンで何度か赤ちゃん用のベビーシート?が映されたので、2人は子供を亡くしたか流産してしまったのかもしれない。その辺り語られたかもしれないけれど覚えていない。

 

子どもを望んでいたのにできなかった、もしくは失ってしまったのだとしたら前妻の出産パーティーへの招待は無神経だし、エイミーを連れて出席するピーターもどうかと思う。この辺りの夫婦の感じも描きたい部分だったりするのかも🤔

 

ちなみにエイミーは小児科医。この設定が特別生かされていたようにも思わなかったけれど、エイミーのみハッキリわかる形で職業を提示したことは何かしらの意図があるのでしょう。事実、エドガー家は比較的余裕のある暮らしをしている様子。

 

ルースにつていも触れておく。アフリカのエリトリア(Wikipedia)出身。紛争が続きルースも少年兵として戦っていた。壮絶な体験からなかなか心を開かなかったとエイミーが語るシーンがある。エイミーの語り口にはルースを心配するものであり、特に自分たちの苦労自慢をしているようではないし、今はこんなに立派になったという前振りであるとは思うけれど、本人の前で言うのはどうなのだろう。

 

おそらく、この会話はルースについて聞かれるたびに繰り返されてきたのだと思う。なんとなく会話のパターンのようなものを感じた。このシーンを見ている時には何か引っかかるものがを感じたくらいだったのだけど、最後まで見終わって作品を通して言いたいことが分かると、この会話自体がとても示唆的であったことが分かる。

 

さて、それぞれ順番が入り繰るけれど、エドガー一家とハリエット以外に重要な人物が3人いるのでまとめて書いておく😌 1人はクラスメイトのアフリカ系の男子高生デショーン(アストロ)で、ハリエットに勝手にロッカーを開けれてマリファナを見つけられたことにより、スポーツ奨学金を失い部活を止めてしまった。その事が原因なのかもともとそうなのかは不明だけど、授業などもなげやりな態度でハリエットにも反抗的。本人が悪いとはいえハリエットのやり方も正しいと言い切れないのは事実で、その辺り不満に思う気持ちも分からなくもない。

 

もう1人はハリエットの妹ローズマリー(マーシャ・ステファニー・ブレイク)で、精神的に問題を抱えているらしく、普段は施設のような所にいるのかな? ハリエットが迎えに行っていたので、そう思ったのだけど違ったかな? この人物は後にちょっとした騒動を起こす。この騒動がなくてもローズマリーがハリエットにとって、微妙な存在なのは分かるけれど、それによりハリエットの立場が悪くなるという効果はあったのかな🤔

 

最後の1人がとても重要な役割を果たす。こちらもクラスメイトのステファニー・キム(アンドレア・バング)で、名前からも分かる通りアジア系。どうやらルースの元恋人らしく、ルースの方はそれほどでもないようだけれど、ステファニーの方はルースに未練たっぷりの様子。後にエイミーは彼女から衝撃的な話を聞き、さらにルースとの衝撃的な場面を目撃することになる。そして、ある出来事に重要な役割を果たす。

 

さて、話を戻す。スピーチの翌日、エイミーはハリエットに呼び出される。歴史上の人物になり切ってレポートを書くという課題を出したところ、ルースが選んだのはフランツ・ファノンという人物だった。この人物について知らなかったので、Wikipediaで調べてみたところ、植民地主義を批判し、アルジェリア独立運動で指導的役割を果たした思想家精神科医革命家。とのこと。Wikipediaでは特に危険人物ようには書かれていないけれど、コトバンクによると、植民地支配という暴力に対して、暴力のみが人間を解放する手段であることを主張したらしい。なるほど。とにかく、ハリエットとしてはファノンを取り上げたことは危険思想であると考えているらしい。

 

エイミーはルースの生い立ちは辛いものだったけれど、現在は危険な兆候はないと言うが、ハリエットはルースのロッカーを調べたところ、中から危険な花火が見つかったと言う。この花火はこの後、エドガー家に大きな影を落とす存在となり、後に事件を起こす。ただ、この時点では見ている側としては花火が何故そんなに問題なのかピンとこない。勝手にロッカーを開けたことを抗議するも、ハリエットは家庭でよく話し合うようにと花火の入った紙袋と、ルースのレポートを手渡す。

 

家に帰りピーターに事情を説明すると、ピーターはそんなに重く捉えていないようで、ルースに聞いてみようと言う。でも、ようやくルースとの関係が築けたと考えているエイミーは波風立てたくないからと、レポートをキッチンの棚に、花火をリビングの棚に隠してしまう。このエイミーの対応が正しいとは思わないけど、ルースとのこれまでの道のりがそれほど大変だったのだろうとは思った。

 

ピーターの反応も見ている側をイラっとさせるものがあり、おそらくこれはいわゆる子育ての大部分をエイミーが担ったという描写なのかなと思った。ピーターも全く関わっていないわけではないと思うけど、物理的にも精神的にも比重が圧倒的に違うのかなと思う。ピーターはどこか他人事というか無責任な感じがした。そして、それはたぶん狙い。

 

タイミングやきっかけは忘れてしまったけれど、ピーターとルースがキッチンで話をして、その流れでルースが棚を開けてレポートを見つけてしまう。ピーターがどんな対応をしたのか全く覚えていないのだけど、レポートが返却されたこと、そしてその理由についてルースは理解していた。その後、自室に戻ったルースはSNSでハリエットについて調べ、ローズマリーの存在を知る。ちょっと不気味😱

 

こちらも、どのタイミングで差し込まれたのか忘れてしまったけれど、ルースがエイミーが隠した花火を見つけるシーンがある。これはピーターとエイミーと3人で話している流れで、エイミーが何かを隠す時はいつもここだと言いながら見つけるため、3人にとっては笑える場面という感じになっている。でも、見ている側には何か不審なものが残る。

 

翌日の放課後、ルースはハリエットに呼び出される。レポートの件の意図についてハリエットがたずねると、あれはファノンの思想だと言う。確かに課題はテーマとなる人物になり切ってレポートを書くというものだから、ファノンのレポートとして書かれた内容はルースが理解したファノンの思想ということになる。そして見ている側としてはハリエットがルースのレポートの"何に"危険思想を感じたのか分からない。ファノンを選んだこと自体が危険だと思ったのか、レポートがファノンの思想だとして、それを"理解"できたことが危険なのか。おそらく"理解出来たもの"として書いてしまう感覚が危険なのかなと思うのだけど違うかな?🤔

 

ルースの口調はふざけているようでもあるし、軽くハリエットをからかっているようにも見えるけれど、どこか本心を隠しているような、ファノンを選んだことから危険思想の持ち主であると思われることまで計算しているようにも見える。そういう部分を感じているのか、ハリエットはルースに恐怖を感じたらしく、ピーターに連絡する。

 

ピーターはエイミーにハリエットから連絡があったことを話す。エイミーはハリエットに不信感を持ち、真実を言わないことは嘘とは違うと言う。ピーターはそれに同意せずルースを呼び出す。ルースはハリエットを脅したつもりはないし、花火はロッカーを共有している友人の物だと主張。ピーターはルースの言葉に納得できないものを感じ語気を強める。エイミーが取りなすと、ルースは努力はしているが皆が求めるような完璧な人間にはなれないと言う。この時点で、見ている側にはルースの本質は分かっていないけれど、この言葉は真実なのかなと思う。そして、それが彼を苦しめているのであろうことも分かる。

 

ハリエットはローズマリーを連れてスーパーに買い物に行く。ふと目を離すとローズマリーがいなくなっており、慌てて探すとルースと立ち話していた。偶然なのか意図的なのか見ている側も少し恐怖を感じる😱 ルースはローズマリーの心をつかんだようで、今度スピーチの公開練習をするから見に来ないかと誘う。ローズマリーは喜び、ハリエットは不審に思いながらも認める。ルースの狙いは何なのか? 見ている側も得体の知れなさをじんわりと感じる。

 

一方、エイミーはステファニーと会っていた。これ、エイミーが呼び出したんだっけ? ルースがエイミーにステファニーが何か酷い目に遭った的なことを話していたような気がするので、それで彼女に話を聞くことにしたような?🤔 とにかく、このステファニーからデショーンの件と、ステファニー本人について衝撃的な話を聞く。あるパーティーで皆でドラッグをやっており、最初はふざけてステファニーが男子生徒たちの膝の上に座らされていた。そのうちエスカレートして行き、彼女は男子生徒たちから体を触られたというのだった。ハッキリと集団でレイプされたと言っていなかったように思うけれど、いわゆる性行為を強要されていなくても、女性にとって十分辛く恐怖体験であることは間違いない。

 

ルースはその行為には加わっていなかったと思う。この件がどの程度学校に広まったのか言及していたか忘れてしまったし、ハリエットがそのことを知っていたのかも曖昧になってしまったけれど、とにかくハリエットがステファニーについて自分を押し殺すところがあり、それがアジア人女性のステレオタイプ的なものにしてしまっていると皆の前で言うシーがあった。ルースはこのことと、デショーンのことでハリエットに恨みのような感情を持っているらしい。

 

翌日、ルースは校長やハリエットを含む教師や生徒たちの前でスピーチの練習をする。ローズマリーの姿もありとても感銘を受けた様子。校長もご満悦だけどハリエットは渋い表情。ルースはハリエットに意見を求めると、ホメながらもアドバイスをする。教えを乞うという下手に出ながら、どこかハリエットのボロを出そうとしているように感じる態度。あざとい。

 

別の日だったのかな? 授業中ハリエットは校長から緊急に呼び出される。向かったのは学校の入り口で、ローズマリーがハリエットに対する暴言を吐きながら泣き叫んでいた。その様子は明らかに情緒不安定で、ハリエットが必死になだめようとすると興奮して全裸になってしまう。生徒たちはスマホでその様子を撮影している。ルースもその場にいる。駆けつけた警官は、乱暴に扱わないで欲しいというハリエットの願いも聞かず、スタンガンを使ってローズマリーを失神させ運んで行く。体を隠してほしいという言葉もむなしく届かない。

 

警官のローズマリーの扱いは、彼女が白人女性だったらもう少し違ったのだろうか? 個人的にはとても事務的な対応に感じて、そこに心がないとは思ったけれど、それが黒人女性だったからかは分からない。ただ、ハリエットの願いは全く届かなかったのは事実で、おそらくハリエットはそれが黒人だからだろうと思っているのだと思う。映画の中でハリエットが特に厳しく対応していたのがルース、デショーン、そしてステファニーで、それぞれ非白人というのがそこにつながって来る。

 

この騒動は生徒たちによりネット上にアップされてしまう。ルースがその動画をエイミーとピーターに見せて、ハリエットに対して同情的なことを言うけれど、見ている側はなんとなく心がこもっていないように感じてしまう。ルースはやはり優等生を演じているのではないか。

 

この騒動はハリエットにとって辛いことだっただろうし、立場を悪くはしたと思うけれど、それで職を失うなどの直接的な打撃を与えたわけではない。でも、ハリエットの抱えている問題を描くことで、彼女の思考を際立たせているということなのかな🤔 ルースがローズマリーに何かを吹き込んで騒動を起こしたという線も考えられるけれど、この件に関してはそこまでの示唆はなかったように思う。でも、見ている側としては少しよぎる。その辺りが絶妙だった。

 

そんな中、ハリエットの家に彼女を侮辱する落書きがされてしまう。この件は結局誰が犯人だったのか不明なまま終わる。デショーンかもしれないし、ローズマリーかもしれないし、ハリエットが疑ったようにルースかもしれない。もしかしたら全く別の誰かかも? 結構、こういう放りっぱなしというか、あえて解明しないまま終わるエピソードが多い。そういうのがダメと感じる人もいるかも? 個人的にはイヤではなかったけど、もう少し明らかにしてくれても良かったのではと思う部分もあった。

 

そんな中、ステファニーがハリエットの家を訪ねて来る。ルースの事で話がしたいとのこと。ここで場面が切り替わってしまうので、ステファニーがハリエットに具体的にどんな話をしたのかは見ている側には明かされない。後にハリエットが話すシーンがあるけれど、その内容の真偽だけでなく、本当にステファニーが話したのかどうかも謎のまま。これはあえてしていることで、見ている側に問題を投げかけているのかなと思う。個人的にはハリエットは嘘をついていないように感じた。

 

翌日、ハリエットは校長にルースに家に落書きされたこと、問題行動が多いことを訴える。校長は優等生のルースがそんなことをするわけがないと取り合わない。すると、ハリエットはルースに暴力を受けたという証言があると言う。校長は渋々ながらピーターに連絡し学校に来てくれるように言う。ピーターは学校側の態度に激怒するけれど、仕方なく従う。

 

学校にやって来たピーターとエイミーを校長が迎えるけれど、かなり腰が低い。ピーターとエイミーは大口寄付とかしているのかな? この校長は悪い人ではないと思うけれど、ハリエットとは逆の意味で人にレッテル貼りをする人として登場しているのかなと思う。ルースには学校と自分のために優等生であって欲しいというような。

 

応接室のような場所で対峙するピーター、エイミー、校長、そしてハリエット。気まずい空気が流れる中、ルースが入って来る。明るく対応するルースの態度はまさに非の打ち所がなく、逆に見ている側には演技に見えたりもする。ちょっとあざとい。この辺りの脚本、演出、そしてケルヴィン・ハリソン.Jrの演技が素晴らしい。

 

ハリエットがルースとの間に気まずい空気が流れているため、問題を解決したいという主旨のことを語り出す。ルースは今はいろいろ忙しくて余裕をなくしているため、ハリエットに対して失礼な態度を取ったならば謝ると言う。するとハリエットは家に落書きされたことを話し、昨夜どこにいたのかルースに質問する。息子を犯人呼ばわりするならば弁護士を同席させると激怒するピーター。

 

面倒を避けたい校長はルースに話してくれるよう促すと、最初は躊躇していたルースが友人の家で数人の友人たちとタバコ? マリファナ? を吸っている動画を見せる。そこにはステファニーも映っており、ハリエットの顔色が変わる。校長に大目に見るように言われたハリエットは慌てて席を立つ。証言を約束したステファニーは姿を消していた。

 

この動画ってハッキリと証拠になるような時間って入ってたっけ? これじゃ証拠にならないんじゃと思った気がするのだけど?🤔

 

話を戻す! 席に戻ったハリエットは動揺を隠せない。ルースは違法な花火を所持していたと言い立てるも、あれはロッカーをシェアしていた友人のもので、以後はロッカーをシェアしないようにすると言う。この時のルースの態度も絶妙で、見ている側もルースを信じ派、疑う派と別れるのかなと思う。個人的には疑う派だった。

 

校長が花火がどこにあるのかたずねると、ハリエットはエイミーに渡したと言う。するとエイミーはそんは花火は知らないと言う。驚いてエイミーを見るピーター。見ている側もビックリ!😲 しかし、なんとピーターもエイミーに同調してしまう。そして、エイミーが嘘をついていることを知っているのに何も言わないルース。養父母の気持ちを汲んだという見方も出来るけれど、間違っていることを正さないのは優等生とは言えないのでは?

 

当然ながらハリエットは反論するけれど、面倒なことはさっさと終わらせたい校長は聞く耳を持たない。強引に会合を終わらせてしまう。出て行く際にハリエットに優等生的に挨拶するルース。うーん🤔

 

その後、ハリエットの机の上で花火が爆発、あわや火事というような状況となり、翌日には警察もやって来る。ハリエットは校長に呼び出され解雇を告げられてしまう。ハリエットは花火はルースの仕業だと言うけれど、校長は聞く耳を持たない。この校長もハリエットの自作自演とまでは思っていなかったようだけれど、要するに面倒なことは避けたいということなのかなと思った。

 

見ている側としては、エイミーが隠した花火をルースが見つけたことを知っているわけだし、ステファニーの件と考え合わせるとハリエットは嵌められたのだと思うのだけれど、おそらくこの校長はその辺り分かっていてもハリエットをクビにしてしまったのではないかと思う。ハリエットは仕事熱心であったのだとは思うけれど、やり過ぎだと感じる人もいる。間違っていないからといって、全てが正しいわけでもない。とはいえ、校長を擁護しているわけでは全くない。

 

ピーターは花火はルースがやったのではないかと疑う。エイミーが嘘をついてルースを庇ったことも良く思ってはいない。でも、エイミーに家族の側に立って欲しいと言われ従ってしまう。家族の側に立つってどういうことだろう? 偽証することなのだろうか?🤔 あの時、咄嗟に嘘をついたということは、ルースにとって不利であると思ったからで、突き詰めて考えればルースを疑っているということになるのでは?

 

ルースは花束を持ってハリエット宅を訪ねて来る。ハリエットは追い返そうとするけれど、ルースは勝手に家に入って来る。出て行くように声を荒げるハリエットに、ルースは彼女がデショーンの将来を奪ったと言い、自分たちを型にはめようとしていると責める。この時、確か優等生であるルースを守るためデショーンを切った的なことを言っていたような?🤔 憤るルースにハリエットは、それがアメリカなのだと言う。優等生な黒人でなければアメリカ社会は受け入れないという。だから不良分子であるデショーンを切ったということ。

 

うーん。黒人差別に関しては非常に長く複雑な歴史があって、それこそ奴隷だった時代から、公民権運動を経てもまだまだ根深いものがあるのは理解している。だからこそハリエットが模範的な黒人を世に送り出し、黒人の立場を高めようと考えるのも分かる。そして、マリファナを所持していたことはデショーンに否があるし、線引きが必要な時もある。ただ、その線引きが個人の主観であったり、その選から漏れた者を切り捨ててしまう行為は、教師がしてはいけないのではないかと思う。

 

エイミーはハリエットの家から出て来たルースを尾行する。ルースは森の中の小屋に向かう。エイミーが窓から覗くとルースはステファニーとセックスしていた。ステファニーと目が合い、エイミーはショックを受ける。この時のエイミーの心情を説明するようなセリフはない。エイミーは2人が共謀してハリエットを追い出したのだということに気づいたのだとは思う。

 

家に戻ったエイミーはリビングの棚を探すが花火は見つからない。そこへルースが帰って来て紙袋を差し出す。中には金魚が入っていた。この金魚は何かを象徴していたのかな? 涙を流すルースをエイミーは抱きしめる。エイミーも共犯になったということなのかな。

 

シーン変わってステージでスピーチをするルース。エイミーがどうしても発音できなかったため、ピーターが新しい名前を考えた。ルースというのは光という意味だ。アメリカで暮らせて幸せだ。という主旨の内容。聴衆は拍手喝采。エイミーは泣いていたんじゃなかったかな? エイミーとピーターは喜んでいたとは思うけれど、冒頭のように手放しで喜んでいたわけではないと思う。

 

シーン変わってジョギングして来ると家を出るルース。見送るエイミー。幸せな家族に見える。しかし、徐々に速度を上げるルースの表情は険しいものになる。映画はここで終わる。

 

スピーチの内容については、練習を含めて3回くらい出て来たと思うけれど、最後まで話したのは本番の時だけ。これを何度も繰り返したことと、最後に持って来たことには意味があるのだと思う。ルースの名前を発音できなかったエイミーにも、ならば新しい名前をと提案したピーターにも悪気はない。ただ、実の両親と祖国を失ったルースにとって名前は唯一のアイデンティティ。その名前を正しく発音してもらえないことは、自分を認めてもらえないような気がしただろうし、ましてや変えられてしまったことは、自分を否定されてしまったように感じたのではないか。

 

繰り返すけれどエイミーとピーターに悪気はないし、当然違法なことをしたわけでもない。2人にしてみれば自分たちで決めたこととはいえ、見ず知らずの子どもの"親"になるわけで、まして相手は紛争地域の兵士だった少年で、手探りのスタートだったと思う。一方のルースは故郷を遠く離れてアメリカに連れてこられ、白人夫婦を両親と思えと言われるのは、やはり大きな戸惑いがあったはず。その時点で、最初に呼びかけるべき名前が発音できなかったこと、その解決方法として名前を変えてしまったことは、本人たちが考えている以上に大きな溝を生んでしまっていたのかもしれない。たとえ本人たちが意識していなかったとしても。

 

大人は子供が複雑なことは理解できていないと考えがちで、たしかに知識や経験不足からくる理解の浅さはあると思う。でも、だからこそストレートに物事を受けてしまう部分もあるかもしれない。ルースがその時点で自分を否定されたとハッキリ認識したわけではないと思うけれど、名前をきちんと呼ばれず、それを理由に変えられてしまったことは少なからず傷ついたはずで、それがずっと澱のようにわだかまっていたのではないかと思う。

 

名前のことに拘ってツラツラ書いて来たけど、要するにエイミーとピーターとのルースの関係の根底には、こういう行き違いのようなものがあったのかなと。白人が黒人に対して文化の押しつけなどをすることを指す言い回しがあったと思うのだけど忘れてしまった😣 エイミーとピーターはルースに対して愛情をもって接していたと思うし、幸せになって欲しいと思っていたと思う。ただ、それはやっぱりある程度生活に余裕のある白人の価値観であって、2人の期待に応えるためにはルースは優等生を演じざるを得なかったという部分があったのかもしれない。

 

ハリエットは黒人全体の地位向上のために、模範的黒人生徒を世に送り出す必要があると考えていた。それも価値観の押しつけで、その考えに反発したルースは爆発してしまい、今まで抱えていた養父母への澱のようなものに気づいてしまったということなのかなと思う。それがラストの表情なのかなと思った。

 

キャストは豪華。良い人を演じることが多い気がするオクタヴィア・スペンサーが、見方によっては危険人物とも取れるハリエットを好演。ハリエットが問題提起したことから話が展開するので、そういう意味でも憎むべき相手なのか、陥れられた被害者なのか、その辺りの見ている側の視点が変わっていく感じを引っ張ったと思う。ピーターのティム・ロスは悪い人ではないし、家族のこともちゃんと考えているけれど、元妻の出産パーティーにエイミーを連れて行ったり、ところどころ無神経さが感じられる役どころを的確に演じていて、イラッとさせてくれた。ホメてます!

 

ルースのためというよりも、これまで築き上げて来た"家族"を守ることに必死で、嘘をついて結果ルースの陰謀に加担してしまうエイミー役のナオミ・ワッツが素晴らしい。エイミーは決して悪い人なわけではないし、彼女なりに必死で物事に対処しようとしている。ハリエットに呼び出されたことをきちんと話さなかったことなど、後から考えると判断ミスをしたのではないかと思えることもあるけど、それも彼女が必死であったから。その延長線上に花火の件の嘘がある。エイミーが必死で守っていたものは虚構だった。その事に彼女は無意識下で気づいているかもしれないけれど、そのことを封印してしまった。その感じも含めてとても良かった。

 

ルースのケルヴィン・ハリソン.Jrは初めて見たけど、とても良かったと思う。よく彼を見つけたなと思うくらい、爽やかな好青年のイケメン。ちょっと少年兵だったという辛い過去が感じられない気もするけれど、ルース自身がそれを封印して優等生を演じているのだと考えると、この演技は素晴らしい。友人の復讐、自分に対する価値観の押しつけへの反発がハリエットを追い落とすという形になり、それを達成したものの虚しさが残り、養父母に対して抱いていた澱があからさまになった。そのラストの表情が良かった。

 

クドクドとまとまらず長文になってしまったけれど、とても考えさせられる作品だった。こうして書いたルース、エイミー、ピーター、そしてハリエットについても、本来製作側が意図した人物像ではなく、自分が勝手に解釈した人物像であって、そう考えると見ている側にも価値観の押しつけがあり、人を型にはめてしまっているのだと思う。

 

ただ、人間は生きるために人とコミュニケーションを取らなければならず、その上で相手の人となりを踏まえて対処する必要がある。しかも、その人物が自分の本当の姿をさらけ出しているとは限らない。そういう中で判断を誤ってしまうことは避けられないのも事実。だからこそ印象を良くしたいと思えば優等生を演じることも必要になるし、その演じられた優等生の姿に騙されることもある。逆もしかり。とても難しい。とにかく、自分が「こういう人に違いない」と勝手に判断した姿を、差別したり糾弾してしまうことはしてはいけないと改めて思った。

 

最近起きた誹謗中傷による悲劇や、黒人差別に対する抗議デモなど、リテラシーや価値観の押しつけについてなど考える機会があった。そういう問題について関心のある方は是非。

 

『ルース・エドガー』公式サイト

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【cinema】『1917 命をかけた伝令』

2020-02-26 01:24:00 | cinema

2020.02.14 『1917 命をかけた伝令』鑑賞@TOHOシネマズ楽天地

 

インスタに予告動画流れて来た時から見たいと思っていた。きっかけはベネディクト・カンバーバッチが出てるからだったけど、その後に聞こえて来る評判に期待値もMAXで見に行ってきた~

 

ネタバレありです! 結末にも触れています!

 

「1917年4月6日、ウィリアム・スコフィールドは友人のトム・ブレイクと共に呼び出される。ドイツ軍が撤退しているのは実は罠であることが判明したため、進軍しているデヴォンシャー連隊に作戦中止を伝えるための伝令に任命されたのだった。2人は命がけの任務に向かう・・・」という話で、ホントに2人が伝令に走る映画。そこに主人公たちのドラマを上手く絡めてあり飽きさせない。そして、何といっても話題の全編ワンカット風の映像が臨場感を生んでいて、119分間主人公と一緒に戦場を走り回っている感覚。ずっと眉間にシワで緊張していたので見終わってグッタリ😅 それだけ見応えがあったということ。

 

サム・メンデス監督作品。監督作品は『ロード・トゥ・パーディション』『007 スカイフォール』『007 スペクター』を見た。思いのほか見てなかった🤔 エンドロールで献辞があったけれど、この作品は監督の祖父から聞いた話から着想を得ているのだそう。第一次世界大戦に伝令として従軍していたそうで、その体験談を幼い頃の監督に話していたらしい。ただ、今作に描かれている内容はおじい様の実体験ではなく、主人公も実在の人物ではないのだそう。

 

作品について毎度のWikipediaから引用。『1917 命をかけた伝令』(いちきゅういちなな いのちをかけたでんれい、原題:1917)は、2019年制作のイギリスアメリカ合衆国戦争映画第一次世界大戦に投入された2人の若きイギリス兵のある1日を描くサム・メンデス監督。アンブリン・パートナーズの所有者を担当していた番組制作・配給会社エンターテインメント・ワンは、2019年12月30日ハズブロの子会社になったため、本作以降のアンブリン・パートナーズ制作作品における日本では、従来の作品で提供を行っているNBCユニバーサル・エンターテイメントジャパンに加え、ハズブロジャパンとの共同提供となっている第77回ゴールデングローブ賞において、ドラマ部門の作品賞と監督賞の2冠に輝いた第92回アカデミー賞において、撮影賞視覚効果賞録音賞の3冠を獲得した。

 

2018年6月18日、サム・メンデス監督が新作映画の製作に着手したと報じられた。10月、ロジャー・ディーキンスが本作の撮影監督に起用された。同月26日、ジョージ・マッケイとディーン=チャールズ・チャップマンに本作の出演オファーが出ていると報じられた。2019年3月、コリン・ファース、ベネディクト・カンバーバッチ、マーク・ストロングらがキャスト入りした

 

2019年4月、本作の主要撮影が始まった。本作は全編ワンカットで撮影されたように見えるが、実際には複数回の長回しによって撮影された 映像をワンカットに見えるように繋げたものである。撮影チームはそうできるようにカメラの動きを綿密に計算した上で撮影を行った。また、本作のシーンの中には、500人ものエキストラを動員して撮影されたシーンがいくつか存在する。ティーズ川付近での撮影に際しては、戦場でのシーンの撮影ということもあって、大量の偽死体が設置された。製作チームは地元住民が死体を本物と勘違いするのを防ぐために「これらの死体は全て模造品です」という看板を設置した

 

2019年12月25日、本作は全米11館で限定公開され、公開初週末に57万6216ドル(1館当たり5万2383ドル)を稼ぎ出し、週末興行収入ランキング初登場16位となった。2020年1月10日、本作は全米3434館にまで公開規模が拡大され、公開週末に3700万ドルを稼ぎ出し、週末興行収入ランキング1位となった

 

本作は批評家から絶賛されている。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには357件のレビューがあり、批評家支持率は89%、平均点は10点満点で8.43点となっている。また、Metacriticには56件のレビューがあり、加重平均値は79/100となっている。なお、本作のシネマスコアはA-となっている

 

とのことで、なかなかの高評価。一番はワンカット映像による臨場感だと思うけれど、余分なものをそぎ落として、それでも人間ドラマが伝わって来る感じはやっぱり評価できるかなと思う。

 

さて、今作は主人公たちが作戦中止を伝えに行く1日を描いており、ほとんどの場面が戦場。多少ホッとするシーンがあったとしても、直ぐに敵に襲われたりしてアクションシーンになる。なので、シーンごとに細かな描写をしても伝わらないし、そもそも無理💦 ということで、自分の備忘メモとして一応のシーン描写はするものの、とても凝縮したものになるかと思います。毎度、どうでもいいかと思うけれど、断り書きとして書いておく😌

 

冒頭、ウィリアム・スコフィールド(ジョージ・マッケイ)とトム・ブレイク(ディーン=チャールズ・チャップマン)が野営地でくつろいでいる。スコフィールドは写真を眺めていて、それがラストと呼応している。そこに上官がやって来てブレイクに相方を選ぶように言う。特に何も説明がなかったので、ブレイクは軽い気持ちでスコフィールドを選ぶ。すると上官はエリンモア将軍が呼んでいると言う。

 

2人は兵士たちが待機する塹壕を通り抜けて将軍のもとに向かう。ワンカットというのは聞いていたけど、本当にワンカットでビックリ😲 普通の映画であれば2人が向かうシーンを少し映した時点で、場面が上官のいる壕に切り替わると思うのだけど、ワンカットなので2人が辿り着くまで延々と映し出す。でも、カメラがずっと2人と同じ目の高さで彼らを追うので、自分もその場にいるような臨場感があり飽きてしまうことはない。

 

エリンモア将軍(コリン・ファース)がブレイクを呼び出したのは、デヴォンシャー連隊のマッケンジー大佐に作戦中止を伝えるため。最近、敵であるドイツ軍が撤退をしているが、イギリス軍はこれは戦略的な撤退であり、最前線にいるデヴォンシャー連隊がドイツ軍を追いつめるべく進軍しているが、このままでは1600人の兵士が壊滅的な打撃を受けることになるというのだった。

 

ブレイクが選ばれた理由は地図を読むのが上手いことと、彼の兄がデヴォンシャー連隊に所属しているため。無人地帯を通り抜ける危険な任務ではあるが、ブレイクは兄のためこれを引き受ける。巻き添えを食う形になったスコフィールドはブレイクに考え直すように言うが、ブレイクの決意は揺るがない。将軍自ら命令したことを一兵士が断れるものではないのではないかと思うし、そもそも2人が伝令に出てくれないと話にならない。しかし、髭を生やし暗い室内でうつむき加減で話していたこともあり、エリンモア将軍がコリン・ファースだったことに全く気付いていなくて、エンドロール見てビックリ😲

 

再び狭い塹壕を通る2人は、無人地帯近くの連隊長であるレスリー中尉(アンドリュー・スコット)を訪ねる。かなりやさぐれているレスリー中尉は、無人地帯を通り抜けるなど自殺行為だと言うけれど、最終的には通り抜け方を教えてくれる。さらに、通り抜けたら合図をするようにと専用?の銃もくれる。ここでアンドリュー・スコット出ててニヤリ😀

 

ここに至ってもスコフィールドはブレイクを止めるけれどブレイクは引かない。彼の熱意に覚悟を決めたスコは塹壕を上る時、年上が先だと言い上って行く。無人地帯とはWikipediaによるとどの勢力にも占領されていない土地のことを言うそうなのだけど、どうやら激しい戦闘が繰り広げられたようで、兵士たちや馬の遺体が至る所に転がっている。そもそもレスリー中尉に教えられたのも、馬の死体を目安に行く道だったくらい。無人地帯を抜けることがどうして無謀なのかも分かっていないのだけど、どこかから撃たれる危険性があるってことなのかな? とにかく不気味で、主人公たちとともにとっても不安な気持ちになる。

 

無人地帯を通り抜ける描写も結構長めにあったけれど、たしか有刺鉄線を潜り抜ける際に、ブレイクを通そうと持ち上げた瞬間スコフィールドが手のひらをケガしてしまったくらいで、特に危険な目には合わなかったように思うけど、どうだったかな🤔

 

2人はドイツ軍の塹壕に辿り着く。銃を構えて塹壕を進むとドイツ軍は撤退した後でもぬけの殻だった。塹壕内に作られた部屋には鉄製の二段ベッドが並び施設が整っていることに驚く2人。見ている側はピンとこないけど、1917年にコレというのは確かにスゴイかも100年以上前だものね😲 巨大なネズミがドイツ軍が残した食べ物を漁っていて、2人が爆弾が仕掛けられた導線を発見した直後にネズミが触れてしまい爆発してしまう。

 

一瞬画面が真っ黒になり、しばらくするとブレイクが起き上がる。スコフィールドは瓦礫に埋まってしまっており、ブレイクが必死でかき出し起き上がるように促すが、目にも口にも埃が入ってしまっている状態。この撮影は大変だったね😅 建物自体が崩壊しそうになり、目が見えない状態のスコフィールドを連れて必死で逃げる。危機一髪助かった。

 

2人は森の中を進んで行く。緑に囲まれた状況に和んだのか、笑い話なども飛び出す。見ている側も少しホッとする。冒頭2人がいた場所にも緑があったし、後にも森が効果的に登場する。緩急にもなっているのかなと思う。ここでの話でスコフィールドは元の部隊で功績があり、貰ったメダルをワインと交換してしまったという話をする。そして、家には帰りたくないと言う。功績があったのは後のサバイバル能力の伏線。家に帰りたくないのも後の伏線だと思うけれど、何故帰りたくないのかの説明はなかったので理由は分からない🤔

 

廃墟となった農家に辿り着く。家の中は荒れており食糧などもなかったけれど、外には牛がいて搾りたての牛乳がバケツに残っていた。スコフィールドは水筒に牛乳を入れる。喉が渇いた時に牛乳だと潤わないのではと思ったけど、これは後の伏線だった。人間はいなかったけれど生きている命の存在も癒し。とはいえ、この牛は人間の犠牲になったとも言えるわけで、その辺りも象徴しているのかな?

 

しばらく佇んでいると、数機の戦闘機が飛んできて空中戦を繰り広げる。味方がドイツ軍を撃墜し、戦闘機がこちらに落ちて来る。必死で逃げる2人。これまた危機一髪助かって、戦闘機に近づくと操縦士は炎に包まれていた。思わず助け出す2人。まぁいくら敵兵だとしても、ここは助けるよね。大けがをしているドイツ兵を見てスコフィールドは楽にしてやろうと言うけれど、ブレイクは反対し水を汲んでくるように言う。スコフィールドが井戸で水を汲んでいると、ブレイクはドイツ兵に襲われてナイフで腹を刺されてしまう。なんと!😱

 

スコフィールドは必氏に止血しようとするけれど、あまりに出血が多くブレイクはどんどん衰弱していく。この辺りもワンカットで撮っているっぽいけど、みるみるブレイクの顔が白くなっていくのはどうやって撮ったんだろう?🤔 CGか😅 ブレイクがとても感動的なことを言っていたような気がしたのだけど忘れてしまった💦 たしか、自分のことを母親に話してくれっていうような内容だったような。スコフィールドは約束してブレイクを看取る。えー!てっきりダブル主演で2人で任務遂行するのかと思ったら、まさかの1人ぼっちになってしまうのね😲

 

呆然とするスコフィールドに声をかける人が。足元しか見えないけれど軍服でブーツを履いているので、位が上の人物らしい。カメラが移動すると家の向こう側に兵士たちを乗せたトラックが映る。声をかけて来たのはスミス大尉(マーク・ストロング)で、スコフィールドが事情を話すと部下を指揮してブレイクの遺体を丁寧に寝かせてくれ、スコフィールドを途中まで連れて行ってくれることになる。マーク・ストロングの軍服姿がカッコイイ😍

 

トラックの荷台に乗り込むと、彼らはタバコを吸い笑い話などをしている。状況を知らないのだから仕方がないけれど、1600人の命を救うため命を懸けているスコフィールドと、一緒に行動している感覚の見ている側にとっては呑気に感じる。トラックがぬかるみにはまってしまった際にも、だらだらと荷台から降りる兵士たち。トラックを押すんだと言っても手伝わない。スコフィールドが時間がないんだと説明すると、ようやく手伝ってくれる。この緊張感の対比は良かったし、見ている側もスコフィールドと共にイラ立ちドキドキする効果となっている。

 

えーと、理由を忘れてしまったけどトラックは先に進めなくなる。スミス大尉は迂回をすると言う。スコフィールドは先を急ぐのでここでトラックを降り単独行動すると告げる。一人になったスコフィールドは壊れた橋を渡る。すると対岸から撃ってくる。何とか渡り切り、狙撃手がいると思われる建物に向かう。狙撃手がいる部屋のドアを開け銃を向け発砲するが、自分も撃たれて気を失ってしまう。ここでしばし暗転。このドアを開ける瞬間からスコフィールド目線になるので、まるで自分が撃たれてしまったような感覚になる。

 

目覚めたスコフィールドは廃墟となった町の中を走り抜ける。目指すデヴォンシャー隊はエスクートという町の先のクロワジルの森を越えたところいるとのこと。町の中心部に入ると、ドイツ兵に銃撃される。必死に逃げるスコフィールドは半地下に通じる扉を蹴破り中に逃げ込む。そこにはフランス人の女性が隠れ住んでいた。片言のフランス語と英語で確認したところ、ここがエスクートであることが分かる。

 

ラウリ(クレア・デバーク)というこの女性は母親を亡くした赤ん坊を育てていた。ミルクが足りないという彼女に、農家で水筒に入れた牛乳を差し出す。殺菌していない牛乳を乳児に与えるのは危険では?!😱と思うけど、そのツッコミはいいか😅 赤ん坊をあやすスコフィールドを見て、あなたも子供がいるのかと尋ねるラウリ。これには否定も肯定もしなかったように思うけどどうだったかな🤔 女性が登場するのはこのシーンのみ。このシーンはここがエスクートであるということが分かるだけでなく、女性ど赤ん坊が登場することで、見ている側もホッとする効果と、戦争の犠牲になるのは市民であり弱者だということなのかと思う。



ラウリからクロワジルの森へ行く道を聞きスコフィールドは地下室から出るが、ドイツ兵に見つかりそうになり。逃げ込んだ先にもドイツ兵がおり格闘になって首を締めて殺す。このシーンは特に必要ないようにも思うけれど、主人公が素手で人を殺すシーンを入れたかったということかな? 上手く言えないけど、それほど非情なものだというような。



ドイツ兵に追われながらクロワジルの森を目指すが、逃げ切れず川に飛び込む。かなり流れがキツイ川で、必死に抵抗するも流されていき、滝にも落ちてしまう。流れが緩くなりようやく岸へ向かう。そこには兵士たちのたくさんの遺体が😱 それらを乗り越えて岸に上がると感情が込み上げて声を上げて泣き出してしまう。このシーンは見ていて辛かった。そりゃそうなるよ。



すると森の中から歌声が聞こえて来る。その声に導かれて森の中へ。するとたくさんのイギリス兵たちが森の中で座り、1人の兵士の歌を聴いていた。スコフィールドは崩れるように腰を下ろす。このシーンは幻想的で美しかった。



兵士たちに聞くと彼らがデヴォンシャー連隊だと言う。そして、間もなく第一波が突撃を開始するとのこと! 当然ながら焦ったスコフィールドは兵士たちをかき分けてマッケンジー大佐のもとに急ぐ。さらに塹壕の中を兵士たちをかきわけて進み、要所要所でマッケンジー大佐の居所を聞く。中には理由を聞いてくる上官らしき人もいるので、都度事情を説明するけれど、間に合わないなど否定的な意見が多い。とにかく狭い壕の中にびっしりと兵士たちが突撃命令を待って待機しているので全然進めないし、否定的なこと言われるしで見ている側もイライラ😣

 

焦ったスコフィールドは地上に出て草原を壕に沿って走り出す。同時に命令が出て第一波が突撃してしまう。縦に進んで行く兵士たちの波を横切って走るような形。このシーンで流れた曲も効果的で、もうチラシの文句ではないけれど走れー!とずっと思っていた。走るスコフィールドの向こう側で兵士たちは突撃し、倒れて行く。壮絶。

 

なんとかマッケンジー大佐のもとに辿り着くけれど、なかなか中に入れてもらえない。ちょっと軍隊の階級に全然詳しくないので、大佐がどのくらい偉いのか分からないのだけど、一兵士が簡単に会える感じではないのでしょうかね。あとは大事な作戦指揮を執っている真っ最中ということもあるのかな。でも、そんなこと言っている場合ではないスコフィールドは強行突破。振り返ったマッケンジー大佐がベネディクト・カンバーバッチ! カンバーバッチ目当てだったのに引き込まれて忘れていたよ😅 

 

スコフィールドの話も聞こうとせず、差し出した手紙も見向きもしない。ヾ(゚Д゚ )ォィォィそれどこじゃないんだよ!と思っていると、スコフィールドが自分は将軍の命令で手紙を持って来たのだから、あなたは読まなければならないと叫ぶと、マッケンジー大佐は手紙を受け取り、手紙を読むと即座に作戦中止を命令する。良かった😭

 

スコフィールドは労をねぎらわれ休むように言われるけれど、彼にはまだやることがあった。ブレイクの兄ジョセフを探すこと。彼のことを尋ねるとジョセフは第一波で出撃したとのこと。負傷兵がいるテントに走るスコフィールド。必死で探すけれどそれらしき人物はいない。戦死してしまったのかと絶望しかけた時、テントの外で負傷兵を運ぶ指示をしている人物が。ブレイクと顔立ちが似ている。ジョセフ・ブレイク(リチャード・マッデン)だった。

 

スコフィールドはブレイクと共に伝令の任務を受けここに来たこと、ブレイクが途中で命を落としたこと、彼が命の恩人であることを告げる。ジョセフは一瞬泣き出すが、スコフィールドにお礼を言う。スコフィールドがブレイクの母親に手紙を書きたいと話すと、ジョセフはそうしてやって欲しいと言い、彼に食事をするように言う。

 

任務と約束を果たしたスコフィールドは地面に腰掛け、ポケットから写真を取り出す。このシーンは冒頭のシーンと呼応しているのかな。この写真の人物が誰なのかよく分からなかったのだけど、無事に帰って欲しいというメッセージが描かれていたので母親なのかな? 他にも何枚か写真を見ていたけど、家族の写真なのかな? 奥さんとか? 映画はここで終わる。

 

スコフィールドの伝令の任務は終わったけれど、戦争が終わったわけではないので、この後彼は自分の部隊にまた戻るのかな? それとも、この隊と行動を共にするのかしら? その辺りのことは全く分からない。でも、つかの間平和な時間だったし、家に帰りたくないと語っていたスコフィールドが、家族の写真を眺めていたラストは希望が持てるものだった。この静かな終わりは、彼らと共にずっと戦場にいた見ている側もホッとした😌 

 

エキストラを含めるとかなりの人数が出て来るけれど、前半は2人で後半は1人での芝居が多い。主演2人はほぼ無名なため要所要所に英国を代表する役者たちを配している。コリン・ファースに全く気付かなかったのは大変申し訳なかった🙇 スミス大尉のマーク・ストロングがかっこよかった✨ 友人を亡くした悲しみと一人になってしまった主人公を助けるおいしい役どころというのもあるけれど、優しくて軍部が似合い過ぎて素敵😍

 

お目当てベネディクト・カンバーバッチは最前線で指揮を執る重圧と、手柄を立てたいという功名心を感じさせて短い出演シーンで印象を残す。マッケンジー大佐が最終的には正しい判断が出来る人であってよかった😌 ディーン=チャールズ・チャップマンが図らずも主人公を巻き込むブレイクを嫌味なく演じていた。2人で森のような所を歩いている時には楽しそうですらあって、微笑ましかった。亡くなるシーンの演技は真に迫っていて良かった。

 

そしてスコフィールドのジョージ・マッケイが良かった。元の部隊で功績を挙げたとはいえ、まだ若い兵士の彼はプロの兵士というわけではないだろうから、恐怖も感じているわけで、それをきちんと伝えてこそ、観客を引っ張れるわけなので、その辺りとても素晴らしかったと思う。特に歌声に聞き入る兵士たちの姿を見て、崩れるように座り込んで呆然とした演技が素晴らしかった。このシーンが全体的に美しかったこともあり、ボロボロ泣いてしまった😢

 

とにかく臨場感がスゴイ! 全編がワンカットというわけではないけれど、一つのシークエンスはほぼほぼワンカットで撮られているから、見ている側の気持ちが途切れることがない。カメラが主人公たちの目線の高さだったりするので、臨場感がある。戦闘シーンはもちろん、全てのシーンで自分もそこにいるかのような感覚。『ダンケルク』(感想はコチラ)もそうだったけど、ずっと眉間にシワで体に力が入っていたので見終わってグッタリ。でも、爽快感とは違うけれど、何かそれに近い感覚がある。

 

かなりの数の遺体が出て来て、それらがとてもリアルなのでちょっと辛いけれど、それも含めてセットや美術がスゴイ。戦場と自然を適度に織り交ぜ、ホッとできるシーンも差し込み緩急になっている。そして、何度も書くけど森の中で歌を聞くシーンは本当に神々しいまでの美しさだった。この時歌われた曲は「I'm a Poor Wayfaring Stranger」という曲で、英語版Wikipediaによると19世紀初頭のフォークソングとかゴスペルってことなのかな?

 

前述したけれど、エンドロールでは今作を作るきっかけとなった監督のおじい様であるアンドリュー・H・メンデスさんに献辞がされている。

 

第一次世界大戦時の話だから楽しい映画ではないけれど、戦争体験のない世代が戦争映画を見る上で、入りやすい作品ではないかなと思う。銃撃戦があったり主人公も敵兵を殺すけれど、いわゆる戦場の話ではないので怖いシーンも少ない。とはいえ臨場感がすごいので追体験できる。これはオススメ。

 

『1917 命を懸けた伝令』公式サイト

 

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【cinema】『ジョジョ・ラビット』

2020-02-21 00:52:31 | cinema

2020.02.01 『ジョジョ・ラビット』鑑賞@TOHOシネマズ楽天地

 

これは見たいと思ってた! スカーレット・ヨハンソンとサム・ロックウェル出てるし、ヒトラーが出て来るわりにポップなかわいい映画に見えたので。ムビチケ買っとくの忘れたので、映画の日に見に行ってきた~

 

ネタバレありです! 結末にも触れています!

 

「空想のヒトラーが唯一の友である少年ジョジョは、憧れのヒトラー・ユーゲントに入団し意気揚々。しかし、ウサギを殺せなかったことにより、ジョジョ・ラビットと不名誉なあだ名をつけられてしまう。爆弾訓練中に負傷したジョジョは自宅に戻される。ある日、亡くなった姉の部屋に隠し扉があることを発見し・・・」という感じかな🤔 思っていたよりもずっと重くて辛い話だったけれど、思っていたとおりポップな語り口だったので、辛くなり過ぎずに見ることが出来た。とても愛おしい作品だった😌

 

タイカ・ワイティティ監督作品。監督作品は『シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア』と『マイティ・ソー バトルロイヤル』を見ている。どちらも、なかなかおもしろかった印象。今回、ヒトラー役も演じているけど、俳優としても活動しているのね。

 

作品について毎度のWikipediaから引用。『ジョジョ・ラビット』(Jojo Rabbit)は、2019年アメリカ合衆国コメディ映画。監督はタイカ・ワイティティ。主演はローマン・グリフィン・デイヴィス。共演はトーマシン・マッケンジー、タイカ・ワイティティ、レベル・ウィルソンスティーブン・マーチャント英語版アルフィー・アレンサム・ロックウェルスカーレット・ヨハンソンら。

 

2018年3月、タイカ・ワイティティが監督を務めるだけでなく、「主人公のイマジナリーフレンドアドルフ・ヒトラー」として映画に出演することも明らかになった。ワイティティは役について「孤独な少年のヒーローの最高のバージョンであり、彼の父親のような存在。」と語った。同年同月、スカーレット・ヨハンソンが「密かに反ナチスである主人公の母親としてキャストに加わった。同年4月、サム・ロックウェルが「ヒトラーユースキャンプを運営するナチスのキャプテン」としてキャストに加わった。同年5月、新人のローマン・グリフィン・デイヴィスが主人公として、トーマシン・マッケンジーが「ヨハンソン演じる母親が自宅に隠しているユダヤ人の少女」としてそれぞれキャストに加わった

 

本作は批評家から好意的な評価を受けている。Rotten Tomatoesでは78個の批評家レビューのうち78%が支持評価を下し、平均評価は10点中7.51点となった。MetacriticのMetascoreは22個の批評家レビューに基づき、加重平均値は100点中53点となった。サイトは本作の評価を「賛否両論または平均的」と示している

 

とのことで、後はあらすじとキャスト紹介があるくらいでほぼコピペ。評価は概ね好評なのかな。ちょっと割愛してしまったけれど、評価の中に"不謹慎なユーモア"という言葉があって、そこが受け入れられるかがカギなのかなと思う。個人的にはそれが痛烈な皮肉になっていて好きだった。

 

冒頭からジョジョことヨハネス・ベッツラー(ローマン・グリフィン・デイヴィス)と一緒にヒトラー(タイカ・ワイティティ)が登場している。ジョジョにとってヒトラーはヒトラーとして認識されていて、ヒトラーらしき忠告をしてくる。こういう想像上の友人をイマジナリーフレンド(Wikipedia)というのだそう。ちょっとよく分からないのだけど、本人としてはイマジナリーフレンドが実在しないって認識がないってことなのかしら? あと、今作のようにイマジナリーフレンドが有名人だったり実在の人物っていうパターンもあるということなのかな? イマジナリーフレンドついて今作の描かれ方が正しいのか不明なのだけど、ジョジョとしてはヒトラーが自分の近くにいることについて、不思議に思っている様子はない。ヒトラーを演じているのは監督のタイカ・ワイティティで、ペッタリ横分け&ちょび髭で軍服というアイテムを纏っているけど、そんなに似てない。似てる人を登場させないってことも狙いだと思われ、それがコミカルでホンワカする要素となっている。



ジョジョの家族構成については追々分かってくる感じなのだけど、先にまとめて書いておく。現在、ジョジョは母親のロージー・ベッツラー(スカーレット・ヨハンソン)と2人暮らし。父親はイタリアに出征していることになっているが、後にジョジョの指導を行う上級生?が、脱走したと言っていたし、さらにある人物から衝撃発言があるけど、それが真実かは結局分からない。ジョジョにはまだ十代前半だった姉がいたけれど、現在は亡くなっている。この姉の存在はとても重要なのだけど、何故亡くなってしまったのかは語られないので分からない。さらに、姉が亡くなったことは周囲は知らないらしい。これも何故なのかは分からないけど、それは重大な秘密のためなのかも?🤔 母親はジョジョをとても可愛がっていて、ジョジョがナチスに憧れているのを少し心配そうにしている。



さて、ジョジョは憧れのヒトラー・ユーゲントに入ることが許される。大喜びで街を走り抜けるジョジョ。ここでドイツ語の「I Want To Hold Your Hand」が流れるのが印象的。音楽の使い方も良かったと思う。無邪気な姿に笑いながらもやり切れなさを感じたりする。原っぱのような所で入隊式が行われるけど、指導官クレンツェンドルフ大尉(サム・ロックウェル)が挨拶するステージ的なものも残念な感じだし、ダラダラと登場した指揮官はまさかの Heil Hitler guys の呼びかけ。これは笑ったー🤣 部下のフロイライン・ラーム(レベル・ウィルソン)の挨拶もあったけど、コチラは笑わせようとするセリフが逆に笑えず。レベル・ウィルソンは『ピッチ・パーフェクト』『ピッチ・パーフェクト2』と『キャッツ』(感想はコチラ)と見たけど、個人的にことごとく笑えなかったので、多分合わないんだと思う。あくまで個人的な感想😌



ジョジョは張り切って訓練に参加するけど、怯えていることを上級生2人に目をつけられてしまい、彼らが指導する訓練で皆の前でウサギを殺すように言われてしまう。心優しいジョジョはウサギを逃す。すると、腰抜けのジョジョ・ラビットだとからかわれる。これがタイトルとなっているわけだけども、弱い者の命を簡単に奪うこと、そして正しい行いをした者を馬鹿にする行為を皮肉っているのだろうから、とてもメッセージ性のあるタイトルなのだと感心する。



別の日、ジョジョは爆弾の訓練を受けるが、またビビリを発揮してしまう。でも、イマジナリーフレンドであるヒトラーに励まされると、突如爆弾を持って走り出し、待機中の皆の間を走り抜け、爆弾を投げるもまさかの木にぶつかって跳ね返され、被弾してしまう。この皆の間を走り抜けているのが、映画サイトなどでよく使われてる画像のシーンで、この時のタイカ・ワイティティのポーズが素晴らしい。ジョジョが被弾してしまった直後、これは悪い例だと大尉が言って笑いを誘うので、てっきり大したことないケガなのかと思ったら、顔に傷が残ったり、足を引きずったりするような大怪我だった😱その辺りはリアルで良かったと思う。

 

このジャンプね!



ヒトラー・ユーゲントに参加できなくなってしまったジョジョは、母のロージーに連れられてある施設に行く。ここがどういう施設なのかよく分からなかったのだけど、ナチスの事務処理的なことをするらしい? ジョジョの事故の責任を取らされ、クレンツェンドルフ大尉はここに左遷されたらしい。ロージーはジョジョにケガをさせたのだから、彼をここで使って欲しいと、かなり強い口調で言う。大尉はその口調に押されて承知する。2人は以前からの知り合いのようにも見えたので、この後何かあるのかと思ったけど、特になにもなかった😅



この施設はかなりゆるい感じで、ジョジョの親友でポッチャリしたヨーキー(アーチー・イェーツ)たちヒトラー・ユーゲントのメンバーが軍服で武器を持ったままプールで泳ぐ訓練をしたりするけど、それもコミカルに描かれている。またハッキリ明言はされないけれど、クレンツェンドルフ大尉と部下のフィンケル(アルフィー・アレン)はゲイの恋人である感じが示唆されている。

 

どのタイミングか忘れてしまったけどクレンツェンドルフ大尉が新しい軍服をデザインしたとジョジョにスケッチを見せるシーンがある。これがまた派手でちょっとクスッと笑ってしまうのだけど、これは後に劇的なシーンで登場し切なさを倍増させることになる。



ジョジョの仕事は戦意鼓舞するポスター貼り。この辺りまで実際には重い内容だけど、かなりコミカルでポップに描かれているので、ポスターの内容に関係なく、一生懸命なジョジョを少し誇らしく思ってしまう。実は、後に向かってトーンが変わっていくので、その辺りを意識してのことなのかなと思ったりする。たしか、この時点でジョジョが反ナチスのチラシを見つけていたと思う。これは後の伏線。



細かい順番は忘れてしまったのだけど、ジョジョが母のロージーと歩いていると、広場で数人の男女が吊るされていた。ジョジョがあの人たちは何をしたのかと聞くと、ロージーはすべきことをしたのだと言ったと思う。ここで少し引っかかるのだけど、具体的には思い至らず。まさかこのシーンが後の伏線になっているとわ!😲 後から知ってビックリした。ナチス統治下で行われていたであろう反ナチスの処刑。見ている側としては、このシーンにショックを受けつつも、どこかで諦めのようなものを感じている。それが後に感情を揺さぶられる出来事として出てくるので、より怒りや憤りを感じる。



母のロージーは仕事に出ているため、日中一人でいることが多くなったジョジョは、ある日姉の部屋で遊んでいる時、壁に奇妙な隙間があることを発見する。ヒトラー・ユーゲントでもらったナイフを隙間に入れて動かすと壁が開いた。中から少女が現れたのだった。ジョジョはここで気を失ってしまう。見ている側には少女がどういう境遇なのか直ぐ分かるので、その後の2人のやり取りなどは、適当にまとめて書いておく。



少女はエルサというユダヤ人。どういう経緯でロージーに匿われたのか言及があったか忘れてしまったのだけど、後にエルサは姉の友人であったことが分かる。ナチスを信奉しているジョジョは、エルサのことを全く信じようとしなかったし、見ている側も少し疑っていたけれど、ある出来事によるとこれは事実なのだと思う。



ユダヤ人には尻尾があるとか、ツノがあるとか教え込まれていたジョジョは、エルサにもとても失礼な態度をとってしまう。エルサは呆れるけれど、ジョジョをからかおうと思ったのか大袈裟に描写し、ジョジョがそれを絵にしたりと不思議な交流が続く。ジョジョは次第にエルサに恋心を抱くようになる。



ロージーと話している時、恋というのは素敵なものだと教えられる。お腹の中で蝶が羽ばたいているような感じだと言われたジョジョが、エルサと話しているうちに、お腹の中を青い蝶が羽ばたく映像が素敵。この話をしている時、ロージーとジョジョは川岸を歩いていて、ロージーが堤防のようなところに登り、ちょうど足元がジョジョの目線の位置になる。ロージーは戦時中とは思えない派手な靴を履いており、度々アップになるのだけど、ここでは特にそれが顕著で気になっていたら、これはやはり後の伏線だった。

 

ちょっと順番があやふやになったしまったのだけど、ジョジョがエルサに恋していることを自覚する前、婚約者からの手紙だと偽って、自分で手紙を書きエルサに読んで聞かせるシークエンスがある。エルサは婚約者が文学(シェイクスピアだったかな?)から引用した手紙をくれたと話していたため、図書館に行き本を引用してまでエルサと別れるという手紙を書く。ジョジョとしてはエルサが自慢するので困らせてやろういうことだろうけど、それは実は嫉妬で恋だからね。この手紙を読まれたことで、エルサに号泣されてしまい、罪悪感を抱くことになり、さらにエルサが気になっていく。



エルサはジョジョといる時はお風呂に入ったり、姉の部屋で姉の服を着たり自由に過ごし、ジョジョとも姉と弟のような関係になる。そんな中、ゲシュタポのディエルツ大尉(スティーブン・マーチャント)がジョジョの家の捜査にやって来る。ロージーは留守でジョジョはたった一人で対応しなければならない。たまたま通りかかったクレンツェンドルフ大尉が付き添ってくれるが、ディエルツ大尉らの捜索は執拗で、とうとうエルサが隠れている姉の部屋にやって来る。ドキドキ。

 

緊張が走る中、姉の部屋のドアを開けると、姉の服に着替え身なりを整えたエルサがいた。エルサは自分はジョジョの姉のだと名乗る。ディエルツ大尉は身分証の提示を求める。エルサは身分証を取り出し、クレンツェンドルフ大尉に渡す。生年月日を尋ねると少し動揺しつつも答えるエルサ。クレンツェンドルフ大尉は少し間があったものの合っていると言ってエルサに身分証を返す。ディエルツ大尉らの疑いは晴れ、彼らは帰って行く。するとエルサはジョジョに誕生日の日にちを間違えていたと言う。クレンツェンドルフ大尉はエルサの嘘を見抜いていたけれど、黙っていてくれたのだった。

 

この時、クレンツェンドルフ大尉が何故見逃してくれたのかは分からない。ジョジョと良い関係が築けていたとはいえ、バレれば自分の身にも危険が及ぶのに、庇ってくれるほどの関係ではなかったように思う。とはいえ、ユダヤ人を匿っていたとなれば、エルサはもちろんロージーだけでなくジョジョにも害が及ぶ。まだ子供のエルサとジョジョを助けたいということだったのかもしれない。そしてクレンツェンドルフ大尉は後にもう一度ジョジョを救うことになる。

 

しかし、ジョジョにとって大変な悲劇が起きる。再び広場で吊るされて処刑された人の中にロージーもいたのだった。数日前、ジョジョはロージーが町で密かにビラを置いている姿を目撃していたし、前夜だったか夕飯時に父親のコートを着て、炭で口の周りに髭を描いて父親を演じてジョジョをからかったりして、とても良い親子関係を見せいていたのは、後から思うと伏線だったのね😢 このシーンではロージーの足元しか見せない。見ている側はあの靴が映されてロージーが処刑されたことを知る。それが辛さをより際立たせている。

 

父親が戦地にいる(ことになっている)とはいえ、世間的には独りぼっちになってしまったジョジョ。母親の死因が影響しているのか、そもそも親戚が不在なのか分からないけど、ジョジョは表向き一人で生活する。配給を取りに行ったりと辛い生活ぶりが描かれる。家にはエルサがいるわけで一人ではないけれど、ユダヤ人を匿っているわけだからエルサは足かせにしかならない。そういう部分を現実味がないと感じる人もいるかもしれないけれど、悲惨過ぎない描き方に救われた部分はある。ことさら悲惨さを強調しなくても伝わるものは伝わる。

 

そうそう! イマジナリーフレンドのヒトラーは、ちょこちょこ登場していたけれど、エルサに恋したことを自覚して、ユダヤ人は教えられていたような人たちではないということが分かった時点で、ジョジョがイマジナリーフレンドのヒトラーの言うことを思いきり否定すると、窓から飛び出してしまい二度と現れない。要するに必要なくなったということで、これはイマジナリーフレンドがヒトラーの姿をしていたことが、ナチズムや偏見などを体現しており、それを否定するという意味が込められているということなのだと思う。

 

連合軍の攻撃は日増しに激しくなっており、爆撃の中ジョジョが逃げていると、少年兵として戦っているヨーキーが別の少年兵と2人で大砲を持って走っている。ジョジョがヨーキーと声をかけると、振り向いたヨーキーが手を振って話してしまったため、大砲が落ちて店を誤射してしまうコミカルシーンあり。ここ予測ついたのに思わずアラッって声出ちゃったオバさん化が酷い😅

 

さらにジョジョが逃げると、自らデザインしたド派手軍服を着たクレンツェンドルフ大尉と出会う。大尉はこれから連合軍に向かって突撃するという。もちろんフィンケルも一緒。なるほど、これはドン・キホーテなんだね🤔 その前にフロイライン・ラームも突撃しているのだけど、やっぱりレベル・ウィルソンのおもしろさが分からないゴメン🙇 

 

大尉たちが突撃した後、激しい攻撃を受ける。爆撃が終わった後、ナチスの軍服を着ていたジョジョは連合軍に捕まってしまう。え? まさか少年だから捕虜にしないよね? と、思っていると連れていかれた先には負傷したクレンツェンドルフ大尉がいた。大尉はジョジョに最後に良いことをしたい的な事を言い、ジョジョの軍服を脱がせ大声でユダヤ人は出ていけ!とジョジョを罵倒する。連合軍の兵士が駆けつけてジョジョを解放し、逃げるように言う。ジョジョは戸惑いながらも逃げる。兵士に連行されたクレンツェンドルフ大尉。ジョジョが敷地から出ると銃声が聞こえた。クレンツェンドルフ大尉は自分の命と引き換えにジョジョを救ってくれたのだった。このサム・ロックウェルの演技が素晴らしくて泣いたー😭

 

家に戻ったジョジョは、エルサと離れたくないためエルサにドイツ軍が勝ったから、外に出ては危険だと嘘をつく。ジョジョはエルサの恋人からを装って手紙を書く。必ず帰るから待っていて欲しいという内容の手紙に、エルサは手紙を書いたのはジョジョだと見抜く。なぜなら恋人は既に亡くなっているから。自分をなぐさめようとしてくれたことにお礼を言うエルサに、ジョジョは自分はエルサに恋していることを告げる。エルサは自分もジョジョを愛していると言うけれど、ジョジョはそれは弟としてだということが分かっていた。切ない😢

 

そして、ジョジョはエルサを外に連れて行く。ドイツが勝利したと思っているエルサは畏れるけれど、外に出るとドイツが負けたことが分かる。エルサは自分を騙したジョジョに平手打ちをするけれど、これからどうするかと問うジョジョに対し、静かに体を動かしはじめる。それにジョジョも応え2人は踊り始める。映画はここで終了。

 

エルサはジョジョにロージーから聞いた話として、ジョジョの父親はイタリアで反戦活動をしているのだと語るシーンがあった。真偽のほどは不明だけど、ヒトラー・ユーゲントの上級生が脱走したと話していたので、本当のことなのかもしれない。この後、エルサとジョジョはしばらく一緒に生きていくのか、ジョジョの父親が帰って来るのか全く分からないけど、とにかく自由を喜ぶシーンがラストなのは映画の終わりとして良かったと思う。

 

役者たちは子役含めてみな良かった。ヨーキーのアーチー・イェーツくんには和ませてもらった🤣とにかくカワイイ! エルサのトーマシン・マッケンジーもユダヤ人としての誇りを失わず過酷な状況を生きる姿を好演していたと思う。そしてジョジョのローマン・グリフィン・デイヴィスくんが良かった。ジョジョは実はとても辛い状況になってしまうのだけど、それでも生き抜く強さをおとぎ的に見せているわけで、それにはローマンくんの明るさやかわいさがとても必要だったのだと思う。ジョジョは基本一生懸命で、でもそれがコミカルに見えるタイプのコメディでもあるので、その辺りどこまで自覚して演じているのか分からないけど、とても良かったと思う。

 

忘れがちだけどイマジナリーフレンドのヒトラー役でタイカ・ワイティティ監督が出演。このヒトラーはジョジョが作り出したヒトラーだから、実際のヒトラーではないけど、ヒトラーが言いそうなことを言うヒトラー。でも、ジョジョと一緒にジャンプしちゃうヒトラー。その感じが逆に皮肉になってて良かったと思う。今作品でアカデミー賞助演女優賞ノミネートのスカーレット・ヨハンソンがとても良かった。反戦運動をしていてユダヤ人を匿っているけど、ナチスを信奉する息子のことは否定しない。単純に隠れ蓑にしていたわけではないと思う。その辺りの潔さというかかっこよさを感じた。ジョジョに恋愛の話をするシーンがとても良かった。

 

実は今回個人的に一番良かったのはサム・ロックウェル。いつも上手いし好きな役者なので、サム・ロックウェルならこのくらいやるだろうとも思うのだけど、おそらくゲイという設定のクレンツェンドルフ大尉は、それもあってどこか体制からはみ出しているということを自覚している部分があって、だからこそ弱者に対して冷酷になり切れない部分があったのだと思う。その辺りを前半のいい加減な感じに見せている部分でも、全身にそこはかとなく漂わせているのがスゴイ。そして、やっぱりラストのジョジョを助けるシーンが素敵すぎる✨ 

 

前半はとにかくコミカルでアニメ的な印象。中盤はややファンタジー的な感じに。そして終盤はヒューマンドラマになる。映像のトーンもポップなものからだんだんダークな感じになっていく。その感じがアニメ的というか映像を見ているのに物語を読んでいるような感覚で、それがとても好きだった。ナチズムやホロコーストをポップに描くべきではないという意見もあると思うけど、個人的にはふざけているとは思わなかったし、重いテーマをポップに見せるのもありなんじゃないかと思う。

 

ジョジョの部屋のポップな感じと、姉の部屋の少しダークなトーンとか好きだった。スカーレット・ヨハンソンの衣装がとてもカラフルでオシャレ。靴はあのシーンを印象的にするためでもあるとは思うけれど、TLに流れて来た文筆家の長谷川町蔵氏(@machizo3000)のツイートによれば、ロージーがファッショナブルで常にワインを飲んでいたのは、当時世界で最もリベラルでナイトライフが盛り上がっていたワイマール共和国時代に青春を過ごしたことを表しているのだとか。なるほど! だから反ナチスなのね😲 そいういう背景も知っていると映画を見るのがもっともっと楽しくなるんだね🤔

 

重いテーマを重過ぎずに描いているから、見やすいのではないかなと思う。スカーレット・ヨハンソン好きな方、サム・ロックウェル好きな方も是非!

 

『ジョジョ・ラビット』公式サイト

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【cinema】『グッド・ライアー 偽りのゲーム』(試写会)

2020-02-05 01:16:37 | cinema

2020.01.31 『グッド・ライアー 偽りのゲーム』試写会@ワーナーブラザーズ試写室

 

cocoで当選! いつもありがとうございます😃 ワーナーブラザーズ試写室は見やすくて好き。ヘレン・ミレン×イアン・マッケラン共演ということで、予告編見た時から見たいと思っていた。楽しみに行ってきた~

 

ネタバレありです! 結末にも触れています!

 

「出会い系サイトを通じて知り合ったロイとベティ。夫を亡くしたばかりのベティは、脚が悪いロイに同情し、孫の反対を押し切って同居する。2人は着実に愛を育んでいるかに見えたが、ロイには裏の顔があった・・・」という感じかな🤔 高齢男女の軽快な騙し合いを想像してたら、かなり重い話でビックリ😲 でも、名優2人の演技合戦に引き込まれて楽しめた。

 

ビル・コンドン監督作品。監督としての作品は『愛についてのキンゼイ・レポート』(感想はコチラ)『ドリームガールズ』(感想はコチラ)『フィフス・エステート / 世界から狙われた男』『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』『美女と野獣』(感想はコチラ)『グレイテスト・ショーマン』を見ている。作品数を考えると見ている方かな。特別好きな監督というわけではないけど、見た作品は概ね好きで『美女と野獣』はその年の自分的ベスト1となっている。

 

作品について毎度のWikipediaから引用。『グッドライアー 偽りのゲーム』(原題:The Good Liar)は2019年に公開されたアメリカ合衆国スリラー映画である。監督はビル・コンドン、主演はヘレン・ミレンイアン・マッケランが務めた。本作はニコラス・サール2016年に発表した小説『老いたる詐欺師』を原作としている。

 

2018年3月12日、ビル・コンドン監督の新作映画にイアン・マッケランとヘレン・ミレンが出演するとの報道があった。4月9日、ラッセル・トーヴィーとジム・カーターがキャスト入りした。23日、本作の主要撮影ロンドンで始まった。2019年11月15日、本作は全米2439館で公開され、公開初週末に560万ドルを稼ぎ出し、週末興行収入ランキング初登場7位となった

 

本作は批評家から好意的に評価されている。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには103件のレビューがあり、批評家支持率は64%、平均点は10点満点で6.32点となっている。また、Metacriticには30件のレビューがあり、加重平均値は55/100となっている。なお、本作のシネマスコアはBとなっている

 

とのことで、後はあらすじとキャスト紹介があるくらい。まぁでも、こんな感じかなと思う。100点満点で65点くらい。面白かったし、見応えもあったけど、特別何かが残るってこともないかな🤔

 

タイトルバックからパソコンに向かい、出会い系サイトに登録する老人と老女の姿から始まる。それぞれ、タバコを吸いながら"タバコは吸わない"にチェックしたり、ウィスキーを飲みながら"お酒を飲まない"にチェックを入れたりする。タイトルが「THE GOOD LAIR」なのだし、邦題ではサブタイトルで偽りのゲームと言ってしまっているので、この2人が騙し合うことは承知なので、この辺りはちょっとニヤニヤしながら見ていた。

 

お互いにマッチしたようで、レストランで待ち合わせ。それぞれ名前などプロフィールを偽っていたことを告白する。男性はロイ・コートネイ(イアン・マッケラン)で、女性はベティ・マクリーシュ(ヘレン・ミレン)。改めて自己紹介をしているけれど、お互いさらに嘘をついているのでしょう。実は勝手にベティは刑事か捜査官で、おとり捜査をしているのだと思い込んでいた。実は全然違ってた😅 ということで、中盤にある事実が分かるまで、ずっとベティは犯罪捜査をしているのだと思って見ていたため、そういうフィルターのかかった感想ということになります🙇

 

ロイは1人息子がいるけれど音信不通の孤独な老人で、ベティは1年半前に夫を亡くした未亡人であると語る。身なりや話の内容からベティは比較的裕福な女性であるように感じる。なるほど、そういう路線で行くのねと思っている。ベティは孫のスティーブン(ラッセル・トーヴィー)が車で迎えに来ており、ロイを送ると言うけれど、ロイは地下鉄で帰ると断る。2人はお互い気に入ったという感じを匂わせている。早くもお互い騙し合っているのだなと思って見ている。

 

早速、ロイはベティの車が見えなくなると、タクシーを拾って別の場所へ向かう。やっぱり😏と思っていると、ロイはストリップバーに入る。店の奥の個室に行くと、3人の男性が待っていた。初老の男性はヴィンセント(ジム・カーター)で、ロイの相棒。中年男性ブリン(マーク・ルイス・ジョーンズ)と、30代くらいの黒人男性が客ということで、どうやら投資話を持ち掛けているらしい。怪しすぎる😒

 

後に、投資詐欺の場面が2回に分けて描かれるのだけど、この部分はロイの"本職"の紹介であって、話の本筋とはあまり関係ないので、まとめてサラリと書いておく。ロイとヴィンセントが仲介となって、ブリンと黒人男性、そしてロシア人2人組の6人で投資をするという設定で、ロイたちはそれぞれ10万ポンドを、ロシア人2人組は80万ポンドを投資する。投資は計算機のような端末を使って、海外の口座に送金する仕組み。まずはロイたちの分を送金して、ロシア人たちが送金というところで、ブリンがプーチン大統領を絡めたおやじギャグを言ってしまい、ロシア人は怒りを露わにして席を立ってしまう。なるほど、これはブリンがカモなのだなと思っていたら、後に黒人男性もカモであったことが分かる。

 

後日、同じメンバーで投資を再開することになったという設定らしく、ブリンが失言をして申し訳なかったと謝り、今回は全員送金完了というところで、警察が踏み込んでくる。皆慌てて逃げるが、ロイは落ち着いたもの。騒動を窓から覗きながら送金取り消しを行う。なるほど。

 

さらにまとめて書いておくと、ロシア人投資家の内の1人を演じたのは、なんと肉屋の経営者。後日、彼は自分の取り分が少なすぎると抗議してきた。ロイとヴィンセントは彼をなだめるけれど、彼の怒りは収まらない。すると、ロイの指示で男たちが肉屋を取り押さえ、なんと金槌で左手を叩き始める😱 肉屋が悲鳴をあげる中、ロイは切ってあった肉を包み、代金を置いて去って行く。ロイは思ったよりも悪い人物であることが分かるエピソードだけど、実はロイにはもっと酷い秘密がある。

 

さて、この間にもロイとベティの仲は急速に進展している。ロイはベティの同情を引くためか、脚が悪いという演技をする。もちろん本当は脚など悪くなく、老人とは思えない闊達な足取りで歩いていたりする。きっかけとなった出来事は忘れてしまったけど、店で食事をする予定だったけれど、ベティの家に行くことになり、その際ベティが新車を買ったことをサラリと見せたりする。なるほど、お金持ち設定に真実味を持たせるのね😏とか思っていたら、さらにベティの家は郊外の閑静な住宅地にあり、大豪邸というわけではないけれど、1人で住むには十分過ぎる家であることが分かる。ますます、ベティをカモにする気満々になるロイ。

 

食事を楽しんでいるとスティーブンが帰って来る。一緒に住んでいるとは聞いていないとロイが言うと、大学で講義がある時に泊まるのだと言う。スティーブンは早くも家に入り込んでいるロイを良く思っていない様子。そろそろ帰るというロイを送って行くと言うけれど、ベティ自身も飲んでしまっているため、スティーブンに運転してもらう。ロイの部屋はアパートの最上階で、少なくとも階段を3階分は登らなければならない感じ。ベティはその脚では無理だから、良くなるまで家に泊まったらどうかと申し出る。もちろんスティーブンは反対し、ロイも一度は辞退するものの、わざとらしいヨボヨボ演技を披露し、ベティの同情を誘う。この辺りの流れもニヤニヤしながら見ている。

 

ロイには一室が与えられる。割と頻繁にスティーヴが来るので、ずっと2人きりというわけでもなかったけれど、2人は良い同居人として過ごす。ロイがベッドを共にと誘うけれど、ベティはそういう関係になりたくないと断る。大人同士の恋愛とも取れるけれど、これは後の伏線でもある。

 

また、スティーブンがロイの首のケガを指摘して、ロイを動揺させる場面がある。ロイは語らずにいさせて欲しいと言い、ベティがスティーヴをたしなめる。スティーブンがロイに好戦的な態度を取り、ベティがその度ロイを庇ってスティーブンを、時に激しく叱責する場面が度々出て来るけど、これは後の伏線。前述通り見ている間は、ベティとスティーブンは捜査官で偽装家族なのだと思っていたので、ロイを騙すためにベティがロイを妄信しているように見せかける手段だと思っていた。理由は違ったけれど、作戦としては合ってた😌

 

2人で過ごしている時に、ベティが発作を起こし倒れるシーンがある。救急車を呼ぶというロイを止めて、主治医を読んで欲しいと言うベティ。長年ベティを見ているという医師は、ベティには持病があり長くは生きられないと言う。その場では悲しんで見せたロイだけれど、ヴィンセントに嬉々として話す。もちろんこれも作戦だろうと思って見ている。

 

順番を忘れてしまったので、ここに挿入しておく。ロイとヴィンセントはベティに投資話を持ち掛ける。しかも、ベティとロイの口座を一つにして投資するというもの。一度は乗り気になるものの、やっぱり考えさせてと言うベティ。すると後日、再びヴィンセントがやって来て投資の話をする。庭で話しているとスティーブンが現れて、ベティを騙すつもりなのだろうとロイ達を責める。ヴィンセントは帰って行くが、ベティはスティーブンを追い出す。というシーンがあるのだけど、これは旅行の後だったかな?🤔 最近、記憶があいまいで😢

 

ベティとロイは買物に出かける。帽子や傘をロイに見立てるベティ。お金もベティが出していたかな? ますますロイがベティを金持ち未亡人だと思い込む。1人は1時間後に待ち合わせる約束をして別行動する。少し前からロイはブリンが自分をつけてきているのに気づいていた。慌てて地下鉄に向かうとブリンも追いかけて来る。人気のないホームを歩きながら傘で監視カメラを動かすロイ。ブリンと対峙すると、ブリンは自分を騙したことを責め、今度は植木鉢を割るだけでは済まないと脅す。数日前、不審者が庭に侵入し植木鉢が割られた。数日前から何度か見かけた不審な車の若い男性の仕業だと思っていたけれど、実はブリンの仕業だったのだった。

 

ブリンが襲い掛かると機敏な動きで目つぶしをし、入って来た電車に向かって突き飛ばす。ブリンは轢かれてしまい、パニックとなった人々に紛れて駅を後にする。人を殺すことに全くためらいもなく慣れている。詐欺師などというレベルの犯罪者でないことが分かる。サラリとコートをストリートミュージシャンに与え、購入したらしき紺のコートで何食わぬ顔でベティの前に現れる。怖い😱 イアン・マッケランの演技がスゴイ。

 

2人は旅行に行くことにする。ロイはイタリアだったかな?を提案するけれど、ベティはドイツを主張。さり気ないけど一歩も引かない強さがあり、ロイもドイツ行きを了承。この辺りの駆け引きも面白い。時々見せるヘレン・ミレンの視線が意味ありげでいい。事前にスティーブンがナチスの収容所を研究しているという伏線があり、彼が現地を案内する設定。3人はベルリンの壁跡などを観光。ロイの足を気にしたベティが彼をスティーブンに託し、1人で冒険すると別行動する。一軒の家の門の前に立ち、その家を見つめるカットが入りカメラが切り替わる。やはり、ベティがロイに近づいたのは裏があったのだったとニヤリ😏

 

その夜、ベティは両手をケガしてホテルに帰って来る。転んだと説明するけど、両手の平を血が出るほど転んだとすると、膝もケガしてないとおかしいぞ🤔と見ている側は思うのだけど、ロイは気づく様子がなく、かいがいしく世話をする。詐欺師として長年人を騙してきたロイが、逆に騙されているという描写でもあるのかな?でも、この時ベティが放っておいて欲しいと珍しく感情を露わにしたのは、実は後の伏線なのだった。

 

翌日、スティーブンは2人をあるアパートに連れて行く。渋るロイに絶対に見る価値があると言い納得させる。持ち主の許可を得ているからと入ったのはアパートの一室。するとスティーブンがロイに、前に来た時と間取りは変わっていないはず的なことを行く。なんと!😲 イギリス人で過去にドイツにいたことがあるとなると第二次世界大戦? ナチスがらみの話なのか?🤔 なるほど、初めてのデートで2人が『イングロリアス・バスターズ』を見てたのは伏線だったのね!

 

観念したロイはここで起きた出来事を話し始める。ロイの話に合わせて映像は少し前の段階から。若き日のロイは第二次世界大戦中、ナチス関係者である男を捕えるため、ハンス・トーブ(ローリー・デヴィッドソン)というドイツ兵と行動を共にしていた。2人で潜伏先であるこのアパートにやって来ると、男性がおり対象者は外出中だと言う。戻るまで待つと言う2人に、お茶を入れるとキッチンに向かった男性はナイフを隠し持ち、隙を見てハンスの首にナイフをあて人質にとる。この男性が対象者だったのだった。

 

銃を置くように言われたロイが拒否すると、男はハンスの首に傷をつける。ロイは銃を置く。詳細は割愛するけど、最後はハンスが撃たれてしまい、ロイが男を撃ったと言うのがロイの説明。しかし、スティーブンは続きがあるはずだと言う。殺されたのはロイであって、今ここにいるロイはハンスなのではないかと言うのであった。証拠も突き付けていたと思うけれど失念💦

 

でも、ロイはこれを認めて自分がハンスであることを告白。ハンスはドイツで辛い人生を送ってきたし、別の人生を歩みたかったというような主旨の事を言う。本当のロイ・コートネイには妻子がいたけれど、戦争で心に傷を負い元の生活に戻ることが出来ないので、別の人生を歩みたいと手紙で伝え、ロイ・コートネイとして生きて来たというのだった。なんと😲

 

となるとベティとスティーブンが捜査官だと思って見ていたので、ならばこの事実を暴いてロイを逮捕するということなのか?と思っていると、ベティはまたもやロイを庇ってスティーブンに自分のことは放っておいて欲しいと言う。あれ? となると、捜査官方向ではないのか? うーん。まさか本当に騙されている? となると、ベティが立っていた家は何なのか? そして、時折見せるベティの鋭い視線は? などと、考えているうちに、もしかするとベティは本物のロイ・コートネイの妻なのではないかと考えた。のだけど・・・

 

旅を終えて家に戻ると、ロイは家を出て行くと言う。ベティはそれを止め、口座を一つにして投資するというヴィンセントの話を受けると言うのだった。うーん。自分のように、トンチンカン仮設を立てず、単純にベティがロイに騙されていると見ていたとしても、ちょっとさすがに騙されたままの展開ということはないように思うのだけど、一体どうなるのか?

 

ベティの家に向かう前に、ロンドンでヴィンセントと打ち合わせをするロイ。ヴィンセントはベティが暮らしていけるだけのお金は残してあげるべきだと言うのに、ロイは全額奪うと言ってきかない。ドイツの件でプライドが傷ついているのか? それとも、そういうサイコパス的な人物なのか?

 

取引はベティ宅で行われる。ここでもヴィンセントはベティに少しお金を残しておいた方がいいのではないかと聞いたりする。ベティは少し躊躇するけれど、全額投資すると言う。さて、例の端末を使って送金するのだけど、2人の口座なので共通で使うパスワードを決めようということになる。ベティは壁に飾っていた花の絵から決めるのはどうかと提案。ロイがなるほどリリーだねと言った時に鋭い視線を向ける。やっぱり何かある!

 

送金が完了し、ヴィンセントは帰って行く。ベティに気づかれないように電話を掛ける。ロイがなかなか出ないのでベティが促す。するとロイは息子からだと言う。気が進まないし会いたくないというロイに、会いに行って和解すべきだと言うベティに従うという形でロイは出かけることにする。見ている側は全てがわざとらしいなと思ったりする。ここでさり気なく、冷蔵庫内のお水を持っていくようにロイに言うシーンがあるけど、これは伏線。

 

ベティはロイを駅まで送り、ホームで彼を見送る。この時の表情を見れば、ベティが逆にロイに何かを仕掛けたのは間違いないと分かる。ヘレン・ミレンの表情が素晴らしい。ベティは一体何をしたのか。

 

ロイはあまり裕福ではないふりをしていたけれど、実は優雅な生活をしていた。身バレもしたことだし引っ越ししようと家財道具を運び出した部屋で、ベティに電話を掛ける。息子と話が弾んだので今日はロンドンに泊まる。そして、鞄の中を見て驚愕する。端末が無くなっていたのだった。してやられたことに気づくロイ。始まったぞ~😏

 

ロイがベティ宅に戻ると、家財道具が一切なくなっていた。慌てて部屋を探し回る。すると空っぽのリビングにポツンと残った椅子に座ったベティがいた。ベティは誰なのか? やっぱり捜査官なのか? それとも本当のロイの妻なのか?と思っていると、まさかの展開に!

 

自分を覚えていないのか?と問うベティに、全く分からない様子のロイことハンス。するとパスワードにした絵を指さす。リリーか?! と驚愕するロイ。リリーとは誰なのか?

 

ココからネタバレです!

 

ここからは回想シーンが入り混じって描かれるし、核になる出来事はかなり長めに描かれるのだけど、いちいち描写をいれても伝わりにくいので、ザックリと書いておく。ベティの本当の名前はリリーで、4人姉妹の末っ子。当時が何歳だったか失念してしまったけれど、当時15歳のハンスはリリーに英語を教えるため、リリー宅に通っていた。リリーの実家は比較的裕福で、4人姉妹の長女は舞踏会に行くためのドレスを着て妹たちに披露していた。リリーを待っていたハンスは姉妹のいる部屋に入って行くと、長女がダンスを踊ろうと言い、断ると姉妹たちがからかった。プライドを傷つけられたハンスは、長女のドレスをわざと踏み破いてしまう。家に来た時から劣等感丸出しのような暗い表情だったハンス。ちょっと怖い😱

 

この騒動を聞きつけ母親が入って来る。不審に思ったものの何故かハンスをリリーの待つ部屋に行かせてしまう。それはダメでしょう! リリーはハンスに恋していたようで、銀のロケットにハンスの写真と、最近貰った髪を一束入れて持っていると言う。それには無関心だったハンスだけれど、リリーの姉たちに傷つけられたプライドがリリーに向かう。リリーをレイプしてしまうのだった。ハンスは全くの無表情。怖い😱

 

父親からハンスを呼んで来るように言われた母親が部屋に来る。ただならぬ様子を感じ取るものの、ハンスを連れて出て行ってしまう。リリーの父親は姉たちにしたことをハンスに問いただす。階段を下りてきて、その様子を見ると泣きながら部屋に戻るリリーの様子に、何があったか悟った父親はハンスを二度と家に来るなと追い返す。

 

これだけでも十分ヒドイのだけど、何とハンスは腹いせに父親を密告。父親は絞首刑になってしまう。それを苦にした母親は自殺。姉妹4人は必死で生きたけれど、姉たちも次々に命を落としたんじゃなかったかな。とにかく、生きるためにリリーは辛い思いをしてきた。ハッキリとは言わないけれど、要するに体を売って生きて来たということなのでしょう。

 

ベティはロイが家を出る直前、冷蔵庫内の水を持っていくように声をかけた際、鞄の中から例の端末を抜き取っていたのだった。ロイの端末を手にして、彼が嘘をつくたびに現金が別の口座へ送金される。それでも、ロイは開き直る。すると、ベティが証拠の品を突きつける。

 

ベルリンで冒険と称して向かった家は、現在施設になっていたけれど、以前ベティことリリーが暮らした家だったのだった。家族の想い出が残る家に向かったのは、かつての自分の部屋の床下にあるものを隠していたから。ハンスの写真と紙の毛を入れたロケット。DNA鑑定すればロイ・コートネイはハンス・トーブであることがバレてしまう。

 

呆然とするロイ。ベティが合図すると現れたのは、ブリンとともにカモにされた黒人男性と、ロイに左手を潰されたロシア人肉屋! ここで切り替わるので、ロイがどんな目に遭ったのかは描かれない。でも、次のシーンでヴィンセントがロイを見舞っている。ロイは車椅子に座っており、ヴィンセントの問いかけにも反応を示さない。でも、目は鋭いので体が動かないだけで、意識ははっきりしているのかも? その方が残酷だし、ベティの復讐としては完成度が高いと言えるかも。

 

シーン変わって、広い庭のある大きな屋敷。本来のベティの家だと思われる。ロイに種明かしする際に語っていたけれど、スティーヴはベティの孫ではない。ベティの本当の孫はロイが数回見かけていた不審な車の男。スティーブンはベティの孫のパートナーなのだった。何故、スティーブンが孫として協力したのかは説明していたように思うけど失念💦 そういう仕事をしてたんだっけ? そうそう! ベティが発作を起こした際に診察した医者も友人が協力してくれた偽物。

 

この日は親戚や友人などが集うパーティーだったようで、たくさんの人が集まっていた。あの頃の自分たちのような少女たちの姿も。彼女たちは服を着たまま池に入りはしゃいでいる。その姿にかつての姉たちを重ねたのか、哀しそうに、そして心配そうに見つめるベティ。池は意外に深いから気をつけるように声をかけると、大丈夫だと返事が来る。微笑みを浮かべるベティの姿で映画は終わる。

 

これはなかなかスゴイ話だった。前述したように、騙し合いの話だとは思っていたけど、もっと軽快なコメディタッチのものを想像していて、前半はそんな感じで展開していたけれど、中盤からまさかのナチス登場で、これは戦争未亡人の復讐かと思ったら、まさかの少女時代にレイプされ、密告により家族を殺された女性の復讐物語だった。これは予測できないわ😲 なので、全部書いておいてなんだけれど、ネタバレなしで見た方がいいと思う!

 

キャストはほぼ2人芝居という感じだけど、ヴィンセント役で『ダウントン・アビー』(感想はコチラ)のカーソン役ジム・カーターが出ててビックリ。出演作品には見てる映画もあるのだけど、全然覚えてない💦 ロイと組んで詐欺をしている悪役だけど、ベティにお金を残すようにロイに提案したり、ロイを見舞ったり紳士的な面を見せて、見ている側を少し救ってくれた。スティーブンのラッセル・トーヴィーは『パレードへようこそ』や『ミス・シェパードをお手本に』そして「SHERLOCK」て見ているようだけれど覚えていない🤔 でも、高齢者ばかりの映画の良いアクセントになっていたと思う。

 

そして主演2人の演技合戦がスゴイ! ロイは詐欺師だから私生活も演技しているわけで、脚の悪い孤独な老人を演じる悪党を演じているわけで、どこまでアクションシーンをこなしたのか不明だけど、嬉々として演じている感じ。もちろん、見ている側に騙す演技をしていることを認識させなきゃいけないわけで、さすがイアン・マッケランだなと思った。

 

そして、ヘレン・ミレンがスゴイ! 前述したとおり自分は間違った思い込みで見てしまったのだけど、本来は詐欺師ロイを妄信してしまう金持ち未亡人として登場しているわけで、その辺りちゃんと演じていたと思うけれど、ヘレン・ミレンが演じているのだから、ただ騙されているわけではないでしょうと思わせてしまうのも、狙いのウチなのかなとも思う。後半に向かうにつれてロイを見る目に鋭さが加わって行くのが見事!

 

正直、例えばハンスが密告しただけで、リリーの父親が絞首刑になってしまうものなのか?とか、ロイ・コートネイの妻子は彼を探したりしなかったのか?とか、あれだけ狡猾な詐欺師であるロイが、簡単に端末を奪われたりと、ちょっと脇が甘いのでは?とかツッコミどころもあるけれど、見ている間は気にならず楽しめた。

 

2人がデートするロンドンがとっても素敵✨ 特に夜のロンドンがカッコイイ。ベティの上品な衣装も良かったし、ロイやヴィンセントが着こなすスーツも素敵😍 ベルリンの街並みなども良かった。

 

騙し騙されの軽快なサスペンスと思って見ると、実は全然違うのでビックリするかも。実は重めのヒューマンドラマでもある。ヒッチコック作品好きな人はちょっとタッチが似ているので好きかも? ヘレン・ミレンとイアン・マッケラン好きな方是非!

 

『グッド・ライアー 偽りのゲーム』公式サイト

 

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【cinema】『キャッツ』

2020-01-31 00:57:00 | cinema

2020.01.24 『キャッツ』鑑賞@TOHOシネマズ楽天地

 

「キャッツ」は劇団四季版を10回以上鑑賞しているし、スタジオ収録版Blu-rayも何度も見ている大好きなミュージカル。実写化されると聞き、とても楽しみにしていたのだけど、公開日が近づいてくるにつれ聞こえて来る不評の数々。そしてビジュアルを見るにつけ不安でいっぱいに😅 でも、ムビチケ買っちゃったので公開初日に見に行ってきた。

 

ネタバレありです! 結末にも触れています!

 

「ロンドンの街角に捨てられた子猫ヴィクトリアは、ジェリクルキャッツと名乗る猫たちに導かれ、天上に昇る猫を決めるジェリクルボールに参加するが・・・」という感じですかね。これは・・・ 楽曲と役者たちの演技や歌唱がいいので後半盛り返したけれど、正直前半はちょっと無理かもと思った😅 大好きなミュージカルの映画化作品としてコレが残ってしまうというのは、個人的にちょっと残念😢

 

個人的に残念ではあるもの「キャッツ」自体のことを良く知らずに見て、ストーリーがないとか、ミュージカルが苦手だという理由で酷評されるのは悲しい😢 なので、そもそも「キャッツ」に明確なストーリーはないこと、そしてミュージカル作品の映画化だということは知っておいて欲しいと思う。

 

そもそものミュージカル作品について詳しくはWikipediaを見て頂くとして、サラリと書いておくと「キャッツ」はイギリスの詩人T.S.エリオットの詩集「キャッツ ー ポッサムおじさんの猫とつきあう方法」の詩にアンドリュー・ロイド=ウェバーが曲をつけたもの。なのでもともと物語があるわけではないし、主役がいるわけでもない。おそらくミュージカル化するにあたり転生する猫を選ぶというストーリー的なものを考え、その猫としてグリザベラを設定したということなのだと思う。

 

1981年5月11日にロンドンで初演。実は初演時グリザベラ役は今作にオールドデュトロノミー役で出演しているジュディ・デンチだった。でも、直前にケガをしてしまい、代役としてエレイン・ペイジが出演したという経緯がある。日本では劇団四季が1983年に初演。どうやら劇団四季版は海外とは違うオリジナルの猫がいたりと、独自の変化を遂げているらしい。自分は劇団四季版しか見ていないので分からないのだけど、詳しい方によるとダンスシーンなども違っているらしい?🤔

 

というわけで、今作がミュージカルなのはそもそもミュージカル作品を映画化したからであり、ストーリーがないのはそもそもストーリがないから。

 

トム・フーパー監督作品。監督の作品は『英国王のスピーチ』(感想はコチラ)『レ・ミゼラブル』(感想はコチラ)『リリーのすべて』(感想はコチラ)を見ている。全て良かったけれど、今作にあたり心配だったのは『レ・ミゼラブル』のあえての作り物感のセットやビジュアルが苦手だったため😣 作品の持っている力と俳優の演技は良かったし、良いと感じる演出もあった。例えばパリに巨大な象の像があったのは事実らしく、その辺り忠実に再現しているのかもしれないけれど、前述したように作り物感のある映像が自分の好みに合わなかった。とはいえ、それは個人的な感想ではあるのだけど、残念ながら今作ではさらにその合わなさが増していた。2作とも自分にとって思い入れの強い作品ということもあると思う。

 

映画について毎度のWikipediaから引用しておく。『キャッツ』(Cats)は、T・S・エリオットの『キャッツ - ポッサムおじさんの猫とつき合う法』に基づいた同名のミュージカル劇を原作とした2019年のイギリス・アメリカ合衆国のミュージカル・ファンタジー・コメディ・ドラマ映画。監督はトム・フーパーであり、彼にとっては『レ・ミゼラブル』以来2度目のミュージカルとなる。出演はジェームズ・コーデン、ジュディ・デンチ、ジェイソン・デルーロ、イドリス・エルバ、ジェニファー・ハドソン、イアン・マッケラン、テイラー・スウィフト、レベル・ウィルソン、フランチェスカ・ヘイワードらである。

 

ユニバーサル・ピクチャーズ配給で2019年12月20日にアメリカ、イギリスを皮切りに約40か国で公開された。批評家からはCGI効果、プロット、トーンを根拠に酷評され、2019年で最悪の1本との声も挙がっている。また商業的にも失敗し、1億ドルに近い製作費に対して2020年1月21日時点での興行収入は6100万ドルとなっている。

 

1990年代にミュージカルを原作としたアニメ映画がアンブリメーションによって計画されたが、スタジオの閉鎖により廃案となった。2013年12月、ミュージカル劇『キャッツ』の作者・作曲者であるアンドルー・ロイド・ウェバーはユニバーサル・スタジオは数年前に映画化権を獲得し、積極的に企画を進めていることをほのめかした。2016年2月、トム・フーパーが監督交渉中であり、またスキ・ウォーターハウスなどが出演者として構想されていることが報じられた。2016年5月、フーパーは監督に就任した。2018年1月、フーパーとワーキング・タイトルは正式にキャスティングを開始し、またその一方で映画を完全に実写にするか、CGで作るか、あるいはその両方の混合作品にするのかという技術的側面についても検討し、さらにアンドルー・ロイド・ウェバーが映画化の際に新曲を書き下ろすことを発表した。

 

2018年7月、ジェニファー・ハドソン、テイラー・スウィフト、ジェームズ・コーデン、イアン・マッケランがキャストに加わった。スウィフトは以前にフーパーの『レ・ミゼラブル』のエポニーヌ役のテストを受けていたが、今回はオーディション無しでボンバルリーナ役を得た。2018年10月、さらにイドリス・エルバとジュディ・デンチがキャストに加わった。デンチはかつてオリジナルの舞台ミュージカルにキャスティングされていたがアキレス腱断裂により降板しており、ロイド・ウェバーとフーパーはこの映画でオールド・デュトロノミーを女性にして彼女に役をオファーした。2018年11月、バレーダンサーのフランチェスカ・ヘイワードとスティーヴン・マックレーの他、レベル・ウィルソン、ジェイソン・デルーロ、ロバート・フェアチャイルドがキャストに加わり、イングランドのハートフォードシャーのリーブスデン・スタジオでリハーサルが行われた。

 

2019年7月18日に最初の予告編が公開され、多くの視聴者から否定的な反応を受けた。映画の上映開始初期には多くのCGIの失敗と不具合が含まれていた。ジュディ・デンチのキャラクターの猫の足の代わりに彼女自身の人間の手が結婚指輪付きで見える場面などが例に挙げられている。

 

2020年1月20日時点でアメリカ合衆国及びカナダでの興行収入は2680万ドル、その他の地域で3480万ドル、全世界で6160万ドルに達している。スタジオの損失は7100万ドルから1億ドルにのぼると見積もられている。レビュー・アグリゲーター・ウェブサイトのRotten Tomatoesでは272件のレビューで支持率は19%、平均点は3.77/10となった。Metacriticでは50件の批評で加重平均値は32/100と示された。

 

この後、延々と評判が悪いという内容が続くので引用は控える。とはいえ、ここまででも十分酷評ばかりだけれど😅 なんだかちょっとかわいそうになってきてしまったけれど、残念ながら自分も不満点を書かざるを得ないというのが正直なところ。

 

今作を作るにあたり、トム・フーパー監督はじめとした映画製作者サイドと、アンドリュー・ロイド=ウェバーはじめとした版権者(っていうのかな?)と、どの程度話し合いがなされて、どのような方向性で映画を作ろうということになったのかは不明なのだけど、映画化にあたり分かりやすくするため主人公を設定し、主人公が体験する形である程度のストーリー性を持たせたこと、キャラ変更があったこと、いくつかシーンが抜けているなどを除けば、基本元のミュージカル作品に忠実な展開になっている。「キャッツ」のファンとしては喜ばしいことではあるけれど、それが逆に映画化の足かせになったかなとも思える。自分含めて酷評しているけれど、「キャッツ」を映画するのはかなり大変な作業だったと思う。その辺り含めて、感想を書いていきたいと思う😌

 

overture

overtureが流れて映画が始まる。このシークエンスで舞台となるロンドンの街角が映し出されるのだけど、このビジュアル自体が自分的に好みではなかった。後のシーンでビッグベンやテムズ川が映りロンドンであることが分かるのだけど、ほとんどの場面で特にロンドンとは感じなかった。別にロンドンである必要はないのだけど、時代設定もよく分からない感じ。クラシカルな感じもするけど、ネオンサイン見えたりもする。とにかく全てがセットもしくはCGであって、ロケは一切行っていない様子。セット感満載でもCG多用であっても好きなビジュアルもあるのだけど、今回は全く合わなかった😭 これは個人的な好みだからしかたがない。好きな人ももちろんいると思う。

 

overtureの間に一台の車がやって来る。クラシカルなヒールを履いた足が白い袋を持って車を降りる。そして、その袋を投げ捨て車に戻り、車は去って行く。その様子を遠巻きに見ていた猫たちが集まって来る。すると白い袋はもぞもぞと動く。猫たちが引っかいたりすると、袋が破けて中から子猫が現れる。この猫はヴィクトリア(フランチェスカ・ヘイワード)で、ここに捨てられてしまったのだった。

 

Prologue: Jellicle Songs for Jellicle Cats / The Naming of Cats / The Invitation to the Jellicle Ball

ヴィクトリアを取り囲んだ猫たちは、リーダー格のマンカストラップ(ロビー・フェアチャイルド)やマジシャン猫ミストフェリーズ(ローリー・デヴィッドソン)らを中心に、自分たちはジェリクルキャッツだと名乗り、自分たちについてや、猫には特別な名前が必要であると語る。舞台ではJellicle Songs for Jellicle Catsから、歌って踊ってで一気にキャッツの世界に引き込まれるシーン。なのだけど、自分的に大きな違和感を覚えてしまったため、その後の全てのダンスシーンが作り物のように感じてしまった。

 

今作が不評な一番の理由は猫たちのビジュアルにあると思う。体を覆いつくす毛をCGで表現していて、耳や尻尾の動きも猫をよく研究して再現されていると思う。そこにメイクをした人間の顔が埋め込まれているような形になっているため、不気味なことになってしまっている。しかも、手と足は人間のままでペイントしてある。手はともかく足指が見えているのが自分的には苦手だった😫 手と足は猫のかわいさポイントの1つだからね。とはいえ、このビジュアルは見ているうちに慣れてはくる。のだけど・・・

 

前述したように体をCGにしてしまったことで、役者たちのボディラインが隠れてしまい、ダンスシーンが美しく見えない。製作陣としてはどこまで猫に寄せるか悩みどころだったのではないかと思うけど、おそらく猫っぽさを出すために腰のあたりに丸みをもたせたため、全体的にボッタリしたラインが美しくなく、せっかくの踊りが生きていないように感じた。個人的に一番致命的だったのは、例えばセットからセットに飛び移るシーンに明らかに分かるCGを使っているため、全てのダンスシーンで役者たちが超絶技巧を披露してもCGに見えてしまう。これはダメでしょう😫

 

さらに、前半は猫目線のようなカメラワークが入っていたり、作品全体にカット割りが多く落ち着かないため、カメラ酔いしそうになった。中盤のThe Jellicle Ballのシーンで特に感じたことのなのだけど、ダンスの動作が終わらないうちにカット割りして別のシーンに映ってしまうため消化不良。ヴィクトリア役のフランチェスカ・ヘイワードは英国ロイヤル・バレエ団のプリンシパルなわけだから、当然ながらバレエ的な動きをしているわけで、例えばグランジュッテは踏み切って空中姿勢で終わってしまうのだけど、バレエの動きとしては着地してポーズまでが一つの動きなわけで、その余韻が全くない。例えばフィギュアスケートで言えば、ジャンプの入り、空中姿勢、高さ、幅、そして着地してからの流れを見て採点されるわけで、それはその一連の動きが一つのジャンプということ。途中もしくは、着地した瞬間に別のカットに移ってしまうので、見ている側としてはとってもストレス。

 

何故くどくど書いているかというと、前述したとおり「キャッツ」には明確なストーリーがないため、ダンスの比重がとても高いミュージカルとなっているから。例えば「レ・ミゼラブル」は、ほとんど踊らない。ジェローム・ロビンスが手掛けた「ウェスト・サイド・ストーリー」でも、ダンスシーンは芝居の間に入って来る形。でも「キャッツ」は作品の90%くらいが歌って踊っているミュージカル。この辺りをどうするのかっていうのも難しい点ではあったと思うのだけど、ダンスシーンでストレスを感じさせてはダメでしょう。

 

The Old Gumbie Cat / The Rum Tum Tugger
そういう意味ではThe Old Gumbie Catの部分ではダンスというよりも、ビジュアル重視という感じで楽しいシーンにしようという印象は受けた。人間サイズのキッチンなどは自分の好みとは違っていても、なかなかおもしろかった。ジェニエニドッツのレベル・ウィルソンの歌はあまり上手いと思わなかったし、コメディエンヌでもあるけれど、正直あまり笑えなかった。この時点では猫ビジュアルに慣れていなかったのもあるし、舞台では猫たちが演じるネズミも擬人化しているためちょっと不気味だったこともある😅
 
 
ラム・タム・タガーのビジュアルは四季版を見慣れている身としては、思っていたのと違かったけど、ジェイソン・デルーロは歌も上手かったし、なかなか楽しかったと思う。
 
 
Bustopher Jones
個人的に楽しみにしていたジェームズ・コーデンのバストファージョーンズ。劇団四季の舞台版を見慣れている者としてビジュアル面で舞台版と一番近かったのはバストファージョーンズかも。ジェームズ・コーデンがとても合っている。ただ、笑わせようとしている部分が自分に全く合わなかった💦 ジェームズ・コーデンをそんなに良く知っているわけではないのだけど、例えばインスタで見た路上で「オペラ座の怪人」のパロディやっちゃう感じとかとても好きなのだけど、変に下ネタって感じで😅 
 
 
あと、このシーンでゴミ箱を倒して、残飯を猫たちが食べるシーンがあるのだけど、これがもう気持ち悪くて🤮 リアルではなくて作り物感のあるお肉などで、野良猫たちの過酷な生活を見せる意味もあるのかもしれないけれど、個人的にちょっと悪趣味に感じた。
 
 
Mungojerrie and Rumpelteazer
映画ならでわで良いなと思ったシーンは、Mungojerrie and Rumpelteazerのシーン。オス猫とメス猫の泥棒カップル。舞台版では2匹だけで歌い踊るのだけど、映画版ではヴィクトリアがマンゴジェリー(ダニー・コリンズ)
とランペルティーザ(ナオイム・モーガン)に引っ張られるような形で、お金持ちの人間のお屋敷に忍び込んで、歌ったり踊ったりベッドに飛び移ったりと大はしゃぎで、これはとても楽しいシーンだった。階段でのヴィクトリアのアントルシャカトルは、もう少し引きではない画で見たかったけれど。このシークエンスで人間のブレスレットかな?を首にかけているのが、上に貼った海外版ポスターのビジュアルとなっている。
 
 
Old Deuteronomy
いくつかキャラが変わった猫たちがいる。例えばグロールタイガー(レイ・ウィンストン)は後に出て来る劇場猫ガスが演じた役として、劇中劇で演じられるキャラクターだけど、今回は独立してマキャヴィティ(イドリス・エルバ)の仲間という形になっている。その中でも一番変わったのはオールドデュトロノミーで、なんと性別が変わってしまった😲 これはおそらく、初演時に出演する予定だったジュディ・デンチを出すためだと思われる。
 
 
初演時ジュディ・デンチはグリザベラ役の予定だったから、出演していたらメモリーを歌ったのかしら? 若い頃の歌唱力がどんな感じだったのか不明なのだけど、歌は正直お年を召しただけとは言い難い感じはある😅 だけど、それを補って余りある存在感。天上に転生するたった一匹の猫を選ぶ権限を持つオールドデュトロノミー。四季版のオールドデュトロノミーは悟り切っている感じで、対象者を積極的に探そうとはしていなかった。映画版も積極的に探しているわけではないけれど、誰にしようか迷っているというような描写が入る。それは、見ている側にどうなるのかという期待感を持たせるためだろうから特に問題はないし、その分オールドデュトロノミーの出番が増えているのもジュディ・デンチ好きとしてはうれしかった。そして、猫ビジュアルが一番合っていたのはオールドデュトロノミーだったかも。特に後ろ頭。
 
 
The Jellicle Ball
ここはもう本当に猫たちが歌って踊る場面なのだけど、チラチラとマキャヴィティたちの影があって、その辺りを見せる必要があるのは分かる。分かるのだけど、前述したようにダンスとしての一つの動作が完結しないうちに、別の猫の表情をチラリと見せるだけのカットを入れたりするので、ダンス重視で見ている側としてはストレスが溜まるし、こちらも前述したとおりCGを使った体のラインのおかげで美しく見えず、さらに一度CGを使ってしまったために役者たちの踊り自体もCGを使っているように見えてしまう。せっかく英国ロイヤルのプリンシパルが踊っているのに残念過ぎる😢 さすがにフランチェスカ・ヘイワードやスティーヴン・マックレーの踊りをCGとは思わないけど、とにかくアップ多用で上半身しか映らなかったり、引き過ぎて小さかったり、全身映っても足元が切れてたり、ポーズ前に別カットに行ったりストレス😣
 
 
映画なので自分のようにダンス重視で見ている人ばかりではないと思うけれど、せっかくダンスシーンを入れたのなら魅力が伝わり切らないのは残念過ぎる。今作に限らず、ミュージカル好きの映画監督がダンスを上手く撮れるとは限らないので、ここはダンスを撮るのが上手い撮影監督とかを使うという選択をぜひともしていただきたいところ。
Grizabella, The Glamour Cat
前半でもチラリと登場していて、ヴィクトリアが気にしてはいたのだけど、本格的にグリザベラ(ジェニファー・ハドソン)登場。舞台版ではグリザベラは元娼婦猫で年老いて落ちぶれているという設定だったけれど、落ちぶれてしまってはいるけれど元女優という設定に変更されていた。これは子供も見るからってことかしら? 娼婦だと何か人権侵害的なことでまずのかしら? イヤ、猫たちが彼女を嫌ったのは元娼婦だったからだと思うので、そこを変更してしまうと本質的な部分が違ってくるのではないかと🤔 早々ネタバレしてしまうけれど、元娼婦だから差別されていたけれど、彼女の辛さ寂しさ、本質的な美しさに触れて猫たちが彼女を受け入れ、そして彼女は転生することを許されるわけなので、そこ変えてしまうのはどうなのかしら? そして、グリザベラはマグダラのマリアのメタファーということではないのかしら? 「罪のない者のだけが石を投げよ」ということなのではないのかな? まぁ、キリスト教圏の人が変更したのだから、考え過ぎか😅
 
 
The Moments of Happiness / Memory
舞台版では2幕目のオープニング曲。オールドデュトロノミーが朗々と歌うナンバー。ジュディ・デンチ歌っておりました。そもそも猫は夜行性だし、一夜の出来事を描いていることもあり、舞台版はずっと夜だったのだけど、映画は夜が明けて来る。劇団四季版では今作のヴィクトリアにあたるシラバブという子猫が、やがて夜が明けると歌っているので、この変化はよかったかなと思う。朝日が当たる中でのオールドデュトロノミーは神々しかった。
 
 
Gus: The Theatre Cat
劇団四季版ではジェリーロラムが紹介するのだけど、映画版ではマンカストラップが行う。本名アスパラガスという劇場猫ガス(イアン・マッケラン)が、昔の栄光を歌う。舞台版ではGrowltiger's Last Stand including "The Ballad of Billy McCaw"という劇中劇に展開、ジェリーロラムがグリドルボーンという悪女猫として登場したりするのだけど、この部分はまるまるカットで、前述したとおりグロールタイガーは悪役猫として独立したキャラになっている。なので、ガスが歌って終了。イアン・マッケランは少しコミカルに、でも切なさをにじませさすがの演技を披露。こちらも高齢ということもあり、少し安定しない部分はあったものの、ガスのキャラを考えるとそれも味といえるかもしれない。この辺りから映画もどんどん見応えが上がって来た。やはり楽曲がいいし、名優が出ると締まる。
 
 
Skimbleshanks, the Railway Cat
個人的に2幕のお楽しみポイントの1つ。鉄道猫スキンブルシャンクスを紹介するシークエンスで、舞台版ではセットの一部であるゴミを持ち寄って、猫たちが汽車になる。このシーンがとてもかわいくて好き😍 とはいえ映画なので、この辺りどうするのだろうと期待していた。そして! スキンブルを演じるのが英国ロイヤル・バレエ団のプリンシパルであるスティーヴン・マックレー! これは期待大✨ どんなダンスを披露するのかと思っていたら、まさかのタップダンス! スティーヴン・マックレーはタップダンスも得意で、「不思議の国のアリス」のマッドハッター役でタップダンスを踊ったこともあるんだよね。これホントに超絶技巧です! このシーンは足元しっかり映してくれてうれしかったし、タップを躍らせたのも良かったと思う。スキンブルにキャラづけがされた。そして、なんと猫たちは線路の上を歩いてテムズ川を渡り、列車に乗り込む。このシーンは映画ならでわで良かったと思う。こういうシーンがないと映画化した意味がないし。
 
 
Macavity
舞台版ではディミータとボンバルリーナというカッコイイ雌猫2匹が歌い踊る。かなりダークでセクシーなイメージ。でも、ここも子供が見ることを想定したのか、かなり煌びやかなシーンに変更になっていた。ディミータは登場せず、ボンバルリーナ(テイラー・スウィフト)がゴンドラ的な物に乗って登場。他の猫たちを従えて、粉をまき散らしながらハスキーヴォィスで歌う。曲が声に合ってて良かったと思う。ダンスのジャンルが分からないけど、女性ポップ歌手がよくやる感じのダンスを披露。これも良かった。舞台版とはかなり印象が違うけれど、映像ならでわの変更になっているので、これはOK。
 
 
マキャヴィティは舞台版ではかなり謎に包まれていて、チラッとしか登場しない。映画版ではイドリス・エルバが演じていることもあり、しっかり登場。身長が高いこともありスラリとカッコイイ😍 このマキャヴィティがオールドデュトロノミーをさらってしまう。マキャヴィティはその他にもジェニエニドッツやガスもさらっていて、テムズ川に浮かぶ船に拉致しており、彼らを見張っていたのがグロールタイガーということになっている。これは映画オリジナルのエピソード。マキャヴィティの狙いはオールドデュトロノミーに天上に転生する猫に選んでもらうこと。これも映画オリジナルの設定で、舞台版ではマキャヴィティがオールドデュトロノミーをさらった理由はハッキリ描かれていなかったと思う。マキャヴィティがジェニエニドッツやガスを殺すと脅すと、それならば自分はテムズ川に身を投げると船の帆先に進むオールドデュトロノミー。
 
 
ここでシーンが切り替わる。このシーンが挿入されたのはマキャヴィティの出演シーンを増やすためと、オールドデュトロノミーをさらう事の理由付けだと思うけれど、特別ドキドキもせず。とはいえ、自分がその後の展開を知っているからかもしれない🤔
 
 
Mr Mistoffelees
さて、舞台では後半の見せ場の一つであるマジシャン猫ミストフェリーズのシーン。バレエが踊れる俳優がキャスティングされることが多く、32回転フェッテが最大の見もの。なのだけど、今回はなし😢 舞台版ではミストフェリーズは偉大なマジシャンで、早くから登場している小さな黒猫が2役演じているという設定らしく、マジシャンとして登場する時には電飾が光ベストのようなものを着ている。でも、映画版は最初からずっとミストフェリーズとして登場していて、さらにヴィクトリアのことを気に入るという設定にしているためか、マジシャン修行中という感じになっている。
 
 
マジックでオールドデュトロノミーを探そうということになり、ミストフェリーズに白羽の矢が立つ。舞台版では当然のように登場して歌って踊り、32回転フェッテまでしてオールドデュトロノミーを呼び戻すけど、映画版はマジシャン見習い的な感じなので、本人も無理だと消極的だし、何度も失敗してしまう。この辺りはハラハラさせるだけでなく、自分や仲間を信じる大切さとか、諦めないことなどを表しているのかもしれないけど、個人的にはちょっと長く感じた😅
 
 
Beautiful Ghosts
当然ながらオールドデュトロノミーは戻って来る。猫たちは大喜び😃 そんな中、ヴィクトリアは外にグリザベラの姿を見かけ、気になって出て行く。グリザベラは放っておいて欲しいという態度。そんなグリザベラにヴィクトリアが歌いかけるBeautiful Ghostsは映画オリジナル。どうやらテイラー・スウィフトが歌ったバージョンが主題歌として発売されたようだけれど、このシーンの歌唱はフランチェスカ・ヘイワード本人。キレイな声で歌も良かったと思う。
 
 
Memory
ヴィクトリアが導くように戻ると、グリザベラは意を決して扉を開けて中に入って来る。勇気をもって現れた彼女に猫たちは様々な反応を見せる。興味を持って見守る者、不快感をあらわにする者、好意を寄せようとする者。オールドデュトロノミーはそれをじっと見守っている。でも、好意を見せていた者たちも、敵意を持った猫たちに飲み込まれ、グリザベラを追い出そうとし始める。そこで、グリザベラが歌い出すのが、名曲Memory。
 
 
ジェニファー・ハドソンだから失敗はないと思っていたけれど、パワフルに歌い上げ過ぎたらどうしようかという不安がなくもなかった。Touch me~ の部分で感情がほとばしって欲しいし、もちろん歌い上げても欲しいのだけど、それはパワフル方向ではないので。でも、悲しみと絶望をにじませた歌い出しも良かったし、Touch me~ の部分もやり過ぎていなくてとても良かった。やっぱりこの曲は素晴らしい。前半の違和感を吹き飛ばすパワーがある。
 
 
The Journey to the Heavyside Layer
グリザベラの思いや本質的な美しさを知った猫たちは、彼女を受け入れる。そして、オールドデュトロノミーは天上へ転生する猫としてグリザベラを選ぶ。グリザベラはカゴのついた気球的なものに乗って天上へ登っていく。うーん。このデザインはどうにかならなかったのだろうか😅 イヤ、舞台版のもちょっとどうだろうと思う部分もあるのだけど、これはちょっと。イヤ、天上に転生するって、要するに天国に行くっていうことだよね? キリスト教的な考えがどうなっているのか不明だし、もしかしたら気球的なもので天上へ行くのかもしれないけれど、ちょっと安っぽい気がしてしまったのだけど😅
 
 
The Ad-Dressing of the Cats
空に昇り始めたグリザベラを乗せた気球的なものを追って、猫たちは外に出る。ピカデリーサーカスっぽいところで締めの歌唱。猫は求めるのだ唯一のその名。毎回ここで泣いてしまう😭 一緒に暮らすはっちゃんだけれど、名前も持たないまま野良猫として一生を終える猫たちのことを考えてしまう。イギリスの大詩人T.S.エリオットがこの詩にどのような思いを込めたのか正確には理解できていないけれど、猫を見てとても哲学的な感じがしていたのではないかなと思う。そして、誰にも唯一のその名がきっとあるということなのかなと。
 
 
映画は、ヴィクトリアがジェリクルキャッツに迎えられて終わる。舞台版はグリザベラが主役なのだろうと思う。ただ、彼女はあまり登場しないので、物語を引っ張る存在が必要だったということなのでしょう。舞台版では一応その役割がマンカストラップなのだけど、子猫が成長していく物語とした方が分かりやすいということかな。その辺りの変更はOKだと思うし、ヴィクトリアが主役なのであればこの終わりでOK。

 

キャストは皆良かったと思う。なかなか豪華で人数も多いので、それぞれのシーンで触れたキャストについては割愛。ヴィクトリアのフランチェスカ・ヘイワードが素晴らしかった。バレエシーンはピケターンの素早さや、グランジュッテの空中姿勢の美しさなど、鳥肌モノだった。歌も良かったと思う。ご本人はもう歌うことはないとおっしゃっているけれど。そもそも英国ロイヤル・バレエ団のプリンシパルだから、身体表現が素晴らしく、すべてにおいてかわいく美しかった。彼女に救われた部分は大きいと思う。

 

さて、散々な評判になってしまっているけれど、個人的には後半盛り返した印象。ただ、全体的にこれが「キャッツ」だと思うか聞かれたら、別モノですと答えるかな😅 前述したとおり「キャッツ」を映画化するのはとても難しいと思う。明確なストーリーがないこと、ダンスが主体であること、登場人物が猫であることなど。人間が猫を演じること、そして舞台版からそう遠くないイメージにするとビジュアルはどうすればいいのか? 舞台版の全身タイツがベストな気はするけれど、それならば1996年に作られたスタジオ収録版でいいわけで🤔

 

今回、役者の体のラインが見えてしまうことや、服を着ている猫といない猫がいるため、ポルノという意見もあるようだけれど、舞台版の全身タイツを見慣れた身としては逆に体のラインが見えず、ダンスが美しく見えないと感じたのは前述したとおり。自分も正直このビジュアルは好きではないけど、見ている間に慣れてはくる。でも、慣れたらそれでいいのかという疑問も😅 

 

劇団四季が「キャッツ」を上演する場合、仮設の劇場を建ててしまう。一部、客席と一体化した舞台は基本固定で、劇中劇のシーンでセットが出て来るぐらいで、基本セットも変わらない。なので場面転換は猫たちのダンスや歌唱、そして小道具などで行っている。映画化するにあたり、そこをどうするかも難しかったかもしれない。猫たちがゴミを使って作る列車もいいけど、映画なら実際に汽車に乗せた方がいい。それが映画にする意味だから。とはいえ、前半部分はちょっと本来の「キャッツ」からかけ離れてしまった印象はあるかな🤔

 

もう、まとまらなくなってきたのでこの辺で止めるけど、決していい加減に作った作品ではないと思う。役者も、スタッフもみな頑張ったのだと思う。ただ、出来上がったものが「キャッツ」なのかというと、自分には別モノだなと思えるということを、長々と書いてみました😌 

 

別モノとしてなら楽しめると思う。とはいえ、それでいいのか? でも、好みはそれぞれだから、気に入るかもしれないし、見てみるのもいいと思う。というオススメのしかたでございます😅

 

『キャッツ』公式サイト

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