『スタンリーのお弁当箱』鑑賞
『スタンリーのお弁当箱』冒頭5分にわたる関係者への謝意、道徳観念に問題のある教師など、ちょっとどうなのか?と思う部分もあるし、スタンリーの境遇にどんよりするけど、ワークショップと称して1年かけて撮影したという子供たちが自然で素晴らしい!子供たちとお弁当に救われたか?w Posted at 10:40 PM
公開時気になっていたのだけど、結局見に行かず・・・ シネスイッチ苦手で・・・ ということでWOWOWで放送になったので録画して鑑賞。
ネタバレありです!
「小学校4年生のスタンリーはクラスの人気者。家庭の事情でお弁当を持ってくることができないスタンリーに、友達たちがお弁当を分けてくれる。でも、国語教師のヴァルマー先生から、お弁当を持ってこない者は学校に来るなと言われてしまい・・・」という話。うーん・・・ これはチラシや予告編から感じていたのとは違っていたなぁ(笑) まさかそんな話とは知らなくてビックリ。悪くはないのだけど、これはかなり子供たちの自然な演技に救われた作品だと思う!
まずビックリしたのが冒頭5分間にわたる、各関係者への謝辞。エンドクレジットではよく見かけるけれど、冒頭にこの長さはちょっと・・・ 自身は家で見てたので、上映前の予告編は見てないわけだけど、映画館での予告編に耐えて、さて本編と思っていたのに、延々これを見せられたらかなり辛いと思う。こんな言い方はなんだけれど、映画製作のためにお世話になった人については、見ている側にとっては関係ないわけで・・・ まぁ、観客があまりの感動に、こんな素晴らしい映画を作るために協力してくれてありがとう!という気持ちになることもあるかもしれないけれど、それは見終わってから思うことであって、最初に5分間も見せられるのは苦痛。
スタンリーは話し上手でクラスの人気者。決して豊富とはいえない材料で、クラスのみんなをビックリさせる工作を作ったり、想像力にあふれた少年。英語教師ロージー先生は、そんなスタンリーの才能を見抜き、楽しいエッセイや、先生のお誕生日を祝う詩の朗読に対して、ご褒美としてキャンディーやチョコをくれる優しい先生。でも、他の女性の先生はスタンリーの工作を、地球温暖化というテーマに沿わない無駄な作品だと決めつける。スタンリーは何故かお弁当を持ってこず、売店に買いに行くなどと言っては、外に出て水道で水を飲んで空腹を満たしている。クラスの友達たちが、不審に思ってたずねると、両親は遠くに出掛けているからお弁当が作れないと言う。なら、自分のを食べなよって感じで、自然に分け合う姿がカワイイ。お弁当を分けてくれた友達の中には、クラスでただ一人携帯電話を持っている、お金持ちの家の子もいるのだけど、恵んでやる的な発想は一切ない。
そんな中、国語教師のヴァルマー先生が、お金持ちの生徒のお弁当を執拗に狙ってくる。この先生、どうやらお弁当を持参せず、同僚の先生たちから分けてもらっているらしい。何故、この先生がお弁当を持って来ないのか説明がないので、何か事情があるのか、単に図々しいだけなのか分からないので、かなり困惑する。だって、普通の日本人の感覚からして、生徒のお弁当目当てで、彼らがそれを察知して毎日食べる場所を変えているのに、必死に探してみたり、授業中に昨日はどこでお弁当を食べていたんだ?! 自分が食べに行くと言ったじゃないか!と怒る教師って完全に問題ありでしょう。もちろん、監督ご自身が演じているヴァルマー先生は、この映画の悪役ではあるのだけど、あまりの設定にビックリ。
でも、いくつか他の方のblog記事を拝見していたところ、学校自体はキリスト教なのだけど、どうやらこの先生はヒンドゥー教徒で、ヒンドゥー教には身分が上のものが、下の者に施すことは当然のことという考え方があるそうで、先生が周りの先生たちからお弁当を分けてもらうことに、全く抵抗感がないのはそういう部分があるからなのだそう。なるほど・・・ それにしたって嫌がる生徒たちのお弁当を強引に奪おうとするのは違うと思う。先生が学校中を探し回って、生徒たちを見つけられず、ヴェジタリアンの先生のお弁当しか分けてもらえないというシーンが結構続く。ここはコメディ部分なのでOKなのだけど、とうとう生徒たちを見つけたものの、既に食べ終えていたことに怒り、スタンリーに対して「お弁当を持ってこない者は、学校に来るな!」と言い放ってしまう。何この先生?! 予告編でもこのセリフは見ていて、変なこと言う先生だなと思っていたけど、まさか理由が自分の狙っていたお弁当をスタンリーに食べられたからとは思わなかった・・・┐(´д`)┌ まぁ、でも子供向けに分かりやすいキャラなのかも?翌日からスタンリーは学校に現れなくなる。生徒たちから睨まれるようになって、ヴァルマー先生は罪悪感に苛まれていく。同僚の先生方の目も冷たい。ロージー先生の一言も心に刺さる。
一方、地域の学校から歌と踊りが上手な生徒を選抜し、ショーを披露しようという企画が持ち上がる。学校でもオーディションが行われるが、スタンリーが一番上手いと考えた友達たちは、彼に連絡を取ろうとするけど、家も知らないことに気づく。何とか家を出たものの学校に行けずにいるスタンリーを探し出し、企画のことを話す。選抜された生徒たちが集められた場所に向かい、歌と踊りを披露し出演できることになる。スタンリーは、ヴァルマー先生の前にお弁当を持って現れ、「これが僕のお弁当です。学校に来てもいいですか?」と尋ねる。無垢な彼を傷つけ、苦しめていたことに気づいたヴァルマー先生は、スタンリーに詫びの手紙を残して去っていくヴァルマー先生の後姿が、やけにシリアスに描かれる。ここには身分が低いことに逆に甘え、施しを受けて当然と思っていたことの、浅ましさに気づいたのではないかということなのだけど、その部分はある程度予備知識がないと分からないなぁ・・・ まぁでも、そういう宗教的な階級意識などがなくても、単純に大人が子供にする行動ではないわけで、子供向けなのであれば、この程度の悪人で、この程度の反省でOKなのかも?
さて、ロージー先生と婚約者、校長先生なども見守る中、スタンリーが出演したショーは大成功に終わる。ロージー先生は彼の踊りと歌を褒め、車で送ると言うけれどスタンリーは家族が迎えに来ているからと断る。両親が遠くに行っているというスタンリーの言葉が嘘であることは、見ている側は気づいているし、何かしら事情があるのも分かっているけど、何なのかが分からない・・・ そんなスタンリーに校長先生が声をかける、校長先生の車に乗るスタンリー。校長先生はどうやら事情を知っているらしい。スタンリーが帰ったのは小さな食堂。そこの店主に殴られる。彼は叔父で厄介者のスタンリーを引き取ってやったのだから、店を手伝うのが当然なのに、どこに行っていたのだと怒っている。実はスタンリーの両親は事故で亡くなっていたのだった。叔父は引き取って学校には通わせてくれているので、虐待とまではいえないのかもしれないけれど、まだ小学4年生のスタンリーが、夜遅くまで働かされていることは事実で、しかもお弁当も持たせてはもらえない。チラリと前半に現れた従業員の青年(兄?)が、残り物を詰めてお弁当を作ってくれることになったのだった。彼と一緒に厨房に布団を敷いて眠るスタンリーの境遇は、日本人からしたら悲惨なもので、それこそ虐待だと思うのだけど、両親に祈りを捧げて眠るスタンリーの姿に悲壮感はない。叔父に殴られた時も、楽しかったからいいんだと受け入れる。きっと両親は彼を愛して育てたのでしょう。その思い出でスタンリーは現実を受け入れて、幸せを感じられるのだと思う。
学校にお弁当を持参して、これはママが作ってくれたんだと、残り物のお弁当を友達や先生に振る舞う姿が健気で泣ける・・・ 前半で友達たち乞われて語っていた冒険譚も、スタンリーの作り話なのでしょう。スタンリーを嘘つきと思うか、想像力の豊かな少年と取るかは人それぞれだと思うけれど、悲惨な状況を想像力で補うことも生きていくすべであり、強さでもあるのだと思う。自身はこのスタンリーの想像力がとっても好きだった。生徒たちはともかく、先生たちがスタンリーの家庭の状況を把握していないのはどうなのか?とはちょっと思うけれど・・・
どうやら、この映画は労働させられている子供たちの問題を取り上げるという主旨があったようで、その割スタンリーが労働させられているシーンはほとんどなく、エンドクレジットで紹介されるだけなので、ちょっと拍子抜けというか、きょとんとしてしまった。まぁ、悲惨な場面を見たいわけではないし、文章だけでも伝わるものは伝わったのだけど・・・ どうやら生徒役の子供たちは学校が休みの土曜日のみ集まって撮影したそうで、撮影のために学校を休むことはなかったのだそう。ワークショップだと説明し、カメラはあったけれど小型カメラだったため、子供たちは映画に出演しているとは知らなかったのだそう。だから演技がとっても自然! 実際のインドの学校はみんなこんな感じなのか、この学校がミッション系の学校だからなのかは不明だけど、そこには差別とかいじめのようなものは感じられない。ケンカといっても左利きのスタンリーの肘が、右利きの隣の席の子に当たってしまい、自分の席の領地争いになるという微笑ましさ。この問題もヴァルマー先生や、キリキリした女性の先生は、2人を叱りつけて終わりだけど、ロージー先生はスタンリーが左利きなのに気づき、隣の子と席を変えて解決する。想像力を働かせれば分かること。そういう、細かいメッセージはとってもいいと思った。
ロージー先生役のディヴィヤ・ダッタは優しいロージー先生を好演。ロージー先生に救われたのはスタンリーだけじゃない。でも、彼女の想像力を持ってしても、スタンリーが抱えている問題には気づかなかった・・・ ヴァルマー先生を演じていたのは監督のアモール・グプテ。何故この役をこんな設定にしたのかは謎だけど、悪役を好演していたと思う(笑) スタンリー役のパルソーくんがカワイイ! 大きな瞳がキラキラしてて、想像力豊かで、何を言っても答えが返って来る彼を、生意気だと感じる人もいるかも?事実ヴァルマー先生や、キリキリした女性教師はそう思っていたみたいだし。でも、想像力豊かな彼の話の裏の、彼の事情を知った時、とっても健気で泣きそうになる。とっても好演していたパルソーくん、実は監督の息子ちゃんだそう。なるほど! ワークショップだと思って出ていたパルソーくんをはじめとした子供たちは、ヴァルマー先生役の監督のことを嫌いになってしまったそうで、それらがとっても自然で見いて微笑ましいし、とってもカワイイ。変に演技をさせないのは良かったと思う。
ということで、冒頭の謝辞の是非、インド文化に詳しくないと理解が難しいキャラ設定、エンドロールにならないと伝わらない主旨など、ツッコミどころ満載ではあるものの、とにかく子供たちのキラキラした瞳が印象的でカワイイ作品。
スタンリーや子供たちの歌と踊りはあるものの、いわゆる歌って踊ってのないインド映画。でも、とってもインドらしい映画な気がする。インドの子供たちのキラキラした映画が見たい方おススメ!
そうそう! 一言もセリフのないロージー先生の婚約者が、すごいイケメンだった
『スタンリーのお弁当箱』Official site
http://twitter.com/maru_a_gogo
『スタンリーのお弁当箱』冒頭5分にわたる関係者への謝意、道徳観念に問題のある教師など、ちょっとどうなのか?と思う部分もあるし、スタンリーの境遇にどんよりするけど、ワークショップと称して1年かけて撮影したという子供たちが自然で素晴らしい!子供たちとお弁当に救われたか?w Posted at 10:40 PM
公開時気になっていたのだけど、結局見に行かず・・・ シネスイッチ苦手で・・・ ということでWOWOWで放送になったので録画して鑑賞。
ネタバレありです!
「小学校4年生のスタンリーはクラスの人気者。家庭の事情でお弁当を持ってくることができないスタンリーに、友達たちがお弁当を分けてくれる。でも、国語教師のヴァルマー先生から、お弁当を持ってこない者は学校に来るなと言われてしまい・・・」という話。うーん・・・ これはチラシや予告編から感じていたのとは違っていたなぁ(笑) まさかそんな話とは知らなくてビックリ。悪くはないのだけど、これはかなり子供たちの自然な演技に救われた作品だと思う!
まずビックリしたのが冒頭5分間にわたる、各関係者への謝辞。エンドクレジットではよく見かけるけれど、冒頭にこの長さはちょっと・・・ 自身は家で見てたので、上映前の予告編は見てないわけだけど、映画館での予告編に耐えて、さて本編と思っていたのに、延々これを見せられたらかなり辛いと思う。こんな言い方はなんだけれど、映画製作のためにお世話になった人については、見ている側にとっては関係ないわけで・・・ まぁ、観客があまりの感動に、こんな素晴らしい映画を作るために協力してくれてありがとう!という気持ちになることもあるかもしれないけれど、それは見終わってから思うことであって、最初に5分間も見せられるのは苦痛。
スタンリーは話し上手でクラスの人気者。決して豊富とはいえない材料で、クラスのみんなをビックリさせる工作を作ったり、想像力にあふれた少年。英語教師ロージー先生は、そんなスタンリーの才能を見抜き、楽しいエッセイや、先生のお誕生日を祝う詩の朗読に対して、ご褒美としてキャンディーやチョコをくれる優しい先生。でも、他の女性の先生はスタンリーの工作を、地球温暖化というテーマに沿わない無駄な作品だと決めつける。スタンリーは何故かお弁当を持ってこず、売店に買いに行くなどと言っては、外に出て水道で水を飲んで空腹を満たしている。クラスの友達たちが、不審に思ってたずねると、両親は遠くに出掛けているからお弁当が作れないと言う。なら、自分のを食べなよって感じで、自然に分け合う姿がカワイイ。お弁当を分けてくれた友達の中には、クラスでただ一人携帯電話を持っている、お金持ちの家の子もいるのだけど、恵んでやる的な発想は一切ない。
そんな中、国語教師のヴァルマー先生が、お金持ちの生徒のお弁当を執拗に狙ってくる。この先生、どうやらお弁当を持参せず、同僚の先生たちから分けてもらっているらしい。何故、この先生がお弁当を持って来ないのか説明がないので、何か事情があるのか、単に図々しいだけなのか分からないので、かなり困惑する。だって、普通の日本人の感覚からして、生徒のお弁当目当てで、彼らがそれを察知して毎日食べる場所を変えているのに、必死に探してみたり、授業中に昨日はどこでお弁当を食べていたんだ?! 自分が食べに行くと言ったじゃないか!と怒る教師って完全に問題ありでしょう。もちろん、監督ご自身が演じているヴァルマー先生は、この映画の悪役ではあるのだけど、あまりの設定にビックリ。
でも、いくつか他の方のblog記事を拝見していたところ、学校自体はキリスト教なのだけど、どうやらこの先生はヒンドゥー教徒で、ヒンドゥー教には身分が上のものが、下の者に施すことは当然のことという考え方があるそうで、先生が周りの先生たちからお弁当を分けてもらうことに、全く抵抗感がないのはそういう部分があるからなのだそう。なるほど・・・ それにしたって嫌がる生徒たちのお弁当を強引に奪おうとするのは違うと思う。先生が学校中を探し回って、生徒たちを見つけられず、ヴェジタリアンの先生のお弁当しか分けてもらえないというシーンが結構続く。ここはコメディ部分なのでOKなのだけど、とうとう生徒たちを見つけたものの、既に食べ終えていたことに怒り、スタンリーに対して「お弁当を持ってこない者は、学校に来るな!」と言い放ってしまう。何この先生?! 予告編でもこのセリフは見ていて、変なこと言う先生だなと思っていたけど、まさか理由が自分の狙っていたお弁当をスタンリーに食べられたからとは思わなかった・・・┐(´д`)┌ まぁ、でも子供向けに分かりやすいキャラなのかも?翌日からスタンリーは学校に現れなくなる。生徒たちから睨まれるようになって、ヴァルマー先生は罪悪感に苛まれていく。同僚の先生方の目も冷たい。ロージー先生の一言も心に刺さる。
一方、地域の学校から歌と踊りが上手な生徒を選抜し、ショーを披露しようという企画が持ち上がる。学校でもオーディションが行われるが、スタンリーが一番上手いと考えた友達たちは、彼に連絡を取ろうとするけど、家も知らないことに気づく。何とか家を出たものの学校に行けずにいるスタンリーを探し出し、企画のことを話す。選抜された生徒たちが集められた場所に向かい、歌と踊りを披露し出演できることになる。スタンリーは、ヴァルマー先生の前にお弁当を持って現れ、「これが僕のお弁当です。学校に来てもいいですか?」と尋ねる。無垢な彼を傷つけ、苦しめていたことに気づいたヴァルマー先生は、スタンリーに詫びの手紙を残して去っていくヴァルマー先生の後姿が、やけにシリアスに描かれる。ここには身分が低いことに逆に甘え、施しを受けて当然と思っていたことの、浅ましさに気づいたのではないかということなのだけど、その部分はある程度予備知識がないと分からないなぁ・・・ まぁでも、そういう宗教的な階級意識などがなくても、単純に大人が子供にする行動ではないわけで、子供向けなのであれば、この程度の悪人で、この程度の反省でOKなのかも?
さて、ロージー先生と婚約者、校長先生なども見守る中、スタンリーが出演したショーは大成功に終わる。ロージー先生は彼の踊りと歌を褒め、車で送ると言うけれどスタンリーは家族が迎えに来ているからと断る。両親が遠くに行っているというスタンリーの言葉が嘘であることは、見ている側は気づいているし、何かしら事情があるのも分かっているけど、何なのかが分からない・・・ そんなスタンリーに校長先生が声をかける、校長先生の車に乗るスタンリー。校長先生はどうやら事情を知っているらしい。スタンリーが帰ったのは小さな食堂。そこの店主に殴られる。彼は叔父で厄介者のスタンリーを引き取ってやったのだから、店を手伝うのが当然なのに、どこに行っていたのだと怒っている。実はスタンリーの両親は事故で亡くなっていたのだった。叔父は引き取って学校には通わせてくれているので、虐待とまではいえないのかもしれないけれど、まだ小学4年生のスタンリーが、夜遅くまで働かされていることは事実で、しかもお弁当も持たせてはもらえない。チラリと前半に現れた従業員の青年(兄?)が、残り物を詰めてお弁当を作ってくれることになったのだった。彼と一緒に厨房に布団を敷いて眠るスタンリーの境遇は、日本人からしたら悲惨なもので、それこそ虐待だと思うのだけど、両親に祈りを捧げて眠るスタンリーの姿に悲壮感はない。叔父に殴られた時も、楽しかったからいいんだと受け入れる。きっと両親は彼を愛して育てたのでしょう。その思い出でスタンリーは現実を受け入れて、幸せを感じられるのだと思う。
学校にお弁当を持参して、これはママが作ってくれたんだと、残り物のお弁当を友達や先生に振る舞う姿が健気で泣ける・・・ 前半で友達たち乞われて語っていた冒険譚も、スタンリーの作り話なのでしょう。スタンリーを嘘つきと思うか、想像力の豊かな少年と取るかは人それぞれだと思うけれど、悲惨な状況を想像力で補うことも生きていくすべであり、強さでもあるのだと思う。自身はこのスタンリーの想像力がとっても好きだった。生徒たちはともかく、先生たちがスタンリーの家庭の状況を把握していないのはどうなのか?とはちょっと思うけれど・・・
どうやら、この映画は労働させられている子供たちの問題を取り上げるという主旨があったようで、その割スタンリーが労働させられているシーンはほとんどなく、エンドクレジットで紹介されるだけなので、ちょっと拍子抜けというか、きょとんとしてしまった。まぁ、悲惨な場面を見たいわけではないし、文章だけでも伝わるものは伝わったのだけど・・・ どうやら生徒役の子供たちは学校が休みの土曜日のみ集まって撮影したそうで、撮影のために学校を休むことはなかったのだそう。ワークショップだと説明し、カメラはあったけれど小型カメラだったため、子供たちは映画に出演しているとは知らなかったのだそう。だから演技がとっても自然! 実際のインドの学校はみんなこんな感じなのか、この学校がミッション系の学校だからなのかは不明だけど、そこには差別とかいじめのようなものは感じられない。ケンカといっても左利きのスタンリーの肘が、右利きの隣の席の子に当たってしまい、自分の席の領地争いになるという微笑ましさ。この問題もヴァルマー先生や、キリキリした女性の先生は、2人を叱りつけて終わりだけど、ロージー先生はスタンリーが左利きなのに気づき、隣の子と席を変えて解決する。想像力を働かせれば分かること。そういう、細かいメッセージはとってもいいと思った。
ロージー先生役のディヴィヤ・ダッタは優しいロージー先生を好演。ロージー先生に救われたのはスタンリーだけじゃない。でも、彼女の想像力を持ってしても、スタンリーが抱えている問題には気づかなかった・・・ ヴァルマー先生を演じていたのは監督のアモール・グプテ。何故この役をこんな設定にしたのかは謎だけど、悪役を好演していたと思う(笑) スタンリー役のパルソーくんがカワイイ! 大きな瞳がキラキラしてて、想像力豊かで、何を言っても答えが返って来る彼を、生意気だと感じる人もいるかも?事実ヴァルマー先生や、キリキリした女性教師はそう思っていたみたいだし。でも、想像力豊かな彼の話の裏の、彼の事情を知った時、とっても健気で泣きそうになる。とっても好演していたパルソーくん、実は監督の息子ちゃんだそう。なるほど! ワークショップだと思って出ていたパルソーくんをはじめとした子供たちは、ヴァルマー先生役の監督のことを嫌いになってしまったそうで、それらがとっても自然で見いて微笑ましいし、とってもカワイイ。変に演技をさせないのは良かったと思う。
ということで、冒頭の謝辞の是非、インド文化に詳しくないと理解が難しいキャラ設定、エンドロールにならないと伝わらない主旨など、ツッコミどころ満載ではあるものの、とにかく子供たちのキラキラした瞳が印象的でカワイイ作品。
スタンリーや子供たちの歌と踊りはあるものの、いわゆる歌って踊ってのないインド映画。でも、とってもインドらしい映画な気がする。インドの子供たちのキラキラした映画が見たい方おススメ!
そうそう! 一言もセリフのないロージー先生の婚約者が、すごいイケメンだった
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