【tv】日曜美術館「写真家ソール・ライター いつもの毎日でみつけた宝物」
芸術家や作品を紹介する番組。企画展などに連動して特集されることが多く、今回は現在Bunkamuraザ・ミュージアムで「永遠のソール・ライター」が開催中の写真家ソール・ライターを取り上げる。これは見に行こうと思っているので、メモ取りながら鑑賞。記事として残しておく😌
「永遠のソール・ライター」公式アカウントがソール・ライター風の画像をInstagramに投稿を募集する企画を行っており、そこに投稿された画像なども紹介されていたけど、そちらは個人の方の作品なので割愛😌
ナレーション
ソール・ライター(Wikipedia)は2000年代に80歳を超えて発見された写真家。ストリートスナップを中心に独特の構図と色で表現した作品を50年以上発表せずに続けていた。毎日カメラを持って出かけていた。2006年にドイツの出版社から「Early Color」という初の写真集が出版されたのが83歳の時。1950年代のニューヨークをまだ珍しいカラーフィルムでとらえた作品などが評判を呼んだ。
「板の間」
「板の間」は、板の隙間から見える通りの光景を捕えた作品。
「天蓋」
「天蓋」は画面の大半がカーテン。という大胆な構図。また半世紀前にカラーを楽しんでいた。
【丸の内仲通りロケ】
写真家のかくたみほ氏がソール・ライター風の写真を撮影しながら、彼の作風や撮り方などを解説する。丸の内仲通りで撮影していた。仲通りはアート作品が置かれていたりするのだけど、それには全くカメラを向けなかったのも印象的。
ナレーション
ソール・ライターは1946年に23歳で画家を目指してニューヨークに出て来たが、趣味の写真にのめり込んだ。カラーフィルムを実用化。イースト。ヴィレッジに暮らし、徒歩で20分ほどの狭い範囲を撮り続けた。肉屋や本屋などの日常を撮影。当時のイースト・ヴィレッジは家賃が安かったため、多くのアーティストが住んでおり刺激が多かった。普通の街並みを撮った。「単純なものの美を信じている」と語っている
【作品の特徴1:ガラス】
硝子に映った風景など、映り込みを利用。
【作品の特徴2:ポイントカラー】
「モノクロのみが重要だと信じていることが不思議」と語る。
「赤い傘」
「黄色いドット」
「赤い傘」は一見するとまるで絵画や版画のような印象。ソール・ライターは写真を加工したりはしなかったのかな? 写真全然詳しくないからフィルムとかでも加工できるのか分からないのだけど💦
【作品の特徴3:1/3構図】
「何も起きていないように見えて、片隅で謎が起きている構図」
愛したモチーフは傘
「薄紅色の傘」
「帽子」
「雨粒に包まれた窓の方が有名人より面白い」
雪も多く用いたモチーフ。儚さや一瞬の美を表現。
「薄紅色の傘」は「永遠のソール・ライター展」のポスターにもなっているけど、この写真はとても素敵だな✨
【「永遠のソール・ライター展」会場】ゲスト:飯沢耕太郎(写真評論家)・須藤蓮(俳優)
「夜のバス」
囲われた中での2人の会話。映画の一瞬のよう。
飯沢氏:ライターの撮り方の上手さ。外のピンクがかった色味。シャッターの瞬間の必然性。
須藤氏:切ないけどホッとする。
飯沢氏:後ろの席の人の少し顔が見えるところが重要。語れる要素。興味がわく。
須藤氏:求めようとしたら見つからない日常をカメラを持って見つけようとした?
飯沢氏:意味を探求しようとしたのとは違う。見る側が自由に想像できる写真はあまりない。
ソール・ライター風写真との違いは?
飯沢氏:ルールを使えば"風"は撮れるが、ルールが内に落とし込まれていないと撮れない。
ナレーション
ソール・ライターはファッション写真家としてメジャーとなり、ELLEやVOGUEなどで活躍。スタジオで撮影したがる編集者が多かったけれど、外での撮影を好んだ。
「ハーパーズバザー」
収入はトップクラスで、五番街に広いスタジオを構えていた。しかし、華やかな世界に違和感を覚える。1981年事件が起きる。ソール・ライター財団ディレクターで18年間アシスタントを務めたマーキット・アーブによると、撮影中にビジネスマン(広告主ってことかな?)が指示をしてくるようになり、ある日カメラを置いて去ってしまったのだそう。スポンサーの意向が強く自由に撮れないと感じたから。
それ以後はカメラを持って近所へ出かけるというまるで仙人のような暮らしをしており、生活に困って友人からの援助で暮らし、電気代も払えないこともあったのだそう。売れっ子ファッション写真家だった頃の蓄えはなかったのかしら?🤔 オファーがあってもなかなか受けなかったそうで、名声よりも大切な物があると語っていたとのこと。
その生き方はソール・ライターの生い立ちに関係があった。1923年ピッツバーグの代々ユダヤ教指導者の家系に生まれる。父親のウルフは高名な学者で息子に大きな期待を寄せていた。ソールは聖職者になるべく勉強をしていたが、23歳の時に神学校を中退し家族を失望させる。
写真家を目指すと言うソールに父親は、物書き・画家はいいが写真家は最も低い職業だと告げた。偶像崇拝を禁止するユダヤ教では、他人を撮影することはタブーだった。
「デボラ」
家族の中で唯一妹のデボラが応援してくれる。初のモデルになってくれたのもデボラだった。ソールは10代から20代のデボラのポートレートを100点撮った。2人は親友のような関係だったが、デボラは20代で精神を病み生涯退院することはなかった。
「ソームズ・バントリー」
ソームズ・バントリーはモデルで、お互い油絵に興味があったため意気投合し恋人となった。ソール・ライターを支えた存在。「私を愛してくれる人、私が愛する人がいることが大切だった」と語っている。
【「永遠のソール・ライター」会場】
「デボラ」
飯沢氏:ポートレートとしてカッコイイ。テクニックを超えた愛情を感じる。
須藤氏:カラーコーナーから来ると別の写真展のように感じる。視覚から感情へ訴えて来る。ソールの愛情の方が強い。
飯沢氏:悲哀を感じる。写真に未来が写ってしまうことがある。その後の人生が入ってしまう。デボラのもろさを撮りたかった?
(画像見つけられず💦 頭が切れた「デボラ」という作品について)
飯沢氏:下手な写真も入っている。不安定な感じ。精神的なバックアップ。後押ししてくれた。
デボラが何故病んでしまったのかは語られなかったのだけど、タブーを冒してまでソール・ライターに協力してくれたのだから、デボラの中にも強い反発のようなものがあったのかもしれない。額に手をあてた「デボラ」からは強さと脆さが感じられる。そういう部分も写してしまうことが写真の素晴らしさであり怖さなのかもしれない。
ナレーション
2013年80歳を超えたソール・ライターを映した『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』という映画が公開された。晩年もストリートスナップを撮り続ける姿が映っている。いつもの毎日に潜む大切な物を撮り続けた。「何を手に入れるかではなく、何を捨てるかだ」と語る。
この作品に訳をつけた柴田元幸氏は普段は取材を一切受けていないが、文章のみの取材に応じた。かなりの長文だったのでメモを取っていなかったのだけど、少し残っているメモが柴本氏の言葉なのか分からなくなってしまった💦 とりあえず書いておく。
「自己主張の臭いがしない。字が逆さまだったりするが、写真家の操作が感じられない。人生でも名声を求めない。自分らしさを見つけないといけないという掛け声がやかましい日本」
なぜ今の日本でウケているのか?
飯沢氏:いい写真家はいい生き方をしている
ソール・ライター風の写真を撮りたい=ソール・ライターになりたい?
飯沢氏:入りやすいが奥が深い
2000年代に入ってから再発掘されたというソール・ライター。自分は全く知らなかった💦 でも、何かで「ハーパーズバザー」を見たことがあって、この構図とモデル着用のコートの可愛さと、それが差し色になっている感じがとても好きだった。今回、企画展に行きたいと思ったのもこの作品が見たいと思ったから。その作品が生まれる背景を知ることが出来て良かった😌
生い立ちや生き方を知りますます企画展が見たくなったので、近々行ってこようと思う! 『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』も見て見たいな😃
日曜美術館:@Eテレ 毎週日曜9:00~9:45 再放送:毎週日曜 20:00~20:45
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます