毎度のGoogleのロゴがこんなことに!
坂本九を称えて
もちろん存じ上げているけど、毎度のWikipediaから引用!
坂本 九(さかもと きゅう、出生名:坂本 九(- ひさし)、本名:大島 九(おおしま ひさし)、
1941年(昭和16年)12月10日 - 1985年(昭和60年)8月12日)は、
愛称は九ちゃん。
柏木との間に娘が2人おり、長女は大島花子、次女は舞坂ゆき子。
実祖父は茨城県田伏村(現:かすみがうら市)出身の漁師坂本金吉。
またサックス奏者の阿部薫は甥(姉の息子)。
「上を向いて歩こう」、「見上げてごらん夜の星を」、「明日があるさ」等数多くのヒット曲を出し、
全世界におけるレコードの売上は1500万枚以上に達した。
また、映画や舞台の俳優、テレビ番組の司会など多岐に渡り活動していた。
1961年の「上を向いて歩こう」は日本国外でも大ヒットし、
作詞の永六輔、作曲の中村八大と合わせて六八九トリオと呼ばれた。
中でも1963年には、
SUKIYAKIと題してアメリカでもっとも権威のあるヒットチャート誌『ビルボード』の "Billboard Hot 100" で、
3週連続1位を獲得、キャッシュボックス(Cash Box)誌でも4週連続1位を獲得。
"Billboard Hot 100" で1位を獲得した日本出身者は2020年9月現在、坂本だけである。
この曲は後に英語歌詞が付いたが、1位を獲得したのは坂本の歌う日本語版であり、
その点でもこれまで唯一の例である。
1位を獲得したことは本当に素晴らしいけど、
「上を向いて歩こう」をSUKIYAKIとするのはちょっとモヤる🥴
ヒットに伴い、1963年、坂本はスティーブ・アレン・ショーに招かれ渡米する。
エド・サリヴァン・ショーにも招かれたが、
自身が主役の映画刀を抜いての撮影スケジュールと合わず、エドのほうは出演は叶わなかった。
渡米の際、キャピトル社長一家、当時のニューヨーク市長、
クインシー・ジョーンズ、ディズニーランド副社長や多くのアーティストや著名人と対面しており、
空港には1万人のファンが集まるなど、非常に歓迎された日本人だった。
妻の柏木によると、結婚後、
柏木と坂本がプライベートでロサンゼルスに行ってアーティストのショーを観客席で見ていたとき、
「SUKIYAKIのキュー・サカモトが来ている」と司会者に紹介されたという。
また、この「上を向いて歩こう」は1964年に米国内でのレコード累計販売枚数が
100万枚を超えたため坂本は日本人初の「ゴールドディスク」を受賞した。
とはいえ、思っていた以上の歓迎ぶりでビックリ!😲
1985年、
大阪府在住で自身の元マネージャーの選挙応援として翌13日に行われる事務所開きに駆けつける途中、
日本航空123便墜落事故に巻き込まれ死去。
43歳没。
坂本は本来、国内移動には日本航空 (JAL) ではなく必ず全日空 (ANA) を使っており、
所属プロダクションや妻の由紀子も「手配は必ず全日空で」と指定していたほどだった。
しかし、当日は全日空便が満席で、
飛行機やホテルなどを手配した招待側の側近はチケットを確保できず、
仕方なく確保したのが日本航空123便であった。
坂本と親交があった矢島純一は事故の1週間前に坂本の家でこの件を知らされ、
全日空に変える事を勧めたが、坂本は「せっかく送ってもらったから」と言って変えなかったという。
事故の数日前、
「全日空が満席で日航しか取れませんでした」という立候補者の側近からの謝りの電話が入っているが、
当時電話をうけとった由紀子は忙しく、また勘違いをしていたこともあり、
事故が起こるまで特に気に留めていなかった。
そのため、家族も乗客名簿が発表されるまで日航機に乗っているはずがないと信じていた。
なんということ・・・
まるで運命に絡めとられてしまったような。
何故今日称えるのか不明
追加!
「上を向いて歩こう」が1961年10月15日に発売されたからのもよう。
もう少し引用したいところもあるし、レイアウトも直したいけど、
今、会社でiPhoneで書いてるから帰ってから!
検索画面のロゴも後ほどー!
検索画面のロゴはこんな感じ
偉大な功績を称えたいと思います!
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