【tv】日曜美術館「マネ 最後の傑作の秘密~フォリー=ベルジェールのバー~」
芸術家や作品を紹介する番組。企画展などに連動して特集されることが多く、今回は現在東京都美術館で開催中の「コートールド美術館展」で展示されているエドゥアール・マネの「フォリー=ベルジェールのバー」を取り上げる。まさにこの作品が見たくて「コートールド美術館展」に近々行こうと思っていたのでメモ取りながら鑑賞。備忘メモとして記事にしておく。
エドゥアール・マネ「フォリー=ベルジェールのバー」
エドゥアール・マネ(Wikipedia)によって描かれた作品。19世紀末のバーで働くバーメイドが主題。今作には多くの謎がある。
①バーメイドの表情
"自然なポーズ"という声もあるが"顔が無表情"という意見もあった
②背景が不自然
下に枠があることから大きな鏡であることが分かるが、そこに映る人物や物が奇妙
理解不能な配置
バーメイドの背中は本来の立ち位置ではあり得ない位置
バーメイドと話す男性は鏡の中にしか存在しない
瓶の位置や本数がおかしい
左上に空中ブランコに乗る少女の足のみが描かれている
今作は死の前年、重い病気に苦しみながら数ヶ月かけて描いた作品。舞台となっているのはパリ9区のフォリー=ベルジェール劇場で19世紀に誕生。オープン当時はミュージックホールで、バレエ、オペラなどの他にエロティックなショーも行われていた。
この時期は、19世紀に行われたパリ大改革(Wikipedia)後のベル・エポック(Wikipedia)と呼ばれる時代であった。そもそも、この大改革はパリを娯楽で活性化しようというもの。その中でも、フォリー=ベルジェール劇場は売春目的も含む娯楽施設の一つで、バーメイドは売春を行っていた。マネの描いた女性も胸の空いたドレスを着用し、バーカウンターに手をつく姿は性的にオープンであることを表している。彼女自身が酒と同じく売り物であるということを表現。
エドゥアール・マネは1832年に生まれ。父親は高級官僚でブルジョワ出身。両親の期待をよそに絵の道へ進む。家の近くのルーブル美術館に通いたくさんの模写をした。現在も残る模写申請書にマネの名前がある。
19世紀末のフランスで画家として認められるにはサロンでの入選が必須。しかしマネはサロン好みの絵は描かず、31歳の時に出品した「草上の昼食」でサロンの怒りを買ってしまう。
エドゥアール・マネ「草上の昼食」
森で男女が昼食をとっている図だが、女性は裸で脱いだ服まで描かれている。これは当時のパリの森が恋人たちの楽しみの場であったことを描いているのだそう。
さらに「オランピア」でも物議をかもす。
エドゥアール・マネ「オランピア」
裸体はヴィーナスなどの主題で描かれることがあるが、マネの作品は生々しかった。パトロンからの贈り物と思われる花束など、明らかに高級娼婦であると分かる。
このようにサロンで物議をかもしてしまうマネだけれど、アトリエには画家だけでなく詩人のシャルル・ボードレール(Wikipedia)や作家のエミール・ゾラ(Wikipedia)などが集まり、芸術議論がなされていた。マネは芸術家たちから一目置かれる存在であった。
マネは刺激を求めてフォリー=ベルジェールに通う。「フォリー=ベルジェールのバー」に描いたシュゾンというバーメイド。「フォリー=ベルジェールのバー」はサロンで入選するが当惑の声も。鏡の中には2階席に座る裕福な客、その左上に空中ブランコの足。バーメイドの表情からは疎外感や孤独感。この作品を描いている時のマネは、若い頃に患った梅毒が悪化しほとんど動けない状態だった。1年後51歳で死去している。
ゲストの三浦篤氏登場
何故バーメイドを描いたのか? 近代パリのリアルを描いた。ブルジョワ出身だが下層階級にも興味を持っており、行きついたのがフォリー=ベルジェール劇場で、ブルジョワから庶民まで階級のるつぼだった。空中ブランコなど曲芸は貧しい少女が行っていたし、バーメイドも下層階級。階級の交錯。そして、現代を女性で表したかったのではないか。本来隠されるべき存在の美がパリを象徴していると考えたのではないか。
最大の謎である鏡の中が違うことについて、バーメイドの位置と男性の位置を検証。コートールド美術館には美術研究所があり、この問題について科学調査を行った。その結果鏡の中の女性は何度も書き直しがされていることが分かった。何故そこまで? 中心に女性を屹立させてその存在を強調したかったのではないか。正面からの視点と右側からの視点が入っている。
絵の中心は女性の胸。その位置からすると2階席は本来もっと上。現実のままに描かなくてもよいと考えていたのではないか。19世紀パリは産業だけでなく哲学も変わった。世の中のもの全ては単一ではなく、世界の本質は調和できないと思っていたのだろう。
1871年革命が起きパリ・コミューン(Wikipedia)が成立。70日で鎮圧されてしまうが、マネはその一部始終を描いていた。庶民も意見を持った。
ボードレールなど芸術家も新しい表現を模索していた。詩人のステファヌ・マラルメ(Wikipedia)はマネを尊敬し擁護しており、毎日のようにマネのアトリエに通っていた。彼は自分たちにできることは徹底的に現在、この世に執着することだと語っている。
そういう面から見て「フォリー=ベルジェールのバー」は背景が重要。現実を素材として扱っている。現実を再構築する。絶対的な価値観の喪失=現代的。一瞬の輝きの見せ方の工夫。
実は時間軸も違う。背景の鏡の中ではバーメイドは男性客と話しているけれど、正面を向いている時は物思いにふけるプライベートな部分なのではないか。現代人は公の自分と、私の自分を分けてそれぞれ演じている。彼女こそ近代人の象徴なのではないか。
空中ブランコの足など断片的なモチーフは今まで描き続けたパリの人々なのではないか。バーメイドの表情を見ていると、見ている側はそれぞれが物語を作ってしまう。曖昧で誘惑的な眼差し。今作はマネ最後の作品であることから、マネからの"アデュー、パリ"というメッセージが込められているのではないか。だから悲し気な表情なのであり、バーメイド=マネなのではないかと思われる。
感想
なるほど😌 別に写真というわけでもないし、依頼を受けた肖像画というわけでもないのだから、何も現実どおりに描く必要はないわけで。もちろん、写真のように写実的なことを目指した作品もあるけれど、マネが描きたかったのはそういうことではないということだよね。現実を投影したいけれど、それは見えている現実通りに描くということではなくて、作品の中に"現実"を描きたいということ。上手く言えないけど😅
この作品を実際に見た時に何を感じるのかは分からないけど、とりあえず今回あげられた謎ポイントを押さえてこようと思う。とても参考になった!
日曜美術館:@Eテレ 毎週日曜9:00~9:45 再放送:毎週日曜 20:00~20:45
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