【TV】「美の巨人たち:中宮寺 国宝 「半跏思惟像」」
中宮寺の半跏思惟像は太子信仰と結びつき如意輪観音である #美の巨人
— maru ◖ฺ|´⌣`*|◗·˳♪˚♫ (@maru_a_gogo) 2016年7月9日
毎週、絵画などの美術品から建築物まで、1つの作品を取り上げて紹介する番組。今さら説明の必要もない長寿番組。今回は現在、東京国立博物館で開催中の特別展「ほほえみの仏像 -二つの半跏思惟像-」に展示されている、中宮寺の国宝半跏思惟像。この如意輪観音様には2度ほど、中宮寺を訪れた時にお会いしている。大好きな仏様。
半跏は片脚を上げた座り方で、思惟とは物思いにふけること。半跏思惟像というのは片脚を上げて、首を傾げ指を頬のあたりに添えている形の像のこと。本来この形で表されるのは弥勒菩薩なのだけど、中宮寺では如意輪観音として伝わっている。これは何故なんだろうとずっと思っていたのだけど、どうやら聖徳太子信仰と結びついているらしい。ちょっと詳細を聞き逃してしまったのだけど、弥勒菩薩が釈迦入滅から56億7千万年後に下生し人々を救うことから未来仏とされているのに対し、如意輪観音は現在人々を救う仏されていることが関係しているらしい・・・
中宮寺の如意輪観音は初めて日本人によって作られた仏像 #美の巨人
— maru ◖ฺ|´⌣`*|◗·˳♪˚♫ (@maru_a_gogo) 2016年7月9日
中宮寺の半跏思惟像が作られたのは7世紀後半。それ以前は、渡来人3世である止利仏師などを中心とした渡来人が仏像を作成していた。確か、止利仏師もそもそもは仏像を作っていたのではなく、急に言いつけられて試行錯誤して作ったんじゃなかったかな? 代表的な作品は法隆寺の釈迦三尊像。で、この頃になると日本人の仏師が現れ始めたそうで、中宮寺の半跏思惟像は日本人によって作られた最初の仏像だと言われているのだそう。
当時は一木造りが主流で分けて作る発想はなかったが、20のパーツに分けて作られている。肘の角度や指の位置など調整。胴体の芯棒に頭のパーツを前後から挟んである。寄木とは違う。中宮寺の半跏思惟像のみの技法 親しみを持てる姿 #美の巨人たち
— maru ◖ฺ|´⌣`*|◗·˳♪˚♫ (@maru_a_gogo) 2016年7月9日
寄木造が盛んになるのは平安時代頃らしいので、この時代はまだ確立されていない。そんな中、親しみやすい姿=人間っぽい姿にするために、やわらかいフォルムを作り出したかったのではないか? そのためにパーツを分けて肘の角度や指の位置など調節したのではないか? ということらしい。誰が考えたんだろう? 一本の木から彫り出していた時代に、パーツに分ければいいんだと発想したことが素晴らしい 1400年くらい前なんだよね。ビックリするわ。
悟りを拓いた釈迦が金色に輝いたという言い伝えから、極楽は極彩色とされており、仏像や寺院の内部は鮮やかな彩色がされている。中宮寺の半跏思惟像も鮮やかな彩色があったはず #美の巨人たち
— maru ◖ฺ|´⌣`*|◗·˳♪˚♫ (@maru_a_gogo) 2016年7月9日
お堂の内部が本来は極彩色であったこと、仏像も本来は金色であったこと、それらは極楽を現していることは知っていたけど由来は知らなかった! 釈迦が悟りを拓いて金色に輝いたからなのね
こんな感じ。全然違うお姿だーーー!! #美の巨人たち pic.twitter.com/k8kaPInirv
— maru ◖ฺ|´⌣`*|◗·˳♪˚♫ (@maru_a_gogo) 2016年7月9日
残っていた装身具をつけていたとみられる穴や、金箔、緑青などを分析し、推測したお姿が上の画像なのだそう。目は伏し目がちとはいえ開いておられるのね? 優しく美しいお姿だけど、やっぱり現在のお姿の方が宇宙的で好きだなぁ。
KIRIN~美の巨人たち~:毎週土曜 22:00~ テレビ東京
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