毎度のGoogleのロゴがこんなことに!
いわさきちひろ生誕97周年
もちろん知ってる! 子供の頃絵本を買ってもらって大好きだった
一応、毎度のWikipediaで調べてみた。
いわさき ちひろ(本名:松本知弘(まつもと ちひろ、旧姓岩崎))は、
福井県武生市(現在の越前市)生まれ。左利き。 常に「子どもの幸せと平和」をテーマとした。
初期作品には、岩崎ちひろ、岩崎千尋、イワサキチヒロ名義で発表されたものが存在する。
孫は絵本作家の松本春野。
ちひろは幼少から絵を描くのが得意で、
小学校の学芸会ではたびたび席画(舞台上で即興で絵を描くこと)を行うほどだった。
女学校二年(14歳)の三学期、母・文江はちひろの絵の才能をみとめ、岡田三郎助の門をたたいた。
ちひろはそこでデッサンや油絵を学び、朱葉会の展覧会で入賞を果たした。
とのことで・・・
どうやら意に沿わない結婚をし、不幸な形で結婚生活を終えたのだそう。
その後、1946年5月に両親に相談することなく上京したそうで・・・
東京では人民新聞社の記者として働き、また丸木俊に師事してデッサンを学んだ。
この頃から数々の絵の仕事を手がけるようになり、
紙芝居『お母さんの話』(1949年)をきっかけに画家として自立する決心をした。
とのことなのだけど・・・
どうやら、かなり共産党員としての活動に熱心だったようで、
共産党国会議員の松本善明と2度目の結婚をしている。
長男が生まれた頃、画家の仕事と育児の両立が困難で、両親に息子を預けていたそうで、
長男に会いに行った際に母乳が出るように、近所の赤ちゃんに授乳させてもらっていて、
これがなんと三宅裕司氏なのだそう!(*`ロ´ノ)ノ
画家としては・・・
1963年(44歳)、雑誌「子どものしあわせ」の表紙絵を担当することになったことが、
その後の作品に大きく影響を与える。
1962年の作品『子ども』を最後に油彩画をやめ、以降はもっぱら水彩画に専念することにした。
ハンス・クリスチャン・アンデルセンに深い思い入れをもっており、
画家として自立するきっかけとなった紙芝居『お母さんの話』をはじめ、
当初から多くの作品を手がけていた。
とのことで・・・
「子どもの幸せと平和」を願い、
原爆やベトナム戦争の中で傷つき死んでいった子どもたちに心を寄せていた。
ベトナム戦争の中での子どもたちを描いた1973年の『戦火のなかの子どもたち』が、
ちひろ最後の絵本となった。
そして・・・
1973年秋、肝臓癌が見つかる。
とのこと。
かわいらしい絵からは想像できないほど、激しく生きた人だったのね・・・
このロゴとってもカワイイ
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