以前のブログにも書きましたが、
五木寛之さんの「百歳人生を生きるヒント」という本を少しづつ気が向いた時に読んでいます。
昨日の夜 読んでいましたら、「50代の事はじめ」という章で、
「50代からの人生は、登山で言えば下山の道のりの始まりです」と、書かれていました。
私の好きな詩人の茨木のり子さんの
作品が書かれていました。
倚(よ)りかからず
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはやできあいの学問には倚りかかりたくない
もはやいかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目(じもく)
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
五木さんは敗戦直後中学1年の朝鮮半島の引き上げの時、
現地にいる日本人の一般市民には、お上からラジオ放送で
「治安は維持される。一般人は軽挙妄動(けいきょもうどう)することなく
現地に留まるように」との放送が度々流れたとのこと。
情報を持っている政府要人の家族や利口なグループは、
ここにいては危ないといち早く察知してさっさと列車に乗って、ソウルの方に南下して
いきました。あとに取り残されたのは、政府の言うことに従っていれば間違いがないと、
愚直に信じていた普通の日本人だけです。
国家にひたすら倚りかかっていた私たちは、やがて侵攻してきたソ蓮軍にすべてを
奪われて、難民となり、地獄の日々を体験したのです。
いま、盛んに政府が「人生100年時代構想」の提言をしていますが、
それを鵜呑みにして、踊らされるのではなく、「百歳人生」とは、
自分の人生の幸せを構築するための、長いスパンを天から与えられた
一種のモラトリアム、と考えたほうが良いのではないかと思います。
五十代は、その大切な事はじめのときなのです。
「もはやいかなる権威にも倚りかかりたくない」と思っているんですが、
人生100年だと思うとそのうちいつか役所などの相談窓口に
介護問題などを含めてアドバイスを求めないと前へ進まないように思います。
なかなか倚りかからず生きるのは難しいですね。(苦笑)
中山千夏 「あなたの心に」
五木寛之さんの「百歳人生を生きるヒント」という本を少しづつ気が向いた時に読んでいます。
昨日の夜 読んでいましたら、「50代の事はじめ」という章で、
「50代からの人生は、登山で言えば下山の道のりの始まりです」と、書かれていました。
私の好きな詩人の茨木のり子さんの
作品が書かれていました。
倚(よ)りかからず
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはやできあいの学問には倚りかかりたくない
もはやいかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目(じもく)
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
五木さんは敗戦直後中学1年の朝鮮半島の引き上げの時、
現地にいる日本人の一般市民には、お上からラジオ放送で
「治安は維持される。一般人は軽挙妄動(けいきょもうどう)することなく
現地に留まるように」との放送が度々流れたとのこと。
情報を持っている政府要人の家族や利口なグループは、
ここにいては危ないといち早く察知してさっさと列車に乗って、ソウルの方に南下して
いきました。あとに取り残されたのは、政府の言うことに従っていれば間違いがないと、
愚直に信じていた普通の日本人だけです。
国家にひたすら倚りかかっていた私たちは、やがて侵攻してきたソ蓮軍にすべてを
奪われて、難民となり、地獄の日々を体験したのです。
いま、盛んに政府が「人生100年時代構想」の提言をしていますが、
それを鵜呑みにして、踊らされるのではなく、「百歳人生」とは、
自分の人生の幸せを構築するための、長いスパンを天から与えられた
一種のモラトリアム、と考えたほうが良いのではないかと思います。
五十代は、その大切な事はじめのときなのです。
「もはやいかなる権威にも倚りかかりたくない」と思っているんですが、
人生100年だと思うとそのうちいつか役所などの相談窓口に
介護問題などを含めてアドバイスを求めないと前へ進まないように思います。
なかなか倚りかからず生きるのは難しいですね。(苦笑)
中山千夏 「あなたの心に」