中日新聞に「諏訪哲史(作家)のスットン経」という評論が掲載されていました。
今回は「死んでみせてもくれたのに」というタイトルでした。
腑(ふ)に落ちません。
コロナの死者数が毎日まだ何十人も。
二月には一日二百から三百人が犠牲となりました。
累計三万人。
これじゃ戦死者です。
知床観光船事故の献花台はTVに映るのに、三万のコロナ死者を悼む献花台は映りません。
人命より金儲けを優先し、感染力の強いオミクロン株を向こうに、緊急事態宣言も出さず、病床だけ足りれば是とし、地球より重い一人一人の命を救うという肝心な要諦を軽んじていた。
僕らの忍耐は人の死をこそ防ぐためだったのに、国は疫病に隙を与え、人々を殺させました。
これは天災でなく、人災です。
腑に落ちません。
ウクライナ侵攻をみて鬼の首を獲った如く喝采をあげ、「それ見たか。戦争にも出られぬ九条など邪魔だから、改憲しろと言うのに」という愚かな妄信。
世論をみると、戦争報道に恐怖し見境を失った人の票で九条も変えられ、日本は再び大昔の「いつでも攻撃してやるぞ」の国に戻りそうです。
「外へは戦争に出ぬ」という看板を捨て、「戦争なら外で人ぐらい殺すぞ」と威嚇の看板を掲げる国になるのです。
すると、ロシアがウクライナを攻めた大義みたいに「日本がそんな危険な国になったのなら、物騒で眠れないから先に侵攻しよう」となるプーチン的狂気、それを誘発するとなぜ解らないのでしょう。
決して殺さぬ国ゆえ、相手にも殺されない。
それが九条という「兵器」の真価なのに。
改憲論者を後悔させ、反省させ、懲りさせる方法が一つだけあります。
もう一度戦争をし、家族を殺させ、焦土とバラックの間を放心して彷徨(さまよ)わせることです。
その時初めて己が過って支持した「あの改憲」の意味が解るのです。
昔の石垣りんの詩「唱歌」に「みえない、父と母が死んでみせてくれたのに。」の一節があります。
古人は僕らに、敗戦と引き換えに戦争を学ばせ、原爆に焼かれ、子である僕らへの教訓として、死んでみせてくれたのに、今をのさばり生きる僕らはその反省、不戦の誓いを廃棄し、台湾を引鉄(ひきがね)に、中露北対日米韓の「第二次太平洋戦争」でも行う鼻息です。
そんなに戦火が好きですか。
皆さん、死んだ父母の誓いを本当に、本当に捨てる気ですか?
以上です。
>知床観光船事故の献花台はTVに映るのに、三万のコロナ死者を悼む献花台は映りません。
人命より金儲けを優先し、感染力の強いオミクロン株を向こうに、緊急事態宣言も出さず、病床だけ足りれば是とし、地球より重い一人一人の命を救うという肝心な要諦を軽んじていた。
僕らの忍耐は人の死をこそ防ぐためだったのに、国は疫病に隙を与え、人々を殺させました。
これは天災でなく、人災です。
腑に落ちません。
たしかにこれは腑に落ちませんね。😅
私は考えもしなかった。
三万のコロナ死者を悼む献花台がない事を。
移ったら危ないという事ばかり考えていて、コロナで亡くなった三万人もの人達を悼む事を・・・・。
また罹った方は、まるで申し訳ない事をしたように身を縮めていたことを。
うちの娘もコロナに罹りました。
会社の人に移したのではないかと心配し、申し訳ない事をしたと身を縮めていました。
>人命より金儲けを優先し、感染力の強いオミクロン株を向こうに、緊急事態宣言も出さず、病床だけ足りれば是とし、地球より重い一人一人の命を救うという肝心な要諦を軽んじていた。
菅元首相はコロナ禍なのにオリンピックを止めようとせず、さらにコロナを蔓延させました。
病床も足りず、自宅で治せという無責任極まる態度でした。
その為、罹った方がどれだけ苦労したのか、どれだけの方が亡くなったのか。
保健所の数字を誤魔化したとしか思えないほど、この時期の東京のコロナに罹った方は異常に少なかったように思います。
目覚めた時には晴れていた 朝倉理恵