中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「全員集合」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセーを書かれていました。
「会」という漢字は、あう、集まる、「社」は、やしろ、集まるところ。
二つ合わせた「会社」は人が集まって仕事をする場所のことをいう。
コロナウィルスの跋扈(ばっこ)で、リモートと称して、家で仕事をすることを余儀なくされた。
結果、ほとんどの仕事は電子機器上だけで繰り広げられるようになり、「社」に毎日のように通うことを不要としたのだった。
まあ職種によってはパソコンに代替できないものもあるだろうが、現代社会では、リモートが「便利」かつ「合理」だということでもてはやされた。
おじさんは、この風潮を大変に苦々しく思っている。
会社は学校と同様、毎日そこに集まって、他の人々と共に時間を過ごすことが大切だと信じている。
少し前まで、「仕事は家庭に持ち込まない」のが勤め人のルールだったではないか。
さらに「会わなきゃできない事がある」のは、ほとんどの”仕事”にいえることだし、人間社会の基本だ。
「会社」も「会議」も、リモートではダメだ。
人が集まって、会話を交わし、さまざまな感情を経験し、思考し、その積み重ねが仕事の彩りとして輝いてくる。
「勤め」は「務め」であり「努め」なのだ。
以上です。
私の場合、リモートはまだ普及していませんでした。
かみさんが利用している美容院のママさんのお二人のお嬢様は、IT企業にお勤めとの事です。
毎日ご自宅でリーモートでお仕事をされているそうです。
美容院のママさんは「お金がかかってしようがない、電気代も自宅の電気を使っているし、食事も自宅の物を食べるし」。
お二人ともリモートだと、何かと費用がかかるようです。
会社は通勤費は出さなくていいし、机も準備しなくていいし、部屋も小さい事務所で良い。
会社にとっては、都合が良いことが多いように思われます。
このおじさんが言われるように、
「会社」も「会議」も、リモートではダメだ。
人が集まって、会話を交わし、さまざまな感情を経験し、思考し、その積み重ねが仕事の彩りとして輝いてくる。
↑のご意見に賛成です。
たまに、リモートで仕事をするのは賛成ですが。
<今日は一日中外出しますので、コメント欄は閉じさせていただきます>
【PV】オフコース/君住む街へ(1988)