中日春秋
2023年6月18日
6月18日の中日新聞「中日春秋」に下記の記事が載っていました。
学生野球の父、飛田穂洲(すいしゅう)によると落ちる変化球のフォークボールが日本に伝わったのは一九二二(大正十一)年というから約百年の歴史がある
この年、来日した米大リーグ選抜チームにフォークボールを開発したとされるジョー・ブッシュ投手がいた。
全日本メンバーの竹内愛一(よしかず)投手(早稲田大)がその球を会得する。が、指でボールをはさむ握り方が肩や腕の負担になると投げなくなってしまった。
フォークの歴史は途絶えたかに見えた。
かつての中日のエースでフォークボールの神様、杉下茂さんが亡くなった。
九十七歳。
魔球を覚えたのはやはり二二年の全日本メンバーだった明治大野球部技術顧問の天知俊一さんの指示だった。
手の大きい杉下なら。その歴史は途絶えなかった。
伝説は中日に初優勝をもたらした五四年だろう。
西鉄相手の日本シリーズでは三試合で勝利投手。
戦争の記憶が残る時代に名古屋の人々をどれほど喜ばせたことか。
球がギザギザに変化した」という。
実働十一年で二百十五勝。
それ以上の功績はフォークボールの有効性を日本球界に広めたことだろう。
現在、大リーグで落ちる変化球といえばやや速度のあるスプリットが中心だが、おかげで日本野球にはフォークが生き続ける。
村山、村田、野茂、千賀…。
脈々と続く魔球の系譜を思う。
フォークの次の百年が楽しみである。神様に感謝する。
以上です。
子供の頃 天知監督と杉下茂さんの日本一になった記念映画を見たことがあります。
子供心に印象に残っています。
杉下茂さんのフォークボールは、ゆらゆら揺れて落ちてきたそうです。
キャッチャーも取れないようなボールだったとの事です。
ナックルに似ているのかな?
杉下さんは、フォークボールをほとんど投げなかったそうです。
ただ一人打撃の神様 巨人の川上哲治さんには投げたそうです。
さすがの打撃の神様 川上哲治さんも杉下さんのフォークボールには、手も足も出なかったそうです。
川上さん曰く、「キャッチャーが取れないような球を打てる訳がない!」と言われていたそうです。笑い
日本シリーズ(対西鉄ライオンズ戦)においても7試合中5試合に登板し、4試合で完投、最終戦では後述するように普段は1試合に数球しか投げなかったフォークを多用し、3勝1敗で球団史上初となる日本一に貢献してシリーズMVPに輝いた。
4勝3敗で中日の勝ち。
この日本シリーズの最終戦だけは、天知監督から「フォークボールを投げてくれ」と言われ、フォークボールを多用されたようです。
何でも大投手なのに、後輩には優しく接する方だったそうです。
先輩ヅラして威張ったり、怒ったりされたことは一度もなかったそうです。(スポーツにありがちな上から目線ではなかった。)
星野監督や張本選手は、杉下さんを見習って欲しかったです。
あの傲慢な星野監督も、杉下さんには一言も逆らえなかったそうです。
中日ドラゴンズの偉大な選手ですし、明治大学の大先輩なので、当たり前ですね。
同じ頃に北別府投手が亡くなりましたが、まだ65歳という若さでした。
ちょっと早すぎる死でした。
杉下さんは97歳、まさに大往生といえるのでは。
[VIDEO] Gigliola Cinquetti 💛 “Non ho l'età” (ESC 1964 Italy)