前回の記事では滋賀・福井県境の新旧北陸線に絡んだスポットをめぐったことを書いたが、国道8号線から敦賀の市内に戻ったあたりから続きを書く。
やってきたのは「ヤマトタカハシ昆布館」。敦賀にあって昆布を大々的に取り扱っているスポットで、ここは工場であり、直販の店であり、展示館でもある。何も敦賀湾を中心とした日本海で昆布が栽培されるわけではなく、北海道産の昆布をおぼろ昆布やとろろ昆布に加工し、販売しているところである。
「敦賀で昆布」というのはもうご案内のとおり、日本海を股にかけて活躍した北前船がもたらしたものである。そんな敦賀での昆布の加工ルートのことなどを展示館で学び、その後に昆布商品の買い物である。今回はクルマで来ていることもあるし、また昆布料理はDM患者にとっても「食品交換表」上でカロリーを計算しなくともよい食材に挙げられていることから、重宝する食べ物である。いろんなものを結構買い込み、クルマに積み込む。
昆布館を後にして訪れたのが、市街地の東にある金ヶ崎城。織田・徳川の連合軍と浅井・朝倉の連合軍との戦いが行われた舞台である。現在は敦賀港を見下ろすスポットである。金崎宮に参拝した後、裏手の山に上る。10分ほど歩くと、敦賀湾の入り江に、敦賀火力発電所の巨大なプラントを見下ろすところに出る。
小樽への新日本海フェリーも発着する穏やかな港である。関西に近く、日本海側にありながら入り江に囲まれた穏やかな地形というのが良い港として栄えてきた条件である。かつて昆布をもたらした北前船や、大陸との連絡船に思いを馳せる。
今年廃線になった貨物線を横切る。踏み切りは柵で仕切られ、遮断機も線路上に横倒しになっており、これはまたシュールな光景である。現在港湾地区の再開発が進められており、いずれはこの線路も公園か何かになるのだろう。門司港のようにトロッコ列車を走らせる・・・にはちょいとスケールが小さすぎて採算が取れないかな。
クルマを公園の駐車場に停め、しばらく歩きモード。少し早いが、先ほどの昆布館の売店で売っていたおにぎりを昼食代わりにする。おぼろ昆布で巻いたもの、刻み昆布をまぶしたもの、港を眺めながらおいしくいただく。
その後見学に訪れたのが、旧敦賀港駅舎。中は鉄道に関する資料館になっており、大陸への玄関駅として新橋駅から直通列車も走っていた時代、往年の港町の賑わい、北陸トンネル開通、そして現在の新快速直通にいたるまでの道のりが展示されている。昔のパスポート(というより「旅券」という言葉が似合う)や大陸連絡の切符、シベリアを横断して西ヨーロッパに至るまでの時刻表・・・・見ていてうならせせるものがある。こちらは観光客や「その筋」の人たちにも人気のスポットのようで、改めて交通・物流の要衝としての敦賀の姿を認識する。
現在日本海側から大陸に渡る旅客船といえば、富山の伏木港から浦塩(ウラジオストク)行きということになる。一度でいいからこういう大陸の行き方というのをやってみたいものだ。
この後は重要文化財の鳥居を持つ気比大社へ参拝。ここは若狭の一の宮ということもあるが、縁結びの神社としても知られている。ということできちんと参拝し、おみくじで神のご託宣を得る。「身近なところに縁あり」というようなご託宣があったが、身近なところと言われてもなあ・・・・。
気比大社のあたりが市内の中心部となるが、ほとんどの店がシャッターを下ろしており、人が集まっているのは平和堂が入るアル・プラザくらい。ここも全国の地方都市が抱えている問題が表に出ているようだ。
そんな商店街を少し離れたところに昔ながらの洋館を見つける。ここはかつての銀行だった建物で、現在は敦賀市の博物館となっている。現在の企画展は松尾芭蕉。「奥の細道」でも敦賀が登場しており、前半の東北の記述に比べてあっさりと流す感のあった北陸にあって、敦賀では数日逗留し、土地の俳人たちとの交流もあり、「奥の細道」にも4句が登場している。展示室には「奥の細道」の芭蕉直筆原稿の複製があり、あれだけの紀行文と称されながら実際は「これだけの文字数?」と思わせるくらいの短さ。敦賀が登場するのはその最後の最後のほうである。
この他、こちらでも港町としての敦賀の歴史が紹介されており、近代化遺産的建物ということもあって、往年の賑わいを感じることができた。先ほどのシャッター通りというのは、時代の流れといえばそれまでなのだろうが、かつては渤海使も上陸したという土地、何とか活性化してほしいものである。そんなことを感じさせた、なかなか充実した博物館である。
ここから再び敦賀港駅まで戻り、クルマを拾い上げて今度は気比の松原へ。「白砂青松」という言葉がぴったり来る。夏を思わせる空の下、大勢の行楽客が海の風情を楽しんでいた。
そういえばこの夏、こんなきれいな青い海を見るのは初めて。やはりこういう風景というのは心が洗われる。ビールが飲みたくなるがクルマ旅行とあってはそうはいかず・・・・。
そろそろ、野球場へ向かう時間となったので敦賀での滞在はこれまで。現在の存在でいえば観光名所というよりは日本海側の小さな港ということになるのだろうが、その気になれば一日町歩きを十分楽しめるところ。関西からもクルマではなく新快速一本で着けるところであり、また北陸の風情を楽しみたく、日本海の海の幸を味わいたいとなれば、季節を変えて訪れてみたいところである・・・・。