まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

名松線沿いを歩く

2016年05月08日 | 旅行記D・東海北陸
無料の臨時バスで伊勢奥津駅に戻る。次の列車が出るまで少し時間があるので、駅前を散策する。ここもかつての伊勢本街道の宿場町で、地区の人たちがおもてなしと町起こしのために、玄関にのれんを掲げる家が多い。たかがのれんかもしれないが、これがあることで町に彩りや生活感が醸し出されるようだ。

駅前を見るだけなら列車に間に合うのだが、ここでふと、この先線路に沿って歩いてみようという気になった。美杉のパンフレット地図を見ると、名松線には県道15号線が並行していて、駅も県道に沿って設けられている。次の列車までの時間、2つ先の伊勢八知までなら歩けるだろう。時刻表の営業キロは6.9キロで、地図で見てもそのくらいの距離はある。ここまでなら行けるだろう。さすがに次の伊勢鎌倉(名松線の中で最も秘境駅らしいところ)までとなるとしんどいかな・・・。

ということでそのまま伊勢奥津の宿場を抜ける。このまま進めば伊勢本街道で多気に行くのだが、途中で道を折れて雲出川にかかる橋へ。ちょうど列車が伊勢奥津を出たところで、川沿いに走る車両をカメラに収める。

相変わらずの晴天で、暑くもなく歩くにはちょうどよい。どうせなら多気から伊勢奥津まで伊勢本街道を歩くのがウォーキングとして面白いのだろうが、線路沿いというのも、列車からとはまた違った角度で景色を見ることができていいだろう。列車が再び走るようになって1ヶ月が過ぎたが、下手をすれば「廃線跡歩き」になるところだった。

伊勢奥津の駅から1時間ほどで次の比津に到着。県道から少し高台にある駅だ。上り下りとも列車の時間はまだまだあるが、ここで撮り鉄2名に遭遇。ここからだといい角度で写真が撮れるのだろうか。

比津から伊勢八知までは、来る時には土砂災害の跡が見られた区間である。人家もほとんどなくなり、雲出川沿いの道を歩く。修復された箇所も川の向こうに見ることができる。ただ今も石や木々が散乱しているし、爪跡が残っている。

鉄道で土砂災害といえば、4月に発生した熊本地震の被害を思い浮かべる。16日の本震で、南阿蘇村で国道の橋が崩落した映像が繰り返しテレビで流れていたが、その中で線路も土砂に埋まっていた。JRの豊肥線である。また、南阿蘇鉄道も地震で大きな被害を受けた。復旧にはどのくらいの期間がかかるのか、いやそもそも復旧できるのかというところである。JRは熊本と大分を結ぶ路線ということもあっていずれは復旧されるだろうが、南阿蘇鉄道はどうなるのか。

近年、災害のために廃止を余儀なくされる鉄道路線が相次いでる。東日本大震災での津波被害を受けたJRの気仙沼線、大船渡線(気仙沼~盛)は鉄道での復旧を断念し、BRTでの本復旧ということになった。同じ東北では土砂災害で岩泉線、また九州では高千穂鉄道も廃線となった。この流れだと名松線の家城~伊勢奥津もそうなる運命かと思われたところ、無事に残された。今は復旧後のフィーバーのようなものだから乗客も多いが、せっかく残った路線、これからも安定した利用が望まれる。また季節を変えて乗りに来たいところである。

森を抜けて集落が見えてくると伊勢八知駅が近い。今度は伊勢奥津行き列車がやってくる。ちょうど鉄橋を渡る車両をカメラに収める。あの列車が伊勢奥津まで行き、折り返して来る列車に今度は乗ることになる。伊勢奥津から1時間40分ほどで到着した。

駅前のコンビニで昼食を買い求め、駅のベンチで食事とする。美杉の木を利用した、地元のコミュニティセンターを併設した建物である。

伊勢奥津から列車がやって来た。行きに乗ったのと同じキハ25である。座席は満席で立ち客もいる。先の列車でそのまま折り返した人や、1本前の列車で来て無料の送迎バスで北畠神社を訪れた人、それぞれ楽しんだ様子である。

家城で列車の行き違い。名松線は全国でも珍しい「通票」を使っており、同線で唯一の行き違い設備のある家城でやり取りする。

松阪に到着。名松線の旅はこれで終了となり、まだ明るい時間だが近鉄で帰路に着く。行きはしまかぜとビスタカーの乗り継ぎだったが、帰りは伊勢志摩のもう一つの看板列車である伊勢志摩ライナーだ。こちらもデラックスシートに陣取る。同じような連休帰りの乗客で満席だった。

5月には伊勢志摩サミットが行われることもあり、三重県が注目されているようだ。今回は松阪、名松線というところだったが、三重県は南北に長い。また今度はエリアを変えて訪れたいものである・・・。
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