まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第5番「葛井寺」~西国三十三所めぐり4巡目・2(西国三十三所「中先達」昇補申請します・・)

2021年12月14日 | 西国三十三所

西国三十三所の3巡目を終え、これまでの先達で2巡を終えたことから、めでたく「中先達」に「昇補」する資格を得た。ただこの「昇補」という言葉、他では目にしないように思う。「昇格」や「昇進」とも違うようで、ネットで検索してもこの先達の事例しか出てこない。専門用語なのかな。

これにあたっては三十三所いずれかの納経所に出向いて、先達用の納経軸に2つ朱印があることを確認し、申請書に証明印をいただくことになる。私の場合、第11番の醍醐寺で3巡目が結願となったが、ここは先達の時と同様、地元藤井寺(今は離れて広島にいるが)にある第5番・葛井寺でいただくことにしよう。先達の番号には年度と札所番号が入るため、葛井寺の「5番」は入れたいところだ。

大阪への帰省を兼ねて正月に訪ねようかと思ったが、初詣の時季、境内や納経所は混雑するだろう。その中で中先達の申請をして手を煩わせるのも申し訳ないかなということで、年内に訪ねることにする。証明印をいただいた後の申請書の提出は後日でもかまわない。

12月の宿泊も計画していたが、結局12日に日帰りで向かうことにした。広島から「新幹線直前割きっぷ」を使い、朝6時14分発の「ひかり500号」で新大阪に移動。そこから地下鉄と近鉄を乗り継ぎ、葛井寺に着いたのは9時半すぎ。

葛井寺は2025年に本尊千手観音の開基1300年を迎えるにあたり、「令和の大改修」が行われている。その第1弾として南大門の修復工事が行われ、2021年の7月に完了した。耐震工事と朱色の塗り替えが行われたそうで、それまでの色褪せた様子からぐっと締まった感じに見えた。細部の塗り替えも行われ、落ち着きと華やかさが合わさった雰囲気となった。

現在は、南大門から入って左手にある阿弥陀堂の再建、阿弥陀三尊二十五菩薩像の修復が行われている。阿弥陀堂も南大門と同じく江戸中期の建物だというが、新たに耐震性、耐火性に優れた建物にリニューアルするそうだ。

その一方で、かつて藤井寺駅の通路に掲げられていた近鉄バファローズの試合速報の看板は変わらず残っている。これが今では藤井寺市のPRにもなっているようで、SNSの投稿がポスターにもなっている。「メガホンのポコポコ音とオジちゃん達の愛あふれる野次が名物だった。こうして形を残して下さっているから懐かしむことができる。藤井寺、いいまちだ」 なんかうれしい。

本堂に向かう。まずはお堂の外でお勤めとする。西国三十三所3巡達成のお礼参りであり、すでに第1番の青岸渡寺で始めているのだが4巡目としての発願でもある。

そして納経所へ。ちょうど前の方が掛け軸に朱印、墨書をもらっているくらいで行列はなかった。やはり12日にして正解だった。

私の番になり、中先達への昇補を申請したい旨を申し出る。「回りはったんやねぇ」と歓迎される。合わせて、3巡目でいただいた西国曼荼羅の八角形の用紙33枚も提出する。この西国曼荼羅の八角形の用紙だが、これを33枚揃えて指定の札所で提示すると、特別にもう1巡したものと認定され、先達用の納経軸に特別印を押してもらえる。中先達で3巡(通算6巡)すれば大先達への昇補の資格が得られるが、この特別印があることでこれが2巡(通算5巡)に短縮される。

八角形の用紙の裏に確認印を押してもらい、納経軸に特別印を押す中で、先達で2巡したことも確認してもらう。その間、ノートに氏名、住所、電話番号を書くように言われる。葛井寺から先達申請した人の名簿のようなものだ。周辺人口は多いが、葛井寺で先達申請する人というのは西国三十三所の中でどのくらいの割合なのだろうか。ただそれでも、そもそも西国三十三所めぐりを発願したのは地元葛井寺だし、先達の申請もここで行った。名札に書かれる「5番」にはこれからもこだわりたいところだ。

先達申請書に葛井寺の証明印が入る。

合わせて、葛井寺の欄には4巡目の印を入れてもらう。納経軸上では、ここにもう一つ印が入れば大先達に向けて1つ札所をクリアしたことになる。

その4巡目だが、何と組み合わせようか。2巡目ではカラーの御影、3巡目では西国曼荼羅の八角形の用紙をいただいた。4巡目はそうしたアイテムとは別で、とあることに挑戦することにした。それは・・・・。

葛井寺の参詣を終え、ここで西国四十九薬師めぐりで残っている池田の久安寺に行ってもいいかなと思ったが、梅田まで来て心変わり。帰りに予約した高速バス、16時発の広島行き「グラン昼特急広島5号」を1本早い13時30分の「3号」に変更し、それまでの間、梅田で一献することにした。中先達昇補に向けての祝杯だ。

入ったのは、ホワイティ梅田の一角にある立ち呑みの「赤垣屋梅田店」。コロナ対策でカウンターにもびっしりとビニールカーテンが下ろされている。これはこれで1人ずつのスペースがはっきりしているのでちょうどよい。

12月14日は「討ち入りの日」である。赤垣屋だけに。忠臣蔵の中で酒のエピソードが有名な赤垣源蔵から店の名前を取ったこともあり、ファン感謝デーのようなものだ。私も大阪時代にその日におじゃまして、限定の日本酒小瓶をいただいたこともある。

そんな中で立ち呑み料理をいろいろ。期間限定でホタテ、とり貝、アワビの盛り合わせもあり、大阪名物のビーフカツもあり。その一方でホッピーをやったり、冬だからというのでフグのヒレ酒(&継ぎ酒)。年末にちょっと贅沢させてもらった。

そしてJR大阪駅から「グラン昼特急広島3号」に乗り込む。新幹線よりも時間はかかるが乗り換えなしで安く行けるのはよい。「3号」なら広島着もそれほど遅くならないのでちょうどよい。

隣客に気兼ねしないプライベートカーテンがあるのはいいが、まさか前方が夜行バスのようにカーテンで覆われているとは思わなかった。西に向いて走るので太陽除けだとは思うが、視界が妨げられるのはよろしくない。プライベートカーテンを広げれば周りに影響がないと判断して、前方のカーテンのボタンを外す。特にどうのこうの言われることはなかった。

「5号」の時は淡河パーキングエリア、吉備サービスエリア、八幡サービスエリアの3ヶ所での休憩だったが、こちら「3号」は時間帯的に混雑しないためか、白鳥パーキングエリア、八幡サービスエリアの2ヶ所での休憩。途中も快調に走り、私も結構な時間は爆睡のうちに通過したようだ(単に酔っぱらっていただけなのかもしれないが)。5時間の行程もあっという間に広島市内まで戻ることができた。

4巡目をどのようなルールを作って回るかはいずれ発表するとして、なんやかんやで西国三十三所めぐりはこれからも続くことに・・・。

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