まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第12回九州西国霊場めぐり~第27番「清岩寺」(佐世保の福石観音と五百羅漢窟)

2022年10月03日 | 九州西国霊場

話は、9月の九州西国霊場めぐりの続き。

九州西国霊場めぐりは長崎県北部の佐世保へ。駅から港がすぐ近く風光明媚なところである。過去に一度宿泊したこともある。遠くには「SASEBO 120th」の文字も見える。2022年は佐世保の市制施行120周年である。1889年に佐世保に海軍鎮守府が開かれたのを機に人口が増え、1902年に市となった。

これから目指す清岩寺は佐世保駅から徒歩15分ほどということで、駅前の国道35号線を歩く。そこに見えたのは「福石観音」の文字。福石観音前というバス停もある。この記事では清岩寺という名前をタイトルにしているが、地元の人には福石観音の名前で通っているようだ。山門があり、ここを進んだ突き当りに境内が広がる。

さまざまな祠や石像が出迎える中。右手の階段を上がったところに本堂がある。

清岩寺、福石観音の由来は奈良時代にさかのぼる。行基が諸国を回る中で、福石山を訪ねて庵を結んだ。この時に仏木を発見して十一面観音を彫り、福石山に祀ったのが福石観音の始まりとされる。九州にある「行基七観音」の一つである。後に、弘法大師が行基の足跡をたどる中でこの地を訪ね、清岩寺を開き、山の裏手にある洞窟に五百羅漢を祀ったという。現在の形になったのは江戸時代、平戸藩の時という。

本堂の中に入れるということで外陣にてお勤めとする。

本堂の周囲は岩窟となっていて、そのところどころにも石像が祀られている。こうしたところは古くから信仰の場、修行の場としての歴史が長いように見える。

大師堂にお参りした後で、朱印をいただく。本堂の受付に書置きのケースがあったが中が空だったので、インターフォンを押して寺の方に来ていただく。かえって恐縮である。

さて、先ほど触れた五百羅漢を見に行くことにする。境内の案内に沿って進むと羅漢像らしきエリアがあるが、ここだけではないようだ。目指すのはさらにその先で、福石山の北側に回り込む。

そして現れたのは、どうすればこういう形の洞窟ができたのかなと思わせる景色である。現在の市街地からは想像できないが、その昔はこの辺りまで海岸線が来ていたとか?

この羅漢窟は「平戸八景」の一つという。江戸時代、平戸藩の領地内にある奇岩奇勝の8ヶ所を選んで、世間にPRしたのが始まりである。

時代が下り、太平洋戦争での空襲で焼け出された人たちがこの地に避難して、戦後もそのまま仮住まいを続ける中で、五百羅漢像の多くが廃棄されたり、あるいは破壊されたりした。そのため、首が落ちたままの像も結構あり、ちょっとびっくりする。昔と比べて羅漢像は減っているとはいうものの、一方で新たに寄贈された石像も見られる。佐世保の「とんねる横丁」というのは知っていたが、こうした洞窟があったとは初めてである。

佐世保駅に戻る。時刻はまだ10時30分だが、この日(9月24日)の札所めぐりはこれでおしまい。この後もゆったりしており、決まっているのは宿泊地が唐津の途中の伊万里ということだけである。佐世保での過ごし方も漠然としていて、駅からバスで移動して、九十九島の遊覧船でも乗ろうかというくらいのものである。

そこで、駅からのバス、遊覧船の時刻を調べようと構内の観光案内所に向かう。すると入口前のテーブルに「軍港クルーズ乗船の方は記入をお願いします」と、バインダーに挟まれた受付票がある。そういうクルーズがあるのか、面白そうだなと、受付票に記入して列に並ぶ。

そして私の番になったのだが、この「軍港クルーズ」、どうやら事前のネットや電話での予約が必須だったようだ。それでも係の人が念のために確認すると、キャンセルがあったようで1席だけ空きがあったようだ。すぐにチケットを発行してもらう。係の人の話では連日人気のコースだという。少し後に、私と同じように予約なしで受付票を提出した客が断られていた。こういうことがあると、先ほど訪ねたばかりの福石観音のご利益かなと感謝してしまう。

その「軍港クルーズ」の出航は11時30分。遊覧船は11時すぎには入港するが、おすすめの甲板席は早くに埋まるので今からでも並ぶよう勧められる。再び港に出て、出航する乗り場の列に加わる・・・。

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