・・・日本シリーズ第3戦、山田の3ランの瞬間、テレビ消しました。日本シリーズはこのままスワローズが制することが決まった。選手の頑張りがどうとか応援がどうとかいうのは関係なく、これ以上は辛いので日本シリーズ中継は見ません。ボコボコにやられるシーンばかり。情けない。痛々しい。
・・・そんなネガティブになる1ヶ月あまり前の9月18日、広島新四国八十八ヶ所めぐりはこの日の最後となる第46番・萬願寺に向かう。「この日最後」というのは、台風接近で雨が降る予報というのと、昼過ぎに帰宅してパ・リーグペナントレース終盤の天王山となる試合をテレビ観戦するためである。
宮原8丁目のバス停から山の方向に向かう道を上る。5分ほどで寺の入口に着くが、本堂はさらに続く坂を上ったところにある。呉の地形を実感できる場所にあるようだ。
参道には西国三十三所の本尊石像が並び、阿弥陀如来を祀る祠もある。また、「戦役英霊 見返り観音」という観音像も祀られている。見返りというのは、呉を出港して後ろを見返すとそこに立っているからついた名前なのだろうか。時代は下ったが、今も海上自衛隊の艦艇や潜水艦も各地に赴くし、それ以外のフェリーや漁船も出航する。それらも温かく見守る存在であろう。
その見返り観音から呉の港を見下ろすことができる。戦艦大和をはじめとした多くの艦船が建造されたことから「歴史の見える丘」というスポットがあるが、萬願寺はその丘を見下ろす位置にあり、造船所だけでなく海上自衛隊の基地も見下ろすことができる。ちょうど艦艇が係留されているのも見える。さらに進むとまた風景もそれだけ広がる。
萬願寺が最初に開かれた時期ははっきりしないが、慶長元年に水野重政により中興とあるので、少なくとも江戸時代以前からの歴史を持つようだ。本尊は「夜なき観音」と呼ばれるそうで、江戸時代、この観音が盗難に遭い、村人が探し求めたところ広島城下の店でよく似た像を見つけた。そして店の主に聞くと、この像が来てからというもの、店の娘が夜な夜な「宮原に帰りたい」と泣くようになったそうで、村人は観音像に間違いないとして無事に萬願寺に連れ戻したそうだ。
境内の奥に続く道に「納経所入口」とあり、書き置きの箱はこの入口の下駄箱の中にあった。
そして五重塔からは呉港、そして周囲の島々の景色がさらに広がって見える。萬願寺は今回初めて知ったスポットで、こうした眺めの良いところだとは思わなかった。地元の人たちにとっては人気なのかもしれないが・・。
ここまで港を見下ろせるスポットとなると、戦時中はどうだったのか。それこそ、鎮守府やら海軍工廠もあり、戦艦大和などを建造しているところがモロに見えるのではないかと思うが、やはり当時は諜報活動を警戒して憲兵が常駐して警戒していたそうだ。
呉に来たら軍港関連、自衛隊関連のスポットは欠かせないなと思っていたが、ここからの景色を見たことで十分に満足し、ここで呉駅に引き返すことにする。宮原8丁目から広電バスで呉駅に到着。
呉からは呉線で広島に戻るところだが、変化をつけてバスに乗ることにする。広島呉道路(クレアライン)を経由して広島バスセンターに向かう便(一部の便は八丁堀へ)で、この区間をバスで移動するのは初めてである。市街中心部へ直通するメリットもあるし、呉線より本数も多い。
広電バスが来るのかと思ったら意外にも中国JRバスの車両がやって来た。同じJRグループながら呉線に対抗するバス路線を運行しているとは・・。
体育館前を過ぎるとクレアラインに入り、そのままノンストップで走る。仕事でクレアラインを走ることがあるのだが、やはり従来の国道31号線と比べると(通行料はかかるが)現在の呉~広島のメイン手段なのかなと思う。
20分あまりで広島高速の仁保を下り、柞木(ほうそぎ)に到着。以後、国道2号線に入り、市役所前から中電前、本通りを経て広島バスセンターに到着。ここまででおよそ50分で、呉線に乗るよりも便利だなと感じた。昼食はまだだが、バスセンターで何か買って広電で帰宅しよう。
ふとバス乗り場を見ると、台風14号接近にともなう運転中止の案内が出ていた。18日夜発の夜行バスに始まり、19日の高速バスは全面運休とある。さらに驚いたのは、広電バス、広島バス、広島交通をはじめとした市内線、近郊路線も全面運休するということ。19日は祝日ということで通勤通学への影響は少ないということもあってか、いや仮に平日だとしても全面運休にしたことだろう。それだけ強い勢力で中国地方を通過する予報が出ていた。
そして翌19日、広島のすべての公共交通機関がストップする中、1日中テレビで台風中継と、午後はバファローズ対ホークスの1戦(本来現地で観戦予定だった)を見ながら過ごしたのであった・・・。