9月中旬からパ・リーグペナントレースの終盤戦が大混戦となり、10月2日の最終戦でのリーグ優勝決定。その後クライマックスシリーズを経て、10月22日から日本シリーズが始まった。バファローズ対スワローズという2年連続の対戦。
22日の第1戦はスワローズ打線がバファローズ・山本を攻略、終盤には村上にもダメ押しの本塁打が出て勝利。そして第2戦はバファローズは、宮城の予想が多い中で山﨑福を先発に起用。学生時代に神宮のマウンドに慣れていたこと、そして打撃がいいこと(交流戦では代打にも起用されたくらい)を買ってのことで、これが当たった。自ら先制打を放ち、4回までスワローズの強力打線を緩急つけてうまく抑えた。
そのまま自慢のリリーフ陣につないだのはいいが・・・9回裏ですべてがぶち壊しになった。まあ、追加点が奪えない打線も打線だが・・・。もうこのままやられっぱなしなのだろう。後はどうなったか知らん。
さて、9月から10月にかけて野球観戦絡み、札所めぐり、また鉄道の日にちなんで・・ということでいろいろ出かけていたのだが、その合間に広島新四国八十八ヶ所めぐりもいくつか進んでいる。日数が経ってからの記事となるが、しばらく続けることに。
・・広島新四国を直近で回ったのは7月18日。その時は東広島から呉に入り、第43番の照明寺まで進んでいる。続いては呉市中心部に近い5ヶ所を順に回るが、結局次に広島新四国を訪ねたのはちょうど2ヶ月後の9月18日のことである。そして、記事にしたのはそれからさらに1ヶ月が経っている(それらの記事を優先させて、広島新四国を後回しにした結果であり、もし続きを楽しみにしている方がいらっしゃれば申し訳ないです・・)。
9月18日はちょうど3連休の中日で、当初はパ・リーグの首位攻防・天王山となるバファローズ対ホークスの観戦と神仏霊場めぐりのために関西に向かう予定にしていた。しかし、ちょうど発生した台風14号の接近と重なり、19日は西日本の交通機関がほぼすべて運休になると見込まれたために、関西行きは中止とした。その代わり、18日の午前中ならまだ台風の影響はなかろうということで、間隔が空いていた広島新四国で、呉地区の5ヶ所のうち3ヶ所を回ることにした。午前中で回ってそのまま帰宅すると、14時からの京セラドームでの野球中継に間に合う計算だ。
まずは朝の呉線の列車で呉に到着。呉に来たなら久しぶりの大和ミュージアムにも行きたいが(今回の広島勤務以降、まだ訪ねていない)、時間的に次回に繰り越しとなりそうだ。
今回訪ねるのは、第44番・法輪寺、第45番・萬年寺、第46番・萬願寺の3ヶ所である。いずれも呉市街の東側、休山の麓にある寺である。
この並びをめぐるには、広電バスの呉駅から宮原経由の鍋桟橋・音戸の瀬戸方面行がちょうどよい。呉駅から音戸方面に向かうには2つの路線があり、宮原経由は山側である。住宅地を通るためか日中も20分に1本の割合で走っており、利便性は悪くない。
呉の中心部を抜け、10分ほど乗車して和庄小学校下で下車。特に最寄りのバス停であるとの案内があるわけではないが、地図を見てここが最寄りと見当をつけた。あとはスマホの地図アプリを見ながら歩く。宅地と細い道が入り組んでいて、どれが最短なのかわかりにくい。観光寺院ではないので標識があるわけでもない。
その中、法輪寺への手書きの案内板を見つけた。ただその道幅は狭く、軽ならまだしもちょっと大きめのクルマなら通れないのではないかと思われる。今回呉地区をめぐりにあたり、いずれも休山の斜面に住宅が建ち並ぶ一角にある寺院ということでクルマで行くのは厳しいのではないかと思い、呉線+バス+徒歩にした。
地図でもっとも近道と思われるところをたどるが、それも本当に近道なのか。路地のような細道に出たかと思えば、途中には階段も出てきた。さすがは坂が多い呉の町である。
バス停から道を探しつつ10分ほどで法輪寺に到着。坂道に沿って石垣が並び、中央に山門がある。ちょっとした山城に来た感じである。
振り返ると呉の市街地、そして港を一望できる。広島新四国という切り口で回ると、これまで見たことがあるのとはまた違った町の風情が楽しめる。呉しかり、広島市内しかり。
法輪寺が開かれたのは大正15年のこと。広島の三滝寺から四鬼神と呼ばれる通力を持った大法師作の弘法大師像を迎えたのが始まりという。太平洋戦争では呉でも大きな空襲があったが、戦災を逃れ堂宇はそのまま現在まで残っている。
境内といってもほんのわずかなスペースである。お勤めとして、本堂前にある箱から朱印をいただく。本尊は薬師如来である。
続いては第45番の萬年寺に向かう。バスだと停留所1つか2つ分のようだが、またバス通りまで下りて上るのも面倒なので、そのまま山麓に沿ってなるべく近道を探しながら歩く。また、クルマがぎりぎり通れるかというくらいの道を行くことに・・・。