ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

T、卒業おめでとう!

2009年12月18日 | 家族とわたし
2009年12月18日、この日Tは、23才の誕生日と4年半に渡る米国の大学生活の終了日を迎えました。

昨夜、くたくたのはずなのになかなか寝付けず、夜中にお腹が冷え冷えとして起きたりして、けれども6時半に目覚めたわたしは、旦那が散歩に出かけている間にシャワーに入り、昨日の便秘をなんとかして解消しようとストレッチなどに励んでおりました。
ちなみに、夜中にお腹が冷えたのは、あんな遅い時間(9時半頃)にパック寿司を食べながら冷たいビールを飲んだのが原因!(by旦那)だそうです……。

Tはさすがに緊張しているのか、昨晩もろくに寝ていないのにちゃっちゃと起きて、集合時間に間に合うべく会場に向かい、名前がそこにあったと連絡をくれました。
我々はKを起こそうと電話をかけるのだけど、なんとも確証のない超寝ぼけ声が聞こえてくるだけ……案の定、もうあと5分もないという時間に部屋に入ると、寝てるし…………旦那に雷を落とされて飛び起きてたけど……それでもしっかり髪の毛ストレートアイロンかけてるし……

寒空の中、大学に向かいました。

Tが4年間学んだ校舎です。ここで4年間絞りに絞られてきました。



入学前のセミナーがあった建物。ここで彼は最初の洗礼を受けました。



Tが二回生の時に住んだ寮。ここの1階の部屋に住んでいて、あの銃乱射時間のあった日も、「窓のすぐ外でライフルを持った人が歩いてる」などとすっとぼけたことを言って、母親を震撼させたTでした。あの事件の最初の殺人は、この建物の隣の寮で起こりました。



会場に入ると、まずコートを開いて身体検査、そして鞄の中のチェックがありました。大学専属の警察官が二人組で、会場のあちらこちらに立っていました。
先に到着していた旦那の両親と姉が、どこにエンジニア科の生徒が座るのかを確認して、席を確保しておいてくれました。



会場の一角に、式の間中生演奏をしてくださった管楽器奏者さん達。



Tが入場してきました。やっぱりチビです。



母親に名前を呼ばれて、珍しく振り向くT。もっと珍しいことに、なんとT、笑ってるではありませんか!?奇跡だ!!



ヴァージニア工科大の校章と教授の方々。



呼ばれた呼ばれた!Tの名前が呼ばれた!
が……なんちゅう発音やねぇ~ん?!ずっこけてカメラが揺れちゃって、タイミングを外してしまいました。Tは校旗の間の、後ろ向きの学生です。



前からのアングルで撮るのは無理だったので、近くにあるスクリーンに写る彼を撮りました。完璧では無いけれど、まあ満足満足。



結局わたしは泣きませんでした。というか、彼の成し遂げたことの大きさに圧倒されて、尊敬の念のようなもので胸の中がいっぱいでした。
農家の長男の長男として生まれたT。しかも長年待たされ続けてやっと生まれた男の子だということで、それはもう皆から大事にされていました。
それが急にそこから連れ出され、小さな子の扱いが苦手なアメリカ人の若者と暮らすようになり、名前が変わりました。
日本人のくせに変な名前だ、英語しゃべってみろ、などといじめられ、学校の廊下で下着のパンツを下げられたり、知らない子に追い回されたり、
顔以外の全身アトピーの悪化で10年もの間血だらけになって苦しんだり、親の甲斐性が無いばかりに、やりたいことのほとんどをさせてもらえなかったり、
それでもくさらずに、彼なりに前向きに、一歩一歩歩き続けてきたT。
こちらに来て、凄まじい変化の嵐に見舞われても、ポキリと折れずに、凹んでも立ち直り、誤解を受けても気にとめず、いろんな事や人を許せる優しさを持ち、
思い返してみれば、どちらかというと成績優秀のまま学業を終えたT。
親バカだけど、ほんとにすごい男だと思います。そのすごさを目の当たりにして、泣きたいというより、ただただ笑って手を振っていました。

卒業式会場の垂れ幕。これでもうお別れだと思うと、VTのマークがとても懐かしくなってしまいました。



遠い所はるばると来てくださったお母さんとお父さん、それから旦那姉(といってもわたしよりはるか年下!)、そしてT本人とK。
実はこの時もう、スノーストーム直前という事態になっていたので、とにかく1分でも早く離れたい両親と姉。そしてそれは、とっても正しい判断だったのでした。






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500マイルも離れて

2009年12月17日 | 家族とわたし
12月17日、午前10時20分、予定より少し遅れて出発。
Tの大学最後のイベント、卒業式参列のために一路ヴァージニアへ!

いつものごとくドタバタでして、朝食を食べるのもそこそこに出発してしまったので、途中、うちとしては超珍しくバーガーキングにて朝食をとることに。



Kは前の晩徹夜で遊んでいたらしく、車に乗った途端に爆睡、寝ぼけて注文するのに時間がかかり、担当のおばさんはかなり我慢して付き合ってくれました。

まずはペンシルバニア州へ。



明日の昼間に、かなり大規模なスノーストームが来るという情報があり、なんとなくそれを予言するような空が……。



わたしが運転していたので旦那が写真担当。次のメリーランド州の看板を撮ろうとかなり前から構えていた旦那……がしかし……あえなく失敗……。

次に通るウェストヴァージニア州の入り口です。



ヴァージニアには軍の基地があります。そこからのヘリコプターがバタバタと空を飛んでいました。いよいよヴァージニアに近づいてきたようです。



ヴァージニア州の入り口です。



ようやくヴァージニア州に入ったことは入ったけれど、ここからまだ200マイルもあります。それで毎回、はぁ~……と読んでかなり気落ちしてしまう看板です。



道すがら、なんとなく気になった大きな幾何学模様の物体。

 

いよいよ日が暮れてきました。暗くなる前に着きたいわたし達、急ぎたい気持ちと長時間のドライブ疲れが重なって、なかなかに複雑です。



旦那はドライブ中疲れるとすぐわかります。身体をむずむず動かす。イライラ度満点のため息をつく。機嫌が極端に悪くなる。
そういうのをすぐ横で見ていると、こっちまでそのイライラ虫が移ってきて、精神衛生上悪いったらありません。
Kはそれまでずうっとひたすらグウグウ眠っていたので、ここは彼に登場してもらい、旦那をとにかく後ろの席に座らせることにしました。
そうなるとそうなったで、今度は「退屈や~」と騒ぎ始める大きなコドモ君。しゃ~ないので、久しぶりにしりとり遊びをすることにしました。

きつつき→きこり→りんご→ごましお→おとこ→こんぶ→ぶた→たんぼ→……。

久しぶりのしりとり。夕焼け空を見ながら、なぜだか楽しいのでした。

Tのアパートメントは閑静な住宅街にある一軒家でした。彼は地下の一室を貸してもらい、いつもの彼らしい、なかなかに散らかった部屋でした。
明日が卒業式だというのに、今朝に最後の試験を受けた……などと言っているT。その結果はまだわからず、明日ちゃんと名前読んでくれるかなあ~などと言う、とんでもなく頼んない卒業予定者。まあ、明日の朝卒業者名簿に名前あるかどうか調べとくわって……あのなあ……。

結局10時間に及ぶ500マイルのドライブでした。
でも、これが最後だと思うと、なんだか名残惜しいような気もするヴァージニアへの旅。
Tが4年半の最後の半年だけ住んだ、一番住み易かった、同室のルームメイトの居ないアパートメント。ごめんな、たったの半年間だけで。
明日の卒業式に羽織る、オレンジ色の校章が刺繍で入った黒のガウンと四角い帽子を見せてもらいました。
T、ほんまにあんた、やったな!

大学の卒業を明日に控える男の子がどんな夜を過ごしたいか、それをよく知ってる旦那は、こういう時は親の我々はしゃしゃり出ず、さっさとホテルに退散が一番と言うので、ちょっと寂しかったけれど、わたしもそれに従うことにしました。

車の中から何回か電話をかけて、Tの様子を聞いていたのだけど、その時だってもう素っ気ないったらありません。

「一緒に晩ご飯食べる?」「もう食べた」
「ほな軽く甘いもんでも食べる?」「今食べてる」
「ちょっとビールでも飲む?」「ここにいっぱいあるからいらん」

ま、こんなもんか……とすぐに気をとり直し、かといって、旦那とふたりでレストランに行ってまで食べる元気も無かったので、最寄りのスーパーに入り、そこで穴子寿司とビールを買って、ホテルの部屋で食べることにしました。
大学の隣のクリスチャンバーグという町にあるホテルは、一部屋60ドル。二人で泊まれるこじんまりとしたきれいなホテルでした。
こちらでは珍しく、部屋の中の空気がきれいで、旦那はなんとなく日本を思い出したと言っていました。

Tのアパートメントの隣のお家です。これはもう『クレージーハウス』の名称を獲得できる資格があると思います。



明日はいよいよ卒業式。無事にTの名前が呼ばれますように!そして呼ばれたら、正しい発音でありますように!











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お茶のはなしと猫のご機嫌取り

2009年12月16日 | 家族とわたし
朝から家中を掃除して、ピアノの練習をして、式に参加したのにすっかり買うのを忘れていた旦那従妹への結婚のお祝いを買いに行きました。
日本の夫婦湯呑みと、かわいい茶筒、それからアメリカン好みのウーロン茶のセットです。湯呑みは完全包装しちゃったので写真無し。



モントクレアの町に、『ちゃまぐだお』という名のお茶専門店があります。
そこのオーナーは中国人の女性で、けれどもまだ一度も中国には行ったことがなく、変化が著しいあの国の、まだあの国らしさが残っているうちにぜひ行きたいと、熱く語ってくれました。
ウーロン茶を買うにあたり、あの面倒なお茶の入れ方をアメリカンに強要するのはいかがなものか?と尋ねると、
「あんなの全然しなくていいの!お茶っ葉入れて、熱いお湯を注いで、5分待って、ほんでもってはいどうぞ!でいいの」
「ええぇ~!?そんなぁ~!!台湾人の友人から、あれほど強~く教え込まれたあの方法は、いったいなんやったん……」



まず、この大きな器(茶海やったかいな?)にぜんぶ入れ、茶壺(急須のちっちゃいの)も湯呑みも全部、熱々のお湯を注ぎかけます。
んで、今度は茶壺にお茶の葉を入れ、ちょっと溢れるぐらいの湯を注ぎ、泡を押し出すように蓋をし、その1番茶をやっぱり茶海の中にジャーッとかけます。
これが洗茶。これをすることで、お茶の葉が摘まれてから精製されるまでの汚れを落とし、すべての物(湯呑みも茶壺もお茶の葉も)が同じ温度になります。
あとはもう、茶筒にお湯を注いでは飲み、また注いでは飲み、10回でも全然平気、楽しくわいわいといただくのです。

なので、そんなあっさりと、その手間をばっさり省いて普通に飲んでってニッコリ微笑みかけられても……。
でもまあ、簡単に飲めて美味しいのなら、それにこしたことはありません。
新婚夫婦仲良くふうふうしながら、楽しんでもらえたら嬉しいなあ。


ところで、3日半、寒い家の中(セントラルヒーティングを1階だけにして、しかも室内設定温度を15℃までに下げるつもり)に閉じ込められる家猫ショーティ。
彼女はもう、すでにイヤな予感に包まれまくっています。けれど、さすがの彼女も、まさか3日半も放っとかれるとは思っていないはず……。
餌の世話は、やはり顔馴染みのジム(前の家の大家さん)にお願いすることになりました。彼だとショーティも慣れているので助かります。
とりあえず、新しいくつろぎボックスと独り遊びができるおもちゃを買い、ちょいと高価なドライフードも奮発して持ち帰りました。
さっきから撫で撫で撫で撫でしまくっていると、「そんな~、やり過ぎたら明日からのギャップがおっきくなるやん。平常心平常心!」と旦那に注意されました。


さて、これからパッキングします。Tの卒業式のある日のヴァージニア州ブラックスバーグは、凍えるような寒さと雪という予報が出ているらしく、
旦那は先程から、「ボクのロングアンダーウェアどこ?見つからへん!」と大騒ぎしてます。
今夜はワインの量が少なかったからか、ピアノの練習もほんの1小節で終わり。「なんでぇ~!くそぉ~!わからぁ~ん!」のオンパレードでした。
まだ三日経ってませんけどね……。
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旦那、突如ピアノにめざめる!?

2009年12月15日 | 音楽とわたし
旦那は、難しい患者さんの治療に当たる時、部屋の中によくショパンのマズルカを流すそうです。
難しいというのはいろいろで、それは身体の症状としてだったり、心の問題としてだったり、時には、その人のおしゃべりがどうしても止まらなくて、治療を始めることができなかったり、まあそんな感じです。

これまでいろんなジャンルのいろんな曲想の音楽を試したそうですが、彼なりに法則が見つかったようで、その使い分けは大抵の場合成功しています。

今夜、夕飯を食べていると、旦那が急に、「ボク、マズルカ弾けるかな?」と言い出しました。
「まあ、根気があったら」とかなり冷めたトーンで答えるわたし。
なぜかというと、これまでも何回か、「あ、その曲弾きたい」と言い出して、ちょっとトライしたことがありましたが、なんとか読めるト音記号は良しとして、読めないヘ音記号のパートがちょっと難しかったりするとギャ~!無理っ!……2小節以上進んだことがありません。
「やる気だけではあかんねん、ピアノは」と、傷口にさらに塩を塗り付ける冷酷無比な妻。
こんなことは口が裂けても生徒達には言いませんけどね。やっぱり教師やってる時の自分と妻の時の自分って違うんやぁ……と我ながらに感動しました。

ところが今回はどうも、ちょっと本気っぽいです。わたしのイケズにも全然動じません。
「ギターもずっとワンパターンになってきたし、だいたいこんな毎日毎日ピアノの音が耳から入ってるボクが、なんにも弾けへんってのは悲し過ぎ!」
そうか、そこまで言うのなら……と、わたくし、ちょっと真面目に考えてみました。
「ほな、ショパンはショパンでも、プレリュードはどや?」
「なにそれ?」
「まあそら、プレリュードいうてもピンからキリまであるけど、ほれ、こないだの発表会でトムが弾いたやつ、あれやったら不可能ってこともない、かも……」

そこで、早速楽譜を開いてお手本演奏。おっほん!
曲は、『プレリュード6番』、Lent assaiです。
シャープがふたつもついているけれど、別にそれは彼にとっては問題にならないようです。ふぅ~ん……変なの?
左手の音の読み方のヒントを数個与えて、わたしは食器を洗いにキッチンに。
旦那の孤独な挑戦が始まりました。
ふんふん、今夜はガオォ~もギャ~も聞こえてきません。1小節が終わり、なんと2小節目に突入です!
おっ、ついに飽きたな?ロ短調のスケールを使って、彼の十八番のブルース風自作曲を演奏し始めました。
いつもはこれが始まったらおしまい。が、しかしっ?!今夜は違いました。再びショパンに戻りました。すごい!奇跡だ!
「すごいすごい!やるときゃやる!かっちょええ!」と褒めちぎる妻。
「ふふん、なかなかおだてるのうまいやん」と、鼻の穴がヒクヒクの旦那。

結局、最初の1段全部を弾ききった彼に、残りをもういっぺん全部弾いてと頼まれたので、サービスして2回、通しで弾きました。

もしかしたらもしかするかも……。
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米国突撃となりの晩ご飯事情

2009年12月15日 | 米国○○事情
今日最後の出張レッスンの家に入ると、そこはわたしが教えるレミが一人娘の家族なのに、なぜかちっちゃな男の子の声がしました。
週末でもないし、まだクリスマスには間があるし、などと思いながらレッスンをしていると、レミのお母さんと一緒にご飯を食べ始めた気配がします。

「ねえレミ、お友達?それにしたらちょっと年が若いみたいやけど」
「あ、あの子達、隣に住んでる子だよ」
「あの子達?え?ふたりもいる?」

ふたりとも、レミのお母さんのアレクサと数遊びをしたりゲームをしたり、そりゃもう楽しそうです。
そうこうしているうちにレミのお父さんが会社から戻ってきて、続きで彼のレッスンが始まりました。

「ねえトム、ベビーシッターでもしてるの?」
「ああ、あの子達、実はさ……」

今日は朝から、お隣の家ではなにか大掃除のようなことが行われていて、兄弟は放っとかれたのでしょう、
突然玄関のベルが鳴ったのでアレクサが出て行くと、なんとドアの前には小さな男の子が、靴も履かずに裸足のまま立っていたのだそうです。

「ボク、もうこれ以上お兄ちゃんと一緒にいたくない!おばちゃん、ボクをおばちゃんのお家に入れて!」

アレクサはとりあえず隣に電話をかけ、「彼の靴だけ持ってきてくれたらいいから」、とお願いしたそうです。
そしたらまあ、その当のお兄ちゃんが靴を持ってきて、さっきあんなに悲愴な顔で訴えた弟くん、「あ、お兄ちゃんだ!」って……いやはや……。
ま、どうやら隣はとっても大変そうだし、ここでご飯を食べさせようかということになったようです。
これぞ変形突撃となりの晩ご飯!

でも、なんだかひと昔前の、日本の長屋のおじちゃんおばちゃんに甘えるチビッ子のような風景を見ているようで、心の中がポッと温まりました。

さて、このお家のむかえに、とてもシンプルなのですが、色とりどりの電球を大胆に放射状に飾ったお家があります。
なんとも思い切った飾り方をしているので、帰り際にちょっと聞いてみたら、なんと、毎年そこに住む少年がひとりでせっせと飾り付けをするそうな。
彼は今年12才。もう何年も前から、本当にひとりで、大人の手を一切借りずに頑張っているそうです。
けっこう高い所にも引っ掛けてあるので、作業はきっと大変だろうと思います。
毎年、彼なりにパターンを変えるので、近所の人達は今年はどんなだろうと、いつも楽しみにしているのだそうです。

なんかいい通りだなあ……。

P.S.
写真を携帯で撮ってみましたが、取り込み方がわからないのでまた後日。

もひとつP.S.
Rukkoちゃんへの返事を書いていた時、ああ、うちもそういや毎晩突撃されてた!と思い出しました。
息子達が高校生だった頃、彼らの友達がとっかえひっかえ、冗談抜きで毎晩、誰かがうちの家族に混じって座って食べていました。
おかずなんてもう、まったくの普段の、どちらかと言わずとも質素な、ニッポンのお惣菜でしたけど、
時には珍し気に、時には気持ち悪げに、時には嬉しそうに、パクパクと、そりゃもう豪快に食べてくれました。
こちらの高校生の男の子ってのは、ほんとに大食い!時々、わたし達が食べる量を押さえて、彼らにわけんこしておりました。
なのでうちは、家族4人+数人分、という量を毎晩作っていたような気がします。

でも……よくよく考えると、その頃は本当にお金に困っていました。
旦那は学生に戻ったし、わたしの稼ぎだけでは到底やっていけなかったので、政府から低所得者家庭の指定を受けていて、息子達も昼食券、などという、その年頃の子にとってはかなり屈辱的なチケットを渡して学食で食べていた時代でした。
なのに、どうやって賄っていたんでしょうねえ。不思議です……。
それに、覚えているのは、みんなでガハハガハハと笑いながら食べている風景です。ほんとに不思議です……。
あの子達、それぞれにいろんな風に、けれども元気に暮らしているようです。
いつか自分達の子供ができて、その子達が高校生になった頃、あの時の『突撃となりの晩ご飯』のこと、思い出してくれたら嬉しいなあ。
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なにか忘れてないか?

2009年12月14日 | ひとりごと
この時期、それでなくてもいろいろとあってややっこしいのに、今週はTの卒業式と旦那母の70才サプライズ誕生会があるというので、17日の木曜日から20日の日曜日の午後まで、大移動に次ぐ大移動で家を空けることになっています。

卒業式にはなんと、旦那の両親、そしてなぜか旦那姉まで参加してくれることになっていて、彼らもはるばるペンシルバニアから5時間かけてやって来てくれます。
当然ホテルに一泊しなければ、卒業式当日の朝から参加することなんて不可能なので、仕事や予定を繰り上げなければなりません。
そんなたいそうな、申し訳ないんとちゃうの?とわたしが聞くと、実はこれ、旦那が暗に頼んだというか、半ば罪滅ぼし的に強制したらしいと知りびっくり!
旦那がフィラデルフィアにある大学を卒業する時、なぜか旦那父は旅行の計画を入れていて、卒業式の2日前にひょっこり現れ、お祝いの夕食を食べたそうな。
旦那はそれがとても悲しかったようで、それまでもずっと、学校の行事には一切参加してこなかった両親でしたが、初めて怒りに近い感情を抱いたと言います。
で、今回自分の息子が卒業するにあたり、旦那と旦那父の間にどういうふうな会話があったのか知らないけれど、結果、姉までもが来てくれるということになりまして、Tはそれを聞いて、こうなったらなにがなんでも卒業せにゃ~と、めちゃくちゃプレッシャーがかかったと言っていました。

卒業式の翌日のパーティはサプライズということで、もちろん母には内緒。長いこと一緒に居ることになるので、なかなか気が気ではありません。
西海岸からお祝いのためにやってくる旦那弟は、バレてはならぬということで、前日の18日にペンシルバニアの姉宅に泊まり、19日に会場に行くことに。
そして我々(大学からの荷物をギュウギュウに積んだTとK、そしてわたし達夫婦の4人)も、それじゃ一緒にということで姉宅に泊めてもらうことになりました。

今の時期はクリスマスのプレゼントショッピングも大変!
毎年、ちっちゃいのからおっきいのまで、中には質より量みたいなんもありますが、大人も子供もみんな、贈り物を買ったりもらったりします。
その量がなかなか半端じゃないのですが、今回初めて、両親がクリスマスの翌日から旅行に行くということで、ちょっと変則クリスマスになる予定です。
いつものようにイヴから皆で実家に集まり、イヴディナーをいただき、翌朝にクリスマスツリーの根元に山盛りに置かれた贈り物を渡しっこするのではなく、
うちと実家の真ん中に位置する旦那姉の家で、イヴの食事だけして、プレゼント交換は無し、前もってクジで決めたプレゼンターがひとりの人にだけ贈り物を送るという、旦那母の独断で決めたアイディアに従うことになりました。

これがまた、やってみると簡単なようで簡単でない。なかなか難しいというか、無責任に物を選べないことになって大変!
金額は50~60ドルの範囲と決まっているので、それはそれで目安としてはいいのだけれど、今日もそのことでウンウンと頭を唸らせていました。
わたしがプレゼントをするのは旦那弟。彼は元大工さんなので(今はコンピュータープログラマー)、なにか工具を送ろうかなあと思ったり……。

なんてことをあれこれ考えながら、ふと、あれ?生徒達にちゃんと休みのこと伝えたかなあ……といきなり不安になりました。
来週明けからクリスマスとニューイヤーのホリデイシーズンに突入するので、各生徒の予定をしっかり聞いていろいろ調整しなければなりません。

そんなことを考えていたら、ああ~っ!家猫の世話をしてもらう人を探すの、すっかり忘れていました!
今まではずっと、二階に住む大家さんに甘えていたのですが、ここではそうはいきません。えらいこっちゃ~!見つけないと!

旦那母の誕生日プレゼントに、Tの大学卒業記念プレゼント、それからそれから、そうそう、生徒に渡す新しいピアノ本も……。

めまいなんてやってる場合じゃありません。
誕生日祝いのピアノの曲だってまだ完成してないし~。
あ~も~、ショーティ、猫の手貸してぇ~!!
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めまい

2009年12月13日 | ひとりごと
ひさしぶり~!
40代の頃はよくメマイッてましたが、50を過ぎてからめっきり少なくなってたのに、久々のめまいです。
昨日、生徒に合うピアノ本を探そうと、少し前屈みになったまましばらくいたら、背筋を伸ばした途端、数分目の前が真っ暗でした。
おっと~!と思いつつ、何気ないふりをして、その場は誤摩化したのだけど、それからなにやら連続してフワフワしておりました。

そんなこともあって、昨日はさっさと寝ようと思っていたのに、パソコンを消そうとした時、またまたTからチャットが。

「かかあ」
「どないしたん?」
「あかん、道こちんこちんに凍ってる!」
「ひぇ~!!」

Tは日本に飛び立つルームメイトのS君のために、ヴァージニアのアパートメントから3時間半ドライブして空港まで送っていくことになっていて、
彼の車は長老日産フェアレディ、失礼ながらポンコツと呼ばせていただくにふさわしく、雨でも降ろうものならツルツル滑る滑る、
わたしも何度か、町の真ん中で、遊園地のコーヒーカップさながら、クルクルッと回ったこともあります。
そんな車で、しかも真夜中の往復7時間、めっちゃ心配やんけぇ~!!
ということで、八百万の神様やら、仏様やら、ご先祖様やら、家のあっちこっちに行っては手を合わせてお願いし、
悪いことを考えることの方が悪いと自分に言い聞かせ、無事帰る、無事帰ると唱えながら寝ようとしたのですが……あかん……寝れん……。

というわけで、今日はちょっとお腹のあたりもモヤモヤと不快です。
なので、自分のためにもあっさりしたものをと思い、イカと大根の煮付け、三度豆の胡麻あえ、芥子菜と豚肉のベトナム風炒めなどを作りました。
不思議なことに、やっぱり頭がフワフワしていると、料理にかかる時間が長くなるんですね。
気がついたら1時間半近くも料理していて、自分でもびっくりしました。
まあ、美味しくできたので良しとしましょう。

明日あたり、鍼師にちょっくら打ってもらおうと思います。
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かみさむにだ~!

2009年12月12日 | 家族とわたし


突然ですが、夕方からマンハッタンに行き、旦那母と旦那と3人で、32丁目の韓国料理店街にて夕食をいただきました。
一昨日から、会合やパーティに出席する旦那父に付き合ってマンハッタンのホテルに滞在している彼女、
一回ぐらい気を遣わないで食事をしたい、ということで、我々にお誘いの電話をかけてくれたのでした。
もうそんな、ご馳走してもらえるのならどこへでもぉ~の我ら。ぴゅ~んと車に乗って出かけたら……あらあら、今夜は街中が異常に混んでおりました。
混んでいるだけならいいんですが、いきなり途方も無くデカいクレーン車が行く手を阻んでいたり、曲がりきれないでいる胴長のリムジンが道を半分以上塞いでいたり、なんだかハチャメチャ、ああ、クリスマスが近い(年末)なんだなあ……と感慨も深まるばかり、
いや、うそうそ、ハンドル握る指に力が入るわ、うるさいクラクションが気に触るわ、ついつい大阪の御堂筋を走ってるようなデジャヴに陥るわたし……。

一気に疲れてしまいましたが、いやあ、韓国料理ってやっぱいいわぁ~。
初めての経験だった母には、料理を注文するところでかなり試練があったようです。
英語で料理内容が訳されているのを読んでもピンとこない。写真が少ない。ということで、メニューに小さく載っていた焼き魚を指差した彼女?!
ちょ、ちょっとおかあさん、そんなん、ただの焼き魚ちゃうん?!と思たんですが、時すでに遅し。
もう迷いに迷って疲れ切っていたので、『何も言うてくれるな、わたしゃこれでええねんオーラ』がめらめらと……なので黙ることにしました。
旦那はブルゴギ(甘辛焼き肉)、わたしは海鮮おぼろ豆腐スープ、そして初心者母は焼き魚、それぞれの料理が来るまでチヂミを分けんこしてパクパク。
そしてやはり、焼き魚……失敗でした……
誕生日特別仕様並みのサイズの、鯛に似てるようで似てない特大尾頭付き焼き魚が二尾、ドカンドカンと大皿に乗ったのが運ばれてきました。
母は目をまん丸にして絶句。もちろん我々も絶句。恐る恐る身を剥がして食した彼女、「辛っ!それにすごく魚臭い!」って。
そら焼き魚やもんおかあさん……心の中でそうつぶやいたわたし……。
でもまあ多分、魚も新鮮じゃなかったんでしょね。こっちでこういうの頼む人、少ないやろし……
次回はもっと我々がフォローできるよう、ちゃんと下調べをしてからいこうと、心に固く誓ったのであります。

店員さんの、特に女性の方々は、わたしの顔をしげしげと見て、「せめてわたしらに話す時ぐらい御国言葉でしゃべりぃな~」と言いた気にしておられました。
話せたら話したいですよ。だって、いろいろおまけしてもられるって聞いてるし……。けど、わたし、日本人なんですよね、誰も信じてくれないけど。

次回はぜひぜひ、片言でもいいから、なにか話せるようにしていきたいと思います。あにゃはせよぉ~
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三羽ガラス

2009年12月12日 | ひとりごと
なぜだか理由はわかりませんが、こちらに来て、カラスに出会う機会が極端に少なくなりました。
それが、いきなり三羽、裏庭に遊びに来てくれたので、慌ててカメラを取りにいきました。



あまりに寒かったし、コートとか着る暇無かったし、おまけに彼らはいっつも微妙~な距離をとっていて、ズームができませんでした。
それにしても、あらためて見ると、ほんと、どっかの田舎の閉園された動物園の一角って感じのする、ワイルドな庭です、我ながら……。

それで、レンズから向こうを覗きながら、「ふふふ、これぞまさしく三羽ガラスなり……」とほくそ笑んでる自分に気がついて、
さて……それではなぜ、三羽ガラスという言葉が生まれたのか、ということに興味がムクムクとわいてきました。

どうせ今日は、ほんとは来るはずだった鍵盤ちゃんも来ないことだし、暇~(……があったら練習せんかぁ~!!)だし、ちょっくら調べてみました。


↓以下は、有馬温泉のあるお宿のサイトから抜粋させていただきました。
 
『カラスが現在の様に、「ずる賢い」とか「不吉!」とか「烏合の衆」などと喩えられたり忌み嫌われるようになったのは、実は江戸時代くらいからだそうで、それまでは、「賢い」とか「山の神の使い」とか言われて大切にされていたそうです。
なまじ知恵があるのと(遊んだり物まねをしたり道具を利用したり出来ることから、最も知能の発達した鳥類と言われています)見かけが悪いばかりに実にかわいそうな鳥です。
今回はそんなカラスと有馬温泉のとても深い関係を考察してみたいと思います。

一般に「ある方面、或いは、門下や部下の中の優れた三人」の事を「三羽ガラス」と言います。
カラスは賢い鳥だからかもしれませんが、それだけでは何でカラスなのかスッキリしません。
その語源のひとつと言われているのが有馬の古い伝説に登場する「三羽ガラス」で、文字どおり鳥のカラスです。
因みにこれは有馬温泉の鎮守であり、温泉寺の守り神でもある湯泉神社に伝わるお話です。

湯泉神社に最も古くから祭られている神様である大己貴命(=大国主命)・少彦名命の二神が、足を痛めた三羽のカラスが水溜りで足を浸して休んでいるのを見て有馬温泉を発見したというものです。
動物が発見したとか、神様が発見したとされる温泉は数え切れないくらいありますが、カラスは珍しいです。(というか一般的に知られている温泉では他にはありません)
しかも「カラスが温泉で傷を癒すのを神様が見て発見した」なんて、一つのストーリーの中で動物と神様が絡んでくるところなど、他にはありません』

というようなお話が載っていました。

いやあ、鍵盤が来なかったおかげで(←まだ言うてる……)、こんなことがまたひとつ、知恵袋に入りました。

今日もキリキリッと冷えてとっても寒いです。
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米国やっぱなあ~事情

2009年12月12日 | 米国○○事情
昨夜、お先に~といつも寝室にひとりで上がる旦那が、
「あ、すっかり忘れてた……まうみ、ちょっとBad newsがあるねん……いや、ちょっとと違て、多分……かなりBad……」とモゴモゴし出しました。

昨日、旦那の仕事中にかかってきた電話がそうでした。
仕事中だったので、まともな受け答えもできず、用件だけ聞いてそのままになっていたので、すっかり忘れていたようです。

修理に出している鍵盤、今日のお昼1時から4時までの間にここに運ばれてくる予定でしたが、延期になりました。
向こうからの話では、まだ少し時間がかかるので、来週の木曜日あたりはどうかということだったらしいのですが、
丁度その日から我々はTの卒業式に参加すべく、一家総出でヴァージニアに向かい、結局日曜日のお昼頃まで留守にすることになっており、その旨を伝えると、
なぜかホッと胸を撫で下ろしたような声で、あ、じゃあ、来々週の月曜日ってことで!と明るく指定してきたそうです。

ここにものの3年も暮らせば、アメリカンな常識や無常や悟りを知ることになるので、オハイオのRukkoちゃんやコネチカットのPSママもニューヨークのともちゃんも、そんなん屁でもないわい!と言いきれる根性を身につけている仲間ですが、こうなったらもう、年内に間に合えばラッキーっちゅうことで。

多分、これはあくまでもわたしの推測ですが、あの鍵盤は工場に運ばれて、実証見聞写真を撮った後、そのまま放っとかれてたんだと思います。
それで、わたし達がその後どうなっているのか、という問い合わせを、電話やメールで何度も何度もしていたのに、
それに答えるべき立場にあったカールの野郎がめっちゃ怠慢で、全くの音信不通を2週間にも渡り貫きやがったので、
工場の方もどうしたらいいのかわからないまま、鍵盤を工場のどこか隅っこに置いていたのだと思います。
そしていきなり、ハンマー総替え!なんてことをカールから言われて、やり始めたものの、そりゃ時間かかりますもん、あの作業。
なので、工場の方から、「そんなん、明日納入やなんて無茶でんがなぁ~」と文句が入ったのだと思います。

カール、てめぇ~!耳から指突っ込んで奥歯ガタガタいわしたろかぁ~
コメント (10)
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