今日は梅雨の合間に近場をブラリです。ブロ友のグッチさんとは、我家に一番近い7-11で集合です。^^
今日は第二神明や加古川BPなどを走ることなく、旧R250であるK718をトコトコと走り最初の目的地に向かいます。そして40分ほど走って到着したのは、こんな駐車場。
ここは高砂市高砂町今津町の工楽松右衛門旧宅です。地元新聞で、最近、公開が始まったと紹介されていたので来ました。ちなみに入場無料です。
先ずは工楽松右衛門旧宅の解説です。高砂市のFBから、概略を転写です。
高砂町今津町にある工楽松右衛門旧宅には、江戸時代後期に建てられた主屋や舟板塀を用いた土塀などが残されている。
堀川に面した土蔵群とともに、江戸時代に物流の拠点として繁栄した、みなとまちの歴史的景観が広がっている。
工楽松右衛門(1743~1812)は高砂町出身の江戸時代後期の人物で、兵庫津に出て、後に廻船問屋、御影屋を経営した。
松右衛門は、幕府や諸藩の命で箱館・択捉島・鞆ノ津など国内の港を修築した功績により、「工楽」姓を与えられ、「松右衛門帆」という廻船の帆を改良した。工楽家は代々、加古川の河川改修や、高砂港を改築するなど、港町高砂の発展に貢献した。
それでは内部の紹介を・・・素晴らしい江戸時代後期の木造軸組です。
「おくどさん」と当時呼ばれた台所。井戸と釣べ返し、さらに「かまど」が歴史を感じます。
ここは、あえてモノクロでしょう。
裏側に出ると、蔵や便所跡の縁石が発掘されたようです。
再び宅内に戻り、内部を観察です。これが上の方の解説で紹介されている帆布です。触ってみるとジーンズの生地よりも薄いですが、頑丈な生地でした。
足踏みのミシンが置かれていました。これは昭和の時代ですね。(その昔、我家にもありました)
昭和30年代の頃と思われる、山陽電車・高砂駅の風景です。何か時代が活き活きとしているように見えるのは、私だけでしょうか。
壁に貼られた紙は、現在で言う広告チラシでしょうか。明治・大正時代かな?です。
一通り見学し、入口前で売られていた「たらい」のラムネを飲みました。係員さんにお聞きすると、土日だと200~300人の来場者だそうです。
最後に南堀川です。現在は一部が埋め立てられています。江戸時代の北前船(北海道から昆布などの海産物を大阪まで運んだ船)は瀬戸内海~加古川河口と上がり、この南堀川から入港して荷物の積み下ろしが行われました。
工楽松右衛門旧宅を後にして、明姫幹線(R250)をしばらく東進して到着したのは、廃線となった別府鉄道野口線・円長寺駅跡です。ここにはキハ2というガソリン気動車が置かれています。
昨年にも訪れた円長寺駅跡ですが、昨年はブルーシートでキハ2が覆われていたので、あらためて来たものです。
キハ2の南側が一段高いのは、駅のプラットホームでしょう。
今日は運よくこのキハ2をレストアするため、クラウドファンディングを展開されている仲家さんと、もうお一人のお仲間の方がおられました。詳しくはクラウドファンディングのサイト と、仲家光明さんのFBをどうぞ。ご協力してあげたいものです。
仲家さんのご厚意で、内部を撮影させていただきました。内部は痛み、レストアの資材が置かれていました。
運転席。
「禁煙」のプレートとキハ2の文字が、年月を感じます。
水産物や野菜物、それに自転車などを乗せたデッキ。
昨年に撮り忘れた駅名標を撮影し、円長寺駅跡を後にしました。
さて昼食ですが、グッチさんのリクエストにお応えして、山陽電車・別府駅近くの四興楼です。四興楼は神戸・元町の豚饅で有名な中華料理店です。
最近、食欲が無い私は、炒飯と豚饅。グッチさんは豪華な定食。(^^)
で、有名な豚饅の中はこんな感じです。^^
昼食も終わり、次に到着したのは明石市魚住町の住吉神社ですが、出店が並ぶ「あじさいまつり」が開催され恐るべき人混み!人混みが苦手な親父二人は、早々に退散です。(笑)
そんなところで、明石市藤江のジェラート屋さんである「ぐるなーと」 でクールダウン。
メニューはこんな感じ。
私は微妙に塩味を感じる「さくら」としました。^^
食べ終わり、お店の隣の牛舎に・・・お店の方にお願いすれば、牛舎の中を見せていただけます。^^
この牛さんたちの牛乳がジェラートになるのです。
興味深そうに、牛さんが私を見ていました。(笑)
ジェラートを食べて集合場所近くに戻り、グッチさんとはお別れです。お疲れさまでした。また一緒に走りましょう。
今日の走行距離は60km少々。近場のブラリでしたが、それでも十分に楽しめたところです。
今日は第二神明や加古川BPなどを走ることなく、旧R250であるK718をトコトコと走り最初の目的地に向かいます。そして40分ほど走って到着したのは、こんな駐車場。
ここは高砂市高砂町今津町の工楽松右衛門旧宅です。地元新聞で、最近、公開が始まったと紹介されていたので来ました。ちなみに入場無料です。
先ずは工楽松右衛門旧宅の解説です。高砂市のFBから、概略を転写です。
高砂町今津町にある工楽松右衛門旧宅には、江戸時代後期に建てられた主屋や舟板塀を用いた土塀などが残されている。
堀川に面した土蔵群とともに、江戸時代に物流の拠点として繁栄した、みなとまちの歴史的景観が広がっている。
工楽松右衛門(1743~1812)は高砂町出身の江戸時代後期の人物で、兵庫津に出て、後に廻船問屋、御影屋を経営した。
松右衛門は、幕府や諸藩の命で箱館・択捉島・鞆ノ津など国内の港を修築した功績により、「工楽」姓を与えられ、「松右衛門帆」という廻船の帆を改良した。工楽家は代々、加古川の河川改修や、高砂港を改築するなど、港町高砂の発展に貢献した。
それでは内部の紹介を・・・素晴らしい江戸時代後期の木造軸組です。
「おくどさん」と当時呼ばれた台所。井戸と釣べ返し、さらに「かまど」が歴史を感じます。
ここは、あえてモノクロでしょう。
裏側に出ると、蔵や便所跡の縁石が発掘されたようです。
再び宅内に戻り、内部を観察です。これが上の方の解説で紹介されている帆布です。触ってみるとジーンズの生地よりも薄いですが、頑丈な生地でした。
足踏みのミシンが置かれていました。これは昭和の時代ですね。(その昔、我家にもありました)
昭和30年代の頃と思われる、山陽電車・高砂駅の風景です。何か時代が活き活きとしているように見えるのは、私だけでしょうか。
壁に貼られた紙は、現在で言う広告チラシでしょうか。明治・大正時代かな?です。
一通り見学し、入口前で売られていた「たらい」のラムネを飲みました。係員さんにお聞きすると、土日だと200~300人の来場者だそうです。
最後に南堀川です。現在は一部が埋め立てられています。江戸時代の北前船(北海道から昆布などの海産物を大阪まで運んだ船)は瀬戸内海~加古川河口と上がり、この南堀川から入港して荷物の積み下ろしが行われました。
工楽松右衛門旧宅を後にして、明姫幹線(R250)をしばらく東進して到着したのは、廃線となった別府鉄道野口線・円長寺駅跡です。ここにはキハ2というガソリン気動車が置かれています。
昨年にも訪れた円長寺駅跡ですが、昨年はブルーシートでキハ2が覆われていたので、あらためて来たものです。
キハ2の南側が一段高いのは、駅のプラットホームでしょう。
今日は運よくこのキハ2をレストアするため、クラウドファンディングを展開されている仲家さんと、もうお一人のお仲間の方がおられました。詳しくはクラウドファンディングのサイト と、仲家光明さんのFBをどうぞ。ご協力してあげたいものです。
仲家さんのご厚意で、内部を撮影させていただきました。内部は痛み、レストアの資材が置かれていました。
運転席。
「禁煙」のプレートとキハ2の文字が、年月を感じます。
水産物や野菜物、それに自転車などを乗せたデッキ。
昨年に撮り忘れた駅名標を撮影し、円長寺駅跡を後にしました。
さて昼食ですが、グッチさんのリクエストにお応えして、山陽電車・別府駅近くの四興楼です。四興楼は神戸・元町の豚饅で有名な中華料理店です。
最近、食欲が無い私は、炒飯と豚饅。グッチさんは豪華な定食。(^^)
で、有名な豚饅の中はこんな感じです。^^
昼食も終わり、次に到着したのは明石市魚住町の住吉神社ですが、出店が並ぶ「あじさいまつり」が開催され恐るべき人混み!人混みが苦手な親父二人は、早々に退散です。(笑)
そんなところで、明石市藤江のジェラート屋さんである「ぐるなーと」 でクールダウン。
メニューはこんな感じ。
私は微妙に塩味を感じる「さくら」としました。^^
食べ終わり、お店の隣の牛舎に・・・お店の方にお願いすれば、牛舎の中を見せていただけます。^^
この牛さんたちの牛乳がジェラートになるのです。
興味深そうに、牛さんが私を見ていました。(笑)
ジェラートを食べて集合場所近くに戻り、グッチさんとはお別れです。お疲れさまでした。また一緒に走りましょう。
今日の走行距離は60km少々。近場のブラリでしたが、それでも十分に楽しめたところです。