今日は、いつものようにMT-03の充電ために近くをブラり・・・なんですが、先ずは水曜日の皆既月食の模様を紹介です。
こんな感じで欠けていきました。(カメラはコンデジのTZ60)
赤いブラッドムーンを撮りたかったのですが、寒さで手が震えカメラで捉えることが出来ませんでした(手持ちでは不可)。さらに暗いため、失敗した画像もISO値が上がりザラザラ・・・やはりGX7+350mmズームレンズを用意すべきでした。
それでは本題に戻り、3週間前と同じ明石海峡大橋が架かる舞子に到着です。今日の目的はMT-03のバッテリー充電のためのチョイ乗りですが、ちょっと寄り道しましょう。
ここは舞子砲台跡です。8年前にNHK大河ドラマ「龍馬伝」が放送されている時にもこのブログで紹介しましたが、あらためて寄ってみました。
大砲のようですが、実はベンチです。
舞子砲台とはウィキには以下のように紹介されていますが、あるサイトには海軍操練所の一員であった坂本龍馬が勝海舟に随行したとも紹介されています。
幕末の文久3年(1863年)、将軍徳川家茂による大坂湾の海防状況視察の際に、砲台拡充の幕命を受けた明石城主松平慶憲により築造された。
工事は勝海舟の設計・総指揮、設備担当は幕使佐藤與之介、施工は明石藩で、ほか神戸海軍操練所等の協力による。竣工は1865年。
建設の目的は、淡路島北端の徳島藩松帆台場跡と対になって両岸から明石海峡を通過する黒船を挟撃することであったが、一度も使用されることはなく現在に至っている。
説明パネルも置かれています。
このあたりが当時のまま保存されているようですが、よく分かりません。^^
舞子砲台跡の次に到着したのは、明石の大蔵宿場街です。舞子砲台跡からは4kmぐらい離れたところですが、この道路が旧西国街道ということで、街道沿いには参勤交代などで宿泊する宿が並んでいました。
今や宿場街の面影は僅かです。この建物を含め、2棟だけが残っているぐらいです。
かなり以前に発売されたバイク雑誌にも、前述の勝海舟と坂本龍馬の舞子砲台のことが紹介されていましたが、そのバイク雑誌ではこの宿場街に勝海舟と坂本龍馬が宿泊し、舞子砲台の工事監督を行ったとのことです。されど特に記録などは残っておらず、「宿泊したかも?」ですね。^^
それでは、少し早いですが昼食にしましょう。到着したのはR175沿いの「ずんどう屋ラーメン」(神戸西店)です。私が所属する播州支部のメンバーや、バイク友&ブロ友である京都のピィさんが行っていましたので、私も寄ってみました。(^^)
店内は麺を「すだれ」にした飾り付けです。^^
ここは画像のように、背油と麺の種類をチョイスできます。私は赤四角としました。
さらに取り放題の高菜と、追加可能な替玉・・・このあたりは本場の博多ラーメンと同じです。
オーダーしたのは、一番スタンダードのラーメンです。
出てきました。半チャン(半分チャーハン)も付けました。
さてお味の方ですが、正にコテコテ!(笑)。これで背油を「まみれ」したら、恐ろしい背油ラーメンとなりそうです。それでも、食べ終わってもついついスープを飲んで・・・好きな方は好きなんだろうな~と思った次第。続々とお客さんが来られていましたので、リピーターが多いのでしょう。私的には、「やはり塩バターがエエなあ」と思ったものです。(^^)
この後は明石駅方面に出て帰宅。さらにGSでMT-03を満タンとしました。今月は播州支部の定例ツーリングのはず・・・来週か再来週の日曜日に開催かな?です。
こんな感じで欠けていきました。(カメラはコンデジのTZ60)
赤いブラッドムーンを撮りたかったのですが、寒さで手が震えカメラで捉えることが出来ませんでした(手持ちでは不可)。さらに暗いため、失敗した画像もISO値が上がりザラザラ・・・やはりGX7+350mmズームレンズを用意すべきでした。
それでは本題に戻り、3週間前と同じ明石海峡大橋が架かる舞子に到着です。今日の目的はMT-03のバッテリー充電のためのチョイ乗りですが、ちょっと寄り道しましょう。
ここは舞子砲台跡です。8年前にNHK大河ドラマ「龍馬伝」が放送されている時にもこのブログで紹介しましたが、あらためて寄ってみました。
大砲のようですが、実はベンチです。
舞子砲台とはウィキには以下のように紹介されていますが、あるサイトには海軍操練所の一員であった坂本龍馬が勝海舟に随行したとも紹介されています。
幕末の文久3年(1863年)、将軍徳川家茂による大坂湾の海防状況視察の際に、砲台拡充の幕命を受けた明石城主松平慶憲により築造された。
工事は勝海舟の設計・総指揮、設備担当は幕使佐藤與之介、施工は明石藩で、ほか神戸海軍操練所等の協力による。竣工は1865年。
建設の目的は、淡路島北端の徳島藩松帆台場跡と対になって両岸から明石海峡を通過する黒船を挟撃することであったが、一度も使用されることはなく現在に至っている。
説明パネルも置かれています。
このあたりが当時のまま保存されているようですが、よく分かりません。^^
舞子砲台跡の次に到着したのは、明石の大蔵宿場街です。舞子砲台跡からは4kmぐらい離れたところですが、この道路が旧西国街道ということで、街道沿いには参勤交代などで宿泊する宿が並んでいました。
今や宿場街の面影は僅かです。この建物を含め、2棟だけが残っているぐらいです。
かなり以前に発売されたバイク雑誌にも、前述の勝海舟と坂本龍馬の舞子砲台のことが紹介されていましたが、そのバイク雑誌ではこの宿場街に勝海舟と坂本龍馬が宿泊し、舞子砲台の工事監督を行ったとのことです。されど特に記録などは残っておらず、「宿泊したかも?」ですね。^^
それでは、少し早いですが昼食にしましょう。到着したのはR175沿いの「ずんどう屋ラーメン」(神戸西店)です。私が所属する播州支部のメンバーや、バイク友&ブロ友である京都のピィさんが行っていましたので、私も寄ってみました。(^^)
店内は麺を「すだれ」にした飾り付けです。^^
ここは画像のように、背油と麺の種類をチョイスできます。私は赤四角としました。
さらに取り放題の高菜と、追加可能な替玉・・・このあたりは本場の博多ラーメンと同じです。
オーダーしたのは、一番スタンダードのラーメンです。
出てきました。半チャン(半分チャーハン)も付けました。
さてお味の方ですが、正にコテコテ!(笑)。これで背油を「まみれ」したら、恐ろしい背油ラーメンとなりそうです。それでも、食べ終わってもついついスープを飲んで・・・好きな方は好きなんだろうな~と思った次第。続々とお客さんが来られていましたので、リピーターが多いのでしょう。私的には、「やはり塩バターがエエなあ」と思ったものです。(^^)
この後は明石駅方面に出て帰宅。さらにGSでMT-03を満タンとしました。今月は播州支部の定例ツーリングのはず・・・来週か再来週の日曜日に開催かな?です。
全部隠れた状態だと何処???と(笑)
「ずんどうや」・・・古本市場のところ???
背油まみれは、もはや我々世代にはヘビーすぎますwww
ずんどう屋はお見込みのとおり、古本市場のところです。というか、駐車場を共用しています^^。背油が強烈!と会社の同僚さんから聞いていましたが、正にそのとおり・・・それでも麺のボリュームが少なく、何とか食べることができました。
しかし「こりゃ中性脂肪値が上がるよな」とか、「またもウェスト周りが・・・」なんて、やたら気にしながら食べていました。(笑)
当家のベランダからは月自体が見えず撮影断念しました。
同じ千葉県北西部でも曇りの場所があった様で残念です。
ラーメンと半チャーハンは美味しそうで定番ですが
最近はラーメンかチャーハンかどちらか一方にしております。
現在通院中なのでコレステロールが上がると医師から
厳しい指導が入るからです。
・・・でも食べたいな~!
初めて知りました・・・しかも、勝海舟&坂本竜馬が宿泊したとは・・・(*o*)
ずんどうや:::
まみれ&ちぢれ&辛口・・・で、食べてミタイです~・・・(^o^;)
こういう博多系ラーメンが姫路から出てくるのが不思議です。
讃岐うどんの丸亀製麺も姫路発でしたっけ。
京都八幡店には麺のすだれはなかったですね。
開店直後に入りましたので、時間的にまだ準備過程だったのかもしれませんが。
砲台の実物は、どのくらいの射程距離だったんでしょうね。
実戦はなかったとのことですが、ベンチが実物大だとかなり小さいし、海上の黒船にちゃんと届いたのでしょうか。
それとも本物はもっと巨大?
ずんどう屋ですが確かにコテコテ。
こがね家にいけばもっと濃いのが食べれます(笑)
旧神明にあったこがね家は閉店してましたが。。。
ラーメン+チャーハンは、親父ランチの人気一位だそうです。さらに餃子か唐揚げを加えれば、パーフェクトな親父ランチとなります。(笑)
されど脂っこくて塩分高し・・・これはコレステロール値要観察値の方にとっては、悪魔のような内容です。しかし美味しいですよね。美味しいものは脂と糖質と言われますが、正にそのとおりです。^^
勝海舟と龍馬の宿泊はあくまで憶測ですが、当時の舞子周辺には寂しい漁村ぐらいしかなかったでしょうから、最寄りの宿場街といえば大蔵だったでしょう。さらに幕府からの監督員さんです。明石藩はVIP待遇で迎えたと思います。
ずんどう屋さんですが、グッチさんの好きな辛いトッピングが数多くありました。高菜もピリッとした辛さ!一口食べただけで汗が出てきました。(^^)
確かに、どうして「ずんどう屋」は姫路なのか不思議です。ただ、私のように何度も本場の博多ラーメンを食べている私にとっては、相当、研究されていると感じました。紅しょうがは一般的ですが、なかなか高菜まで用意されないですね。さらに少なめの麺のボリュームもです^^。麺の「すだれ」は固定の店内ディスプレイでした。神戸西店だけかな?です。
砲台の大砲ですが、財力の豊かな長州藩や薩摩藩の大口径砲に比して、幕府側はフランスからの山砲ぐらいだったと思います。例えば「四斤山砲」(砲弾重量が4kgで四斤)は口径86.5mmで、射程距離は2,600m。明石海峡の幅は約4kmですので、挟み撃ちしたのも分かります。画像のベンチと変わらない、全長1m弱の短い大砲でした。
こがね家は、大蔵谷IC近くにありましたね。今や二見が明石本店・・・ここも超コテコテのようです。(^^)
こがね家はピィさんが好きな「つけ麺」もあり、少し暖かくなれば偵察で食してきます。