今日の朝日新聞の別冊に阿部定の物語が掲載されていました。私は彼女はあの事件を起こしてから死刑になったとばかり思っていましたが、違っていたんですね。懲役6年の刑期を恩赦で3年に短縮され、出所して変名を使い男と同棲生活に入り、その素性がばれると坂口安吾と対談し、「阿部定劇」という本人実演の劇で全国巡業の旅に出て、その後、10万円の契約金でスカウトされて浅草の料亭で仲居を12年も勤めます。60歳をすぎて吉原の近くにおにぎり屋「若竹」を始め、この頃の姿と声が石井輝男監督の「明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史」に残っているそうです。映画公開の翌年、「若竹」を畳んで消息を絶ち、翌々年に内房の「勝山ホテル」に仲居として雇われましたが、半年後、「ショセン私は駄目な女です」という書き置きを残して失踪してしまいます。
一途で純粋な人だったようで、彼女に会った人はみなそのような感想を述べています。石田吉蔵を殺したあと、血文字で「定吉二人キリ」と書いたのも、これでやっと吉蔵の浮気の心配をする必要もなく、彼と二人きりになれた思いを書いたものなのでしょう。失踪後も、彼女のあまりに一途な人柄を見過ごせないパトロンに恵まれて、晩年は手厚く庇護されたはずだ、と言う人もいます。私もそれをそうだったらいいなあ、と思いました。
一途で純粋な人だったようで、彼女に会った人はみなそのような感想を述べています。石田吉蔵を殺したあと、血文字で「定吉二人キリ」と書いたのも、これでやっと吉蔵の浮気の心配をする必要もなく、彼と二人きりになれた思いを書いたものなのでしょう。失踪後も、彼女のあまりに一途な人柄を見過ごせないパトロンに恵まれて、晩年は手厚く庇護されたはずだ、と言う人もいます。私もそれをそうだったらいいなあ、と思いました。