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遠藤周作『女の一生 キクの場合』

2014-04-01 06:37:00 | ノンジャンル
 河野多惠子さんが傑作だと言う、遠藤周作さんの'82年作品『女の一生 キクの場合』を読みました。
 冒頭の部分を引用させていただくと、
“作者はまず――、
 この小説に登場する二人の娘を紹介しておかねばならない。
 彼女たちの名はミツとキク。ひとつ違いの従姉妹である。
 名字がないのは、二人が生れたのが幕末で、家はそれぞれ長崎に隣接する浦上村馬込郷の農家だったからだ。(中略)
 もしあなたが偶然、長崎に行かれ、長崎駅から車を原爆落下地点の方に走らせると、国道にそって右側に聖徳寺幼稚園という字を書いた寺がみえる。その一帯がかつての馬込郷である。
 もっとも現在では、車やトラックの錯綜する味気ない国道だが、ミツやキクが生れた頃はこのあたり、海がすぐそばだった。聖徳寺などは海べりの丘に建っていたのである。
 山が海岸まで迫っていて耕作地が少ない。だから馬込郷の農民もその隣の里郷、中野郷、本原郷、家野郷の百姓たちも山の斜面を利用したり、丘と丘との間の谷を畠にして生活を営んでいた。戸数だってこれらの郷をあわせて九百戸にすぎなかったろう。(中略)
 後年――と言っても明治十八年のことだが、有名な『お菊さん』を書いたフランスの作家ピエル・ロティがこの長崎湾の樹木の緑を賞賛している。そのみどりに溢れた入江と陽に光る入江とを毎日、ミツやキクは眺めていたのである。(中略)
 ミツやキクのお婆がこう言っていた。
「ミツはアマイボーたい。キクはオトコバッチョばい」
 この地方の言葉でアマイボーとは「甘ったれ」のことである。オトコバッチョとは「お転婆」を言うのである。ミツの甘ったれ、キクのお転婆というわけだ。(中略)
 ミツの性格の特徴はむしろ年上の話すことを何でも信じる点にあった。あんまり素直に信じるために、時にはこの子は阿呆(アポン)ではないかと思われることもあった。
 たとえば――、
 ミツに兄の市次郎が草花の種をくれた。
「よう、見てみろ、こいは朝顔の種ばい」
 ひとつ、ふたつ、みっつとミツの小さな手に市次郎は灰色の種をのせて、
「ミツ、こいばまいてな、毎日、水ばやれば可愛か芽の出るとばい」
 と教えた。
「うん」
 うなずいてミツは駆け出した。向う側で従姉のキクが他の女の子と縄とびをして遊んでいたからである。
 もらった朝顔の種を嬉しげにキクたちに見えて、彼女はまるで大事な宝石を一粒、一粒と箱にしまう貴婦人のような手つきで、その灰色の種を地面に埋めた。(後略)”

 この感じで細かい活字が500ページ近くを埋めていきます。エピソードを読むと、隠れ切支丹として捕まった清吉を好きだったキクが、自分の体を売り、伊藤という男に「清吉のために役人に渡して」と金を託していたのにもかかわらず、伊藤はその金を自分のために使ってしまい、キクも胸の病で死んでしまうという話らしく、ちょっと読んだ感じだと、悲惨な話にしては、心地よい方言と淡々とした語り口が目立つ作品でした。読みごたえも十分ありそうです。今回は最後まで読めませんでしたが、別の機会にじっくりと読んでみたいと思います。

 →「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/