また昨日の続きです。
男たちのひとりがイリーナに教えたのは、ラッシュアワーのK通りで通行人から荷物を受け取り、振り向かずに歩き続ける方法、中身がくり抜かれた本をメリディアンヒル公園のベンチの下に置き、「お嬢さん、本を忘れていますよ」とすぐにだれかから呼び止められずにすむ方法、ロンシャンの店で隣にいる男のポケットに一枚の紙切れを忍ばせる方法だった。でも、イリーナの訓練の仕上げをしたのはサリーだ。(中略)
ややあって、サリーの名前があらゆる書類、通話記録、報告書から削除されたとき、わたしたちが思い出そうとしたのは、これまで彼女が実際には何者だったのかを示すなんらかの手がかりがあったかどうかだった。(中略)
第十八章 応募者 運び屋
一週間がすぎた。それから一か月、そして二か月がすぎ、結婚式の計画は進んだ。テディとわたしは十月に聖スティーヴン教会で結婚式を挙げ、その後、〈チェビーチェース・カントリークラブ〉でささやかな披露宴を行なう。(中略)
それからの数週間、テディは速やかに行動を開始し、職場での仕事に対処するように、念入りかつ持続的かつ冷静に、母の健康を回復するという任務に取りかかった。(中略)
洗礼者ヨハネ正教会は、わたしがそれまで存在を知らなかった母の友人や知人たちでいっぱいだった。(中略)母の秘密は、あまりにも寛大すぎたことだった。(彼女は無料で貧しい人たちのために服を作ってやっていたのだ。)(中略)
(中略)
葬式が終わり、わたしは母の棺について教会から出た。(中略)
その後、テディはわたしをなんとか慰めようとしてくれたけれど、その努力は無駄に終わった。数日がすぎ、数週間がすぎた。ある夜、眠れなかったわたしは、サリーに電話してみようと思い立った。(中略)でも、呼び出し音がただ鳴り続けるばかりだった。
東 1958年5月
第十九章 ミューズ 使者 母親
夢のない眠りから目を覚ますと、ミーチャがそこに立ってわたしを見下ろしていた。「だれかが外にいる」ミーチャが小声で言った。(中略)
玄関の扉の開く音がして、わたしたちはふたりとも入口に向かって駆け出した。イーラが戸口に裸足で立っており、着ている白のネグリジェが月光に照らされて青白く輝いていた。(中略)
「あいつらよ」イーラが言った。「あたしにはわかる」(中略)
「だれ?」わたしは聞いた。
「昨日、駅から家まであたしをつけてきた男」
「それは確かなの? どんな男だった?」
「ほかのやつらと同じよ。母さんを連れてったやつらと同じ」(中略)
『ドクトル・ジバゴ』はイタリアで半年前に出版されており、フランス、スウェーデン、ノルウェー、スペイン、西ドイツなど新たな国がその本を出版するたびに、わたしはますます監視が強まるのを感じた。(中略)
わたしは子どもたちを怖がらせないよう、自分なりの最善をつくしていた。(中略)
ボーリャには増すばかりの不安を訴えたが、彼は支持者から殺到する手紙、こっそり国内へ持ちこまれた外国の新聞の切り抜きに掲載された小説への激賞、インタビューの依頼などに、心を奪われていた。(中略)
肝心なのは本ばかり。本以上に大事なものはなかった━━翻訳版が彼にもたらした世界的名声も、政府からの迫りくる脅威も、彼の家族も、わたしの家族も、彼にとってはみずからの命さえ二の次だった。(中略)
西 1958年8月~9月
第二十章 タイピストたち
CIAの動きは素早かった。イリーナがビショップスガーデンでの任務を無事に終えたその夜のあと、ロシア語の原稿を手に入れた我々には無駄にしている時間などなかった。(中略)
次に、CIAはオランダ情報局と連携して仕事の仕上げにかかった。すでにフェルトリネッリとオランダ語版を製本する契約を交わしていたムートン社を相手に取引が行なわれ、CIA用に少部数のロシア語版を製本してもらうことが決まったのだ。
こうして紆余曲折を経て、『ドクトル・ジバゴ』はついにブリュッセルの万国博覧会へ向かった。すべてが計画どおりに運べば、ハロウィーンまでにソ連市民の手に渡るだろう。(中略)
「そうじゃなくて、なぜ彼女がクビになる?」
「そこが一番面白いところなんだよ。おまえには想像もつかないだろうな」
「いいから話せ」
ヘンリーはボックス席にもたれかかった。「同性愛者さ」
「ええっ?」こらえきれずに、ノーマが声を上げた。(中略)
(また明日へ続きます…)
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
→FACEBOOK(https://www.facebook.com/profile.php?id=100005952271135)
男たちのひとりがイリーナに教えたのは、ラッシュアワーのK通りで通行人から荷物を受け取り、振り向かずに歩き続ける方法、中身がくり抜かれた本をメリディアンヒル公園のベンチの下に置き、「お嬢さん、本を忘れていますよ」とすぐにだれかから呼び止められずにすむ方法、ロンシャンの店で隣にいる男のポケットに一枚の紙切れを忍ばせる方法だった。でも、イリーナの訓練の仕上げをしたのはサリーだ。(中略)
ややあって、サリーの名前があらゆる書類、通話記録、報告書から削除されたとき、わたしたちが思い出そうとしたのは、これまで彼女が実際には何者だったのかを示すなんらかの手がかりがあったかどうかだった。(中略)
第十八章 応募者 運び屋
一週間がすぎた。それから一か月、そして二か月がすぎ、結婚式の計画は進んだ。テディとわたしは十月に聖スティーヴン教会で結婚式を挙げ、その後、〈チェビーチェース・カントリークラブ〉でささやかな披露宴を行なう。(中略)
それからの数週間、テディは速やかに行動を開始し、職場での仕事に対処するように、念入りかつ持続的かつ冷静に、母の健康を回復するという任務に取りかかった。(中略)
洗礼者ヨハネ正教会は、わたしがそれまで存在を知らなかった母の友人や知人たちでいっぱいだった。(中略)母の秘密は、あまりにも寛大すぎたことだった。(彼女は無料で貧しい人たちのために服を作ってやっていたのだ。)(中略)
(中略)
葬式が終わり、わたしは母の棺について教会から出た。(中略)
その後、テディはわたしをなんとか慰めようとしてくれたけれど、その努力は無駄に終わった。数日がすぎ、数週間がすぎた。ある夜、眠れなかったわたしは、サリーに電話してみようと思い立った。(中略)でも、呼び出し音がただ鳴り続けるばかりだった。
東 1958年5月
第十九章 ミューズ 使者 母親
夢のない眠りから目を覚ますと、ミーチャがそこに立ってわたしを見下ろしていた。「だれかが外にいる」ミーチャが小声で言った。(中略)
玄関の扉の開く音がして、わたしたちはふたりとも入口に向かって駆け出した。イーラが戸口に裸足で立っており、着ている白のネグリジェが月光に照らされて青白く輝いていた。(中略)
「あいつらよ」イーラが言った。「あたしにはわかる」(中略)
「だれ?」わたしは聞いた。
「昨日、駅から家まであたしをつけてきた男」
「それは確かなの? どんな男だった?」
「ほかのやつらと同じよ。母さんを連れてったやつらと同じ」(中略)
『ドクトル・ジバゴ』はイタリアで半年前に出版されており、フランス、スウェーデン、ノルウェー、スペイン、西ドイツなど新たな国がその本を出版するたびに、わたしはますます監視が強まるのを感じた。(中略)
わたしは子どもたちを怖がらせないよう、自分なりの最善をつくしていた。(中略)
ボーリャには増すばかりの不安を訴えたが、彼は支持者から殺到する手紙、こっそり国内へ持ちこまれた外国の新聞の切り抜きに掲載された小説への激賞、インタビューの依頼などに、心を奪われていた。(中略)
肝心なのは本ばかり。本以上に大事なものはなかった━━翻訳版が彼にもたらした世界的名声も、政府からの迫りくる脅威も、彼の家族も、わたしの家族も、彼にとってはみずからの命さえ二の次だった。(中略)
西 1958年8月~9月
第二十章 タイピストたち
CIAの動きは素早かった。イリーナがビショップスガーデンでの任務を無事に終えたその夜のあと、ロシア語の原稿を手に入れた我々には無駄にしている時間などなかった。(中略)
次に、CIAはオランダ情報局と連携して仕事の仕上げにかかった。すでにフェルトリネッリとオランダ語版を製本する契約を交わしていたムートン社を相手に取引が行なわれ、CIA用に少部数のロシア語版を製本してもらうことが決まったのだ。
こうして紆余曲折を経て、『ドクトル・ジバゴ』はついにブリュッセルの万国博覧会へ向かった。すべてが計画どおりに運べば、ハロウィーンまでにソ連市民の手に渡るだろう。(中略)
「そうじゃなくて、なぜ彼女がクビになる?」
「そこが一番面白いところなんだよ。おまえには想像もつかないだろうな」
「いいから話せ」
ヘンリーはボックス席にもたれかかった。「同性愛者さ」
「ええっ?」こらえきれずに、ノーマが声を上げた。(中略)
(また明日へ続きます…)
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