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西加奈子『舞台』

2014-04-25 05:23:00 | ノンジャンル
 西加奈子さんの'14年作品『舞台』を読みました。
 葉太はニューヨークに来ていました。たまたま入った店で12ドルも出して食べたモーニングセットは、声を出すほどまずいものでした。スタバにしておけば、こんな失敗はなかったのに、自分はニューヨークに来て浮かれていたのだ、と葉太は反省します。
 葉太が泊まっているのは、通常のホテルではなく、滞在型のアパートメントホテルでした。いつか父が、ニューヨークに行くならホテルじゃなくてアパートメントがいいというようなことを言っていました。葉太は父が嫌いでしたが、この点では助言にしたがって良かったと思っていました。フロントの人間に気を使う必要もないし、父の残した金があるとはいえ、現在無職の葉太には安い料金で泊まれるのがありがたかったのです。金庫がないのが欠点でしたが、葉太は外出する時に、貴重品は全て一緒に持ち出そうと決めていました。
 葉太はニューヨークに夜に着き、アパートメントに入ると、いつの間にか眠ってしまい、目が覚めると午前8時を過ぎていました。ひどく腹がへって、外へ出ると、そこは雑多な人々が行き交う「街の真ん中」でした。29歳の葉太にとって、初めての一人旅、その観光初日でした。はしゃぐなと言われても無理な相談です。しかし葉太は必死にはしゃぐ自分を抑えていました。幼い日、はしゃぎ過ぎて歯からおはじきが抜けなくなった時に、葉太は二度とはしゃぐまい、調子に乗るまいと誓っていたのです。
 葉太はやがてタイムズスクエアを通り過ぎ、ひたすらセントラルパークを目指しました。葉太はそこで自分のお気に入りの作家、小紋扇子の新刊『舞台』を読むことを、この旅の中心に考えていたのです。小説を読み出したのは、小説家である父の書斎で太宰治の『人間失格』を読んで衝撃を受けたことがきっかけでした。そこには幼い虚栄心や、強い羞恥心や、切実な卑怯、自分が知っていること、体験していることの全てが書かれていました。葉太の父は田舎の出ながら、それを隠蔽し、権威ある“小説家”としての自分を常に誇示しているように見えました。そんな父を持つ葉太は目立ってはいけないし、いじめられるほど地味でもいけない、適度に面白く、適度にいい奴だと思われていたい、しかもそんなことを考えているとは知られたくない、と自制しながら、今まで生きてきていました。
 葉太は亡霊を見ることが出来ました。それは突っ立ったまま、こちらをじっと見ているのでした。最初に見たのは祖父の葬式の時でした。葉太は祖父の亡霊を見て、それを父に報告しましたが、父は冷たい目で、「調子に乗るな」と、完全に葉太を見下して言いました。葉太ははしゃいでいたと思われたことから来る羞恥心から、それ以来、自分には亡霊が見えると、誰にも言ったことはありませんでした。
 セントラルパークのシープ・メドウは思っていたよりも広い芝生で、期待通り、そこでは人それぞれがくつろいで時間を過ごしていました。葉太はリードを外されたレトリバーに顔をなめられても、寛大な気持ちでそれを許せました。こんなにリラックスできたのは、生まれて初めてでした。そして芝生に寝転んで小紋の本を開こうとしたその瞬間、黒い影が自分のバッグを掴み、逃げ去るのが見えました。白人で、髭を喉まで生やし、黒いTシャツに「まさか」という日本語が浮かんでいました。葉太は動けず、周囲の注目を浴びて、また羞恥心の虜となり、やがて無理矢理笑顔を作って、その場をしのぐのでした‥‥。

 公でも家の中でも“権威ある小説家”を演じきって死んだ父に反発し、自然に振る舞うように常に自制してきた主人公が、最後はそうしたしがらみから解き放たれるというストーリーで、『地球の歩き方 ニューヨーク』から引用された文に、主人公のニューヨークでの旅が重なるように書かれていて、面白い構成の小説だと思いました。ここでの西さんの文章はとても分かりやすく、あっと言う間に読めてしまったことも付け加えておきたいと思います。なお、上記以降のあらすじは、私のサイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)の「Favorite Novels」の「西加奈子」のところにアップしておきましたので、興味のある方は是非ご覧ください。

 →「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/

チャールズ・チャップリン監督『ニューヨークの王様』その3

2014-04-24 07:09:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 夕食を国王がルームサービスで食べていると、大使が帰ってきて「尾行されている」と言います。2人でテレビのニュースを見ると、「マカビー夫妻の子ルパートがリッツ・ホテルで逮捕され、亡命中の国王の行動が疑われ、国際的核スパイ組織に手が伸び、共産党の陰謀が暴かれた」と言っています。紅茶を注ごうとして手が震える2人。国王が大使に弁護士へ電話させると、弁護士はすぐに事務所に来るように言い、召喚状はそれまで決して受け取らないように言います。廊下には見張りがいます。そこへアンがやって来て、自分が見張りの気をそらせるので、その隙に逃げ出すように言います。1階まで逃げ、回転ドアで反対側になりグルグル回る国王と男。男はサインが欲しいだけだと言い、国王は考えた末、サインをしてやります。帰っていく男。するとサインを求める女性に囲まれ、国王がサインしていると、サインを求める男が現れ、国王がサインしてやると、それが召喚状なのでした。
 3人の大人に囲まれるルパート。「君の親の友だちの名を言うだけで、親を救えるんだよ」と言う大人。
 国王は弁護士と国会に向かおうとしますが、弁護士はカバンを忘れたと言って、国王に先に行くように言います。エレベーターの中で消火ホースの筒口に指が入り、抜けなくなる国王。やがてホースが体にも絡まりだし、やって来た弁護士は驚きます。結局、ホースごと国王はエレベーターを降り、タクシーに乗って、国会に向かいます。
 ぎりぎりで調査委員会に間に合った国王でしたが、宣誓で右手を上げると、指にはまった筒先も上げることになり、爆笑を誘います。委員長は国会侮辱罪に問い、そこでホースを見て火事と勘違いした警備員がホースを繋ぐと、国王の指が筒口から抜け、筒口からは水が吹き出し、委員長席に放水し、遅れて入ってきた弁護士にも放水します。
 「シャドフ陛下、容疑晴れる」の新聞の大見出し。国王は欧州に戻ることにし、部屋から荷物を運ばせています。アンが訪ねてきて、今の状態は一時的で、やがて正気に戻ると言いますが、国王はそれまでは欧州で待つと言います。そこへ、后が離婚しないことを決意したという内容の電報が届きます。国王を引き止めようとするアン。20歳若かったら、と言う国王。大使から、もう出発しないと飛行機に遅れるという電話が入り、空港まで見送ることができないアンは、そこで国王と別れます。
 学校を訪れた国王は、校長が連れてきたルパートと会います。すっかり元気をなくしているルパート。校長は、彼が親を助けるために折れたと言い、本当の愛国者、学校の誇りだと言うと、ルパートは泣き出します。ルパートを慰める王様。
 ニューヨークの上空の機内の国王と大使。ニューヨークの上空を飛ぶ飛行機。「FINIS」の字幕の後、エンディングタイトルが流れ、画面は暗転し、音楽が最後まで流れます。

 アメリカで赤狩りが吹き荒れていた、まさにその時代に撮られた映画で、その勇気に敬服しました。その点では『チャップリンの独裁者』や『チャップリンの殺人狂時代』と同じ価値を持つ映画で、確か、淀川長治さんも、『モダン・タイムス』以降のチャップリン作品を「戦うチャップリン」と形容されていたような気がします。その他にも、アメリカの商業主義がカリカチュアライズされていて、社会批判の精神に基づいて作られた映画であることが分かりました。台詞がやたらに多く、録画を止めながら書き取っていったところ、画面の説明も含めて、レポート用紙に細かい文字で16ページも費やすことになりました。画面構成はオーソドックスで、無駄なカット割りは少なかったように思います。ここに書くことができなかったギャグも豊富にありました。以前見た方も、もう一度見直すと新たな発見がある映画だと思います。

 →「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/

チャールズ・チャップリン監督『ニューヨークの王様』その2

2014-04-23 06:17:00 | ノンジャンル
 先日、ネットで手塚治虫さんのテレビアニメ『ジャングル大帝』のオープニングを目にする機会があり、改めてその素晴らしさに触れ、思わず涙してしまいました。手塚さんは幼少時の私に『鉄腕アトム』を通じて“社会正義”というものを教えてくれた方で、今でも感謝しています。代表作の一つで、私のお気に入りの一つ『アドルフに告ぐ』はまだアニメ化されていないようなので、今後のアニメ化を待ちたいと思います。

 さて、昨日の続きです。
 スタジオで宣伝写真を撮るアン。国王は騙された復讐だと言って、アンをベッドに押し倒します。プレートを取りに行っていた撮影助手は、戻ってきて2人の様子を見ると、すぐにその場を離れます。助手を呼ぶアン。アンは助手にプレートの指示を改めてして、助手が去ると、また国王はアンに迫ります。
 リハーサルを積んでいよいよCM撮りの本番。実物のウイスキーを国王が飲むと、むせてしまい、監督はあわててフィルムを止めます。
 「失敗でしたな」という大使に、「あんなひどいウイスキーは初めてだ」と言う国王。そこへアンが現れ、CMはギャグだと思われ、大ヒットし、全国中継が決まって新たに2万ドルが国王に支払われ、他にも注文が殺到していると言います。
 ホルモンのCMのために宣伝写真を撮るアン。アンは若く見せるために、国王に整形手術を勧めます。整形手術を受けた国王は、石膏で固めたような顔になり、医師からしばらく顔の筋肉を動かさないように言われます。ホテルに帰り、あまりの変わり様に驚く大使。訪ねてきたアンも驚き、唇を縮めすぎだと言いますが、笑うのを躊躇する国王に、気にし過ぎだと言って、気分を変えるために外出しようと言います。
 ナイトクラブ。ストローでうまくジュースを吸うことができない国王。やがて2人組のコメディアンが現れ、お互いを糊でベタベタにし合い、笑うのを我慢していた国王も、ついに口を大きく開けて馬鹿笑いしてしまいます。「全てが外れた!」と顔を押さえる国王。驚くアン。
 病院で結局元の顔に戻してもらった国王は、吹雪の中、車でホテルに帰ると、ホテルの出口でシャツ姿のルパートに声をかけらえます。「学校を卒業した」という濡れネズミのルパートを自室に迎えた国王は、ルパートの服を脱がし、ルパートの体を風呂で温め、食事を与えます。ルパートは親のことで尋問されたので学校を逃げ出してきたと言い、それを聞いた大使は彼に巻き込まれてはいけないと国王に言い、盗聴器を捜します。寝巻きを着て浴室から現れるルパート。
 国王と大使が外出すると、電報を届けに来たホテルマンが部屋にルパートがいることを刑事に告げ口し、刑事は部屋に入ってきます。ルパートは自分は国王の甥だと嘘をつき、そこへ帰ってきた国王も、ルパートの話に合わせます。そこへ原子力委員会から電話が入り、3人の委員がこちらに向かっていると言いますが、電話の状態が悪く、いつ着くかまでは聞き取れません。国王と大使は原子力計画の書類を取りに部屋を出ますが、彼らと入れ違いに3人の委員がやって来ます。ホテルマンによって部屋に案内された3人は、やはりホテルマンによって国王の甥と紹介されたルパートと顔を合わせます。自分の出自について色々質問を受けたルパートは、やがてアメリカの自由が脅かされていると主張し始め、国王にしたように、政府批判を始めます。まるで共産党員の言い分だと憤慨する委員たち。そこへ国王が帰ってきて、ルパートの耳を引っ張り、隣室に連れていきます。委員たちに謝る大使。
 ルパートは国王に新調してもらった服を着ます。ルパートは自分の姓名がマカビーであることを国王に教え、国王から学校に戻るように言われます。テレビでは国会の非米活動調査委員会の中継がなされていて、共産党員だったことを認めたマカビー夫妻は、当時の仲間たちの名前を言うことを拒否して、国会侮辱罪に問われ、連行されます。それを見て、泣き出すルパート。国王は明日必ず学校に会いに行くと約束します。そこへルパートを捜しているという保安官が現れ、ルパートを連れていきます。(また明日へ続きます‥‥)

 →「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/

チャールズ・チャップリン監督『ニューヨークの王様』その1

2014-04-22 07:48:00 | ノンジャンル
 チャールズ・チャップリン監督・脚本・音楽の'57年作品『ニューヨークの王様』をWOWOWシネマで見ました。チャップリンがアメリカでの赤狩りを逃れて、イギリスで撮った映画です。
 “現代生活の小さな悩みの一つに『革命』がある”の字幕。宮殿に押しかけてきた群衆は、「シャドフの首を取れ!」と叫び、宮殿になだれ込みます。空っぽの部屋。「逃げた! 国庫へ!」の声。国庫も空です。
 シャドフ国王(チャールズ・チャップリン)は、ニューヨークに飛行機でやって来ます。空港で大使に迎えられる国王でしたが、国から持ち出した財産を首相が預かっていると聞き、不安になります。空港での記者会見で、核エネルギーについて質問され、自分は平和利用することによって、理想社会の実現を唱えたのだが、閣僚は原爆を作ることを主張し、それが原因で亡命することになったと語る国王。
 その夜、自由の空気を吸いたいと言う国王は大使と一緒に映画館やレストランに行きますが、行く先々で災難に会います。
 翌朝、首相が財産を持ち逃げして、南米へ向かったことが分かります。破産ですと言う大使に、核計画の設計図がまだあると言う国王。そこへパリから若く美しい后がやって来ますが、国王は后を幸せにするには離婚するしかないと言い、后はパリに戻っていきます。
 ホテルには女性雑誌とテレビ局を持っているクロムウェル夫人から、パーティへの誘いの電話がしつこくかかって来ますが、国王は相手にしません。浴室に行くと、隣の部屋の浴室から女性の歌声が聞こえてきて、間の扉の鍵穴から除くと、若い女性(ドーン・アダムス)が入浴しています。大使と争って覗く国王。やがて女性が「助けて!」と叫び始め、国王は目隠しをして、隣の浴室に入っていくと、バスタオルを体に巻いた女性は足を滑らせて足首をひねったと言い、国王は足首をマッサージしてやります。女性は自分はアン・ケイだと自己紹介し、今晩のパーティでまた会えると言います。国王はクロムウェル夫人のパーティに出席することにします。
 クロムウェル夫人のパーティでは、食堂に隠しカメラが備えつけられ、国王の隣にアンが座ります。ブザーが2度鳴ると、国王との会話を打ち切り、急にCMを始めるアン。いぶかる国王。アンは国王が『ハムレット』を演じるのがうまいと聞いていると言って、国王に『ハムレット』の独白を演じさせることに成功します。熱演する国王は、テレビを通じて、ホテルの部屋で居眠りしていた大使を起こし、その熱演ぶりに、大使は驚愕します。調子に乗って、ジョークを実演し、隣の女性の口にセロリの束を突っ込む国王。
 ホテルに帰り、大使の話によって、自分が騙されていたことを知った国王は、眠る気になれず、夜の街に大使と繰り出しますが、既に有名人となってしまった国王は、周囲の人々からサインをねだられます。
 翌朝、国王の部屋では、CM依頼の電話が鳴り続けます。そこへアンがやって来て、昨晩の中継が全国的な反響を呼んでいると言い、昨晩の出演料として、2万ドルの小切手を持ってきますが、国王は怒りのあまり、小切手であることを気づく前に、それを粉々に破いてしまいます。アンが帰った後、大使から手持ちの金が900ドル余りしかないと聞き、急いで、粉々にした小切手を張り合わせようとする国王。
 大使は国王のイメージを挽回するために、小学校の訪問を提案します。訪問した小学校では、個性に応じた教育をしていると校長が言い、見るに耐えない絵を描く子や、裸の女性の彫刻をしている子、鼻をほじりながらパンをこねている子などを紹介した後、本を熱心に読んでいる少年、ルパート(マイケル・チャップリン)のところへやって来ます。校長が用事で離れた後、国王とルパートは話し始めますが、ルパートはアメリカの自由が脅かされていると言い、やがて、政府は人民を束縛する、企業連合が独占を企み、個人から競争の自由を奪っている、文明を生き残らせるために、権力と戦って人間の権威と平和を回復すべきだと、国王に口をはさませず、演説を始めます。
 ホテルに帰った国王はホテルの高額な請求書を見て、出演料が5万ドルだという、アンが持ってきた王冠ウイスキーのCMの話に乗ります。(明日へ続きます‥‥)

 →「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/

和田誠『いつか聴いた歌』(文庫版)

2014-04-21 09:04:00 | ノンジャンル
 昨日、劇団扉座・第55回公演、横内謙介脚本・演出の『幻冬舎Presentsつか版・忠臣蔵/大願成就討ち入り篇』を厚木市文化会館へ母と見に行ってきました。演劇でこんなに笑ったり泣いたりしたのは初めてでした。4月23日から29日には新宿・紀伊国屋ホールにて上演されるとのことです。

 さて、和田誠さんの'96年作品『いつか聴いた歌』(文庫版)を読みました。'77年に刊行された同名の単行本に加筆修正されて、できた本です。
 和田誠さんがこれまで聴いてきたスタンダード・ナンバー(主にアメリカの曲)の中で、特にお気に入りの100曲を紹介した本で、「前奏」と題された“まえがき”の部分で、和田さんは「アメリカの歌にこだわるのは別に理由はないのだが、ひとつ理由をあげるとすれば、ぼくにとってアメリカから聴こえてくる歌は、アメリカ映画とともに、子どもの頃からかけがえのないエンターテイメントだったからである」と述べています。ちなみに和田さんは1936年生まれで、大平洋戦争終戦時には9歳だったことになります。
 この本で新たに知ったことは、映画『昼も夜も』が、コール・ポーターの伝記映画であったこと、『スターダスト』を作曲したホーギー・カーマイケルは、『わが心のジョージア』も作っていて、映画デビューは彼が45歳の時に出た'44年作品の『脱出』であり、日本のテレビ番組『シャボン玉ホリデー』にもゲスト出演したことがあること、『歌わせてくれれば私は幸せ(Let Me Sing and I'm Happy)』という曲のヴァース(曲の導入部で歌われる歌)は「国の法律を作るのが誰だろうと気にしない。事の善悪は彼らにまかせよう。世界の情勢も気にしない。私のポピュラー・ソングが歌えるかぎり」と歌っていて、ビング・クロスビーのラジオショウにアル・ジョルスンがゲスト出演してこの歌を歌った時、クロスビーは「アルが彼の哲学を歌います」と紹介したこと、『三文オペラ』の作曲で有名なクルト・ワイルの奥さんだったのはロッテ・レーニャという人で、映画『007/ロシアより愛をこめて』で、靴の先からナイフを出してボンドを蹴って殺そうとするコワイおばさんがその人だったこと、和田さんが来日したジェームズ・スチュアートと対談していたこと、などでした。また、私の記憶からしばらく遠ざかっていて、この本によって改めて思い出した名前として、ボブ・ホープ、ビング・クロスビー、ジューン・アリスン、オスカー・レヴァントらがいました。
 私はこの本を読みながら、歌手の名前の綴りをウィキペディアで調べ、YouYubeで実際に曲を聴きながら読みました。すると、76歳のフレッド・アステアと71歳のビング・クロスビー』がピアノを囲んで楽しそうにデュエットしているところや、アニタ・オデイが'58年7月のニューポート・ジャズ・フェスティヴァルで『二人でお茶を(Tea for Two)』を見事にジャズ風に換骨奪胎して歌い上げているところ(家族連れの観客らがノリノリで聴いていて、歌った後は猛烈な拍手で、スタンディング・オベーションをしている観客もいるところも見られ、感動的な映像でした)、フランク・シナトラがソサイエティ・オブ・シンガーズの賞を受けた時(90年)のパーティで、ペギー・リーが『The Man I Love』を歌い、「The Man I Love」という言葉は残しながら、シナトラに捧げる歌詞に替えて歌うと(ペギー・リーは作詞家でもある)、シナトラが感激してそっと涙をぬぐうところ(ペギー・リーは'57年にシナトラの指揮するオーケストラをバックにこの曲名をタイトルとするアルバムを作ったことがあった)、テレビの『ジュリー・アンドチュース・アワー』で、ゲストのスティーヴ・ローレンスが作曲家に扮し、ジュリー・クリスティーがその女房役に扮して、『How about you?』を歌うコント、ダニー・ケイが映画『アンデルセン物語』の中で『尺取虫(The Inch Worm)』を歌うところ、サラ・ヴォーンが客の笑いを誘いながら『Tenderly』を歌うところなどを、実際に見ることができました。
 2曲目に私が大好きな『スターダスト』を取り上げてくれていること、「ぼくが大好きな映画」として『バンド・ワゴン』(これは蓮實先生も絶賛している映画)を挙げていることなども、この本の嬉しいところでした。この本によって、MJQによる『朝日のようにそっと(Softly, as in a Morning Sunshine)』、ブレッドの『If』などを思い出すことができましたし、新たな発見として、アニタ・オデイ、サラ・ヴォーンのファンになりました。

 とにかく和田さんの博学ぶりと、そのレコードのコレクションの膨大さに驚かされる本でした。

 →「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/