西加奈子さんの'14年作品『舞台』を読みました。
葉太はニューヨークに来ていました。たまたま入った店で12ドルも出して食べたモーニングセットは、声を出すほどまずいものでした。スタバにしておけば、こんな失敗はなかったのに、自分はニューヨークに来て浮かれていたのだ、と葉太は反省します。
葉太が泊まっているのは、通常のホテルではなく、滞在型のアパートメントホテルでした。いつか父が、ニューヨークに行くならホテルじゃなくてアパートメントがいいというようなことを言っていました。葉太は父が嫌いでしたが、この点では助言にしたがって良かったと思っていました。フロントの人間に気を使う必要もないし、父の残した金があるとはいえ、現在無職の葉太には安い料金で泊まれるのがありがたかったのです。金庫がないのが欠点でしたが、葉太は外出する時に、貴重品は全て一緒に持ち出そうと決めていました。
葉太はニューヨークに夜に着き、アパートメントに入ると、いつの間にか眠ってしまい、目が覚めると午前8時を過ぎていました。ひどく腹がへって、外へ出ると、そこは雑多な人々が行き交う「街の真ん中」でした。29歳の葉太にとって、初めての一人旅、その観光初日でした。はしゃぐなと言われても無理な相談です。しかし葉太は必死にはしゃぐ自分を抑えていました。幼い日、はしゃぎ過ぎて歯からおはじきが抜けなくなった時に、葉太は二度とはしゃぐまい、調子に乗るまいと誓っていたのです。
葉太はやがてタイムズスクエアを通り過ぎ、ひたすらセントラルパークを目指しました。葉太はそこで自分のお気に入りの作家、小紋扇子の新刊『舞台』を読むことを、この旅の中心に考えていたのです。小説を読み出したのは、小説家である父の書斎で太宰治の『人間失格』を読んで衝撃を受けたことがきっかけでした。そこには幼い虚栄心や、強い羞恥心や、切実な卑怯、自分が知っていること、体験していることの全てが書かれていました。葉太の父は田舎の出ながら、それを隠蔽し、権威ある“小説家”としての自分を常に誇示しているように見えました。そんな父を持つ葉太は目立ってはいけないし、いじめられるほど地味でもいけない、適度に面白く、適度にいい奴だと思われていたい、しかもそんなことを考えているとは知られたくない、と自制しながら、今まで生きてきていました。
葉太は亡霊を見ることが出来ました。それは突っ立ったまま、こちらをじっと見ているのでした。最初に見たのは祖父の葬式の時でした。葉太は祖父の亡霊を見て、それを父に報告しましたが、父は冷たい目で、「調子に乗るな」と、完全に葉太を見下して言いました。葉太ははしゃいでいたと思われたことから来る羞恥心から、それ以来、自分には亡霊が見えると、誰にも言ったことはありませんでした。
セントラルパークのシープ・メドウは思っていたよりも広い芝生で、期待通り、そこでは人それぞれがくつろいで時間を過ごしていました。葉太はリードを外されたレトリバーに顔をなめられても、寛大な気持ちでそれを許せました。こんなにリラックスできたのは、生まれて初めてでした。そして芝生に寝転んで小紋の本を開こうとしたその瞬間、黒い影が自分のバッグを掴み、逃げ去るのが見えました。白人で、髭を喉まで生やし、黒いTシャツに「まさか」という日本語が浮かんでいました。葉太は動けず、周囲の注目を浴びて、また羞恥心の虜となり、やがて無理矢理笑顔を作って、その場をしのぐのでした‥‥。
公でも家の中でも“権威ある小説家”を演じきって死んだ父に反発し、自然に振る舞うように常に自制してきた主人公が、最後はそうしたしがらみから解き放たれるというストーリーで、『地球の歩き方 ニューヨーク』から引用された文に、主人公のニューヨークでの旅が重なるように書かれていて、面白い構成の小説だと思いました。ここでの西さんの文章はとても分かりやすく、あっと言う間に読めてしまったことも付け加えておきたいと思います。なお、上記以降のあらすじは、私のサイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)の「Favorite Novels」の「西加奈子」のところにアップしておきましたので、興味のある方は是非ご覧ください。
→「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)
葉太はニューヨークに来ていました。たまたま入った店で12ドルも出して食べたモーニングセットは、声を出すほどまずいものでした。スタバにしておけば、こんな失敗はなかったのに、自分はニューヨークに来て浮かれていたのだ、と葉太は反省します。
葉太が泊まっているのは、通常のホテルではなく、滞在型のアパートメントホテルでした。いつか父が、ニューヨークに行くならホテルじゃなくてアパートメントがいいというようなことを言っていました。葉太は父が嫌いでしたが、この点では助言にしたがって良かったと思っていました。フロントの人間に気を使う必要もないし、父の残した金があるとはいえ、現在無職の葉太には安い料金で泊まれるのがありがたかったのです。金庫がないのが欠点でしたが、葉太は外出する時に、貴重品は全て一緒に持ち出そうと決めていました。
葉太はニューヨークに夜に着き、アパートメントに入ると、いつの間にか眠ってしまい、目が覚めると午前8時を過ぎていました。ひどく腹がへって、外へ出ると、そこは雑多な人々が行き交う「街の真ん中」でした。29歳の葉太にとって、初めての一人旅、その観光初日でした。はしゃぐなと言われても無理な相談です。しかし葉太は必死にはしゃぐ自分を抑えていました。幼い日、はしゃぎ過ぎて歯からおはじきが抜けなくなった時に、葉太は二度とはしゃぐまい、調子に乗るまいと誓っていたのです。
葉太はやがてタイムズスクエアを通り過ぎ、ひたすらセントラルパークを目指しました。葉太はそこで自分のお気に入りの作家、小紋扇子の新刊『舞台』を読むことを、この旅の中心に考えていたのです。小説を読み出したのは、小説家である父の書斎で太宰治の『人間失格』を読んで衝撃を受けたことがきっかけでした。そこには幼い虚栄心や、強い羞恥心や、切実な卑怯、自分が知っていること、体験していることの全てが書かれていました。葉太の父は田舎の出ながら、それを隠蔽し、権威ある“小説家”としての自分を常に誇示しているように見えました。そんな父を持つ葉太は目立ってはいけないし、いじめられるほど地味でもいけない、適度に面白く、適度にいい奴だと思われていたい、しかもそんなことを考えているとは知られたくない、と自制しながら、今まで生きてきていました。
葉太は亡霊を見ることが出来ました。それは突っ立ったまま、こちらをじっと見ているのでした。最初に見たのは祖父の葬式の時でした。葉太は祖父の亡霊を見て、それを父に報告しましたが、父は冷たい目で、「調子に乗るな」と、完全に葉太を見下して言いました。葉太ははしゃいでいたと思われたことから来る羞恥心から、それ以来、自分には亡霊が見えると、誰にも言ったことはありませんでした。
セントラルパークのシープ・メドウは思っていたよりも広い芝生で、期待通り、そこでは人それぞれがくつろいで時間を過ごしていました。葉太はリードを外されたレトリバーに顔をなめられても、寛大な気持ちでそれを許せました。こんなにリラックスできたのは、生まれて初めてでした。そして芝生に寝転んで小紋の本を開こうとしたその瞬間、黒い影が自分のバッグを掴み、逃げ去るのが見えました。白人で、髭を喉まで生やし、黒いTシャツに「まさか」という日本語が浮かんでいました。葉太は動けず、周囲の注目を浴びて、また羞恥心の虜となり、やがて無理矢理笑顔を作って、その場をしのぐのでした‥‥。
公でも家の中でも“権威ある小説家”を演じきって死んだ父に反発し、自然に振る舞うように常に自制してきた主人公が、最後はそうしたしがらみから解き放たれるというストーリーで、『地球の歩き方 ニューヨーク』から引用された文に、主人公のニューヨークでの旅が重なるように書かれていて、面白い構成の小説だと思いました。ここでの西さんの文章はとても分かりやすく、あっと言う間に読めてしまったことも付け加えておきたいと思います。なお、上記以降のあらすじは、私のサイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)の「Favorite Novels」の「西加奈子」のところにアップしておきましたので、興味のある方は是非ご覧ください。
→「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)