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2011-09-08 | 質問に答えます。

第7回「古典教室」開く

不破社研所長、弁証法を解説


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(写真)講義をする不破哲三社会科学研究所所長=6日、党本部

 第7回「古典教室」が6日、党本部で開かれました。2カ月ぶりの再開で、不破哲三社会科学研究所所長がエンゲルスの『空想から科学へ』の第2章を講

義しました。 

 「社会主義を科学にするためには、世界を『科学の目』でとらえる科学的な世界観が必要」とのべ、とりわけ弁証法を中心に解説しました。

 今回の講義では、党員が日常的にとりくんでいる「党活動や革命運動のなかの弁証法」についていくつもの実例を示して縦横に語りました。

 「哲学の面白さもわかってきました。質的変化をしているのかもしれません。弁証法的な考え方、とらえ方はまさに的確だと感じました」(33歳・男 性)、

「党活動、革命運動の中で弁証法的な見方が必要となるということが大きく胸に響いた」(59歳・女性)など各地から感想が寄せられています。

 

「古典教室」不破社研所長の第7回講義

第3課『空想から科学へ』(2章)

党活動の中の弁証法


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(写真)講義する不破哲三社会科学研究所所長=6日、党本部

 第7回「古典教室」が6日に党本部で開かれ、不破哲三社会科学研究所所長がエンゲルス『空想から科学へ』の第2章を講義しました。

 不破さんは、前回学んだ第1章が「社会主義を科学にするためには、まずそれが実在的な基盤の上にすえられなければならなかった」という文章で結ば れているが、「そのためには、世界を『科学の目』でとらえる科学的な世界観が必要であり、第2章は、その科学的な世界観の全体を短い文章で説明していま す」と語りはじめました。

 エンゲルスの説明の順序は〈弁証法―唯物論―史的唯物論―経済学〉とたいへん独特なもので、「この流れはマルクス、エンゲルスの思想的発展の歴史とほぼ一致しているんです」とのべ、2人の思想の発展を略年表に沿ってあとづけました。

 エンゲルスが青春時代にキリスト教との思想的格闘のなかからヘーゲル哲学に到達し、21歳のとき、政府の指示でベルリン大学にのりこんできた反動的な大哲学者の見解を批判する論文を書いて論破したエピソードは、受講者を驚かせました。

 エンゲルスは、イギリスの経済と労働者の状況をつぶさに調べたうえで直観的に唯物論的な社会観に到達し、マルクスは、ヘーゲルの社会論(「法哲 学」)の徹底的な批判的研究を通じて理論的に到達しました。意気投合した2人は、それ以来、終生尊敬し、切磋琢磨(せっさたくま)し、科学的社会主義の理 論を仕上げていったと解説しました。

連関と運動の中で見るか、バラバラで固定的に見るか

 テキストの本論に入った不破さんは、社会の見方―史的唯物論と経済学―はすでに講義で勉強済みとして、弁証法を中心に語りました。

 ものの見方の大きな二つの流れである弁証法的な見方と形而上学(けいじじょうがく)的な見方を対比して説明するのは「ヘーゲルに源流を持ち、エンゲルスが発展させたもので、マルクスにはないもの」と指摘し、古代ギリシャ以来の哲学の歴史を概観しました。

 古代ギリシャの哲学者は「万物は流動しており、不断に生成し消滅している」とのべたヘラクレイトスをはじめ、世界を連関と運動の中で見る弁証法的 な見方を身につけていましたが、その後、ものごとをバラバラにして固定的にみる形而上学的な考え方が優勢になります。その背景には、自然を研究する初期の 段階では、事物をまずバラバラにして、動かないように固定して見ることが必要だったという事情がありました。

 「形而上学的な見方は、常識的に見えるが、突っ込んで考えるとそうはいかなくなる」とのべた不破さん。「生と死」をどこで判定するか、脳死判定の 難しさや、われわれの体が絶えず死んだ物質を生命活動に利用し、いらなくなったものを死んだ物質として捨てていることなどを例にあげました。

 「形而上学的」を「石頭的な考え方」と言いかえた不破さんは、中世から近世にかけて科学が大進歩をとげていくと、「固くなった頭をほぐして、世界をありのままに受け入れる見方、弁証法的な見方を意識的に身につける必要が生まれてきた」とのべました。

 弁証法的な見方の特徴として、ものごとを連関のなかでとらえる、変化と運動のなかでとらえる、対立物を発展の生きた推進力ととらえ、固定した境界 線を認めない――をあげ、カント(1724―1804年)の星雲状の回転する物質から太陽系が発生したとする学説やダーウィン(1809―82年)の進化 論など、自然科学の発展のなかで、弁証法的な見方が復活してきたことを語りました。

 弁証法的な見方はヘーゲル(1770―1831年)の哲学体系で一つの頂点に達しましたが、ヘーゲルには二つの弱点がありました。

 ヘーゲルは、世界の発展を「絶対理念」が体現し、発展するものとして説明する観念論者でした。また、自然から歴史、人間の精神まで、すべての分野 にまたがる大体系を完成しようとしたために、一方で変化と発展を大いに強調しながら、他方では「この体系をもって歴史が完結してしまう」と主張する矛盾に 陥りました。

 不破さんは、「ヘーゲルの矛盾から抜け出すためには唯物論にすすむ必要があり、弁証法的な考え方は、唯物論の立場にたってこそ、その真価を発揮できる」と力説しました。

 エンゲルスが論じている「弁証法的な見方」と「形而上学的な見方」との違いと特徴がよく分かるように、表(上の表)に整理して説明しました。とくに弁証法の「変化と運動」の特徴として、「発展、進歩の契機を重視する」ことの意味を強調しました。

 東大での講演で学生から「自然にも発展があるのですか」と質問を受け、物質の世界にも前向きの発展があると答えたことがあると紹介し、「まして人間社会では、いろんな逆流があっても進歩するというのが私たちの見解です」とのべました。

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広い視野で 歴史の中で 複眼で――前進の芽を大切に

 このあと「弁証法の諸法則」(左の表)といわれる法則を簡潔に説明して、それらを含め、われわれが日常取り組んでいる「党活動や革命運動のなかの弁証法」に話をすすめました。

 こういう弁証法の話は初めてという不破さん。「石頭ではものごとは動きません。党活動は階級闘争の中心部分で、弁証法の宝庫」と強調して、いくつかの注意点を豊富な材料で語りました。

 ――あらゆる問題を広い視野のなかで見ること(連関)。日本の「ルールなき資本主義」の実態をヨーロッパなどと比べるといかにひどいかが分かり、日本のマスメディアが世界の動きを伝えていない大きな弱点も、世界との「連関」のなかでとらえられる。

 ――どんな問題も、歴史の流れのなかでとらえる(変化と運動)。政治や社会の現状を固定的に見ない。

 不破さんは、最近の例として、民主党野田内閣への見方をあげました。歴史の短い尺度で言うと、2003年の民主党結成の背景には、自民党政治の危 機を同じ土俵の上の「二大政党制」で救おうという財界の思惑がありました。野田首相は、組閣前にまずやったのが財界3団体へのあいさつ回りという、むき出 しの財界直結ぶり。この歴史のなかでみると、2年前からの「政権交代劇」がなんだったのかがよく分かります。

 より長い尺度でみると、1970年代に、野党全部が安保、財界本位の政治に反対して競い合って国会討論もおもしろかったが、1980年の「社公合 意」が転機になって、日本共産党以外の野党がみな自民党と同じ土俵に乗り、「オール与党」政治へと大きく変わった。いまの民主党政権はその最後の局面にあ たる。こういうことを毎日新聞のベテラン記者に話したら「なるほど。そういう意味があったのか」と合点してもらえたことを紹介しました。

 ――どんな問題も複眼で見る。そこには対立する側面も必ずある(対立物の統一と闘争)。

 2年前の総選挙では党の得票が後退したのは事の一面だが、当時民主党が圧勝したことを分析して「自民党政治の崩壊が始まった。国民が新しい政治を探求する時代が本格的に始まった」と指摘したことは、現実の政治のなかで実証されているとのべました。

図

 

◇   ◇

 不破さんはつづいて「弁証法の諸法則」との関連でもその実例をいくつかあげました。

 「量的変化と質的変化」では、「私たちが毎日やっていること」とのべ、党活動は日常的な積み重ねがないと質的な変化が起きない、「果報は寝て待 て」とはならないとし、国政選挙を例に引きました。中選挙区制の時代の選挙では、得票の量的変化が議席獲得という質的変化になる飛躍を実感しやすかった が、比例代表選挙ではそれが分かりにくくなっており、それが実感できるやり方、工夫を課題にあげました。

 「否定の否定」では、前に否定されたものが、より高度な内容で復活することがあると説明。戦前の党が大弾圧のもとで侵略戦争反対、民主政治の旗を 掲げたことが戦後の党の発展に大きな力になったとのべ、「最も否定的な経験のなかにも前進と飛躍のバネがあり、その局面を乗り越えたときに党の質的な発展 がある」と力をこめました。

 60年代から70年代のソ連と中国の両党からの干渉との闘争を通じ、自主独立の強固な路線を築いたこと、「社公合意」後の「オール与党」体制のも とで革新の旗を掲げ続けたこと、原発問題でも一貫して建設に反対してきたことを示して、「わが党の歴史は、『否定の否定』の歴史の体現だ」「まさに弁証法 ここにあり」と喝破しました。

 「対立物の統一と闘争」では、さまざまな形態があるが、生きた関連と相互作用が大事だと説明。対立する二つの緊張した関係が、発展的な運動形態を生み出した一例として、日本共産党の組織原則の「民主集中制」があると解説しました。

 「民主主義」と「集中」は常識では対立するが、党規約で、民主的な議論を尽くす、決定したことはみんなで実践するなどを決め、この二つの側面を統一し、政党として生きた力を発揮できるようになっており、ここにも弁証法があると強調しました。

 最後に、「日常の党活動でも、広い視野で見ることや、変化、運動、前進、進歩の芽を大切にすること、複眼の目でみることなど、弁証法を生かしていただきたい」とのべて、講義を結びました。

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世の中の本質を知るためには「しんぶん赤旗が」必要です。

2011-08-22 | 質問に答えます。

「赤旗」がんばります・9月新紙面

        日本と世界 本当がわかる 明日が見える


 読者のみなさん

 「しんぶん赤旗」のご購読と、日ごろのご協力ありがとうございます。日刊紙は経営困難による

発行の危機を打開するために、先月10日に購読料の値上げをお願いしました。来月から340

0円(現行2900円)となります。赤旗編集局としては、読者のみなさんの多様な要求と関心にこ

たえ、「なくてはならない、読まずにおれない」充実した紙面、読みやすく、わかりやすい紙面づく

りに全力をあげます。どうか、引き続くご購読をよろしくお願いします。 赤旗編集局

「原発ゼロの日本を」キャンペーンに全力をあげます

 長期連載「原発を洗う」(仮称) 第1部「原発マネー」がスタート

 日本を原発列島につくり上げたものはなにか。利権集団・原発利益共同体と対米従属構造、

「原発安全神話」と反共体質など、長期連載で。

 シリーズ「異質の危険」 原発の本質的な危険、不安広げる放射能汚染問題を、多角的に追

及します

 「原発ゼロ」へ広がる署名・とりくみ、再稼働を許さないたたかい―全国、各分野の草の根から

のたたかいを紹介します

   

国民の苦難あるところに「赤旗」あり―を貫きます

 大震災復興へ被災者とともに被災地が直面する今を特集・企画で。月曜16面のカラー震災・

原発特集をいっそう充実します

 立ちあがる労働者たち ソニーや日本航空の横暴な解雇とのたたかいを応援します

 貧困ジャーナリズム賞受賞のシリーズ「子どもと貧困」の続編がスタート

政治の真実とはなにか

「二大政党」政治の深刻なゆきづまりのなか、新シリーズや検証特集で追います

 9・11同時テロから10年「世界はどう変わったか、変わるか」

 対テロ戦争、米欧同盟の揺らぎ、新秩序への胎動など、連載・シリーズ企画で

 新企画「いまメディアで」

 「劣化」がいわれる大手メディアの動向、論調をウオッチ

 各面で第一線の人物が登場、

知的魅力あふれた読み物・情報をお届けします

 

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労組も自民・民主も、こんな結果になり、想定外というのでしょうか

2011-08-17 | 質問に答えます。

労使一体 原発推進

電力会社献金 役員は自民 労組は民主


 東京電力など電力会社の役員が個人献金を自民党側に組織的におこなう一方、労組の政治団体は民主党側に献金―。電力会社が労使一体となって政界に影響力を強め、原発を推進してきた構図が本紙の調べで浮き彫りになりました。


民主

電力総連が9100万円

07~09年 新増設へ効果抜群

 原発を推進する電力会社の労組である電力総連(全国電力関連産業労働組合総連合)の政治団体「電力総連政治活動委員会」と、その関連政治団体が、 2007~09年の3年間で、献金や

パーティー券購入、研修会費などで、少なくとも9100万円を民主党側に提供していたことがわかりました。

 電力総連政治活動委員会の現在閲覧可能な07~09年の政治資金収支報告書を調べたもの。

 これによると、「東京電力労働組合政治連盟」など各電力会社の労組の政治団体からの「負担金」をおもな原資として、民主党本部や旧民社党の国会議 員・地方議員でつくる政治団体「民社協

会」のほか、判明しただけで13人の民主党国会議員に計9135万円の資金提供をしていました。このなかには、事務 所も事務担当者も電話番号も同じ政治団体「サクセス三田会」を迂回(うか

い)したものもあります。(図参照)

 民主党本部は448万円ですが、議員では、元東電労組副委員長の小林正夫厚生労働政務官が4000万円、元関西電力労連会長の藤原正司前参院経済産業委員長が3300万円と、両参院

比例議員が群を抜いています。

 このほか、民主党が野党時代の「次の内閣」で経済産業副大臣だった吉田治衆院議員、中山義活経産政務官が各500万円、民主党の原子力政策・立地 政策プロジェクトチーム座長の川端達

夫前文部科学相が32万円、同事務局代理の近藤洋介衆院議員が16万円など。閣僚では、江田五月法相、松本剛明外相が 各5万円。

 電力総連は小林、藤原両氏を組織内候補として民主党参院比例議員に連続当選させるなど、労組の「票とカネ」の力を背景に民主党に影響力を行使。民 主党の原子力政策を、「過渡的エネル

ギーとして慎重に推進」(2005年総選挙政策)から、原発の新増設や輸出を積極的に進める方向へと、展開させた大き な役割をはたしたとみられます。

 献金の効果は抜群です。

 政府が東電福島原発事故の後、中部電力の浜岡原発の運転中止を要請した際、藤原参院議員は、「防潮堤のかさ上げが終了し、国の安全審査をパスした場合、国は責任を持って再稼働を約

束できるのか」と、みずからのホームページで“懸念”を表明しています。

 196万円の資金提供を受けていた民社協会メンバーの直嶋正行元経済産業相が座長を務める同党の「成長戦略・経済対策プロジェクトチーム」は、7 月28日、エネルギー政策に関する提言

を政府に提出。安全性が確認された原発については「着実に再稼働」させるよう求めています。

図

自民

個人献金の6割超

09年 役職でランク付け

 自民党の政治資金団体「国民政治協会」が2009年に受け取った個人献金のうち、6割以上が東京電力など電力会社の役員によるものであることがわかりました。

 電力業界はかつて鉄鋼、金融とともに「献金ご三家」といわれ、自民党側に多額の献金をおこなってきましたが、石油ショック後の1974年、電気料金値上げへの世論の批判をかわすために企業献金をやめています。

 しかし、役員の役職によってランクづけされた個人献金という形で、事実上の企業献金は各電力会社とも続けられてきました。

 09年の場合、本紙の調べによると、東京電力の47人、計569万円など、沖縄電力をのぞく9電力会社の役員(OBもふくむ)206人が2791万5000円の献金を国民政治協会におこなっていました。

 同協会への政治資金収支報告書に名前が記載される5万円以上の個人献金は、自民党国会議員をのぞくと、御手洗冨士夫前経団連会長(キヤノン会長)トヨタ自動車の豊田章一郎名誉会

長、宗岡正二新日鉄社長の各30万円など、計364人による計4330万7000円。

 電力会社役員による同協会への献金は、人数にして56・6%、金額にして64・5%を占めるという突出ぶりを示しています。

 また、約2800万円という献金額は、原発メーカーの東芝、日立製作所の各3850万円にも、ひけをとりません。

 

報道・しんぶん赤旗より

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廃炉への工程をたて、まっしぐらに!  いつまで拡大続ける放射線被害

2011-08-15 | 質問に答えます。

2011年8月13日(土)「しんぶん赤旗」主張

原発作業員

「使い捨て労働」で収束できぬ


 東京電力福島第1原子力発電所の事故発生から5カ月。構内では異常な高放射線量の区画が発見されるなど、収束に向けた作業は困難を極めています。

 放射線に被ばくしながらの労働は急性・晩発性の健康被害をもたらす危険が高く、労働安全衛生法にもとづき定められた被ばく線量の上限を超えた労働 者は、作業に従事できなくなります。末端の下請け労働者を含め、一人の健康被害も生まぬ厳格な安全管理体制を築かなければ、原発の収束そのものがおぼつか なくなります。

犠牲が前提の下請け

 もともと原子力発電所は、一握りの電力会社社員とこれを支える大量の下請け労働者という、ゆがんだ構造で維持されてきました。福島第1原発では事故前、約1000人の東電社員にたいして9000人を超える下請け労働者が働いていました。

 通常時の原発の運転は、原子炉や機器の制御を集中管理で行うためそれほど多くの人手を必要としません。しかし、原則13カ月に1回行う定期点検の さいには、大量の労働者が必要になります。そのときだけ雇われる派遣や「請負」の労働者が集められます。原子炉内の計測装置や汚染された配管の点検・修 理、放射性ヘドロのかき出しなど、被ばくの危険の高い作業は、主としてこれらの労働者が担っています。

 日本弁護士連合会が都内で開いた原発労働問題のシンポジウムでは、福島県いわき市の日本共産党市議、渡辺博之氏が、下請け労働者の実態を告発しま した。重層的下請け構造は6次、7次にまで及び、東電は労働者1人当たり5万~10万円の日当を支払っているのに、中間搾取され、末端の労働者が受け取る 日当は6500~1万2000円程度、「過酷な状況のなか被ばくしながら働いても何の補償もない」といいます。

 東電は事故後も、事故前と同じ手法で労働者を集め、収束作業にあたらせています。3月24日には、地下たまり水で下請け作業員らが被ばくしました。作業前の放射線量測定もせず、危険性を注意することもなしに突入させていました。作業員の安全など二の次です。

 政府は事故後、緊急時の被ばく上限を大幅に引き上げ、技術者の不足を理由に、福島第1原発での被ばく線量を「別枠」扱いにしようとする動きまであります。

 事故発生から高線量の被ばくをした労働者が多数いるのに、内部被ばくの検査はすすんでいません。下請け会社は500以上にのぼり、東電はだれが働 いていたのかも把握しきれていません。離職して連絡がとれない143人をはじめ、800人近くが被ばく線量の検査すら受けられずにいます。まさに「使い捨 て」労働です。

廃炉へ体制整えよ

 長期にわたる廃炉までの作業工程では、さらに多くの技術者、作業員の力が必要です。全国的な技術者、作業員のひっ迫が懸念されており、確実な体制を整えることが強く求められています。

 個人線量管理の徹底、中間搾取をやめさせ人間らしく働ける労働条件への改善、被ばく労働者の健康管理と補償などが不可欠です。東電のずさんさは許されません。政府が厳格に指導し、労働条件と労働者の安全衛生を守らせていくことが責務となっています。

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どこもこういう系図になっているのですね。・・政・財(業)・官の隠蔽機構図

2011-07-28 | 質問に答えます。

2011年7月28日(木)「しんぶん赤旗」

やらせメール説明会請負の日本生産性本部

電力・原発メーカーずらり

国の原発広報8億円受注


 九州電力による玄海原発(佐賀県玄海町)をめぐる、やらせメール問題の“舞台”となった経済産業省主催の「説明番組」を請け負った財界系シンクタ ンクの公益財団法人「日本生産性本部」。2006年~10年の5年間に、34件、約8億円にのぼる国の原子力広報・公聴事業を受注していたことがわかりま した。同本部は電力、原発メーカーなどの幹部が役員にずらりと名前を連ねる「原発利益共同体」の有力団体。税金を使った原子力広報・公聴事業の不公正で、 いかがわしい実態を浮き彫りにするものです。


吉井議員まとめ

 日本共産党の吉井英勝衆院議員が、経済産業省と文部科学省提出資料でまとめたもの。

 これによると、同本部(旧社会経済生産性本部ふくむ)が受注した、おもなものは次のようなものです。

 「原子力意識動向調査」(07年、999万6000円)

 「島根原発2号機でのプルサーマル計画及び耐震安全性に関する住民説明会」(08年、1466万9000円)

 「エネルギー教育推進事業」(同、2億9566万4000円)

 「プルサーマルの必要性、安全性及び耐震バックチェックの地元説明会」(09年、1055万5000円)

 「原子力・放射線に関する教育職員セミナー(基礎コース)」(10年、4215万5000円)

 計34件で、総額7億9064万円にのぼります。

 34件のなかには、「原子力発電所では、放射性物質がもれないよう、五重のかべでしっかりととじこめています」(「わくわく原子力ランド」小学生用)などと、「安全神話」を小中学生にふりまく副読本の製作も含まれています。

 この34件中、15件は応札者が日本生産性本部しかない事実上の随意契約でした。今回の九電やらせメール問題の「説明番組」も同様でした。

 日本生産性本部は、財界主導の「二大政党制づくり」をすすめた「21世紀臨調」(新しい日本をつくる国民会議)の事務局を置くなど、財界の中心的 シンクタンク。評議員に東京電力の勝俣恒久会長、幹事会幹事には、各電力の会長、社長や原子炉メーカーの相談役、通商産業省(現経産省)の元事務次官らが 名前を連ねる、文字通りの原発推進団体です。(表参照)

 同本部が受注したこれら原子力広報・公聴事業の予算は、国民が払う電気料金に含まれている「電源開発促進税」を財源とする「電源開発促進勘定」から支出されています。

図
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大きく変化をとらえ、確信を持って世直しのために!

2011-07-21 | 質問に答えます。

「綱領教室」 志位委員長の第6回講義

第3章 世界情勢―20世紀から21世紀へ(1)

世界情勢ぎゅっと凝縮


 志位和夫委員長の「綱領教室」は、19日の第6回から綱領の第3章「世界情勢――20世紀から21世紀へ」に入りました。

 最初に、綱領の新しい世界情勢論の特徴について話しました。

世界を発展と連関のなかでありのままにつかむ

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 1961年につくられた前の綱領の世界情勢論は、当初、世界を帝国主義陣営と反帝国主義陣営の対決としてとらえる「二つの陣営」論をベースにしていました。そこには、反帝国主義陣営に覇権主義のソ連も含まれるなどの問題点がありました。志位さんは、新しい綱領がこの「二分法」を全面的に清算するとともに、「全体を貫いているのは、20世紀に進展した人類史の巨大な変化を分析し、21世紀の世界の展望を発展的にとらえるという立場です。世界を発展と連関のなかでありのままにつかむ。ここに綱領の世界情勢論の生命力があります」と強調しました。

 この章の解説にあたって「綱領にそって逐条的にすすめたい」とのべた志位さん。「文章は短いけれども、大切な内容が凝縮されています」と、段落ごとに区切りながら、一文ずつ丁寧に読みすすめていきました。

● ● ●

 第一の変化、植民地体制の崩壊についてのべた第2段落。「百を超える国ぐにが新たに政治的独立をかちとって主権国家となった」と読み上げたところで、「これが20世紀の最大の変化であり、世界の構造を変えた変化でした」と語りました。国際社会で「独立国」として構成員と認められた国が「26」(1899年)から「193」(2011年)へ増えたことをホワイトボードで紹介しながら、国連総会の宣言などを手がかりに、「民族自決権」が公認の大原則になっていった歴史的経過をたどりました。

 最初にあげた契機は、ロシア革命(1917年)時にソビエト政府が発表した「平和についての布告」です。無併合、無賠償の即時講和をかかげ、植民地を含めたすべての民族の自決権を宣言し、「世界各地で民族解放の運動が高まるなど、世界史に巨大な影響を与えました」。

 第2次世界大戦を経て、国際連合が創設(1945年)され、国連憲章に「人民の同権及び自決の原則の尊重」が書き込まれます。しかし、この時点では、国連創設国に植民地大国が含まれていたことから、「自決」に“植民地人民の分離の権利を含まない”という事実上の了解がありました。志位さんは「この制約をのりこえたのは、民族独立をめざすアジア・アフリカの人民のたたかいでした」と解説しました。

 45年にオランダの植民地だったインドネシアから始まった民族解放運動の波のなかで、「民族自決権」を国際政治の大原則として、「最も太い文字で書き込んだのが、55年の『アジア・アフリカ会議』(バンドン会議)でした」。同会議には29カ国の代表が集まり、植民地主義が「悪である」と断じ、すべての植民地の独立、自決の権利を高々と掲げ、世界に宣言しました。

 志位さんはさらに、独立の波の広がりをアフリカに追います。60年には1年間で17カ国が独立し「アフリカの年」と呼ばれました。その動きを受け、同年暮れに国連総会で採択された「植民地独立付与宣言」を紹介。「ここではじめて、植民地を許さない国際秩序が確立しました」と意義づけました。

 最後にあげたのは、ヨーロッパ諸国の奴隷制と奴隷貿易を「人道に対する罪」とし、「植民地責任」を提起した2001年の「ダーバン宣言」です。「植民地主義と植民地犯罪は、『どこであれ、いつであれ』非難され、謝罪と補償が求められる。イタリアやオランダは謝罪している。世界はついにここまで来ました」と感慨を込め語りました。それと対比して「韓国併合」を「不法」といまだに認めない日本政府の態度に言及すると、会場からため息がもれました。

 「21世紀は、国の大小で序列化されない世界になりました。すべての国が対等・平等の資格で、国際政治の主人公になる時代を開いた」と力説し、一例として、昨年のNPT(核不拡散条約)再検討会議で、途上国、新興国の代表が会議をリードした見事な働きぶりを紹介しました。

民族自決・国民主権・戦争の違法化は世界の主流

 つづいて第二の変化にすすみ、綱領の第7節の第3段落へ。「国民主権の民主主義の流れは、世界の大多数の国ぐにで政治の原則となり、世界政治の主流となりつつある」

 志位さんは、20世紀初頭には主権在君が主流だったが、現在は国連加盟193カ国中30程度にとどまること、女性参政権は1900年の1カ国(ニュージーランド)から、2010年の189カ国まで大きく広がったことを紹介しました。そのうえで、「20世紀を、人権の発展からも見てみたい」と、人権の内容が「自由権」「社会権」「自決権」「発展権」と豊かになってきた経過を追跡しました。

 1966年に採択された国際人権規約では、社会権規約・自由権規約の共通第1条に自決権が明記されていることを示し、「自決権が、あらゆる人権保障の前提と位置づけられ、人権概念が豊かに発展しました」と指摘しました。

 さらに、「人権としての発展の権利」を明確にした86年の国連総会での「発展の権利に関する宣言」とともに、93年の「ウィーン宣言」の重要な意味について解説。人権について、(1)国家的な独自性や歴史的な背景を「考慮にいれなければならない」が、(2)「すべての人権及び基本的自由を助長し保護することは、政治的、経済的及び文化的体制のいかんを問わず、国家の義務である」とした意義を明らかにしました。「わが党は、世界の人権問題に対して、この二つの原則でのぞみたい」と語りました。

 つづいて、中東の民主的変革のうねりをどう見るか、三つの角度からのべました。(詳報は2面)

● ● ●

 綱領第7節の最後の段落、戦争の違法化が世界史の発展方向として明確になった第三の変化にすすめた志位さん。「平和の国際秩序」が、国連創設の初期の「五つの大国の協調による平和」から、米ソ対立で国連が機能不全になった時代を経て、国連総会が力を発揮して超大国が批判される時期にすすみ、さらにイラク戦争反対の世界的たたかいの歴史的意義を強調。「国連憲章のルールを守ることが世界の大問題となりました。国連を無視した単独行動は簡単にはできない。ここに国際政治の重要な到達点があります」と力説しました。

 植民地体制の崩壊、国民主権の民主主義、戦争の違法化という20世紀に人類が起こした三つの偉大な変化は、「そのどれもが抑圧とたたかう無数の人民のたたかいによってつくられた変化でした。21世紀の世界は、この巨大な変化のうえに存在していることをしっかりとかみしめたい」とのべました。

 そして、日本共産党の存在と活動は、この変化を促進するもので、1922年の創立当初から、植民地解放の旗、国民主権の旗、反戦平和の旗をかかげ、「わが党の存在と活動は、20世紀から21世紀にかけての人類社会の偉大な歴史的進歩における、不滅の一部となっています」と、講義をしめくくりました。

● ● ●

 最後に、受講者全員に「ぜひ、綱領の文章を読み通してください。新しい発見が、綱領そのもののなかにあります」と語りかけました。第3回中央委員会総会が提起している、党の支部会議で綱領そのものをテキストとしてとりくむ「綱領講座」への挑戦をよびかけました。

 

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天皇に対して忠実な軍隊をつくるために書かれた「軍人勅諭」

2011-06-09 | 質問に答えます。

「古典教室」不破社研所長の第5回講義

第2課『経済学批判・序言』(つづき)

歴史観 ロマン


写真

(写真)講義する不破哲三・社会科学研究所所長=7日、党本部

 第5回「古典教室」が7日に開かれ、不破哲三社会科学研究所所長が、前回につづき第2課『経済学批判・序言』の講義をしました。

 不破さんは本論に入る前に、マルクスの歴史観が入ってきたことによって、日本の歴史観に大きな変革が2度にわたって起こったことから話を始めました。

 戦前の日本で支配的だった「とてつもない不合理な歴史観」の源流は、天皇に対して忠実な軍隊をつくるために書かれた「軍人勅諭」(1882年)に あると不破さん。そのいきさつに触れた作家の松本清張の『象徴の設計』を紹介し、この歴史観が国民に「たたき込まれた」様子と歴史を、自分が小学校で使っ ていた「国史」の教科書を開きながら実感を込め語りました。

 そういう時代に、史的唯物論の立場から自分たちの国の歴史を描き出し、最初の変革を起こしたのが、戦前の党幹部で経済・歴史学者の野呂栄太郎 (1900~34年)でした。野呂が指導的役割を果たした全7巻の『日本資本主義発達史講座』(1932~33年、岩波書店)を紙袋から取り出すと、会場 中の視線が集中しました。

 1945年の敗戦後に、マルクスの本でもレーニンの本でも読める時代がきて、マルクスの歴史の見方で日本の歴史を考える流れが、ものすごい勢いで広がり、「これが第二の変革でした」とのべました。

 宮崎県の男性(37)は「不破さんが、明治からのつくられた歴史観を述べていたところでは、当時がいかに強権的な国家体制で、侵略戦争が拡大した のはその結果だということがよくわかりました。野呂栄太郎を中心として日本の資本主義を集団で分析したことは、とても価値のあることだと思います」と感想 を寄せました。

土台の変革、そして上部構造で「決着」へ

 「序言」の本論にすすんだ不破さんは、「ここはすらっとは読めないが、これらのテーゼ(定式)には、大事な史的唯物論の基礎概念がもりこまれ、読み解くと頭が整理できます」と読む心構えについてのべました。

 配布したテキストでは、もともと段落がなくつながっている文章を一文ごとに改行して読みやすくしました。(1)生産力と生産関係(2)経済的土台 と上部構造(3)社会革命の時代とは?(4)土台と上部構造の両面から革命の時代を考える(5)経済的社会構成体。その交代の法則性(6)人類社会の歴 史。「前史」から「本史」へ―を内容とする六つに分け、一つひとつ解説しました。

 「桎梏」(しっこく)を「足かせ・手かせ」という語源にもさかのぼるなど、むずかしいマルクスの言い回しを、イメージのわく具体例や現代政治への批判をまじえ、解きほぐすように説明していきました。

 このなかで、当時のマルクスはこの著作が広く読まれることをねらって、大事な「階級」という言葉が出てこないが、生産関係の中で経済的な立場が共 通な集団が階級であり、現代の日本ではマルクスの時代と比べはるかに階級の姿が分かりやすくなる一方で労働者階級の意識を押さえ込む手段も発達していると 補足。社会の革命は、土台の変革を基礎に、最終的には上部構造で「決着」がつけられるというポイントを丁寧に解説しました。

 不破さんは、生産力の「桎梏」と言っても、今日では、金融危機や格差と貧困、地球温暖化、原発災害などあらわれ方は多様だとして、日本共産党の綱 領との関連にも言及しました。戦前から論争となってきた「アジア的生産様式」や「社会構成体」の概念について、自ら論文を書いたことを振り返って、論争の 到達点も紹介しました。

 福井の男性(61)は「定式の(1)から(6)まで講義によって理解を深めることができました。とくに、『人間がこの衝突を意識するようになり、 これをたたかって決着をつける場』の理解が深まりました。上部構造での衝突を勝利的に解決する、上部構造に決着をつけることによってこそ革命を起こし、勝 利することができるということであると分かり、そうかそういう意味だったのか、とその発見に感動した」と感想文に書きました。

 「この定式を頭において日本の歴史を見るとおもしろいことがある」と語った不破さん。マルクスが「大づかみに」と言った原始共産制、奴隷制、封建 制、資本主義的という四つの生産様式について、ギリシャ・ローマの奴隷制と違って日本の奴隷制は共同体が全部支配者に服属する「丸ごと奴隷制」というべき もので、その後の研究では同じ体制が世界各地で見られると話しました。

 マルクスが『資本論』で日本の封建制(江戸時代)についてヨーロッパの中世の生きた見本と呼んだことも紹介しながら、日本ほどこの四つが順序だっ て典型的に進んだ国は世界でもまれだとした上で、人類史の「前史」につづく「本史」(社会主義社会)も、日本が先頭に立って経験しようではないかと語る と、会場に共感の笑いが広がりました。

「21世紀は本史開く時代」世界的視野で

 「21世紀は、本史を開く時代です」と話をすすめ、いまの世界を見たらどうなるかと提起した不破さん。社会主義をめざす中国は、上部構造は社会主 義をめざしているが、国民1人あたりのGDPで見ると、物質的基礎は途上国の段階にあると指摘。「日本のように発達した資本主義国では、物質的基礎は十二 分にあり、矛盾の桎梏化もいたるところに見られます。しかし、上部構造での衝突を勝利的に解決する条件をまだ持っていない」とのべ、「科学的社会主義の党 の役割がたいへん大きい」と強調しました。

 ソ連崩壊後のイタリアやフランスの共産党の推移と対比して、「日本共産党は科学的社会主義を自主的に発展させ、鍛え上げてきた綱領路線を持ってい る。そういう点で日本共産党は資本主義国のなかできわだった位置を占めている」と語り、「わが国の党の運動はそういう位置にあるという世界的な視野から も、広い目でみてほしい」とのべて講義を結びました。

 茨城で聞いた女性(29)は「楽しみに待っていたかいがありました。『経済的土台』と『上部構造』は別々でなく互いに影響しあっていると感じまし た。両方を同時に鋭くつかむ目を養っていきたいと思いました。古典と綱領を並行し学習していることが大事なんだと思いました。大きな目長い目で、科学的社 会主義を、この世界を、歴史を、未来をつかんでいきたい」と感想を述べています。


「上部構造で決着」に反響

 「いざ社会を本格的に変革するときは、土台の変革を基礎として、上部構造で決着がつけられる」――。この不破さんの解説に、「上部構造で決着でき るように力をつけなければとあらためて思った」(福岡、女性)、「印象に残った。何のためにやっているか、大きな目で活動していきたい」(東京、男性)な どの感想が受講者から多く寄せられました。

 『経済学批判・序言』の該当の箇所は、マルクスの第四の定式〈土台と上部構造〉の中です。「このような諸変革を考察するにあたっては…物質的な変 革と、人間がこの衝突を意識するようになり、これとたたかって決着をつける場となる、法律、政治、宗教、芸術、または哲学の諸形態、簡単に言えばイデオロ ギー諸形態とを、つねに区別しなければならない」となっています。


 『日本資本主義発達史講座』 野呂栄太郎の指導のもとに、平野義太郎、大内兵衛、山田盛太郎ら30人を超える党内外のマルクス主義 理論家を結集し、幕末から近代までの日本資本主義の歴史を、史的唯物論の観点から集団で分析した労作。日本の情勢と革命の方針を示した「32年テーゼ」が 重視した問題をあとづける内容を持ち、当時の知識人や学生に大きな影響を与えました。

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みなさんのご協力に感謝します。直ちに現地に届けました。

2011-06-04 | 質問に答えます。

震災募金

共産党に全国から6.6億円

2次分 自治体・農漁業団体に


 日本共産党が被災者への支援活動として全国でとりくんでいる「東日本大震災救援募金」は、中央委員会に6億6千万円を超える募金が寄せられています。

 党に託された募金のなかから、第1次義援金として82の被災自治体に届けました。

 第2次義援金は、第1次義援金を届けた自治体のうち、岩手、宮城、福島の3県と沿岸部で被害の大きかった35自治体に加えて、3県の22の農業協同組合、46の漁業協同組合に直接、届けています。

 党は4月下旬から全国的にボランティアの受け入れを開始し、救援物資をふくめ、これまでに被災地に届けた総額は6億5千万円を超えています。

 第2次義援金は、党の中央・地方の役員や国会議員、各地方議員らが自治体の首長や各団体を訪ね、義援金とともにわが党の「復興への希望がもてる施 策、原発からの撤退をもとめる―大震災・原発災害にあたっての提言(第2次)」、不破哲三社研所長の講演パンフ「『科学の目』で原発災害を考える」などを 渡し、被災現地の要望・意見を聞き、党の活動も報告して、救援・復興について意見交換してきました。

 そのなかで「救援・復興は一市町村で対応できるものではありません。前例にとらわれない国の対策をお願いしたい」「漁業を再開するにも新規に借金 が必要です。少なくとも旧来の債務はなんとかしてもらわないと、どうにもなりません」など、深刻な被害の実態とともに切実な要望が次々に出されています。

 また、新たにとりくんだ「東日本大震災被災地の党機関の復旧支援のための募金」は、中央委員会に4000万円の募金が寄せられています。

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古典を現在の生かす、不破さんの話はよく理解出来る。

2011-05-12 | 質問に答えます。

「古典教室」不破社研所長の第4回講義

補講+第2課『経済学批判・序言』


 第4回「古典教室」が10日、党本部会場とインターネットの党内通信で全国を結びおこなわれ、不破哲三社会科学研究所所長が第2課『経済学批判・序言』(マルクス)をテキストに講義をしました。


写真

(写真)テキストを手に話をする不破哲三社会科学研究所所長=10日、党本部

原発 まさに「利潤第一主義」

         「ルールなき資本主義」

 「震災と原発事故へのこの教室らしい受けとめ方として、補講的なテーマを用意しました」と切り出した不破さん。前半は、第1課で学んだことに照らして、原発災害をどう学ぶのかをとりあげました。

 第1課のカナメの一つは利潤第一主義の問題、もう一つは資本主義社会では労働者と国民の生活と権利を守る「社会的バリケード」が重要だが、日本は それが世界でも遅れた、「ルールなき資本主義」になっていることでした。不破さんは「この二つの問題が大変あからさまな形で現れたのが、福島の原発災害 だった」とのべました。

 核エネルギーの発見は、火の発見につぐ人類史的意義をもつものでしたが、人類にとって不幸なことは、その利用が戦争目的で始まったことでした。ま ず原爆が開発され、広島、長崎が犠牲となりました。原発も原子力潜水艦の動力用に開発され、その動力炉が民間用に転用されました。だから、(1)冷却水の 供給が止まると暴走が起こるという原子炉そのものの本質的な不安定性、(2)使用済み核燃料の処理方法が見いだせないままでいる、という「未完成」な技術 状態がそのまま残っています。日本は、この危険に満ちた道を、備えも覚悟もないまま走り出してしまったのです。

 「私が質問した実感からいうと、答弁する相手が何も知らないことにあきれ続けでした」と、歴代首相を追及した不破さんは、76年、80年、81 年、99年の自らの国会質問を紹介しました。「安全神話」に浸りこんで事故が起きた場合のことも考えずに原発を推進し、安上がりというだけで地震の危険地 帯に集中的に立地させ、老朽化しても“これからがもうけどころ”と運転を続ける…。利潤第一主義のあまりのひどさに参加者からは小さな失笑が何度も漏れま す。

 安全・管理体制では、80年、2回目の質問の時点でも、「常勤の専門家は1人もいなかった。いわば全部アルバイト」の指摘に、若い男性参加者が 「うわ」とうめくような声をもらし、「建設と運転の専門家はいても、事故が起きたときの体制も、防災の技術を持つ専門家もいない。まさに『ルールなき資本 主義』の原発版」とのべる不破さんの講義を、参加者は息をのむように聞き入りました。

 歴代自民党政府がこの原発政策をすすめ、民主党政権も引き継いでいました。

 福井県の男性(27)は「原発問題の解明がすごく分かりやすかった。『ルールなき資本主義』『利潤第一主義』、この二つのものさしではかると、い ま何が問題か、すすむべき道はどこかがしっかり見えてくるではないか。科学の目でものを見、問題をつかむことの大切さが、党の原発政策の発展も含め、よく 分かった」と感想を寄せました。

 不破さんは、この原発・エネルギー問題について、どういう道をとるべきかに話を進めました。戦略的には、原子力発電からの撤退を決断し、その大方 針を確立すること、当面緊急の課題では、英知を結集して安全最優先の原発審査と規制の体制をつくること。「これから、国政でもこの議論を大々的に始めなけ ればなりません」と補講を結びました。

 山口県の男性(67)は「撤退の決断と原発ゼロへの行動のためにも、強力な権限と知恵を結集した独立機構が緊急に必要だというのも納得できる。こ うした現実的、具体的な問題をとらえるうえでも、資本主義の“そもそも論”と結びつけて、ゆるがぬ視点から広く見て考えていくことが必要」と感想文に記し ました。

専制政治とたたかい成長していったマルクスの姿

 「『経済学批判・序言』(1859年)は、マルクスが社会観、史的唯物論をまとまった形で書いた唯一のもの」。本題にすすんだ不破さんは、テキストに書かれた青年マルクスの「自己紹介」に加えて、「革命家としての自己紹介」を、年表を使い補って説明しました。

 史的唯物論について、「歴史の学問と思われがちですが、何よりも今の社会を広く、深く見るためのものです」と注意を喚起。マルクスが1840年代 に史的唯物論を仕上げ、ドイツ社会のさまざまな問題に向き合いながら、「革命的民主主義者」から「共産主義者」に成長した足跡をたどりました。

 マルクスが生まれたプロイセンは君主制の専制国家で、やがてドイツ帝国の中心になります。明治憲法をつくった中心人物、伊藤博文がヨーロッパ各国 を訪問し、ドイツ皇帝から“議会に権限を与えるとろくなことがない”との助言を受け、“自由民権運動を打ち破る武器を手にした”と喜んで憲法の手本にした エピソードを紹介しました。プロイセンの専制政治とたたかったマルクスと、プロイセンをモデルにした絶対主義的天皇制とたたかった日本共産党には「相通ず るものがある」と指摘しました。

 震災後、やっと普段どおりの生活に戻ることができたという岩手の男性(29)は、「若いころのマルクスと、天皇制にあらがう日本共産党の姿がダブり、妙な親近感を覚えた。まるでマルクスが現代の日本に生きているような錯覚に陥った」と感想を寄せました。

 「ライン新聞」の論説を執筆するようになったマルクスは、最初に検閲制度の問題をとりあげ、州議会の討論を使って検閲をくぐり、政府を批判。その 作戦ぶりは「将来の革命家をうかがわせるものがある」と語りました。同紙が2カ月で800部から3千部に増える好評ぶりだったことを紹介すると、参加者か らは「すごい」と声が漏れました。

 山の枯れ枝を農民が拾って燃料に使う古くからの慣習を地主と政府が「窃盗」扱いにした問題では、マルクスは農民の権利を踏みにじる地主と政府の無 法を徹底的に批判しました。物質的な利害関係に初めて直面したマルクスが、その後も「ライン新聞」主筆としてさまざまな問題にたずさわるなかで、経済の実 生活の問題、国家について問題意識を深めていったことを紹介しました。

 神奈川の女性(49)は、「マルクスが『物質的な利害関係』につきあたった経験が思想形成の土台になったところに興味をもちました。人民の立場を出発点にしているところが大切なのだなと思いました」と感想を書きました。

 同紙が発行禁止されるとマルクスはパリへ移り、ドイツの哲学者ヘーゲルを批判的に研究。“法や国家は、それ自体や人間の精神からではなく、物質的 な経済関係に根差している”との結論に到達したことを説明しました。経済学の研究に踏み出そうとした時、エンゲルスの論文「国民経済学批判大綱」に衝撃を 受け、手紙での交流が始まったと述べました。

 不破さんは、「マルクスは象牙の塔にこもって経済理論を仕上げてから革命運動を始めたのではなく、ドイツの変革のためにヘーゲルを研究し、それを 乗り越えて史的唯物論をつかみ、経済学をつかみ、革命理論を仕上げた。そういう理論と実践を体現した革命家です」と、講義をしめくくりました。

 埼玉県の男性(29)は、「青年マルクスが、学問は人間解放のためという立場で研究した過程を、生き生きと説明してもらい、夢中になって聞き入りました。かねてから、『こういうことを学びたい』と思っていたことをずばり聞けた」と感想を寄せました。

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共産党の前進が社会を変える原動力・バロメーター

2011-05-02 | 質問に答えます。

二大政党への不信

いっせい地方選

民・自ともに議席減


 「民主党大敗」と報じられた4月のいっせい地方選。選挙結果をみると、民主党ばかりでなく、自民党も含めて「二大政党」に対する国民の不信が示される結果となっています。


 今回の地方選は、民主党が政権与党として臨んだ全国規模の選挙で、政権与党についた利を生かして大幅議席増が可能とみられていました。民主党自身 も「議席を増やし支持基盤を確立する」(岡田克也幹事長)と位置付け、大量立候補を画策。しかし、菅政権への逆風から擁立そのものも当初の目算が狂ったう え、議席でみても、政令市議選で前回(2007年)比22議席減、東京区議選で31議席減、町村議選で6議席減。「今回の敗北で、その目算は完全にはずれ た。民主党は党再生のシナリオを一から練り直さねばならない」(「朝日」4月26日付社説)事態に直面しています。

 民主党の退潮傾向は、国政選挙での比例得票(今回の地方選と比較可能な選挙区の比例得票)で見るといっそう明らかです。(グラフ参照)

 とくに、政権交代となった09年総選挙の比例得票と比べると、道府県議選は36・9%、政令市議選は27・9%、市区町村議選は15・3%にまで落ち込んでいます。

 一方、民主党敗北を前に「最初の国政選挙で勝利できたことは、わが党に頑張ってほしいという国民の気持ちが現れたものだ」(谷垣禎一総裁)と息巻く自民党はどうか。

 同党も、道府県議選・政令市議選でそれぞれ前回比21議席減、市議選で69議席減、東京区議選で6議席減、町村議選で7議席減と軒並み減らしてい ます。10年参院選比例得票と比べると、道府県議選・政令市議選の得票は上回っていますが、市区町村議選は67・6%にとどまっています。

 4月26日に開かれた自民党全議員懇談会では「地方選は敵失でとどまった」(柴山昌彦副幹事長)、「選挙結果は民主党のミスのおかげだ。自民党ら しさが見えていない」(坂本剛二前衆院議員)などの声があがるなど、自民党の政策そのものが支持を得ていないことを認める発言が相次ぎました。

 ちなみに、自民党とともに政権についてきた公明党も「完勝」を誇っているものの、そもそも前回獲得議席より候補者を絞ってのこと。前半戦あわせて道府県議選、政令市議選で10議席、市区町村議選で32議席も後退させています。

 マスメディアも「道府県議選では民主党のみならず自民党も伸び悩んだ。生活に密着した地域の課題に対し二大政党の取り組みが甘かったことを示している」(北海道新聞4月12日付社説)と評しています。

図:民主党得票

 

図:民主・自民・公明の当選議席数
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想定どうり、ここが大問題、天下り人事!

2011-04-10 | 質問に答えます。

東電副社長はエネ庁幹部の指定席

塩川議員調べ 天下り禁止が必要


 東日本大震災にともなう東京電力福島第1原発の未曽有の事故で、原発の安全のための規制機関を原発推進の官庁から切り離すことの重要性が浮き彫り になっています。こうしたなか、日本共産党の塩川鉄也衆院議員の調べで、東電副社長が原発推進官庁である経済産業省(旧通商産業省)幹部の「天下り」指定 席になっていることがわかりました。

 東電には、ことし1月1日付で、前資源エネルギー庁長官の石田徹氏が顧問として「天下り」したばかり。同氏の前に東電に天下りした旧通産省官僚は4人にのぼり、1962年からほぼ切れ目なく、東電に役員として在籍していたことになります。(表参照)

 1957年6月、通産事務次官を退官した石原武夫氏は、古河電工(取締役、常務)を経て、62年5月に東電取締役に就任し、常務、副社長、常任監査役を歴任しました。

 資源エネルギー庁長官、通産審議官などを務めた増田實氏は、東京銀行顧問を経て、80年11月に東電顧問に就任。常務、副社長を務めました。

 資源エネルギー庁次長、経企庁審議官などを務めた川崎弘氏は、日本輸出入銀行理事を経て、90年12月に東電顧問に就任。その後、常務、副社長となりました。

 同じく、資源エネルギー庁次長、通産省基礎産業局長、日本輸出入銀行理事などを歴任した白川進氏も、増田、川崎両氏と同様、99年10月、顧問として入社後、副社長まで務めました。

 天下りは、2007年の国家公務員法改悪までは、「原則禁止」でしたが、禁止期間は2年間だけ。石田氏以前の天下り官僚が、いずれも退官後、銀行顧問など他の企業ですごした後に天下りしているように「抜け道」がありました。

 国公法改悪で、「原則禁止」から「あっせん禁止」となりました。昨年8月に経産省を退職した石田氏は、わずか4カ月後の東電顧問就任。民主党・菅直人内閣は、官庁側の「あっせん」がなかったから「天下り」に該当しないといいますが、天下りそのものです。

 塩川議員は、「『指定席』ともいえる経産省と電力会社との癒着が、今回の福島原発事故の背景にあったことは明らか。今回の事故を踏まえれば、 『あっせん』があったかどうかではなく、高級官僚が所管企業に再就職すること自体が天下りであり、明確に禁止するべきです」と話しています。

図
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ありがとうございました。引き続きがんばります。

2011-03-31 | 質問に答えます。

日本共産党に託された救援募金

第1次分 2億6800万円 被災地に


 日本共産党がよびかけた「東日本大震災救援募金」は全国各地で取り組まれています。

 そのなかから、岩手県、宮城県、福島県に各1000万円を届けたのにつづき、20市、20町、7村の合計47自治体をたずね、第1次分として直接、届けつつあります。

 これには志位和夫委員長、市田忠義書記局長、高橋ちづ子衆院議員ら中央・地方の党幹部がその自治体の党議員らとともに参加し、被災のお見舞いや現場の要望を聞き、党の救援活動も伝え、ともに力をあわせて、苦難に立ち向かうことを話しあっています。

 義援金は、市町村には、被災の規模に応じて、500万円と300万円に分けて届けます。また、義援金の一部は被災地の地方議員や党組織が取り組んでいる救援活動での物資の輸送・確保などにあてられています。総額で2億6800万円になります。

 志位委員長は地震・津波にくわえ、深刻な原発事故被害に直面し、役場ごと埼玉に避難している福島県双葉町の町長をはじめ、飯舘村村長、南相馬市市長や、千葉県旭市市長に義援金を手渡しました。市田書記局長は、村の半数以上が倒壊した長野県栄村の村長を激励しました。

 どこでも「心から感謝を申し上げる。復興のために大切に活用させていただきます」「こんなに多額の義援金ありがとうございます。市民のために有効に使います」など、感謝とともに救援・復興への決意がのべられました。


○第1次義援金の対象自治体

 岩手県、宮城県、福島県

 (青森県)八戸市、階上町、おいらせ町

 (岩手県)久慈市、野田村、岩泉町、田野畑村、盛岡市、宮古市、山田町、普代村、洋野町、住田町、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市

 (宮城県)気仙沼市、南三陸町、女川町、石巻市、東松島市、松島町、塩釜市、七ケ浜町、多賀城市、仙台市、名取市、岩沼市、亘理町、山元町

 (福島県)新地町、相馬市、南相馬市、浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、広野町、葛尾村、川内村、いわき市、飯舘村

 (茨城県)北茨城市

 (千葉県)旭市

 (長野県)栄村

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テキスト『賃金、価格および利潤』の3回目

2011-02-04 | 質問に答えます。

「古典教室」不破社研所長の第3回講義

マルクスの経済闘争論から日本社会が見える


写真

(写真)「古典教室」第3回の講義をする不破哲三社会科学研究所所長=1日、党本部

1日に開かれた第3回「古典教室」で不破哲三社会科学研究所所長は冒頭、受講者仲間に「わからないところを教えてあげた」という感想を紹介しまし た。「2万5000人の“連帯教室”として、前回のべた『覚悟』とともに『連帯』を強調したい」と話すと、会場からホッとした笑いが起きました。

この日の講義は、テキスト『賃金、価格および利潤』の3回目で、第12章から第14章。資本家と労働者の闘争論が展開され、「現代的な教訓がいっぱい詰まっています」と語りました。

不破さんは、30年前にロンドンで入手した英文のインタナショナル(国際労働者協会)の議事録を手に、このテキストの話は、各国の労働者代表からなる同評議会の席での報告で、「まるでマルクスが経済闘争の司令官のように見える」と強調しました。

○○○

第12章では、賃金引き上げが物価を上げるという議論に対し、労働者の賃金の引き上げは商品の価値には影響しないことをホワイトボードで解説し、「今でもこの原理がわかっていれば会社と交渉するときに性根がすわる」とのべました。

第13章では、経済闘争に労働組合がどう対応するか、いろんな場面に応用がきくように話したところだと語りました。

1日の労働時間を示す「労働日」について、資本家は肉体的に最大限まで延長しようとするが、「時間は人間の発達の場である」というマルクスの言葉 (別項)を紹介し、労働時間の短縮と人間的な生活との関係の深く大きな意味を、『資本論』の叙述も引用して力をいれて説明しました。

本部会場で聞いていた東京の26歳の女性は「自分を発達させようという自覚、自主的な行動がないと資本家のために労働をささげるだけになってしまうと感じた」と感想を寄せています。

ここで不破さんは、賃上げ闘争が主で時短や労働強化反対のとりくみが遅れているのは、日本の労働運動の大きな歴史的弱点だと指摘し、立ち入って解 明しました。これに対して、労働組合の役員をしている30歳の男性は「労働時間の上限が決まっていないことが、今の日本のさまざまな問題を引き起こしてい るとの指摘に納得」と書くなど、労働組合関係者から共感の声が寄せられています。

イギリスの労働者が「半世紀の内乱」といわれたほどのたたかいの結果、それ以上働くことを禁じた10時間労働法を獲得したことと比較して、日本で は戦後に労働基準法をつくったものの、8時間を超えても25%の残業手当を出せばよいということで、いまでも長時間労働が続いていると指摘しました。

○○○

第14章の「資本と労働との闘争とその結果」では、労働力の価値は生理的要素と社会的・歴史的要素からなっているとのべ、労働者のおかれた条件の国際比較をしながら解説を加えました。

自動車産業の労働者の時間当たり賃金は、日本は、アメリカの半分、ドイツの3分の1だと指摘。アメリカで工場をもっている日本の大手自動車会社は 日本の2倍の賃金を払いながらもうけをあげている。それなのに、日本では半分の賃金しか払わず、まるで払いすぎているような顔をしていると痛烈に批判する と、会場では息をのんで聞き入る人の姿も。

不破さんは、最近の日本とヨーロッパ諸国との年間平均労働時間を比較し、独、仏、英3国の平均労働時間は日本より500時間も少ないことを解説。 日本でサービス残業をなくせば200万人の雇用が生まれ、労働時間をヨーロッパ並みにすればさらに1700万人以上の労働者が求められ、合計1900万人 の雇用が必要で、財界は労働者不足に悩むことになるとのべました。これが日本の「ルールなき資本主義」の実態で、前回の講義の感想で若い人から多く出され た労働者の生活の維持、再生産もできない実態とも関係していると話しました。

名古屋市で視聴していた男性は、「自分たちの子どもの働かされ方をみても、一方では朝早く出勤し、深夜に帰宅し、そのほとんどがサービス残業。もう一方は定職につけず、とても結婚などできない賃金になっている」と実感を込めて語りました。

○○○

イギリスで10時間労働法をかちとり、資本の横暴から労働者と家族を守った制度をマルクスは「社会的バリケード」と特徴づけました。そして、ロシ ア革命、フランスの人民戦線時代、国際連合、女性差別撤廃条約など「社会的バリケード」を発展させた歴史をたどりました。「ルールある資本主義」となって いるヨーロッパと違い、日本では、専制政治や労働者が無権利状態だった歴史と重なったことを示し、「社会的強制」「全般的な政治行動」の必要性を浮き彫り にしました。

新潟の30歳の男性は「『社会的バリケード』であるルールをつくっていくことが、なぜ大切なのかよくわかりました。少子化問題までマルクスの目で見ると解決方向が見え展望がもてます」と語っています。

不破さんは、マルクスが労働者が自らの生活と権利を守るとともに、それを抜本的に解決しようとして新しい社会、働くものが主人公となる社会主義へ と行きついたこと、同時に社会主義を見定めながら、当時労働組合の必要を主張した唯一の人であるとのべ、労働者の闘争を励まし、「社会的バリケード」の考 えを打ち立てるなど、理論と実践に力を注いだ革命家であると結びました。

神奈川の52歳の男性は「資本主義社会のなかで、労働者がたたかうこと、経済闘争だけでなく政治闘争にかかわらなければならないこと、とにかくたたかうことの重要性を感じました」と感想を寄せました。


「時間は人間発達の場」に大きな反響

「時間は人間発達の場である」(新日本古典選書、170ページ)―。不破さんが講義のなかで「すごい言葉だと思う」と紹介したマルクスの言葉に、 「この話にまつわる話は胸にズシンと響きました」(京都の女性)、「ここに『未来社会探求の原動力』があるという指摘は、若い世代を激励するもの」(東 京・男性)など、受講者から大きな反響がありました。

マルクスは、これに続けて「思うままに処分できる自由な時間をもたない人間、睡眠や食事などによるたんなる生理的な中断をのぞけば、その全生涯を資本家のために労働によって奪われる人間は、牛馬にもおとるものである」と書いています。

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歴史の事実から検証すれば、正解がえられる。

2010-10-16 | 質問に答えます。
     外務省HPに尖閣コーナー
下関条約の交渉経過も解説
     共産党見解発表の4日後

 日中間の尖閣諸島領有権の問題で、外務省がホームページで新たに「尖閣諸島に関するQ&A」というコーナーを8日から設けたことが、このほどわかりました。同省ホームページでは、これまで「尖閣諸島の領有権についての基本見解」という簡単なコメントが掲載されているだけでした。

 設置の経過や目的について外務省は、「日本の尖閣諸島に対する立場をもっと内外に知らせるべきという議論があり、前原外務大臣や菅首相も言及しているので、それにのっとった取り組みの一環」としています。

 同コーナーでは、尖閣諸島に対する日本政府の領有権の根拠を国際法・合意などをもとに丁寧に主張。「尖閣諸島は日清戦争後日清講和条約(下関条約)によって台湾と共に日本に割譲された台湾の付属島嶼(とうしょ)ではないのですか」という中国側の主張を意識した問いも設け、日本が尖閣諸島を編入するまでの経過や下関条約の交渉経過を解説し、中国側の主張は成り立たないとしています。

 日本共産党は、日本の尖閣諸島の領有には歴史的・国際法上に明確な根拠があり、正当と主張。9月30日には、衆院予算委で笠井亮議員が「領有に明確な根拠があることを中国政府や国際社会に理を尽くして主張してきたのか」と追及し、前原誠司外相が「日本の立場を発信してきたかについては、大いに反省するところがある」と答弁していました。

 4日には尖閣諸島問題について日本共産党の見解を発表。「尖閣諸島は中国固有の領土であり、日清戦争に乗じて日本が不当に奪ったもの」という中国側の主張が成り立たないことを、日清講和条約(下関条約)とそれにかかわる交渉過程の詳細な検証を踏まえて明らかにし、「日本による尖閣諸島の領有は、侵略主義、領土拡張主義とは性格がまったく異なる、正当な行為」としました。志位和夫委員長はその立場で7日の衆院本会議の代表質問で政府をただし、菅直人首相は「正しい理解が得られるよう今後とも努力する」と答弁していました。
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命をもてあそぶ管内閣・・ゆるせん

2010-08-26 | 質問に答えます。

生保の政界工作 菅内閣閣僚も深く関係

           リクルート事件に匹敵


 保険金不払い問題のもみ消しをはかる生命保険業界の大掛かりな政界工作事件が永田町を揺るがしています。菅直人内閣は自民党政権時代に起きたことだとして傍観しています。足元に問題はないのか。


 2008年の一通の会合案内があります。

 「衆議院議員 ○○○○先生

 先にご内諾をいただいております懇談会を下記の通り開催致したく存じます。

日時 6月24日(火)

場所 「よしはし」(港区赤坂1・5・25)

 業界側出席者

 住友生命保険相互会社調査広報部長

 第一生命保険相互会社調査部長

 明治安田生命保険相互会社調査部課長

 日本生命保険相互会社調査部長」

 案内先の衆院議員は現在、菅内閣の主要閣僚の一人。会合当時、野党だった民主党で保険業法を所管する衆院財務金融委員会理事でした。

 同会合の3週間前、同年6月3日には、会合幹事役の日本生命常務執行役員ら3人を議員側が、銀座8丁目のホテルコムズ銀座内の中華料理店に招待していました。

会食し緊密

 酒食のもてなしを通じて緊密な関係がうかがわれます。衆院議員会館の当該議員事務所は日ごろから生保業界関係者がたむろし、民主党内でも「生保業界の永田町出張所」とささやかれていました。

 議員は保険金不払いが問題になった07年、生保協会会長会社(第一生命)に政治資金集めのパーティー券24万円分を購入してもらっています。

 生保業界の政界工作の目的は、銀行窓口での生保販売の解禁を阻止すること、生命保険控除など税制要望、折から社会問題化した保険金不払い問題で国 会での追及をかわす点にありました。このため政治献金やパーティー券購入を通して国会議員を「買収」、07年5月の生保協会会長の国会参考人質疑の質疑時 間の短縮などを働きかけました。

 生保業界の一連の政界工作の規模は、04年と08年の献金額を比較すると5年間で1・47倍となっていました。昨年総選挙では自民、民主など85 人を支援、大手生保4社が自民、民主などの62人議員を総経費650万円をかけて接待しています。07年に生保協会長会社(第一生命)が購入した政治家 パーティー券購入は自民、民主など44議員、総額1200万円――。1980年代末、政界を揺るがしたリクルート事件は、リクルート社が社業拡大のため関 連会社の未公開株を政財官界要人にばらまいた事件でした。

二重の背信

 未公開株の譲渡やリクルート資金をうけた政治家は90人を超えました。生保業界の政界工作は、同事件に匹敵する規模と内容をはらむ一大政界買収疑惑です。

 生保業界がつぎ込んだ政界工作資金は、一般加入者に支払うべき保険金を不払いしてため込んだ内部留保金が、その一部になっています。二重の意味で 保険加入者への背信です。関与議員を抱える自民、民主など各党にはもとより菅内閣にも疑惑の全容解明の責任が突きつけられています。

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