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わんぱく坊主は、達人だった。

2006-03-29 | 市民のくらしのなかで
身近な達人 10 「高学年のわんぱく坊主」
 私たちが子供の頃は、上級生が下級生を集めて遊んでやるのが常だった。
登校班でも早く出て来るものや遅くなる者もいる、みんな揃うまで、
2班に別れてよくリレーをした。バトンなどいらない、手をたたくだけだ。
よい勝負になるように上手く一年から六年までを分けるのだが、走る順番は
上級生が作戦を立てる.一回終わるたびに、ジャンケンをしてわける。
 勝ち組みと負け組みに分かれるが、小泉流負け組みとは違う.
すぐに勝ち組みになったりするから…・
 授業が終わって一度帰ってからも、学校が近かった事もあるが、カバンを
家に置いてすぐ集合である.
来ていないものは、高学年の指示で低学年が呼びにいく。夕方うす暗くなるま
で、野球をしたり、Sけんしたり、ドッジボール・缶けり・釘たて・つかまえ
・探検・ 木登り・小畑川で水泳・虫取り・ローラースケート・竹とんぼ・
落下傘飛ばし・ 凧上げ・こま回し・相撲・鉄棒・肋木(ろくぼく)・前、横、
後ろ・胴馬・ボンさんがへをこいた.ドンけんじゃん……・
野球といっても、布で作ったボールで、グローブもはめず、肋木の木を一本
ぬいてグリップを小刀で削る。細い竹のバットの時もある.ベースは、地べたに
四角を書く。
 一つ一つの遊びを説明していたら何ページにもなるが、当時の腕白坊主は、
それをうまく小さい子に教え、何人もの子供を数時間も遊ばせる事が出来たのだ.
まさに、身近な達人だった.私もその一人だったのである.
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