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「強制徴用被害者問題を政治的問題として取り上げるのではなく、人権問題として、被害者たちの訴訟に真摯に対応しなければならない」

2019-09-06 | 科学的社会主義の発展のために

宇都宮元日弁連会長

「日本の企業は韓国最高裁の判決を受け入れるべき」

登録:2019-09-06 00:21 修正:2019-09-06 07:32

ソウル地方弁護士会主催の韓日共同シンポジウムで 
「日本の輸出規制が報復措置であることは明らか」

 
              宇都宮健児元日本弁護士連合会会長//ハンギョレ新聞社

 韓日両国の法律家が会って、日帝強制動員問題と韓国最高裁判所(大法院)の判決を振り返り、解決策について話し合うために膝を突き合わせた。ソウル地方弁護士会主催で5日、ソウル瑞草洞(ソチョドン)の弁護士会館で開かれた「日帝強制動員問題の争点と正しい解決策の模索に向けた韓日共同シンポジウム」で、宇都宮健児元日本弁護士連合会(日弁連)会長(73)は、「韓国に対する日本政府の輸出規制が強制動員問題をめぐる報復措置であることは明らかだ」とし、「報復的な輸出規制を直ちに撤回し、韓国政府と協力して強制動員被害者の被害の救済を図るべきだ」と述べた。この日特別演説を行った宇都宮元会長は、「新日鉄住金(現日本製鉄)や三菱重工業など日本企業が韓国最高裁の判決を受け入れるとともに、謝罪と賠償を含め、被害者が受け入れられるような行動を自発的に取るべきだ」と述べた。

 また、韓日請求権協定は「当事者である被害者を疎外し、両国政府の“政治的妥協”で成立した協定という限界がある」としたうえで、「個人の損害賠償請求権を国家間の協定で消滅させることはできず、日本政府や日本の最高裁判所も韓日請求権協定によって個人の損害賠償請求権は消滅していないと解釈してきた」と指摘した。宇都宮元会長は2010年、大韓弁護士協会と共同宣言を発表し、日本軍「慰安婦」と強制徴用被害者の救済及び被害の回復に向けた措置に乗り出すことを両国政府に求めるなど、日帝強制占領期(日本の植民地時代)の被害者賠償問題に長年取り組んできた。

 同日のシンポジウムでは、日弁連の在間秀和弁護士と「強制動員問題解決と過去清算にための共同行動」の矢野秀喜事務局長らも出席し、これまでの日本政府の立場について分析し、日本市民社会の役割を強調した。韓国側からは強制徴用被害者訴訟代理人団のイム・ジェソン弁護士とリュ・ヨンジェ判事などが発表者として出席し、現在進行中の訴訟の法的争点および国際法などを基にした強制動員被害者の権利を説明した。

 在間弁護士は、日本政府の輸出規制や韓国に対する非難は、「非常に意図的で政治的な対応」だとしたうえで、「強制徴用被害者問題を政治的問題として取り上げるのではなく、人権問題として、被害者たちの訴訟に真摯に対応しなければならない」と述べた。

チャン・イェジ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
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韓国はいかなる形であれ、日本の介入を想定していないが、実際に状況が発生すれば、米国は日本の支援を要請する可能性が高い。

2019-09-05 | 戦争だけはやめてほしい

米国、「朝鮮半島危機の際の国連軍司令部の役割」を強調…

日本の介入の可能性高まる

登録:2019-09-05 04:38 修正:2019-09-05 13:58

国連軍司令部の役割を拡大し、停戦協定を強調する理由とは 

国連軍司令部の任務、朝鮮半島の危機管理にまで拡大した場合は 
1970年代に結ばれた関係約定を根拠に  
休戦協定を名分に未来連合司令部の指揮が可能に  
韓国軍作戦統制権との衝突は必至  

国連軍司令部の後方基地がある日本の地位も高まる  
有事の際、戦力提供国として介入する可能性も  
米国、国連軍司令部再活性化プログラムなど  
「戦作権移管後、管理方式の変化を考えている」

 
チョン・ギョンドゥ国防部長官が今月4日、国会で開かれた国防委員会全体会議で議員らの質問に答えている=カン・チャングァン記者//ハンギョレ新聞社

 米国が戦時作戦統制権(戦作権)の移管後、朝鮮半島の危機管理に国連軍司令部(国連司)が参加すべきだという立場を示したことが明らかになり、一部では国連軍司令部を、韓国軍を統制する機関に発展させることを目指しているのではないかという声もあがっている。平時に停戦協定を順守するかどうかを管理する国連軍司令部の任務が、朝鮮半島の危機管理まで拡大されると、韓国軍の作戦統制権と衝突する恐れがあるためだ。

 国連軍司令部は1950年6月、朝鮮戦争勃発直後、国連の対応処置で設立された軍事機構だ。国連軍司令部はこれまで韓国軍に対する作戦統制権を行使し、1953年7月に締結された停戦協定にも当事者として署名した。国連軍司令部の韓国軍に対する作戦統制権は1978年11月の韓米連合軍司令部(連合司)が創設されてから、連合司令部に移された。

 
           国連軍司令部と韓米連合司令部の構成と役割//ハンギョレ新聞社

 米国が国連軍司令部の任務を朝鮮半島の危機管理まで拡大した場合、戦作権の移管後、韓国軍大将が司令官を務めるいわゆる「未来連合司令部」とどのような関係を結ぶかが争点になる。1970年代に結ばれた合同参謀本部-国連軍司令部-連合軍司令部の関係約定(TOR)に、停戦協定が維持される限り国連軍司令部が連合司令部を指揮するという内容が含まれているという。国連軍司令部の作戦統制権が連合司令部に移管されたのと相反する内容だが、在韓米軍司令官が連合司令官と国連司令官を兼任するこれまでの構造では特に問題にならなかった。

 しかし、未来連合司令部の指揮のもと、朝鮮半島の危機状況が発生した際は、事情が変わる。米国の主張どおり、国連軍司令部が危機管理に参加した場合、韓国からは未来連合司令官と合同参謀議長が、米国からは在韓米軍司令官(未来連合司令部副司令官)と国連司令官が入る形になる。ここに現在の関係約定を当てはめると、国連軍司令部が停戦協定の維持を掲げ、未来連合司に指揮権を行使できるようになる。米国が在韓米軍司令官と国連司令官を分離することで、戦作権の移管後も国連司令官の名で韓国軍を統制するという見通しもある。

 米国が朝鮮半島における軍事的衝突・挑発など有事の際、停戦協定が維持されるべきだと強調するのも、こうした論理を背景にしている。停戦協定が維持されてこそ、それに基づいた国連軍司令部の指揮権を主張できるからだ。

 そうなれば、国連軍司令部が連合軍司令部の代わりに朝鮮半島の安保状況に影響力を発揮できる構造になる。この過程で、国連軍司令部の後方基地がある日本の地位が高まる可能性があるという懸念の声もあがっている。国連軍司令部の後方基地は、有事の際、戦力提供国の兵力と装備の支援を受け、韓国に展開する役割を果たす。韓国はいかなる形であれ、日本の介入を想定していないが、実際に状況が発生すれば、米国は日本の支援を要請する可能性が高い。

 先月の韓米合同指揮所演習で、国連軍司令部主導で日本の介入状況を想定した訓練が実施されたとして議論になったことを受け、国防部は4日「日本は朝鮮戦争の参戦国ではなく、戦力提供国として活動できないというのが国防部の立場であり、今回の訓練で自衛隊の介入状況を想定した部分はなかった」という立場を発表した。

 米国が、いわゆる「国連軍司令部再活性化」プログラムによって、国連軍司令部を実質的な多国籍軍事機構へと強化しようとする動きを見せているのも、このような流れと無関係ではない。国連軍司令部は昨年7月以後、米軍ではなく外国軍将軍を副司令官に任命した。匿名を希望したある軍事専門家は、「国連軍司令部の役割や規模の拡大は、戦作権の移管後、米国の朝鮮半島管理方式の変化を孕んでいる」とし、「韓米の利害が食い違っているため、戦作権の移管日程にも影響を及ぼしかねない」と指摘した。

ユ・ガンムン先任記者、ノ・ジウォン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
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韓国コルマーは先月6~7日、幹部を含む社員700人余りが出席した月例会議においてユン・ドンハン前会長が極右ユーチューバ―の動画を上映した事実が知れわたり・・・、

2019-09-05 | 韓国あれこれ・・・

「極右動画上映」余波?

韓国コルマー日本人理事一斉に辞任

登録:2019-09-05 08:01 修正:2019-09-05 14:17

極右動画上映のユン・ドンハン会長に続き
日本人の社内取締役2人、社外取締役1人
いずれも日本コルマー代表・会長・常務
「『親日企業』イメージが経営の負担に

 代表取締役が極右性向のユーチューブ動画を社員会議で上映して物議を醸した韓国コルマーの理事会で、日本人取締役3人が一斉に辞任した。 日本製品の不買運動が収まらない中、親日企業のイメージから脱皮するための措置だ。

 韓国コルマーは4日「神崎義英、神崎友次社内取締役、石上敏之社外取締役が一身上の都合により辞意を表明した」と発表した。彼らはそれぞれ日本コルマーの代表取締役、会長、常務を務めた。神崎義英社内取締役と友次社内取締役は2021年3月まで、石上社外取締役は来年3月まで任期が予定されていたが、就任1年で辞任したことになる。 韓国コルマーの関係者は、「韓国コルマーと日本コルマーとの関連性が取り沙汰される中、両社の経営に負担を感じていた日本人取締役らはこのかん辞任の意思を表明してきた」と語った。

 韓国コルマーは先月6~7日、幹部を含む社員700人余りが出席した月例会議においてユン・ドンハン前会長が極右ユーチューバ―の動画を上映した事実が知れわたり、不買運動が盛り上がった。この動画には日本の貿易報復に対する韓国政府の対応を批判する内容が盛り込まれていたが、「安倍は、文在寅の顔面を殴らなかっただけでも大変すばらしい指導者」「ベネズエラ女性たちはたった7ドルで身を売っており、もうすぐ韓国もそうなる」などの発言が会議で公開された。世論の批判が激しくなると、ユン会長は先月11日に経営から退き、以後息子のユン・サンヒョン社長が会社を経営している。

 ユン会長の辞任後も日本法人との関連性が取り沙汰されていることが、日本人取締役たちの辞任の背景に挙げられる。 日本コルマーは韓国コルマー株の12.14%を保有している。韓国コルマーの関係者は「単なる投資目的であるため、事業上の関連性はない」と述べた。

ヒョン・ソウン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
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教師ロボットは、同小学校と、他の村にある附属小学校で、科学の知識を紹介する授業を1日行った。

2019-09-05 | 中国をしらなければ世界はわからない

教師ロボットの新学期もスタート 重慶の山奥の小学校

人民網日本語版 2019年09月03日16:49
 
教師ロボットの新学期もスタート 重慶の山奥の小学校
9月2日、在城口県蓼子郷第一中心小学校の始業式で、科学に関する知識を紹介する教師ロボット(撮影・劉潺)。

新学期がスタートした今月2日、重慶市城口県の山中にある蓼子郷第一中心小学校では1体の教師ロボットもまた新学期を迎えていた。新華網が報じた。

この教育スマートロボットは、蓼子郷第一中心小学校を支援する重慶市九龍坡区重慶鉄路小学校が、重慶智加美科技有限公司と共同で提供した。教師ロボットは、同小学校と、他の村にある附属小学校で、科学の知識を紹介する授業を1日行った。僻地の子供たちに人工知能などの知識を伝え、広い視野を持ってもらうのがそのねらいだ。(編集KN)

「人民網日本語版」2019年9月3日

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イ本部長は先月29日、日本の6カ国協議首席代表である金杉憲治外務省アジア大洋州局長とソウル外交部で協議を行っており、21日には3泊4日の日程で訪韓したビーガン代表と協議した。

2019-09-04 | 韓国ハンギョレ新聞

6カ国協議の韓ロ首席代表が協議…「ロシア代表団の訪朝結果を共有」

登録:2019-09-04 06:06 修正:2019-09-04 08:05

朝米交渉の早期再開の必要性に意見が一致

                 ロシアのイーゴリ・モルグロフ外務次官(アジア太平洋担当)//ハンギョレ新聞社
 
                             イ・ドフン外交部朝鮮半島平和交渉本部長//ハンギョレ新聞社

 北朝鮮の核問題を担当する韓ロ6カ国協議首席代表が3日、ロシアで膝を突き合わせた。

 外交部は3日、イ・ドフン外交部朝鮮半島平和交渉本部長とロシアのイーゴリ・モルグロフ外務次官(アジア太平洋担当)が4日から東方経済フォーラムが開かれる予定であるロシアのウラジオストクで会い、韓ロ6カ国協議首席代表協議を行ったと発表した。外交部は、「最近のモルグロフ次官の訪朝結果などを含め、朝鮮半島情勢全般について踏み込んだ意見交換を行った」とし、「朝米実務交渉の早期再開が必要であるということで意見が一致し、これを通じて朝鮮半島の完全な非核化と恒久的な平和定着に向けた実質的な進展が得られるよう、共に努力していくことにした」と説明した。モルグロフ次官などロシアの外交部代表団は先月14日に訪朝した。韓国政府は、北朝鮮核問題の解決においてロシアがかなり建設的な役割を果たせると判断している。

 イ・ドフン本部長は来月初めか中旬にワシントンを訪問し、スティーブン・ビーガン米国務省北朝鮮政策特別代表と協議する計画だという。イ本部長は9月末の国連総会前後に米国を訪問する案や、中国を訪問する案も検討中だ。羅照輝中国外交部副部長が朝鮮半島事務特別代表の役割を担っているとされているが、一部では第2の人物が当該業務を任される可能性もあると見られている。

 イ本部長は先月29日、日本の6カ国協議首席代表である金杉憲治外務省アジア大洋州局長とソウル外交部で協議を行っており、21日には3泊4日の日程で訪韓したビーガン代表と協議した。

 一方、先月29日には米国のワシントンで、イ・ドンニョル外交部平和外交企画団長とアレックス・ウォン米国務省副次官補などの局長級の次席代表が中心となった韓米作業部会会議が行われた。北朝鮮問題や南北関係全般について意見を交換したという。外交部は「韓米作業部会が様々な契機で、各級で随時開催されている」と述べた。

ノ・ジウォン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
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否定できない明確な根拠があったためだ。すなわち強制動員は日本の国家権力がアジア太平洋戦争を遂行するために運営した体制だという点だ。

2019-09-03 | 韓国ハンギョレ新聞

[寄稿]

強制動員ではなく就職?朝鮮人“逃亡者”40%はなぜ

登録:2019-09-02 20:01 修正:2019-09-03 09:01

2015年ユネスコ日本大使も
「韓国人強制労役」を公式認定
イ・ウヨン、日帝総動員令には目を瞑り
偏向した資料を根拠にごり押し歪曲

強制性はなく自由だった?
現場離脱者を“逃走”と表現

賃金は正常に支払った?
日本人より少なく控除は倍

日本で稼ぐことがロマンだった?
強制労働に抵抗、警察と戦闘まで

2015年7月5日、ドイツのボンで開かれた第39回ユネスコ世界遺産委員会で、佐藤地駐ユネスコ日本大使が、韓国人の強制労働の事実を認める発言をしている=韓国外交部提供//ハンギョレ新聞社

 「日本は1940年代に一部施設で多くの韓国人とその他の国民が本人の意志に反して動員され、苛酷な条件下で強制的に労役し、第2次世界大戦当時に日本政府も徴用政策を施行したという事実を理解できるようにする措置を取る準備ができている」

 2015年7月5日、ドイツのボンで開かれた第39回ユネスコ世界遺産委員会で「明治日本の産業革命遺産、製鉄・製鋼・造船・石炭産業」搭載と関連して、佐藤地(さとう くに)駐ユネスコ日本大使がした公式発言の一部だ。この発言は、日本が初めて国際機構でアジア太平洋戦争(1931~1945)当時の強制動員を公式に認めた事例だ。もちろん、日本政府は佐藤大使の発言の翌日に強制性を否定した。日本政府も発言の重量感を分かっていたためだ。

 当時、韓国国内の一部マスコミの報道のように、日本が「意外にも強制労働を素直に認定」したのだろうか。決してそうではない。2015年2月から「強制」(forced)という用語を入れるために私たちは韓国外交部と共に孤軍奮闘した。日本政府は頑強だった。「23の施設地に徴用された韓国人はいくらにもならない」「募集や官斡旋(官庁の紹介と志願)が強制動員になるのか」と抗弁した。しかし結局、日本政府は認めた。否定できない明確な根拠があったためだ。すなわち強制動員は日本の国家権力がアジア太平洋戦争を遂行するために運営した体制だという点だ。日本政府は「ただの1人でも被害者がいるならば強制動員は実在した事実」というわれわれの主張に反論を提起できなかった。

1941年、朝鮮総督府が日本の北海道に動員された朝鮮人に送った手紙。1939年から2年期限で募集・動員され故郷に戻る時になった朝鮮人に対し朝鮮総督府は「逃げることなく産業戦士として仕事をせよ」「帰ってこずに誠実に仕事をせよ」と書いた=チョン・ヘギョン氏提供//ハンギョレ新聞社

 アジア太平洋戦争は、朝鮮民衆が初めて経験した近代戦争であると同時に、すべての国力を投じた総動員戦争だった。総動員戦争の思想的土台である「総力戦」思想は、第1次世界大戦当時に世界的に広がった近代戦争観だ。第1次世界大戦末期、フランスが初めて総力戦という用語を使った。日本はこの総力戦思想を受け入れて、国家総動員体制を確立した。1918年4月、陸軍の督励の下に内閣は軍需工場動員法を制定し、6月には軍需局を新設した。軍需工場動員法は、総力戦実行のために平時から人材、物資、資金など全国家の資源を調査し、戦争が起きた時の補給計画をたてるための法だった。1919年12月には軍需調査令を制定し、植民地である「朝鮮と台湾」を調査対象地域に含め、1925年4月には国家総動員機関設置委員会を設置した。こうした歩みは、アジア侵略の本格化とともに一層早まった。1937年中日戦争後、1938年4月に国家総動員法を制定し、国家総動員体制を確立した。

 国家総動員体制は、一部の軍の将軍らが運営した体制ではなかった。国家総動員法に基づき約860の法令(改正を含む)と制度、組織を通じて運営されたシステムだった。朝鮮総督府は、該当部署を設置して地方単位まで組織を完備した。これはすべて1970年代以降に日本から出た資料集と研究で明らかになった内容だ。国家総動員法と下部法令は「国民動員」を明示し、毎年国民動員計画数を設定した。就職ではなく「動員」だ。労働者と資本家の相互契約関係にともなう労働者が消え、一方的義務だけが残った労務者の時期だ。

 韓国政府が「強制」を入れさせるために孤軍奮闘していた2015年春、韓国内の報道機関に直接報道資料を送った研究者がいた。成均館大学経済学科出身のイ・ウヨン博士であった。膨大な公開資料と研究成果を無視して、偏向的に取捨選択した資料を根拠とする歪曲された主張だった。彼が『反日種族主義』に収録した内容と同一だ。当時、韓国内のメディアは簡単に報道したが、その後日本の極右指向の産経新聞には詳しく掲載された。これが「偶然の一致」であろうか。

 『反日種族主義』で彼は強制動員を否定している。「1910年に朝鮮人は日本の臣民になったので、差別は存在しない」として「アジア太平洋戦争期の動員は、法的根拠により成り立った合法行為」という認識を土台にするためだ。強制動員は、日本帝国主義全般にわたった政策で、すでに国際労働機関(ILO)の協約を自ら破った行為であるので差別とは関係ない。また、法的差別がなかったという平等論も誤りだ。1910年以後、朝鮮人は義務では日本人だが、権利では日本人と区別される存在として扱われた。すでに2000年代に明らかになった法制史研究の一貫した結論だ。

 この主張の最大の問題点は、上で説明した日本の国家総動員体制を度外視した点だ。その他にも統計の背景を理解する能力が足りず、帝国運営の実態、日本地域一般渡日者(日本に渡っていった人)と移入労務者の区分、職種別労働実態に対する理解も不足している。1938年以前に100万人に達した一般渡日朝鮮人と動員政策にともなう強制動員朝鮮人を区分できず、炭鉱現場に対しても根拠のない主張を展開した。私は、九州の筑豊と長崎の炭鉱、常磐炭田、北海道の炭田、南サハリンと満州の炭鉱まで坑内を直接見て回った。イ博士の「1930年代になると日本の炭鉱の多くの坑道は、人の背をはるかに超える高さと5メートル以上の幅を維持するものが一般的」という表現は荒唐そのものだ。そのような炭鉱が日本に何箇所あったというのか。

 このようなイ・ウヨン博士のごり押し主張に、いちいち対応する必要はないが、歴史に関心を持つ市民のために説明することは研究者の役割だ。紙面の限界により幾つかだけを話してみる。

 「生活は非常に自由だった」。強制性がなかったという主張だ。イ博士はこの主張の根拠を明らかにしていない。それでは常識的な質問をしてみよう。当時すべての日本政府と企業の資料は、現場離脱者を「逃走した」と明示した。なぜ退社ではなく逃走と表現し、逃走者を捉えてリンチを加えて命まで奪い取ったのか。当局は工場と炭鉱を管理する監督機関を設置して、労務者の統制と管理を担当した。集団農場も例外ではなかった。米国議会図書館が所蔵した資料の中には、中西部太平洋地域(当時南洋群島)の国策会社である南洋興発が労働時間と作業量を記録し、毎日警察の駐在所に提出した報告書がある。

日帝強制動員被害者が、新日鉄住金(現、日本製鉄)を相手に出した損害賠償請求訴訟で13年8カ月ぶりに被害者の勝訴判決が下された昨年10月30日午後、最高裁(大法院)前で強制動員被害者イ・チュンシク氏(94)が感想を述べ涙を流している=キム・ミョンジン記者//ハンギョレ新聞社

 「日本人と朝鮮人は分け隔てなく、賃金は正常に支払われた」。戦時体制期の賃金体制を平時と同一に認識することも問題だが、誤りは実際に受領した金額にある。イ博士は「控除金は朝鮮人が58ウォンで、日本人の26ウォンよりはるかに多く、貯金も朝鮮人の金額が多かったために手取り金額には大きな差」が現れたとし、民族別差別を認めた。その一方で「朝鮮人は賃金の4割以上を直接渡され、その金で消費したり送金することができた」と断定した。手取り金額では日本人と差があったが「正常支払い」だったという評価はそれ自体が矛盾だ。また、イ博士が日本人との賃金差別がなかったとして提示した賃金台帳でも、朝鮮人の月収入は日本人より少なかった。

 「当時、朝鮮人青年たちにとって日本は一つの『ロマン』だった」。良い稼ぎ口と考えて行ったという主張だ。この主張を問い詰めるのに先立ち、根本的な問題から考えてみよう。騙されて渡ったとしても、良い稼ぎ口と考えて行ったのならば強制性が消えるのか。そんなことはない。稼げるとだまされた個人のせいではなく、だまして人材を動員した体制の問題であるからだ。当時、日本やドイツなどの枢軸国は、稼ぎ口と良い職場という“ニンジン”を主に使った。具体的な内容を見てみよう。日本に稼ぎに行く機会が開かれ、工場で技術も習うことができるという言葉に乗せられて「連絡船内で歌を歌って」行ったという人々はいた。この事例だけで「ロマン」と表現したとすれば、他の事例を見よう。1939年から朝鮮民衆の離脱は始まった。脱出者は1939年には全体の5.2%の2千人だったが、この数字は1940年には37.2%に、1943年には40%に増えた。日本の領土に到着してもあきらめずに輸送列車から飛び降りて命を失う例もあった。1944年初めには抵抗が一層激しくなり、徴用令書(徴用通知書)を伝達しに訪ねてきた官憲に暴行し、慶尚北道慶山(キョンサン)郡に住む青壮年27人は「決心隊」を結成し、竹槍と鎌を持ち20日間山で抵抗して警察と接戦を行い勝利をおさめた。当時の高等裁判所検査局の資料と第85回帝国議会説明資料の内容だ。「ロマン」なのになぜ脱出をして官憲に暴行して集団抵抗したのか。

 もし学問的目的以外に他意がなく、研究者としての誠実さと自分の悩みだけがあったとすれば、このような無責任な一般化は不可能だ。誠実でも実証的でもない主張は、事実の重みを何とかして無視しようとする偏狭さだけを表わした。『反日種族主義』は、学者の外皮をかぶった政治行為の結果に過ぎない。

チョン・ヘギョン日帝強制動員&平和研究会研究委員//ハンギョレ新聞社
チョン・ヘギョン日帝強制動員&平和研究会研究委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/908021.html韓国語原文入力:2019-09-02 07:06
訳J.S
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当初、政府は2019年から龍山基地一帯の土壌に対する浄化作業を開始し、2022年から本格的な公園の造成に入り、2027年までに工事を終わらせるという計画を立てていたが・・・、

2019-09-02 | 韓国あれこれ・・・

龍山基地の平沢移転…

残された韓米連合軍司令部の移転時期は?

登録:2019-09-02 06:45 修正:2019-09-02 10:26

 
昨年11月2日、ソウル龍山米軍基地で開かれた「第1回龍山基地バスツアー」の参加者たちが日本植民地時代の日本軍刑務所として使われた衛戍刑務所を見ながら、ユ・ホンジュン元文化財庁長の説明を聞いている//ハンギョレ新聞社

 政府がソウル龍山(ヨンサン)米軍基地の返還手続きを年内に開始すると発表したことで、韓米連合司令部の平沢(ピョンテク)基地(キャンプ・ハンフリー)への移転が繰り上げられる見込みだ。現在、龍山基地では米軍のサービス施設が続々と閉鎖されており、来年からは韓米連合軍司令部と米軍の宿舎として使われているドラゴンヒル・ホテルだけが残る。在韓米軍司令部は昨年6月に、米第8軍司令部はそれより1年ほど早い2017年7月に、それぞれ平沢基地に移転した。

 韓米連合軍司令部の移転は、文在寅(ムン・ジェイン)政府任期中に行われると予想される戦時作戦統制権(戦作権)の移管に合わせて時期が決まるというのが、大方の予想だ。軍関係者は1日、「戦作権の移管が行われれば、朝鮮半島有事の際、韓国軍大将が司令官を務めるいわゆる未来連合司令部の構造が作動する」とし、「それに合わせて、韓米連合軍司令部と在韓米軍の作戦効率性を強化する必要がある」と述べた。韓米は最近実施した下半期の合同指揮所演習で、韓国軍の基本運用能力(IOC)を検証したのに続き、2020年に完全運用能力の検証を、2021年には完全任務遂行能力の検証を行う予定だ。

 韓米連合軍司令部の移転の核心は作戦センターの構築だ。連合軍司令部がきちんと機能するためには、ハワイのインド太平洋司令部と日本の横田在日米軍司令部を結ぶこの作戦センターが必要であるからだ。国防部関係者は「作戦センターは連合軍司令部の頭脳にあたる」としたうえで、「作戦センターの構築過程で費用と日程が増える可能性があり、今のところは連合軍司令部の移転時期を確定できない」と述べた。

 
            龍山基地内のサウスポストのドラゴンヒル・ホテル//ハンギョレ新聞社

 韓米連合軍司令部は一時、龍山にある国防部の領内に移転する案が進められたが、今年6月、韓米防衛相会談で、平沢基地に移すことで最終合意した。当時、米国は龍山に連合軍司令部が残る場合、米軍家族の居住に困難が生じ、平沢基地との連携が難しくなるという点を指摘したという。韓米連合軍司令部は、平沢基地に新たに建物を建てず、既存の建物に入る予定だという。連合軍司令部への移転日程は、10月末または11月初めにソウルで開かれる第51回韓米安保協議会議(SCM)で具体化されるものとみられる。

 在韓米軍司令部と米第8軍司令部が平沢に移った後、龍山基地では米軍に対するサービス業務が次々と終了している。映画館がすでに7月に閉館し、現役と予備役を対象に生活の転換支援プログラムを提供する龍山事務所も8月末に閉鎖された。陸軍病院診療業務と洗濯所の運営も来月1日に終了する。龍山基地内にあるソウル・アメリカン小中高校は2018~2019年課程を最後に、廃校が決まった。

 韓米が龍山基地の返還手続きに着手しても、実際返還されるまでには相当な時間がかかると予想される。当初、政府は2019年から龍山基地一帯の土壌に対する浄化作業を開始し、2022年から本格的な公園の造成に入り、2027年までに工事を終わらせるという計画を立てていたが、環境汚染浄化費用などに対する意見の相違で協議が行われなかった。国防部関係者は「龍山基地の返還手続きを開始しても、返還計画の樹立や環境調査および環境協議、汚染浄化などの手続きを踏まなければならない」とし、「龍山基地の返還までは越えなければならない山が多い」と述べた。

ユ・ガンムン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
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植民地近代化論は、社会的イシューになるたびに世論の袋叩きにされたが、忘れた頃には必ず飛び出してくるようだ。

2019-09-02 | 東アジアの文化と歴史を学ぶ会

「植民地近代化論」は“不都合な真実”でなく“不都合な虚構”だ

登録:2019-09-01 21:22

特別寄稿/『反日種族主義』に反論する(1)植民地近代化論 
 
日帝強制占領期間に所得不平等が深化 
開発利益は日本人に集中し 
朝鮮人は依然として飢えていたし 
解放後も永く貧困に苦しんだ

イ・ヨンフン元ソウル大教授らが書いた『反日種族主義』が論議を呼んでいる。この本は、10万部近く売れベストセラー1位に上がった。「日帝は朝鮮を収奪しなかった」「強制徴用はなかった」 「日本軍“慰安婦”らは性的奴隷ではなかった」などの極端主張が流布され、政府高位公務員が「親日することが愛国」と言うまでに達した。この本で最も問題となる植民地近代化論、強制動員、「慰安婦」問題に関し、各分野の専門家の寄稿を3回にわたり載せる。

 
                  ホ・スヨル忠南大経済学科名誉教授//ハンギョレ新聞社

 2005年4月、日本の極右新聞と呼ばれる産経新聞の姉妹誌「正論」という雑誌に、ハン・スンジョ元高麗大教授(政治学)が「親日行為がすなわち反民族行為か?」という寄稿を載せ、韓国が沸きかえったことがある。当時制定された「日帝強制占領下親日反民族行為真相究明に関する特別法」がこうした寄稿文を書いた直接的契機であった。一部の新聞では「日本の植民支配は祝福」という刺激的なタイトルで報道したことにより、ハン教授は世論の厳しい叱責を受けた。彼の主張の中には、植民地近代化論の特徴がそっくり含まれていた。そこでイ・ヨンホ仁荷大教授(史学科)は、これを「植民地近代化論のカミングアウト」と述べた。

 植民地近代化論は、社会的イシューになるたびに世論の袋叩きにされたが、忘れた頃には必ず飛び出してくるようだ。植民地近代化論を主張する学者が書いた『反日種族主義』もまた同じだ。この本を読んで、洪準杓(ホン・ジュンピョ)前自由韓国党代表は「保守右派の基本的考えにも外れる内容」と述べたし、チャン・ジェウォン自由韓国党議員は「本を読む間、激しい頭痛を感じた」と話した。それほどこの本は保守・進歩を問わず大多数の韓国国民の普遍的常識とはかけ離れている。

 
日本植民地時期に朝鮮の少年たちが作ったかますを売る市場の様子。学校では貧しい子どもたちにかますを作らせ学費の足しにする児童強制労働をさせた。朝鮮総督府は、米を収奪するためにかます作成を細かく計画し管理した=ソウル特別市史編纂委員会『写真で見るソウル2』//ハンギョレ新聞社

 それにもかかわらず、植民地近代化論者などは臆するところがない。たとえそれが“不都合な真実”かもしれないが“客観的事実”であるためだということだ。それで、学者的良心からそのように言うほかはないということだ。ハン・スンジョ教授は、韓国の代表的政治学者のひとりであったし、『反日種族主義』の著者も高い学問的水準を持っている学者だ。彼ら自分たちの主張を裏付ける論拠を持って主張するだろう、感傷的に主張しているのではない。

 植民地近代化論という用語は、国史学界が覆いかぶせたフレームのようなものだと言い、植民地近代化論者本人たちは別にありがたがっていないようだ。それでこの用語を使うことには慎重である必要があるが、本人が自分たちの学問思潮に対して別に何か規定しているわけでもないので便宜上その用語をそのまま使うことにする。

 植民地近代化論というのは、だれか一人の見解ではなく、多様な研究者の集合された考えだ。研究者の専攻も経済学だけでなく、歴史学、政治学、社会学などとても多様で、研究対象の時期も朝鮮末期から現在に至るまで多様だ。それで、共通分母を探すことは容易でなく、ややもすれば一般化の誤りを犯しかねないが、時期別に植民地近代化論の核心的主張を要約してみれば次のとおりだ。

(1)朝鮮末期社会が生産力の崩壊とともに自滅するほかはない危機に置かれていた。

(2)日帝強制占領期間、日本から近代的な色々な制度が導入され、先進的な資本が大挙投入されることによって朝鮮が急速に開発され、その結果朝鮮人の生活水準も向上した。

(3)このような植民地的開発の経験と遺産が、解放後の韓国経済の高度成長の歴史的背景になった。

鉄道・道路拡充で耕地・生産性拡大
植民地近代化の根拠提示するが
所得分配は独占・不平等の拡大再生産

 日帝強制占領期間の資料を覗いて見れば、その当時植民地朝鮮で注目すべき開発が行われたことを簡単に識別できる。近代的な日本の法が朝鮮に適用された。市場制度が発展した。鉄道・道路・通信・港湾などの社会基盤施設が拡充された。先進的技術を持っている日本の資本が大挙投入されて、工場と鉱山が建設された。河川が改修された。農地改良と農業改良によって耕地面積が拡大し、農業生産性も上がった。都市計画と上下水道施設が普及した。こうした証拠はこの他にも逐一数え上げられないほど溢れている。

 不都合な真実はここから生じる。「こうした近代的な色々な変化が、植民地朝鮮を開発させたことで、その開発のおかげで朝鮮人も少しは豊かに暮らせたのではないだろうか」という気がしてもおかしくない。「日本人たちが開発の利益の多くの部分を持っていったと言っても、朝鮮人にも餅が少しは落ちただろうし、それで朝鮮人も多少は豊かに暮らせたのではないか」と考えることもできるということだ。

 ところで、朝鮮が開発されたということと、それが朝鮮人にとっても利益になったという論理展開の中には論理の飛躍という陥穽がある。朝鮮という地域の開発と、朝鮮人の開発を区別できない飛躍だ。日本人たちは猛烈な速度で朝鮮の土地を掌握して行き、鉱工業資産は90%以上が日本人たちの所有であった。少数の日本人が土地や資本のような生産手段を集中的に所有したので、所得分配が民族別に不公平にならざるをえなかった。こうした不公平な所得分配構造は、日本人たちにより多くの生産手段を所有できるようにし、それが所得不平等を拡大させた。こうした民族別不平等の拡大再生産過程が、植民地時代に朝鮮で広がっていた開発の本来の姿だった。

 不公平な開発は民族差別を拡大させた。朝鮮の開発は日本の、日本人による、日本人のための開発であったため、本来この地の主人だった朝鮮人はそうした開発の局外者に過ぎなかった。歳月が流れますます民族別生産手段の不平等が拡大して、経済的不平等が拡大するいわゆる「植民地的経済構造」に閉じ込められることになった。したがって、植民地体制が清算されない限り、朝鮮人は植民地的経済構造から抜け出すことができず、未来に対する希望も持てなくなった。解放がまさにこの植民地的経済構造から脱皮できる唯一の道だった。まさにそうした点で、民族独立運動が何よりも重要で大切だった。筆者が以前に書いた本に『開発なき開発』という一見形容矛盾したタイトルを付けた理由もそこにあった。

 筆者の話が反日種族主義のドグマを抜け出せなかった極端主張と聞こえるだろうか? 筆者は永く植民地近代化論が得意とするその実証により植民地近代化論を批判する論争を無数に行ってきた。紙面の制約のために、ここでその多くの実証を具体的に扱うことはできない。多くの実証的論争の中で、最も重要で簡単に説明できる一つの指標を挙げて植民地近代化論の主張が事実でないことを証明してみることにする。

「強制占領期間、朝鮮人の背が高くなった」という主張
過去100年余り、食品需給表統計には
1918~1945年栄養供給量減少傾向
所得が増加したという命題は成立しない

 植民地近代化論は、「日帝強制占領期間に朝鮮で行われた開発の結果、朝鮮人の生活の質も高まった」と主張する。「日帝強制占領期間に朝鮮人の背が高くなった」という主張もここから派生したものだ。植民地近代化論の最も核心的な主張の一つだ。『反日種族主義』の筆者の1人である落星垈(ナクソンデ)経済研究所のチュ・イクジョン研究委員の研究によれば、日帝強制占領期間に朝鮮人1人当り国内総生産(GDP)が60%以上増加し、1人当りの消費も大きく増加したという。日帝強制占領期間に朝鮮人の生活水準が向上したという主張だが、これは落星垈経済研究所が出した「韓国の経済成長1910~1945」という研究結果を土台にしている。果たしてこうした主張は妥当だろうか?

 忠南大のユク・ソヨン博士は、1910~2013年の食品需給表を利用して、朝鮮(韓国)の1人1日当たりの栄養供給量の変化を分析した。韓国農村経済研究院は、食品需給表を1962年以来現在まで毎年公表している。ユク博士は、食品需給表が存在しない1910~1962年に対する食品需給表を追加して、その時系列を1910年までさかのぼった。この食品需給表から、1人1日当たりのエネルギー、蛋白質、脂肪質、無機質(Ca,Fe)、ビタミン(A,B1,B2,Niacin,C)などの栄養供給量が分かる。エネルギー、蛋白質、脂肪質など主な栄養供給量を中心に、その分析結果を整理してみれば次のグラフになる。

1人1日当たりの栄養供給量(資料:ユク・ソヨン「食品受給表分析による20世紀韓国の生活水準に関する研究」,2017)点線=タンパク質 細線=脂肪質 太線=カロリー//ハンギョレ新聞社

 グラフからわかるように、1918年までは栄養供給量が増加したが、その後1945年までは減少傾向を見せ、解放後に反転して明確な増加傾向を見せている。1990年代中盤以後のエネルギー供給量と蛋白質供給量がほとんど停滞しているのは、この時期になればダイエットが主な関心事になるほど栄養供給がすでに飽和状態に到達したことを意味する。

 日帝強制占領期間に朝鮮人の所得は非常に低い状態だった。この期間に朝鮮人の所得が増加したと仮定してみよう。低い所得のために食べ物をまともに食べられなかった時期、すなわち常に空腹だったそのような時期には、所得が増加すれば当然何より先に食べ物を求めるので、食物消費量は増えるだろう。栄養供給量が増加しなければならないという話だ。ところが、グラフを見れば日帝強制占領期間に栄養供給量は減少していたので、朝鮮人の所得が増加したという命題は成立しえない。

 一般的に人々の身長は長い場合で二十歳まで高くなり、その後は成長を止める。身長と成長期の栄養供給量の間には強い相関関係があるという。成長期によく食べれば、そうできなかった場合に比べて平均身長が高くなる。日帝強制占領期間に栄養供給量が減少したということは、平均身長が高くなったと主張するすべての研究が事実でない可能性が高いことを強く示唆する。

 留意すべき点は、1918年までの増加傾向だ。筆者は、この増加が朝鮮が日本の植民地になった直後の初期統計が持つ問題点のためであり、現実ではないと主張してきた。同時に、この期間の経済成長をめぐって植民地近代化論とすでに多くの論争を繰り広げてきた。結論的に言えば、1910~1918年の間にも栄養供給量は減少または停滞したと見てこそ正しいというのが筆者の考えだ。筆者の主張が信じられないならば、争点となる期間を論外にするなり、それをそのまま受け入れて見ても結論には大差ない。

 ある国の生活条件を、物質的な消費だけで説明することはできない。例えば、ブータンのような国は所得水準はそれほど高くないものの、幸福指数は非常に高いという。しかし、貧しくて食事さえままならない状況で幸福を云々することはできないではないか?そうした点で、日帝強制占領期間に朝鮮人の生活の質が良くなったとか、生活水準が向上したなどという主張には説得力がない。

 広く知られているように、解放後の韓国は所得水準が非常に低い国の一つであった。解放後、長期にわたり春窮(春の端境期)という言葉がなくならなかった程にいつも飢えに苦しめられた国だった。遠い昔の話のようだが、筆者自身が経験したことだった。日帝強制占領期間にそれほど多くの開発が行われたならば、解放後の韓国がそれほど貧しくなかっただろう。こうした経験は、上のグラフとも整合する。これがファクトではないのか?植民地近代化論の“不都合な真実”は“不都合な虚構”に過ぎない。

ホ・スヨル忠南大経済学科名誉教授

(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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「現在、日本の外交の方向は安倍首相と菅義偉官房長官の2人が主導するため、河野氏でも茂木氏でも誰が外相になっても韓日関係に大きな変化はないはず」

2019-09-01 | 科学的社会主義の発展のために

「康京和長官と親しい河野外相、韓国への暴言も留任のためのあがき」

2019年08月28日15時53分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]

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河野太郎外相[中央フォト]
  「韓国が歴史を書き換えたいと考えているのなら、そんなことはできないと知る必要がある」。河野太郎外相が27日の記者会見で、「韓国政府は過去に対する日本政府の認識が不足していると指摘する」という外国人記者の質問にこのように答えた。「日韓間で最も重大な問題は、65年の協定に関することだ」と述べながらだ。

  植民地侵略被害者の韓国が歴史を書き換えようとするという常識外れの発言は、「韓国が請求権協定など国際的な約束を守っていない」という日本政府の主張を浮き彫りにするためのものとみられる。

  毎日新聞は28日、こうした発言を伝え、「韓国国内では、1910年の日韓併合を中心とした戦前・戦中の日韓関係を巡り、日本国内の『歴史修正主義』が強まっているとの見方がある。当時の日韓関係を清算するための65年の協定についても『軍事政権下で結ばれた』との不満が強い」と報じた。

  毎日新聞の報道のように韓国国内では「日本の歴史修正主義」に対する反感が拡大しているが、河野外相は「韓国が歴史を書き換えようとしている」という正反対の認識を表したのだ。

  河野外相の強硬発言をめぐり外交関係者の間では「内閣改造を念頭に置いている」という分析が出ている。7月の参議院選挙で勝利した安倍晋三首相は政府改造と自民党役員人事を9月中旬に断行する予定だ。菅義偉官房長官と麻生太郎財務相の留任が有力視される状況で外相の人選が注目されている。自身の留任がかかる人事を控え、河野外相が安倍首相や日本国民の最近の反韓感情に合わせて強硬発言をした可能性があるということだ。

  河野外相については「いくら強硬論者のように行動しても彼は河野談話を発表した河野洋平元官房長官の息子」「康京和(カン・ギョンファ)外交長官と対立する姿が見られるが、カメラさえ消えれば表情が明るくなるという。それだけ親しい」「基本的に韓国に愛情を持っている」という評価がある。こうしたイメージを払拭させるために脈絡にも合わない発言を突然投じた可能性があるということだ。

  一方、河野外相が交代する場合、茂木敏充経済再生相が有力な外相候補に浮上している。茂木氏は最近大きな枠組みで合意した日米間の貿易交渉を主導した。自民党内の竹下派所属の茂木氏は、首相に挑戦するためのステップとして要職の外相を強く希望しているという。

  茂木氏には「仕事ができる完ぺき主義者だが、対人関係は円満でない」という評価がある。日本政界事情に明るい有力紙の幹部は「茂木氏が外相になる場合、外務省全体を完全に掌握するだろうが、『死神』のように恐ろしい外相を迎える官僚としては死ぬような思いだろう」と話した。このため外務省では河野外相の留任を望む声が多いという。

  しかし東京の外交筋は「現在、日本の外交の方向は安倍首相と菅義偉官房長官の2人が主導するため、河野氏でも茂木氏でも誰が外相になっても韓日関係に大きな変化はないはず」と予想した。
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