どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

無題

2004年05月25日 | 日記
自助具の発明をしている人の記事を、新聞で読んだ。
発端は、工場で自分の右手を失ったことだった。
その人は、こうおっしゃっている。
―私の右手は、私の宝だ。自分の不自由で、他人の不自由もわかった。初めて人に優しくなれた―

胸が熱くなった。その時、ふと、敬愛してやまない藤沢周平さんのことが脳裏に浮かんだ。

藤沢ファンは、非常に多い。いつだったか、寿司屋で隣同士になった人と、その話で盛り上がったことがある。私ごときが言うまでもないが、藤沢さんが描かれるしっとりとした気品ある情愛、市井の人々に向ける優しいまなざし。もう、惚れる以外に何があろうという感じだ。

その藤沢さんが、エッセイの中で、偉い人というものを、農民や老職人の中に見つけると書かれている。そして、彼らのようないい顔には、自分は成れまいとおっしゃっている。

この新聞の記事には、この方の写真も載っていた。いい顔をしていらした。藤沢さんが、生きてこの記事を読まれることがあったら、絶対に感動していらしただろう。私は、そう確信する。
コメント
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