どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

Tシャツはどの程度で捨てるか

2007年10月07日 | 日記
物が捨てられない

と言っても 山の様なゴミの中で生活している人間とは違う

子供の頃からの日記や図工の作品 手紙や年賀状 お小遣い帳や成績表 大学受験の参考書や大学時代のノート

旅のパンフレットや 記念の品々(レシートであっても)

もう ありとあらゆるものだ


それだけではない

捨て時というものが判らない

例えば Tシャツはどの程度で捨てるか

色褪せたら? 穴が開いたら?(滅多に無い) 流行遅れと感じたら?

衣替えの時期はいつも悩む

最後は 靴磨きの為のウエスにするのだが・・・(それがまた 遠い道のりでねぇ~)


物を粗末にしない年代の親に育てられ こういう人間になった事を 喜ぶべきか 悲しむべきか

あ~ それが問題だ と言うより

家自体の問題だぁ~!


でも こんな自分が 好き!

最後は これかい!ってね~
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もうすぐ4年が過ぎようとしている

2007年10月07日 | 日記
4年前の10月19日 粗忽者の私はうっかり 手違いで 何も知らずにこのカフェに入ってしまった

その何よりの証拠が このIDである

カフェが何をする場所か知っていたら 考え抜いて もっとマシなIDをつけていた^^

その日の戸惑いは 今も日記に残っている


当初は 自分でも気持ちの悪くなるようなピンクのドットのページだった(ほとんど・・・卒倒するような代物)

それでなくともこのIDの上にそれだ!嗚呼・・・(当時を知る人が少なくなった事にホッとしてる) 

自分でもある程度変えられると知ってから このシンプルな?ページになった

真っ白なページに 真っ黒ではなく幾分グレーの文字 メニューバーの淡いブルーも自分らしいと気に入っている


初日の日記には戸惑いと共に 何が出来るのだろうか と書いている

だが今振り返って 自分が出来た事なんかを遥かに超える程の多くの物を貰ってきたような気がする


出会いや心や縁を大事にしたいという足跡をよく目にする

言葉としては 正しく美しく心地よい

だが それは文字の羅列に過ぎないと感じることも多い(非難ではないし それは自由だが)


世界中の人と出会って会話を交わしお互いを知るなんていうことは 不可能だ

そんな事をしたら相当疲れるだろうし 第一スワヒリ語はしゃべれないし トイレに行く暇さえ無くなる

凡人が一生の間に知り合える人間の数なんて 高が知れているものだ

そんな人生で 僅かであっても互いの存在を知るというのは まさにネットの正しい一つの使い方じゃないだろうか

文明の進歩というものは 生活以上に心を豊かにするものでなくては意味が無い


4年前のあの日の朝 シマッタ!参ったなぁ~ こんな事始めちゃって・・・(退会の事さえ知らなかったし~)

そう思った私は もう居ない

相変わらず出来る事は少ないが 毎日 多くのものを そう多くは無い人から戴いている

君から貰ったコメント それにニンマリし 君は受け取ったコメントの嬉しさから 他の人へもお返しをする

多くは要らないが ささやかな言葉のメビウスの輪

それが本当の出会いであり 心であり 縁だと思うけどな


過去に出逢った友達 今も友達でいてくれる人 そしてこれから出逢う友達に 

♪You’ve Got A Friend♪ を贈る 

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トシは取りたくないもんだぁ~

2007年10月07日 | 日記
年甲斐も無く深夜遅くまで友人と話し 流石に今日はダウンした

ビールは無論 食事もしていない

寝たきり中年だった


大学時代は そんな日もちゃんと授業を受けたし 夜行列車で帰った日にそのまま仕事をした事もあった

う~~ん トシは取りたくは無いもんだぁ~


お楽しみの後は その責任を というわけで明日は家事デー

人生 プラスマイナス ゼロと思っているけれど プラスもマイナスもあるのがいいね

最初から最後までゼロだったら そんなのは張子の人生

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